第25話 王都の職人襲来
王都の朝は、石畳を叩く馬蹄の音と、どこからか漂う家畜の臭い、そして活気という名の騒音で始まる。
だが、王都東区の端にある空き地に停車した「俺の自家用車」の中だけは、別世界のような静寂と清潔さが保たれていた。
この車は、俺(お家様)本体から意識を分けた分身。
カザン村にどっしりと構える「本体」の意識を分割し、今は王都にいるこの『自家用車』と、全長二メートルの『飛行体』の両方に俺の意識を宿らせている。
車は俺が直接制御することで「運転手いらず」の快適な移動拠点となり、ドローンは周囲の警戒と雑務をこなす。
いわば、俺というひとつの人格が、車とドローンという二つの体を使って並列稼働している状態だ。
車内のスペースは元のままだが、俺が車載エアコンを魔力で最適化し、シートの角度をミリ単位で調整している。
おかげで、どんな高級宿よりも快適なラウンジと化していた。
「はぁ……。やっぱり、車の中は落ち着くね。外はどぶの匂いがするし、石畳は硬いし……ここだけは、元の世界の自分の部屋みたいだよ」
ミアは今、以前BPショップで購入した大手庶民ブランドのフリースパーカーにストレッチパンツという、完全なオフモードだ。
助手席のリクライニングを倒してくつろいでいる。
手には、車載ホルダーに置かれた淹れたてのカフェオレ。
後部座席では、ルカが俺の出した「動物ビスケット」をリスのように頬張っている。
「おーさまー、このお馬のいない馬車、すっごくいいぞ! 中でお菓子食べても怒られないし!」
カシムは運転席のダッシュボードに帳簿を広げていた。
昨日の炊き出しの収支報告……といっても、報酬の銀貨二枚に対して、俺が持ち出した大量の食材や機材のコストをどう「商売」として正当化するか。
難しい顔でペンを動かしていた。
平和だ。
王都という異郷にありながら、この「鉄の箱」の中だけは、前世の俺が最も愛したパーソナルスペースの延長線上にある。
だが、その平和は一人の老人の乱入によって破られた。
「……ここか! ギルドで聞いた、あの『鉄の鳥』と『馬なしの鉄馬車』が停まっている場所というのは!」
車のボディを、無作法に拳で叩く音が響く。
ドローンの視覚センサーと、車体の衝撃センサーが同時に反応した。
カシムが警戒しながら電動スライドドアを開ける。
そこには派手な羽飾りのついた帽子を被り、首からいくつものメジャーを下げ、大きな革の鞄を抱えた老人が立っていた。
「おや、あなたは……王都随一の仕立て屋、ゼペット殿ではございませんか。もしや昨日の炊き出しで見た『魔導布』に興味が?」
ゼペット。王都のアパレル界隈で知らぬ者のいない天才職人だ。
「布どころではない! 職人仲間の間で持ちきりだ。雨を弾き、汚れを寄せ付けず、それでいて絹より滑らかな天幕……。そしてこの、継ぎ目のない鉄の塊! 一体どうやって鍛造した!? いや、それ以上に気になるものがある……」
ゼペットの目が、車内にいたミアの「フリースパーカー」に焦点が結ばれた。
「…………なんだ、あの衣は。羊の毛ではない。かといって魔物の毛皮でもない。光の反射が、繊維の一本一本まで完全に計算され尽くしている。おい、小娘……それを近くで見せろ!」
「ひっ……!? な、なんですか急に……」
ミアが怯えるのも構わず、ゼペットは老体とは思えぬ瞬発力で車内へなだれ込み、ミアの袖を鷲掴みにした。
そして、あろうことか鼻を擦り付けるようにしてクンカクンカと嗅ぎ始めたのだ。
「無臭……! 獣の油の臭いも、植物の青臭さもない。それどころか、陽だまりのような清潔な香りがする……。はぁ、はぁ、はぁ……。この質感、絹の柔らかさと毛皮の温かさを両立させた、未知の素材……っ!」
「あ、あの、おじいさん……? ちょっと、くすぐったいっていうか、怖いんですけど……。お家様、助けて!」
ミアが引きつった笑顔で、ジリジリと後退りする。
後部座席のルカが、ビスケットを頬張ったまま首を傾けた。
「……あのおじいさん、ミアのこと食べるの?」
「食べません!」
(……おい。じいさん。二人目か。街の救世主に対して、初対面でいきなり『お触り』とはいい度胸じゃねぇか)
車外に滞空していたドローンの核コアが、不快感で熱を帯びる。
俺の意識の一部が「不適切な接触」に対する防衛行動を選択した。
(……完全にダウトだ。これ以上は容赦しねぇぞ)
俺は即座に、ミアの着ているフリースの繊維へ、魔力による微弱電流を送り込んだ。
(くらえ、最大出力の『静電気』だ)
バババチィッッ!!!
