第16話 聖域のお掃除
平和な俺の日常を汚す足音が、村の外縁から響いてきた。
――いや、「足音」なんて生ぬるい言い方じゃ足りない。
土を削り、石を鳴らし、金属が擦れて、空気そのものがざらつく。
俺の知覚は、村を囲む防風林のさらに外側――街道の土埃を巻き上げて進軍してくる一団を、まだ姿が見える前から捉えていた。
人数は、およそ三百。
騎士の甲冑が陽光を反射し、目に痛いほどきらきら光っている。
その後ろで、薄汚れた歩兵たちが槍を連ね、鎖帷子の鳴る音が不揃いに重なる。
馬の鼻息。汗。油。乾いた皮革。……それらが一つの「臭いの塊」になって、こっちへ向かってくる。
先頭で馬に跨っているのは、この領地の隣――肥沃な土地を治めるバストン子爵の代行を名乗る男だ。
兜の飾りは派手だが、姿勢は軽い。目線が落ち着かない。
肩書きで自分を大きく見せるタイプ。俺はそう判断した。
「……フン。これがあの噂の『聖域』か。成り上がりのローゼルス伯爵が、異端の魔術師と組んで王都の貴族をたぶらかしているという……。王都の『あの方』の命によれば、ここは国の安寧を脅かす魔窟に他ならん。子爵閣下の名において、この地を『浄化』し、その証拠を没収してくれるわ!」
浄化、ねぇ。
(俺より潔癖な大理石ボディ(村)に向かって、泥靴の軍勢を引き連れた奴がよく言うぜ)
(この世界の連中が言う『浄化』なんて、松明で燃やすか、野蛮に壊すかだろ? そんなの、現代日本人の俺が許すわけない)
(俺の掃除機(微風)の性能をナメるなよな)
それにしても、だ。
(……っていうか、こいつバカなのか?)
ここは今、ローゼルス伯爵夫人が「プライベート・サロン」として入り浸ってる場所だ。
それを知らないなら情報が遅すぎるし、知ってて来たなら胆力じゃなくて自殺志願だ。
伯爵家に喧嘩を売って、明日があると思ってるのか?
虎の尾を踏むどころじゃない。虎の口の中に頭を突っ込んで、ダンスを踊るようなもんだ。
現代の企業戦士だった俺からすれば、この男の「根回しゼロ」の突撃は見ていて胃が痛くなるレベルの無謀さだ。
コンプライアンスもクソもありゃしない。
ローゼルス伯爵がこの話を聞いたら、間違いなく「えげつない」笑顔で――子爵家の領地ごと、書類一枚で握り潰しにかかるだろうに。
(……まあ、いい)
どっちみち、俺の敷地内に一歩でも入った瞬間、お前らはただの「招かれざる不法侵入者」だ。
俺という「家」のシステムで、徹底的に"クリーニング"してやる。
俺は冷めた意識で、彼らが俺の「敷地」の境界線を跨ぐのを待っていた。
村の入り口。石畳が始まるところ。
そこから先は、俺のルールが支配する絶対領域だ。
……同時に、住民の安全は最優先で確保してある。
住民たちはみんな、俺の指示で頑丈な『神殿商館』の内側に避難させてある。
あそこは俺のコアに直結した一番硬い場所だ。
外から何が起きても、彼らが傷つくことはない。
――そして、悪い癖なんだが。
俺は「見せ物」を用意してしまっていた。
厚い強化ガラス越しに、ミアとルカが並んでいる気配がする。
ミアは真面目だから手すりに両手を置いて、目を逸らさずに状況を確認している。
ルカは……たぶん飽きたら頬ずりに来る。いつものやつだ。
村を守るのは俺の仕事だが、安心して見ていられるだけの余裕も、今の俺にはある。
敵の軍勢は、抵抗がないことに拍子抜けしたのか、あるいは村のあまりの清潔さに気圧されたのか。
戸惑いながらもズルズルと村の内部へ侵入してきた。
「はっ、逃げ出したか! 住民一人おらんとは、臆病者の集まりよな!」
違うぞ、勘違いするな。
これは「避難」だ。というか、俺のリビングに土足で上がらせないためのマナー教育だ。
軍勢が村の中央、広大な噴水広場に集結した。
石畳は白く、目地は細く、角はきっちり揃っている。
俺の神経が最も密に張り巡らされた――いわば「俺の胃袋」のど真ん中だ。
「よし、ここを本陣とする! これより村の隅々まで家宅捜索を行い、隠された財宝と、あの忌々しい『招待状』の原版を探し出せ!」
(……よし、全員入ったな)
(お前ら、土足で俺のリビングに上がり込んだ罪は重いぞ?)
