第21話 王都と、迷子と、召喚された男
王都が見えてきた時、ミアは声を失った。
街道の丘を越えた瞬間、視界が一気に開けた。
巨大な城壁。
その向こうにひしめく建物の群れ。
煙突から立ち上る煙が、空を薄く霞ませている。
城壁の上に翻る旗が、風を受けてはためいている。
「……でかい」
ミアが呟いた。
カシムが腕を組んで、馴れた様子で頷いた。
「王都ですからな。人口はカザン村の百倍以上。市場だけで、あなた方の村がすっぽり入ります」
「百倍……」
ルカが口を開けたまま固まっている。
俺は飛行体を王都の外壁手前で止めた。
ここから先は入れない。
索敵センサーを最大まで広げて、外壁の向こうを探る。
人の気配が、びっしりと詰まっている。
数えきれないほどの体温、声、足音。
(……これは、見失いやすいな)
車を街道の脇に止めた。
目立たない木立の陰だ。
「お家様、ここで待っていてくださいますか」
カシムが車のドアを開けながら言った。
「ミア様、ルカ様、いいですか。王都の中は人が多い。私の三歩以内から離れないこと。財布は服の内側にしまうこと。知らない人についていかないこと」
「分かりました」
「ルカ様も分かりましたか」
「……うん」
ルカが城壁から目を離さずに答えた。
カシムが小さくため息をついた。
(……ルカ、絶対に迷子になるな)
俺は飛行体を外壁ギリギリの高度まで上げた。
センサーが王都の内部を走査する。
完璧ではない。建物が密集していて、死角が多い。
でも、ミアとルカの気配はなんとか追える。
三人が城門をくぐっていくのを、俺は上空から見送った。
◇
王都の中は、ミアの想像を遥かに超えていた。
石畳の道の両側に、店が隙間なく並んでいる。
肉、魚、香辛料、布、陶器、武器、薬草。
色も匂いも音も、全部が混ざり合って、一つの巨大な塊になっている。
「……すごい」
ミアは立ち止まって、ぐるりと見回した。
人がいる。どこを向いても人がいる。
怒鳴り声、笑い声、値切る声、呼び込みの声。
カザン村の市場とは、規模が違いすぎる。
(……でも)
ミアは足元を見た。
石畳に、馬糞が落ちている。
側溝が、黒く淀んでいる。
路地の奥に、ぼろをまとった子供が座っている。
(……お家様の村の方が、ずっと綺麗だ)
その事実が、不思議な誇らしさとなってミアの胸に広がった。
カシムが前を歩きながら言った。
「王都の商人組合に、まず挨拶に行きます。その後、ローゼルス伯爵家の王都屋敷に立ち寄って――」
その時、ミアはカシムの言葉を聞いていなかった。
隣にいたはずのルカが、いなかった。
「……ルカ?」
振り返る。
いない。
「ルカ!?」
ミアの声が裏返った。
◇
俺はその瞬間を、上空から見ていた。
ルカが市場の屋台に引き寄せられ、人込みの中に消えていくのが見えた。
(……やっぱりか)
飛行体のセンサーがルカを追う。
小さな背中が、人波の中をふらふらと進んでいる。
屋台の揚げ物に釘付けになって、完全に周囲を見失っている。
俺は外壁の内側に入りたかった。
入れない。
センサーは届く。でも、何もできない。
(……誰か、頼む)
そう思った瞬間。
ルカの前に、大きな影が立ちふさがった。
長身の男だ。
くたびれた旅装束を着ているが、腰に下げた剣が異様に輝いている。
オリハルコン特有の、青白い光だ。
男はルカを見下ろして、首を傾げた。
「……お前、迷子か?」
ルカが顔を上げた。
「……ちがう。揚げ物見てただけ」
「それを迷子って言うんだよ」
男がしゃがんで、ルカと目線を合わせた。
「親は?」
「……お姉ちゃんと、おじさん」
「どこにいる?」
「……わかんない」
男が立ち上がって、周囲を見回した。
「とりあえず、俺と来い。お姉ちゃんを探す」
ルカが少し考えて、男の手を掴んだ。
(……助かった)
俺は飛行体を外壁に沿って移動させながら、二人を追った。
◇
「ルカ!!」
ミアが駆け寄った。