「ぎゃあああかっ!!?」
車内に、青白い火花が散った。
ゼペットは派手にのけぞり、そのまま開いたままのスライドドアから外の地面まで吹っ飛んでいった。
「あ、熱い! 指先が、指先が痺れて感覚がない! 今の雷魔法はなんだ!?」
ゼペットは地面に這いつくばったまま、自分の指先に残る痺れを愛おしむように見つめている。
指先がジンジンと震えているのは電流のせいだけではない。
職人としての本能が、理解の及ばない「究極の完成度」に触れて震えているのだ。
「……はぁ、はぁ, はぁっ! 今の衝撃、そしてこの『ふりーす』なる素材の肌触り! これは……これはただの布ではない! 緻密な計算の下に編み上げられた『着る魔法陣』だっ!!」
完全に「そっち側」へ行ってしまった老職人の姿に、ミアが引きつった顔でシートの影に隠れた。
「ね、ねぇお家様……あのおじいさん、目が真っ赤だよ? 大丈夫かな……」
(……いや、あれはただの充血じゃない。職人が一生に一度会えるかどうかの真理を前にした時のトランス状態だ。放置すれば、感動のあまりショック死しかねないな)
ドローンのセンサーでゼペットをスキャンする。
心拍数、毎分148。血圧、195/110。
さらに呼吸数は毎分45回を超え、典型的な過呼吸の予兆が見て取れる。
(……やれやれ。これ以上興奮させて脳の血管がブチ切れたら、寝覚めが悪い。だが、この男は王都アパレル改革の重要拠点だ。ここで一気に『物証』を叩き込み、俺の軍門に降ってもらうとしよう)
まず過呼吸を止める必要がある。
俺はドローンのアームを使い、ゼペットの顔の前に小さな風魔法陣を展開した。
新鮮な空気を緩やかに送り込む、簡易的な呼吸補助だ。
「ふごっ!? な、なんだ……この澄んだ空気は……っ。脳が洗われるようだ」
ゼペットの過呼吸が、少しずつ落ち着いていく。
その隙に、俺はBPショップの画面を開き、「日本の最新ファッション雑誌・バックナンバー一式」をポチった。
(おしゃれ目的じゃない。これは調査のための比較資料だ。……ポチッとな)
ドローンの機体下部から放たれた光の粒子が、ゼペットの目の前に数冊のファッション雑誌の実物を実体化させた。
「な、なんだ……!? また光が……えっ、これは……本、なのか?」
ゼペットがおそるおそる、有名なファッション雑誌を手に取った。
その瞬間、彼の喉から奇妙な音が漏れた。
「……っ!? こ、こ、こ、これは……鏡か!? なんだこの、鮮やかな色彩は……っ!! おい、見ろカシム! この女が着ている衣の『縫い目』が見えん! どうなっている!?」
ゼペットはページをめくるたびに、そこに写し出されたドレスや「ジッパー」のアップ写真に目を血走らせて食い入った。
「ヒュッ……ハァッ……ハァッ……! この金具は何だ!? 滑らせるだけで衣を閉じ、開く……。ボタンも紐も必要ないというのか!? これが、一般の民が着るための衣類だというのか!!」
ルカが後部座席から身を乗り出して、雑誌を覗き込んだ。
「わぁ、きれいな服だ。ミア、これ着てみたい?」
「今はそういう話じゃないの、ルカ」
ゼペットは次に、大手ブランドの機能性衣類カタログを手に取った。
文字こそ読めないが、そこに並ぶ緻密な図解と衣類の断面図が、職人としての彼に直接語りかけてくる。
「……な、なんだ、この図は……。この細かな網目から、水を吸い上げて飛ばすというのか!? ああああっ、素晴らしい、素晴らしすぎるっ!!」
「おじいさん、本当に落ち着いて! 顔が紫だよ! 呼吸させなきゃ!!」
ミアが叫ぶが、ゼペットは止まらない。
彼は雑誌を抱きしめ、天を仰いで慟哭した。