俺はBPを演算装置へと注ぎ込み、一斉にスキルを起動させた。
ターゲットは、広場を占拠した三百人の「不法侵入者」全員。
まずは挨拶代わりに、【土魔法(微):振動】。
「な、なんだ!? 地震か!?」
石畳が、まるで生き物のように小刻みに震えだす。
ただの振動じゃない。彼らが立っている地点だけを、左右交互に高速で揺さぶる。
俺にとっては「くしゃみ」程度の出力だが、甲冑を着た人間が耐えられる揺れじゃない。
馬たちはパニックを起こして嘶いた。
騎士たちは重い鎧のせいでバランスを崩し、無様に地面へ転がる。
歩兵は歩兵で、足元の感覚が奪われた瞬間に、槍の穂先が味方の背中に当たりかけて慌てて引っ込めた。
そこに追い打ちをかける。【水魔法(微):高圧洗浄】。
広場の噴水から、そして路地裏の側溝から、一斉に細く鋭い水流が吹き出した。
殺傷能力はない。だが、装備を狙っている。
甲冑の隙間。靴の中。槍の柄の汚れ。汗の塩。泥の粒。
容赦なく冷たい水が入り込み、彼らの「汚れ」を剥がし、流し、曝け出していく。
「冷たっ!? なんだ、どこから水が……ぐわぁぁ!」
「靴が! 靴が水で――!」
当然、彼らも黙ってはやられない。
パニックになりながらも、威嚇のために槍を突き出し、あるいは「化け物め!」と叫んで――手近な石畳に剣を投げつけてきた。
(……よし、投げたな?)
(それが『不法投棄』の瞬間だぜ)
俺のシステムが買い取れるのは、あくまで「誰の所有物でもなくなった(あるいは手を離れた)オブジェクト」だけだ。
だから俺は、【風魔法(微):真空吸引】をフル稼働させた。
広場の中心に、巨大な掃除機の原理を応用した気流の渦を作る。
転倒した拍子に手からこぼれ落ちた槍。
パニックで投げ捨てられた剣。
水圧に耐えかねて脱ぎ捨てられた盾。
それらが気流に巻き込まれ、宙を舞い、俺の計算通りの「所有権放棄エリア」へ吸い込まれていく。
宙を舞う「元・装備品」たちに対し、俺は無情な査定を下した。
【能力:買い取り】。
【鉄の長剣:500BPにて買い取り完了】
【鋼の槍:450BPにて買い取り完了】
【投げつけられた手斧:300BPにて買い取り完了】
【子爵家の紋章入り命令書:0BPとして処分完了】
シュン、シュン、と音を立てて、宙に浮いた武器たちが次々と光に溶けて消えていく。
物理的な質量が、純粋な魔力ポイントへ変換され、俺のコアに流れ込んでくる感覚。
淡いチャリンが、鼓動みたいに重なる。
「……あ、俺の剣が……消えた!?」
「投げた武器が戻ってこない! 床に飲み込まれたぞ!?」
「待て、俺の槍っ、俺の槍ぃぃっ!」
(……リサイクルだよ)
(自分の意思で手を離したんだから、文句言うなよな)
身につけている鎧は、流石に買い取れない。
武器だけ奪われて、水浸しで、足元は震える。
それでいて相手は「どこにもいない」。
怖いだろ?
でもこれは、俺の家に土足で上がった代償だ。
仕上げは【火魔法(微):急速乾燥】と【雷魔法(微):静電気】のコンボ。
水浸しの兵士たちの周囲の気温を一気に跳ね上げる。
むせ返るような湿気が立ち込め、呼吸が浅くなる。
そして乾燥した瞬間に、彼らの服や髪に溜めておいた静電気を一気に解放した。
――バチバチバチィッ!!
