第15話:超常の村
あれから、しばらくの月日が流れた。
かつては風が吹けば倒れそうだった俺(ボロ屋)は、いまやその面影をどこにも残していない。
俺の本体である『魔導神殿商館』を中心として、周囲には整然と家々が立ち並び、行き交う商人の数も日に日に増している。
もはやここを「廃村」なんて呼ぶ奴は一人もいない。いつしかこの地は『アーク・ヴィレッジ』――あるいは単に『聖域の村』と呼ばれるようになっていた。
ローゼルス伯爵家という巨大な後ろ盾に加え、あの夫人が頻繁に俺の部屋に転移してくるって噂は、街道の治安を劇的に改善させた。俺のコアには、日々、莫大な金銭とBP(建築ポイント)が溜まり続けて、もう溢れそうなくらいだ。
そんな時、俺の意識の底に黄金の通知が流れた。
拠点が一定の繁栄を遂げた時にだけ現れる「進化」の選択肢だ。
【拠点ランクアップ:条件達成】
【次なる形態を選択してください:開拓自治村、自由商業村、歓楽・娼館街、聖魔導居住圏】
……ほう。本来の進化ルートにはなかったはずだが、無理やり『魔導神殿商館』なんて大それた名乗りを上げたせいか、とんでもないのが湧いてきたな。
「神殿」なんて名乗っちまった以上、いまさら普通の村になんて戻れるかよ。俺は家だ。なら、この土地ごと俺の『体内』にしてしまうのが正解だろ。
(……聖魔導居住圏。そうか、俺が調子に乗って神殿なんて名付けたから、こんなのが現れたのか。なら、迷うことはない。ポチッとな)
俺は思考の指先で、一番輝いているアイコンを叩いた。
【選択確定:聖魔導居住圏へ移行します】
【各構造体の再定義を開始。村域の全オブジェクトを「家財」として登録……完了】
その瞬間、俺の身体(村)の隅々に魔力の激流が走った。
透明度の高い波動が、俺の皮膚(境界線)を突き抜けて、村の端から端までを塗り替えていく。石畳の一枚一枚、下水溝の奥底、防風林の木の葉の裏まで、すべてが「俺の感覚」と繋がっていく。
(……ああ、これだ。この全能感。ボロ屋だった頃の俺に教えてやりたいぜ)
思い出すだけで柱がきしむ。
窓もなくて、壁の隙間からは冷たい風がナイフみたいに突き刺さり、ミアとルカが薄い毛布一枚を分け合って、ガタガタ震えながら眠っていたあの夜を。
あの頃の俺は、コップ一杯の温水を出すだけで腹筋がつるような痛みに耐えて、ゼーゼーと息を切らしていたんだ。水を出すためのレバーを、木から金属へ変形させるだけで、意識が飛びそうになっていた。あの頃は、本当に必死だった。
だが、今はどうだ。
村全体の『石畳暖房』をほんのり暖め、何百人が一斉に使うシャワーの温度を完璧に管理し、街道に不可視の結界を維持しても――疲れるどころか、あくびが出るほど余裕がある。
出力こそ相変わらず「微」魔法の積み重ねだが、その並列処理が神の領域に達したんだな。いくら魔法を回しても、俺の魔力が尽ける気配なんて微塵もない。
「おはようございます、お家様! 今日も一段と輝いてますね!」
朝一番、ミアが俺の廊下をスキップしながらやってくる。
彼女の手にあるのは、昔なら宝物みたいに扱っただろう、真っ白で汚れ一つない布だ。
ミアとルカは、俺の大切な家族……「家人」だ。
かつての二人は、朝を迎えるたびに「今日も生きてる」って確認しなきゃいけないくらい追い詰められていた。ひび割れて冷たかった俺の床板に膝をついて、俺が命がけで出した水を分け合っていた。
「……ねえ、ルカ。覚えてる? 昔は、お家様が出してくれるお水を水筒に貯めて、一日に何口飲めるか数えてたんだよ」
「……ん、覚えてる。あのお水、すっごく美味しかった。……でも、今は、いくら飲んでもなくならない。魔法みたい」
ルカが目をこすりながら、俺の柱にぺたっと抱きついてくる。