俺はドローンのアームを使い、BPショップで購入した「解剖学・整形外科図解ポスター(日本語)」をバサリと広げた。
当然、文字は日本語だ。ゼペットには一文字も読めない。
だが、そこにはプロの絵師による精密な「人間の骨格」が描かれていた。
現行の重たい服を着た時にかかる「腰や背中への負担」を示す真っ赤な矢印。
そして不衛生な布に潜む菌の拡大図。
「……なんだ、この不気味な絵は。腰が曲がった人間……それに、この不浄な虫のようなものは……?」
ゼペットが、恐怖に震えながら図解を見つめる。
「それはお家様が示す『現状の分析』です」
カシムが、絵の内容を俺の気配から察し、事務官のようなトーンで告げた。
「ゼペット殿。文字は読めずともわかるでしょう。あなたの造る服は、芸術品だ。だが、この図にある通り、人間の身体を蝕み、健やかに保つという基準においては……もはや凶器に等しいと、お家様は示されているのです」
ゼペットは震える手で、ポスターに見入った。
「理想的な骨格図」と、現行の服による「圧迫箇所」を比較した図を交互に見つめる。
「……そうか。脇の下にゆとりを持たせ、背中の布を一枚減らすだけで、呼吸がこれほど楽になるのか。……この『ずかい』にある通りに布を裁てば、私の指先はもっと多くの命を救える……」
ゼペットは膝をつき、ドローンのアームを両手で握りしめた。
その瞳には、澄み渡った職人の覚悟が宿っていた。
「大師匠! この『ずかい』にある知見、そして正しい服の作り方……どうか、この老いぼれに、授けてはくれまいか!!」
(……よし、落ちたな)
俺はドローンを、一度だけゆっくりと上下に揺らした。
この世界の最高峰の職人に概念を流し込み、服飾文化をアップデートさせる。
人々が健康になれば、莫大なBPが還流する。
これこそが「家」としての長期投資だ。
(……とりあえず、最初の課題だ。ゼペット。このBPで出した『洗濯セット』と『弱酸性除菌洗剤』を使って、まずは教会のシスターたちの服を全部除菌・消臭してこい。改善の基本は、清掃と清潔からだ)
俺が実体化させた洗濯セットと、詰め替え用の洗剤ボトルを差し出す。
ゼペットはそれを恭しく拝受した。
「承知いたしました、大師匠! このゼペット、命に代えてもこの『せんざい』なる魔薬の力を証明し、王都の穢れを根こそぎ洗い流してみせましょう!!」
鼻血を拭い、気合を入れながら、ゼペットは車から離れ、王都の雑踏へと駆け出していった。
その足取りは、先ほどまでの老人とは思えないほど軽やかだった。
ミアが、遠い目で窓の外を見送った。
「……ねぇお家様。あの人、たぶん明日から王都中の服を奪い取って、勝手に洗い回ると思うんだけど……大丈夫かな?」
(……大丈夫だ、問題ない。清潔な衣類は、万病を予防する第一歩だからな。これも立派な救急活動だ)
ルカが窓の外に小さく手を振った。
「おじいさん、頑張れー。あのビスケット、あげればよかったかな」
「ルカ、それは別の話」
俺はドローンをゆっくり揺らしつつ、センサーで周囲の平穏を確認し、再び静かな休息へと戻った。
チャリン。
【通知:新プロジェクト『王都アパレル改革』承認 ―― 期待BP還元率:極大】
Gランク冒険者の二日目。
俺の「家」としての領域は、こうして衣食住の「衣」にまで、力強く広がったのであった。
ギルドへの登録、炊き出しの噂、そしてゼペットという王都一の職人との縁。
三日で、俺たちの「存在」はこの街に確実に根を張り始めた。
あとは、商会の登記だ。拠点さえ確保すれば、カミール子爵の手が王都の流通に届く前に、俺たちの旗を立てられる。
(……次が、本番だ)
俺は格納スペースの扉を静かに閉め、明日の段取りを頭の中に並べた。