ルカは見知らぬ男に手を引かれて、市場の入り口に立っていた。
「お姉ちゃん、この人が連れてきてくれた」
「もう! どこ行ってたの!?」
ミアはルカを抱きしめてから、男を見上げた。
「……ありがとうございました。弟が迷惑をかけて」
「いや、大したことじゃない」
男は頭を掻いた。
近くで見ると、年齢はミアより少し上、十八か十九くらいだ。
顔立ちは整っているが、どこか疲れた目をしている。
旅装束は使い込まれていて、所々に修繕の跡がある。
だが、腰の剣だけが場違いなほど美しく輝いていた。
「……綺麗な剣ですね」
ミアが思わず言った。
男が苦笑いした。
「王様に持たされたんだ。重いし、目立つし、正直使いにくい」
「王様に?」
「……まあ、色々あってな」
そこにカシムが血相を変えて駆けてきた。
「ミア様! ルカ様! どこに――」
カシムが男を見て、ぴたりと止まった。
帳簿を抱えた手が、微妙に固まっている。
男の腰の剣を見た。
城壁に翻る王家の旗の色と、男の旅装束の留め具の紋様を照合した。
「……失礼ですが」
カシムが、商人の笑顔で一歩前に出た。
「もしや、王より召喚の儀を受けた御方では?」
男が片眉を上げた。
「……知ってるのか」
「王都では有名なお話でございます。異世界より召喚された勇者様と、聖女様が魔王討伐の任を受けたと」
男が小さくため息をついた。
「勇者って言うな。恥ずかしい」
「では、なんとお呼びすれば」
「リュシアン。それだけでいい」
カシムが深々と頭を下げた。
「リュシアン様、弟君をお助けいただき、誠にありがとうございます。私どもはカザン村の者でございます」
「カザン村? 聞いたことないな」
「聖魔導居住圏とも申します」
リュシアンが首を傾げた。
「……魔導? お前ら、魔導師か?」
「いえ、私どもの『家』が魔導を使うのでございます」
リュシアンがさらに首を傾げた。
「……家が魔導を使う?」
カシムが満面の笑みを返した。
「ご説明すると長くなります。よろしければ、食事でもしながらいかがでしょう」
◇
王都の食堂は、カザン村の食事と比べると、ひどく物足りなかった。
ミアとルカがそれぞれ料理を一口食べて、同時に微妙な顔をしたのを、俺は外壁の外からセンサーで感じ取った。
(……お前ら、基準がおかしくなってるぞ)
リュシアンは豪快に肉を頬張りながら、カシムの話を聞いていた。
「……家が、意識を持っている?」
「左様でございます」
「家が、村を守っている?」
「左様でございます」
「家が、飛行体を飛ばして、車を走らせている?」
「左様でございます」
リュシアンが肉を飲み込んで、腕を組んだ。
「……俺、異世界から召喚されたんだけど。お前らの話の方が、俺の元の世界より意味わかんないんだが」
「カッカッカ。光栄でございます」
ミアが少し笑った。
「リュシアンさんは、元の世界から召喚されて、怖くなかったですか?」
リュシアンが少し黙った。
「……最初はな。何がなんだか分からなかった。言葉も、文化も、魔法も。王様に剣を渡されて、魔王を倒せって言われても、ピンとこなかった」
「今は?」
「今は……まあ、やるしかないと思ってる。俺がここにいる以上、やれることをやるだけだ」
ミアが静かに頷いた。
「……私も、似たような感じでした」
「お前も召喚されたのか?」
「いえ、違いますけど。ある日突然、全部変わって、怖くて、でもやるしかなくて」
リュシアンがミアを見た。
「……そっか」
その時、食堂の扉が開いた。
入ってきたのは、ミアと同じくらいの年齢の女性だ。
落ち着いた青いローブを着て、腰に細い杖を下げている。
リュシアンを見つけて、小さくため息をついた。
「やっと見つけた。どこ行ってたの」
「飯食ってた」
「謁見まであと二時間しかないんだけど」
「分かってる」
女性がミアたちに気づいて、軽く頭を下げた。
「……リュシアンがお世話になりましたか?」
「いえ、こちらこそ」
「聖女ミリアです。この人の保護者みたいなものです」
