第19話 ドローン、空を行く
空は広い。
当たり前のことだが、俺は今それを、生まれて初めて「体感」している。
風が機体を揺らす。
高度三百メートルから見下ろす世界は、俺が毎日センサーで監視していた地図とは全然違う。
温度も匂いも、センサー越しとは別物だ。
村が、遠くなっていく。
白亜の城壁に囲まれた「俺の家」が、どんどん小さくなっていく。
ミアが洗濯物を干している気配が、かすかに同期信号として届く。
ルカはたぶん床にごろごろしている。
(……まあ、しばらく任せておくか)
並列思考のおかげで、村の「家の俺」は普通に動いている。
ただし今は情報共有を最小限に絞っている。
緊急事態だけ拾う設定だ。
世界の裏側にいても村の状況が筒抜けになったら、冒険する意味がなくなる。
俺は高度を上げた。
索敵センサーが、半径五十キロの空間を静かに走査し始める。
(……さて。何があるかな)
◇
最初に引っかかったのは、街道の南側だ。
馬車が一台。
速度が落ちている。
周囲に複数の人影。
俺は高度を落とし、接近した。
「きゃあああっ!!」
悲鳴が聞こえた。
見れば、豪華な紋章入りの馬車が、街道の真ん中で止まっていた。
周囲を囲むのは、武装した男たちが十二人。
盗賊だ。
馬車の御者が槍で脅されて、荷台から荷物を投げ捨てている。
窓から顔を出した若い女性が、青ざめた顔で叫んでいた。
(……ラノベの第一話みたいな状況だな)
俺はドローンのシステムを確認した。
【魔導式スタン砲×2:充填完了】
【高圧水流ノズル×4:稼働可能】
(……よし。掃除しよう)
俺は急降下した。
盗賊たちが気づいたのは、頭上に影が落ちた瞬間だった。
「な、なんだ!? 鳥か!?」
「でかすぎる! 羽がない!!」
混乱している間に、俺は高圧水流ノズルを全開にした。
ザバァァッ!!
冷たい水流が、まず先頭の三人を直撃した。
足元を払われた男たちが、面白いくらいきれいに転がる。
「ぎゃあっ!? なんだ水が!?」
「どこから!? 雨じゃないぞ!?」
逃げようとした二人の背中に、スタン砲を撃った。
バチンッ!!
「ひぎゃっ!!」
「っわあああっ!!」
二人が痙攣して倒れる。
殺してはいない。しばらく動けないだけだ。
残りの七人が武器を構えて俺を見上げた。
「囲め! 撃ち落とせ!」
矢が三本飛んできた。
(……ふむ)
俺は軽く機体を傾けて躱した。
そのまま急上昇して、今度は盗賊たちの真上から全ノズルを同時噴射した。
ザバザバザバザバッ!!!
「うわあああっ!!」
「冷たい! 冷たすぎる!!」
「も、もう許してくれ!!」
七人が一斉に膝をついた。
水浸しで、泥だらけで、武器を取り落として。
俺は最後の二人にスタン砲を撃ち込んで、その場を静かにした。
十二人全員が、街道に転がっている。
死者なし。重傷者なし。
ただ、ずぶ濡れで気絶しているだけだ。
(……完璧な制圧だ)
(ついでに街道の泥も洗い流せたし、一石二鳥だな)
馬車の中から、おずおずと顔が出てきた。
さっき悲鳴を上げていた若い女性だ。
年齢はミアと同じくらい。貴族の娘らしく、豪華な服を着ている。
ただし今は、驚きで目が丸くなっている。
「……あの、えっと」
彼女は俺を見上げて、言葉を選んでいた。
「……助けてくださって、ありがとうございます。……あなたは、その、なんですか?」
(……なんだろうな、俺も)
俺には喋る機能がない。
テキストを表示するスクリーンも、音声を出すスピーカーも、今のドローンには積んでいない。
(……次のアップデートで音声機能は欲しいな)
俺はとりあえず、機体を一度だけ上下に揺らした。
「どういたしまして」のつもりだ。
女性は少し首を傾けて、それから笑った。
「……返事してくれた。不思議な方ですね」
御者が恐る恐る馬車から降りてきて、倒れた盗賊たちを見回した。
「……全員、生きてます。気絶してるだけで」
「そう。……ねえ、あなた」
女性が再び俺を見上げた。
「私、このまま街道を進むのが怖いんですけど……少しだけ、護衛してもらえますか? 行き先は、この先の街なんです。でも、さっきの人たちが目を覚ましたら……」
(……まあ、いいか)
俺は機体を馬車の前方に移動させた。
「先導する」のサインだ。
女性はまた笑った。今度は安堵の笑いだ。
「……ありがとうございます。本当に」
その瞬間、俺のコアに小さなチャリンが鳴った。
【通知:感謝によるBP還元 ――+80BP】
(……遠隔でも稼げるのか)
(これは良いビジネスモデルだな)
◇
馬車を街の入り口まで送り届けて、俺は再び空へ戻った。
女性が窓から手を振っている。
俺は機体を一度傾けて、北へ向かった。
しばらく飛ぶと、今度は森の中から剣戟の音が聞こえた。
索敵センサーが反応する。
人間四人。
魔物一体。
降下して確認すると、冒険者のパーティが大型の魔物と戦っていた。
熊のような体型で、全身が黒い鱗に覆われた魔物だ。
四人のうち一人がすでに腕を負傷していて、防御に回っている。
(……これは、まずいな)
俺は状況を判断した。
魔物の正面から突入すると、冒険者たちを巻き込む可能性がある。
背後から仕掛けるのが正解だ。
俺は高度を落として、魔物の真後ろへ回り込んだ。
そして、スタン砲を両方同時に撃った。
バチバチバチィッ!!
