第17話 異界の饗宴と、過剰なる再投資
嵐が去った後の静寂は、時として恐怖を増幅させる。
バストン子爵代行率いる三百の軍勢を、俺――白亜の魔導神殿商館――が「お掃除」してから数時間。
カザン村を包んでいたのは、勝利の歓喜ではなく、張り詰めたような緊張感だった。
神殿の奥、住民たちは身を寄せ合い、ただ震えていた。
バストン軍は消えた。だが、彼らの不安を消すための言葉を、この建物(俺)は持たない。
無理もない。
彼らにとって貴族の軍勢は、抗う術のない「天災」と同義だ。
それを正体不明の現象で追い払ってしまったのだ。
今は良くても、明日はどうなるのか。
報復は。略奪は。絞首台の縄は。
彼らの瞳の奥には、長年刷り込まれた「持たざる者の絶望」が淀んでいた。
(……あー、ダメだな。この空気。せっかくピカピカに床を磨いたのに、これじゃ陰気な湿気でカビが生えちまうぜ)
俺は「家」だ。
住人が不安に震えている家なんて、ただの箱に過ぎない。
前世のブラック企業では、ノルマ未達の恐怖を植え付けて社員を動かしていたが、そんな使い捨ての経営はもう真っ平ごめんだ。
俺が欲しいのは、恐怖で動く奴隷じゃない。
幸福で光り輝く「優良な資産(住民)」なんだよ。
俺は、先ほどのリサイクル分を合わせ、ようやく七万を超えたばかりの「全貯蓄BP」を睨みつける。
(……よし。パァーッといくか。恐怖を上書きするには、それ以上の『衝撃』と『快感』が必要だ。……現代日本の、えげつない物質文明の力を見せてやるよ)
俺は意識の奥底にある【ショップ・カタログ】を全開にした。
今のこの場所に必要なのは、武器よりも、住民を安心させる温かな食事だ。
俺の意志一つで、村の中央広場が変貌を開始する。
バチバチッ、と青白い魔力が爆ぜ、石畳の上に突如として巨大な「調理屋台」が何台も出現した。
同時に、俺は村中に響き渡るような、穏やかで明るい「環境音楽(BGM)」を流し始める。
屋台からは、中世レベルの彼らが一生知ることのない「暴力的なほど美味そうな匂い」が立ち込め始める。
「……な、なんだ? 何が始まったんだ?」
おずおずと神殿から顔を出した住民たちが、広場の光景に目を見開く。
そこには、俺がBPを惜しみなく注ぎ込んで生成した「地球産・異界の美食」の数々が並んでいた。
だが、住民たちは動けない。
見たこともない極彩色の料理、氷のように冷たい黄金の液体。
「……お家様の贈り物だとは思うが……こんな食べ物、見たことがない」
「毒……じゃないのか? あまりに色が綺麗すぎて、恐ろしい……」
困惑と飢えの間で住民が立ち尽くす中、ミアがふらりと一歩前に出た。
彼女は、屋台から立ち上る真っ白な湯気をじっと見つめていた。
その温かな湿り気は、あの日、ルカを抱いて凍えていた自分を最初に救ってくれた、あの「スープの温度」と同じだった。
ミアは迷いなく、湯気を立てる未知の料理を口に運んだ。
一口。
熱い塊が喉を通り、胃に落ちた瞬間、彼女の目から一粒の涙がこぼれ落ちる。
「……あたたかい……」
その一言で十分だった。
彼女の表情が、何よりも確かな「保証」となって住民たちの理性を吹き飛ばした。
最初に住民たちの理性を飛ばしたのは、炭火で焼かれた「A5ランク和牛のサーロインステーキ」だった。
この世界の肉といえば、筋張った硬い赤身を香辛料で誤魔化したものが一般的だ。
だが、俺が生成したのは、口の中で脂がとろける芸術品。
「……な、なんだ、この肉は? 噛んでないのに、消えた!? 肉が……肉が溶けるなんて、そんな馬鹿なことが!」
一人の男が絶叫に近い声を上げたのを合図に、広場は狂乱に包まれた。
キンキンに冷えた「生ビール」。
魔法の氷すら介さず、俺の冷却システムで限界まで冷やされた黄金の液体。
その喉越しを体験した住民たちが、次々と腰を抜かす。
「ぐはっ……喉が焼けるようなのに、爽快だ! この泡、綿菓子のように甘美で、なのに苦味が最高にキレている……っ! 俺が今まで飲んでいたのは、馬の小便だったのか!?」
さらに、追い打ちをかけるように甘味の波が押し寄せる。
チョコレートフォンデュ、生クリームたっぷりのケーキ。
砂糖が金と同価値であるこの世界で、その「甘さの洪水」は、子供たちだけでなく大人たちの心も一瞬で掌握した。
(……ふふふ。そうだ、食え。脳に直接ドーパミンを流し込んでやれ。恐怖なんて、満腹と快感の前には無力なんだよ)
俺の視界の端で、ログが猛烈な勢いで流れ出す。
【通知:住民の幸福度が閾値を突破】
【通知:『未知の美味』に対する畏怖が信仰心へ変換されます】
【ボーナス:幸福度爆発につき、獲得BPに10倍の倍率が発生中】
(……お、おい。何だこれ。一気にBPが戻ってくるぞ!? 使い捨ての労働力より、幸せな定住者の方がよっぽど効率いいじゃねぇか!)