「保護者はひどいだろ」
「事実でしょ」
ミリアがカシムを見て、少し目を細めた。
「……カザン村、ですか。最近、王都でもその名前を聞きます。エレノア夫人が随分と熱心に通っていると」
「ご存知でしたか」
「ええ。……あの夫人が熱心に通う場所となれば、気になりますよね」
カシムがにこやかに小瓶を取り出した。
「よろしければ、これをぜひ」
ミリアが受け取って、一滴手に落とした。
数秒後。
「……これ」
ミリアの目が丸くなった。
「聖魔法の回復効果に近い感触が……これ、どうやって作るんですか」
「お家様の秘蔵でございます」
「お家様……」
ミリアがリュシアンを見た。
「リュシアン、私、この村に行ってみたい」
「謁見が終わってからにしろ」
「分かってるわよ」
ルカがリュシアンの袖を引っ張った。
「ねえ、剣、見せて」
「重いぞ」
「いいから」
リュシアンが苦笑いしながら剣を抜いて、ルカに見せた。
オリハルコンの刃が、食堂の灯りを受けて青白く輝く。
「……きれい」
「重いだろ、持つか?」
「うん!」
ルカが両手で柄を掴んだ瞬間、剣が床に落ちた。
「重っ!!」
「言っただろ」
リュシアンが笑った。
食堂に、笑い声が広がった。
◇
別れ際、リュシアンがカシムに聞いた。
「……カザン村って、どこにある?」
「王都からであれば、西へ一日ほどの場所でございます」
「一日か。……魔王討伐が終わったら、行ってみてもいいか?」
カシムの目が光った。
「もちろんでございます。お待ちしております、リュシアン様」
「勇者って言うなよ」
「失礼。……リュシアン様」
ミリアがミアに小声で言った。
「……あなた、名前は?」
「ミアです」
「ミア。……あなたと、また話したいわ。なんとなく、そう思う」
ミアが少し驚いて、それから笑った。
「私も、です」
リュシアンとミリアが王城の方へ歩いていく。
その背中を、ミアはしばらく見ていた。
ルカが隣に来て、ミアの手を握った。
「……あの人、また会える?」
「うん。きっと会える」
「約束?」
「約束」
チャリン、チャリン。
【通知:重要な縁の獲得 ――+500BP】
【通知:将来の同盟候補との接触 ――+300BP】
◇
日が傾き始めた王都の通りを、ミアたちは歩き出した。
「さて、ミア様、ルカ様。本日のご挨拶回りはここまででございます」
カシムが満足げに帳簿を閉じた。
「ローゼルス伯爵家の王都屋敷への顔通し、そして何より……勇者様との縁。これが今日一番の収穫でしたな」
「うん。すごくいい人たちだった」
ミアが頷く。ルカはまだ、リュシアンの重い剣の感触を思い出すように自分の手を握ったり開いたりしている。
「でも、カシムさん。私たち、今日はどこに泊まるんですか? 王都の宿屋?」
「いえいえ、無駄な出費は抑えましょう。それに、我々にはどんな高級宿よりも安全で快適な『本陣』が待っておりますからな」
カシムが王都の城門を指差した。
◇
王都の外壁の外。
人目につかない木立の陰に停めた車の中で、俺は三人の帰還を待っていた。
ガチャリとドアが開き、ルカが真っ先に飛び込んでくる。
「お家様、ただいま! あのね、勇者様にあって、剣もった!」
「こら、ルカ。靴を脱いでからにしなさい」
ミアが苦笑しながら後へ続く。最後にカシムが乗り込み、ドアを閉めた。
車内は俺の領域だ。
外の冷え込みを遮断し、完璧な室温と柔らかい照明で三人を出迎える。
(……おかえり。迷子騒動はヒヤヒヤしたが、怪我がなくて何よりだ)
コンソールパネルのライトを一度だけ点滅させて応えると、ミアがほっとしたようにシートに背中を預けた。
「……やっぱり、お家様の中が一番落ち着く」
「王都の喧騒は、慣れないと疲れますからな。今日はここでゆっくりお休みください」
夕闇が深まる中、車窓の向こうには巨大な王都のシルエットが黒々とそびえ立っていた。
俺たちの王都での日々は、まだ始まったばかりだ。