「ひぎゃああああっ!!」
「痛ぇ! 髪の毛が、髪の毛が逆立ってる!!」
「鎧の中がチリチリするぅぅっ!」
殺しはしない。そこまで野蛮じゃない。
だが、武器を失い、装備をリサイクル(買い取り)され、髪は爆発したみたいに逆立って震えている三百の軍勢。
広場を支配するのは、叫びではなく――理解不能の恐怖だ。
自分たちが「村に対して勝っている」という前提が、音もなく崩れていく。
最後に俺は、村の出口へと続く石畳だけを【土魔法(微):傾斜】でわずかに傾け、さらに【風魔法(微):追い風】を送った。
言葉は要らない。
「さっさと帰れ」という、家としての無言の圧力。
「ひ、ひぃぃ……悪魔だ! この村そのものが、俺たちの装備を食っているんだ!!」
代行の男が、馬を捨てて情けなく逃げ出した。
騎士も歩兵も、逃げる方向だけは一致している。
三百の軍勢は、一度もまともに剣を振ることなく、ただ「お掃除」されるがままに――尻尾を巻いて村の境界線へ走り出した。
境界を越えた瞬間、俺は振動を止め、水圧を落とし、風を静める。
余計な追撃はしない。
帰れた、という体験を残した方が――次からは、足がすくむ。
静寂が戻った広場を、俺は再びそよ風で掃き清める。
石畳に残った水滴は、陽光で蒸発する前に、俺の制御で薄く均す。
泥の粒も、金属粉も、兵の汗の匂いも、全部まとめて排水溝へ流す。
今回の「臨時収入」は、武器の買い取りだけで数万BPに達した。
不法投棄物だけでこれだけ稼げるとは、まさにえげつないビジネスモデルだ。
――というか、俺が一番驚いてる。
「……凄いです、お家様。あんなにたくさんいた人たちが、ボロボロになって逃げていっちゃいました!」
神殿のバルコニーから、ミアが目を輝かせて拍手を送ってくる。
ルカも、いつの間にか俺の柱に頬ずりしていた。
くすぐったい。だが、悪くない。
そこに、商人のカシムが、いつになく邪悪な笑みを浮かべてやってきた。
歩き方が軽い。指先がもう計算している。
「お家様、素晴らしい『商談』でございましたな。……ですが、あやつらが捨てていった……いえ、お家様が買い取られた装備の『正当な代金』は、後ほどバストン子爵家へ請求しておきましょう」
(……えっ、カシム。俺、もうBPとしてリサイクルしちゃったんだけど?)
俺の困惑をよそに、カシムは肩をすくめる。
その顔が「心配するな」と言っていた。怖い方向で。
「お家様、お忘れですか? あやつらは『不法に侵入し、公共の場所を汚し、住民に精神的苦痛を与えた』のです」
「武器の消失は、それに対する慰謝料として処理しましょう」
「それとは別に、街道を汚した清掃代、軍事圧力をかけたことへの賠償金……ローゼルス伯爵の名において、徹底的に毟り取って差し上げますぞ。カッカッカ!」
(……こわ)
(カシム、お前が一番えげつないわ)
(完全に『当たり屋』の論理じゃないか)
でも、筋は通っている。
少なくとも、この世界の貴族社会では「通してしまえる」筋だ。
俺がやったのは掃除。相手が勝手に汚して勝手に物を捨てた。
あとは請求書の書き方次第で、世界はだいたい動く。
俺はカシムの悪魔のような算盤の音を聞き流しながら、手に入れた莫大なBPで、村の入り口にさらに頑丈な「自動除菌門」……もとい、自動検問所を建設する計画を立て始めた。
侵入されたら追い返す、じゃ遅い。
侵入させない理由を、入口で叩き込む。
――招待状がある者だけが入れる仕組み。
武器と悪意を「検知」して、問題があるなら、境界線の外で止める仕組み。
村全体を潤し、敵からは捨てた武器をBPとして奪い、さらにカシムが金銭を毟り取る。
午後二時の柔らかな日差しが、磨き直した石畳の上で白く反射している。
水滴一つない床面は、まるで「何も起きなかった」みたいに静かだ。
俺は満足げに、村の表面温度をほんの少しだけ上げた。
乾いた温もりが広場に行き渡り、住民たちの胸の奥を落ち着かせる。
――俺は家だ。
そして、守るために進化し続ける。
次に土足で踏み込んでくる奴には、入口の時点で、靴底から教育してやるとしよう。