この狂乱の宴の中、唯一、冷静さを(半分だけ)保っていた男がいた。
商人のカシムだ。
彼は、俺が提供した「最高級大吟醸」のグラスを手に取り、一口飲んだ瞬間に、彫像のように固まった。
「………………お家様」
カシムが、幽霊でも見たような顔で俺の柱に詰め寄ってくる。
その目は血走り、全身が震えていた。
「これです。これですよ……! この酒、この肉、この甘味……! これを王都へ、いや、帝国へ輸出してください! 私が売ります! 一樽で城が建ちます、いや、国が買えますぞ!!」
カシムの声は、商売人の本能による悲鳴だった。
だが、俺は答えない。
肯定も否定もしない。
ただ、その場に立ち尽くすカシムの目の前で、屋台の火をさらにパチパチと景気よく燃え上がらせ、沈黙で「お門違いだ」と告げる。
(……却下だ、カシム。これは輸出しない。これを外に流せば、欲に駆られた王や教皇が、軍勢を率いてこの村を『接収』しに来る。掃除の手間が増えるだけだ)
俺の力(BP)の源泉は、太陽光パネルのような物理エネルギーではない。
住民の「幸福」と「安らぎ」から生まれる。
だからこそ、この「地球の味」は、この村に来て、俺のルールに従う者だけが享受できる特権。
いわば、『聖域の配給』なのだ。
カシムは俺の沈黙に、言葉以上の拒絶と、この「楽園」を囲い込む強欲なまでの意志を感じ取り、戦慄した。
「……『飲みたければ、この地へ来い』。……そして、『お家様の慈悲を賜れ』……と。なんとえげつない。……輸出するよりも、人を呼び寄せ、この地を『地上唯一の楽園』に仕立て上げる方が、長期的には巨大な価値を生む……。お家様、貴方は商人の私よりも、ずっと強欲で恐ろしい御方だ……!」
(……いや、俺はただ、快適に暮らしたいだけなんだってば。余計な火種を持ち込むなってことよ)
宴もたけなわ。
使ったBPは約五万。
だが、返ってきたBPは……。
【現在の保有BP:150,000突破】
(……ははは。使えば使うほど増える。前世の経費精算も、これくらい魔法みたいにいけば良かったのにな)
俺は、溢れ出したポイントを、次は「インフラ」へと注ぎ込むことにした。
もっと平和で、もっとえげつない「文明の利器」をポチる。
◇
住民たちがわが家へ帰ると、そこにはさらなる「現象としての慈悲」が待っていた。
火のコンロ。
薪も炭も不要。つまみを回せば、俺の魔力が直接「純粋な炎」となって噴き出す。
煤も出ず、火力調整も自由自在だ。
だが「火」そのものであるため、住民の調理技術が廃れることはない。
水の蛇口。
水道管も水源もない。
だが捻れば、俺の魔力が「清浄な水」と、一日の疲れを溶かす「温かいお湯」として溢れ出す。
バストンの屋敷に奉公していた者ですら腰を抜かす贅沢だ。
光のランプ。
油も芯も使わない。
天井から降り注ぐ安定した光が、夜の不安を完全に消し去った。
床暖房システム。
石畳の下を俺の魔力が循環し、足元から柔らかな熱を伝えていく。
冬の凍える夜は、この村から消滅した。
「……ああ、極楽だ。……お家様、本当にありがとうございます……」
あちこちの家から、感謝の呟きが聞こえてくる。
その念が、目に見えない光の粒となって俺のコアに吸い込まれていく。
住民が安らぎ、この「家」に依存し続ける限り、俺のエネルギーは無限に湧いてくる。
これが俺の作った、最高の永久機関だ。
夜が深まり、温かいわが家へと帰っていく住民たちの背中に、もう軍勢への怯えはない。
「ここには、自分たちを守ってくれる神がいる」という、無敵の確信が宿っていた。
神殿のバルコニーでは、お腹いっぱいになって眠ってしまったルカを抱きかかえ、ミアが夜空を見上げていた。
新しく設置された街灯が、彼女の銀髪を黄金色に染めている。
ミアが、俺の柱にそっと額を寄せる。
「……お家さん。……今日は、本当に、ありがとうございました。皆、あんなに笑っているのを初めて見ました。……私、この家に来て、本当に良かったです」
俺は返事をしない。
ただ、彼女たちを冷やさないよう、周囲の気温を「安眠に最適な数値」へと微調整し、柔らかな光で包み込んだ。
【通知:生活環境の激変により、継続的な幸福BPがチャージされます】
【現在の保有BP:90,000】
(……よし。インフラ工事で一時的に減ったが、住民がこの便利さに依存すればするほど、寝てる間にも勝手にポイントが溜まっていく仕組みだ。ついに、自分が馬車馬のように働き続けなくても利益が上がる「不労所得システム」を完成させたんだな)
前世では、俺自身が誰よりも働き、身を削らなければ現場が回らなかった。
だが、今の俺には、そんな破壊兵器を振りかざして無理やりノルマを達成させるよりも、住民たちが立てる穏やかな寝息の方が、ずっと価値のあるものに思えた。
この寝息こそが、ブラックな社畜環境から俺が解き放たれた、何よりの証明なのだから。
(さて。明日の朝飯は、BPで買った最高級の卵と厚切りベーコンで、景気よく『ベーコンエッグ』でも振る舞ってやるか。……あの焼ける音と匂いなら、言葉なんていらねぇだろ)
白亜の神殿は、満足げに一度だけ、ミシッ……と梁を鳴らした。
それは、ただのボロ屋から最強の「家」へと至った男の、静かな勝利宣言だった。