「ぐ、ぐおおおおっ!?」
魔物が振り返った。
その隙に、冒険者の一人が剣を振り下ろした。
ドスッ、という重い音。
「いたっ、効いた! 動きが鈍くなってる!!」
「今だ、全員かかれ!!」
冒険者たちが一斉に攻撃を仕掛けた。
スタンで動きを封じられた魔物は、抵抗らしい抵抗もできずに地に伏した。
四人が肩で息をしながら振り返る。
「……なんだ、今の」
俺が上空でホバリングしているのを見て、全員が固まった。
「魔導道具か? いや、あんなの見たことない」
「助かった……よな? あれが助けてくれたのか?」
負傷した冒険者が、腕を押さえながら俺を見上げた。
「……ありがとう。おかげで死なずに済んだ」
(……どういたしまして)
俺は機体を揺らした。
チャリン。
【通知:感謝によるBP還元 ――+120BP】
(……遠隔BP、なかなか美味しいな)
ふと、負傷した冒険者の腕が目に入った。
布が血で滲んでいる。
深くはないが、放っておくと化膿する。
(……薬、持ってたっけ)
俺はアイテムボックスを確認した。
村のアイテムボックスと共有されている。
つまり、村の在庫がそのままここで使える。
【在庫確認:上質な薬草パック×多数、消毒液×多数、包帯×多数】
(……あった)
俺はアイテムボックスから薬草パックと包帯を取り出して、冒険者の前に静かに落とした。
「……えっ?」
どこからともなく現れた医療品に、冒険者たちが目を丸くした。
「出てきた。……空中から、突然」
「使えってことか?」
俺は機体を上下に揺らした。
「……分かった。ありがたく使わせてもらう」
冒険者が包帯を受け取って、仲間の腕に巻き始めた。
チャリン。
【通知:善意の物資提供によるBP還元 ――+200BP】
(……BPまで出た。これは良いな)
俺はしばらくその場で見守って、冒険者たちが無事に歩き出すのを確認してから、再び北へ向かった。
◇
一時間ほど飛んだところで、索敵センサーが小さな集落を捉えた。
家が十数軒。
畑はあるが、作物が育っていない。
子供たちが外を歩いているが、全員が細い。
(……貧しい村だな)
俺はゆっくりと高度を落とした。
村の上空に差しかかった瞬間、畑にいた老人が気づいて叫んだ。
「なんじゃあれは!? 魔物か!?」
村人たちが一斉に逃げ込んだ。
(……まあ、そうなるよな)
俺は村の中央広場に、ゆっくりと着地した。
しばらく待つ。
物陰から、こちらを覗いている目がある。
子供の目だ。
(……腹が減ってるんだろうな)
俺はアイテムボックスを開いた。
【在庫確認:白米(大量)、乾パン(大量)、コンソメスープ(大量)、乾燥豆(大量)……】
俺は白米とコンソメスープを大量に取り出して、広場の中心に並べた。
どこからともなく現れた食料に、物陰の目がぱちくりした。
しばらく沈黙。
それから、子供が一人、恐る恐る出てきた。
七歳か八歳くらいの男の子だ。
服はぼろぼろで、頬がこけている。
彼は食料を見て、俺を見て、また食料を見た。
「……食べていいの?」
(……食べていいよ)
俺は機体を上下に揺らした。
男の子が一つのパンを手に取って、一口かじった。
目が丸くなった。
「……おいしい」
その声を聞いて、物陰からぞろぞろと人が出てきた。
子供たち、老人、女性たち。
全員が恐る恐る食料に近づいて、手を伸ばした。
チャリン、チャリン、チャリン。
【通知:飢えた者への物資提供によるBP還元 ――+450BP】
【ボーナス:初めての接触につき、信頼獲得ボーナス ――+200BP】
食料を配り終えて、俺はアイテムボックスを再確認した。
(……次は何が必要だろう)
畑を見ると、土が痩せている。
作物の苗が、ところどころで枯れかけている。
俺はアイテムボックスから肥料と野菜の苗を取り出した。
カザン村でカシムが仕入れた良質な苗だ。
それを畑の脇に積んだ。
老人が近づいてきて、苗を手に取った。
震える手で、丁寧に確かめるように触れている。
「……これは、良い苗じゃ。こんな立派なもの、どこから……」
俺は機体を揺らした。
「……神の使いか」
老人が、静かにそう言った。
それから深く頭を下げた。
「……感謝する。本当に、感謝する」
チャリン。
【通知:深い感謝によるBP還元 ――+350BP】
【通知:『神の使い』として認識されました ――信仰BPチャージ開始】
(……信仰BPまで出た)
(これ、定期的に来るやつか?)
薬も置いていこうと思った。
村の端に、具合の悪そうな老婆が寝ていた。
俺はアイテムボックスから解熱の薬草パックと、カザン村で余っていた薬を取り出して、その枕元に置いた。
世話をしていた娘らしき女性が、俺を見上げた。
「……お母さんの病気、これで治りますか」
(……たぶん治る)
俺は機体を揺らした。
女性が薬を手に取って、胸に抱いた。
「……ありがとうございます。ありがとうございます」
声が震えていた。
チャリン。
【通知:病人への薬の提供によるBP還元 ――+300BP】
俺は、しばらくその村の上空で待った。
子供たちが食料を食べて、少しだけ顔色が良くなっていた。
老人たちが苗を畑に植え始めていた。
その様子を見ていたら、なんとなく、離れがたくなった。
(……俺は家だ。ここに居続けるわけにはいかない)
俺は機体を浮かせた。
子供たちが気づいて、手を振った。
「行っちゃうの!?」
「また来てね!!」
俺は機体を一度だけ傾けて、村を離れた。
チャリン、チャリン。
【通知:信仰BPチャージ ――+180BP(継続中)】
(……継続中って書いてある)
(これ、村人たちが俺のことを覚えている限り、ずっと入り続けるのか)
(完全に、不労所得だな)
◇
帰路につきながら、俺は今日一日を振り返った。
馬車を助けた。
冒険者を助けた。
貧しい村に物資を届けた。
全部で合計、
【本日の遠征BP収支:+2,180BP(信仰BP継続分を除く)】
(……外に出るだけで稼げる。これは良いな)
ふと、撃墜のことを考えた。
今日は矢が三本飛んできた。
全部躱せたが、もし当たっていたら。
(……村に統合されて、記憶が補完される、か)
(つまり、撃墜されても「俺が死ぬ」わけじゃない)
(ドローンが壊れるだけで、俺は村の俺に戻るだけだ)
なんだか、妙に気が楽になった。
死を恐れずに外に出られる。
それは、前世の社畜だった頃には絶対になかった感覚だ。
(……ブラック企業でこれだけのリスクヘッジがあったら、もう少し思い切って動けたのにな)
などと考えながら、俺は村へ向かって高度を上げた。
夕暮れが空を染め始めていた。
オレンジと紫が混ざった、派手な空だ。
(……きれいだな)
センサーが村を捉えた。
城壁が夕日を反射して、白く光っている。
村からの同期信号が届く。
ミアが夕食の準備をしている。
ルカの笑い声が届く。
カシムが帳簿を閉じる音がする。
(……ただいま)
俺は機体を急降下させて、城門をくぐった。
ミアが空を見上げて、手を振った。
「お帰りなさい、お家様! 今日はどこまで行ってたんですか?」
(……いろいろ)
俺は機体を揺らした。
ルカが走ってきて、着地したドローンにぺたっと抱きついた。
「お家様、お腹すいた」
(……夕飯はもう少しで出来るよ)
俺は機体を揺らして、村の格納スペースへと収納した。
意識が、「家の俺」へと戻っていく。
石畳の温度。
住民の気配。
夕食の匂い。
ああ、これだ。
これが、俺の「家」だ。
外は広くて、面白かった。
でも、ここが一番、落ち着く。
(……明日も飛ぼうかな)
俺は、夕暮れの空を一度だけ窓から見上げて、キッチンの火加減を整えた。