あの日、冷たくて硬かった俺の床は、今や魔導的な加工で素足に吸い付くような最高の触り心地だ。ルカはその感触が気に入ってるらしくて、隙あらば床にごろごろ転がってる。そのたびに、俺の背中(床板)がちょっとくすぐったい。
村に塵一つ溜まることは、俺が許さない。俺の知覚は、村に落ちたゴミや埃を逃さずキャッチする。
【風魔法(微):風の操作】。
俺の吐息みたいなそよ風を操って、落ちた髪の毛一本、馬の落とし物、生活ゴミまで、全部を不可視の気流で吸い上げる。
そして、それらはそのまま俺のシステムへと直結される。
【能力:買い取り】。
0BPでの買い取りだが、これはなかなか重宝している。
住民たちの目には、地面に落ちた不浄が風にさらわれ、光の中に溶けて消える「お家様の浄化」として映っている。
「もうっ、お家様ったら! 掃除する場所がなさすぎて、私、なんだか手持ち無沙汰です! このままじゃ、ただの居候になっちゃいますよ!」
ミアは掃除する場所がないから、代わりに俺のメインの柱を愛おしそうに磨き始めた。
以前は煤だらけの顔をしてた彼女も、今はカシムが持ってきた高級な絹を纏って、肌もつやつやだ。家が豊かになれば、住人も綺麗になる。家として、これ以上の幸せはない。
俺の意識を、商館の外……「村」へと広げてみる。
今の俺は村全体と繋がってるから、住民たちのドラマが全部、俺の感覚として伝わってくるんだ。
「おお、お家様……。今朝もこの石畳は、お日様みたいに温けぇ……。ありがてぇなぁ」
広場の隅で、一人の爺さんが俺の地面(石畳)を撫でて拝んでた。
名前はバルト。隣領で重税に苦しんでいたところを、カシムが連れてきた移住者だ。
前の村なら、冬の朝は関節が痛くて布団から出られなかったはずの爺さんが、今じゃ鼻歌まじりに散歩してやがる。
爺さんにとって、この「温かい俺の皮膚」は、どんな神殿の神像よりも拝む価値がある奇跡なんだ。
「おいバルト! いつまで道端で拝んでるんだ。さっさと市場に来い、焼き立てのパンが並んでるぞ!」
「おお、分かっとるよ。だがな、お前さん、見てみろ。今、俺が落としたパンの屑を、お家様の風が優しく運んで消しちまった。……何度見ても、ここは神様の庭だよ」
また別の路地裏では、新入りの移住者が目を白黒させていた。
「……な、なんだ今の!? ゴミが、消えたぞ!? 精霊か!? 呪いか!?」
「っはは! 兄ちゃん、新入りだな? 驚くこたぁねぇ。ここでは汚れはお家様が嫌われるのさ。不浄をそのままにしておくと、お家様の魔法が勝手に片付けちまう。見てな、王都の王宮より、ここの路地裏の方が綺麗だろ?」
住民たちは、これを「買い取り」だとは夢にも思っていない。ただ、この村を清潔に保つことがお家様への礼儀であり、その奇跡に応える道だと信じている。
だからこそ、俺の身体(村)は、常に磨き上げた大理石みたいな清潔さをキープしてるんだ。
こちとら現代日本人だ。俺の感覚器が不衛生を検知したら、全身の柱が鳥肌でガタガタ震えちまう。ドブ臭さなんて、俺の身体のどこを探しても見つからないぜ。
村の中央にある噴水では、子供たちが水を掛け合って遊んでいる。
あそこから出ているのは、俺が不純物を極限まで取り除いた、ただの「めちゃくちゃ清潔な水」だ。
「ねえ、このお水、甘くて美味しいよ!」
「昨日剥げた膝の傷、もう治っちゃった! お家様の奇跡だ!」
子供たちは勝手に「奇跡だ」なんて喜んでるが、実際はそんな特別な効果はない。
水が甘く感じるのは雑味がないからだし、傷が治ったのは、単にこの村が清潔すぎて菌が繁殖しないのと、子供自身の若さのおかげだ。
「なんだか健康になった気がする」――その程度の勘違いを維持するのが、家としてのえげつない処世術なんだよ。
「お家様。本日も、王都から物好きな貴族たちがやってきておりますぞ。カッカッカ、街道が黄金の川のようですわ」
商人のカシムが、俺の部屋に豪華な帳簿を持ってやってくる。
現在、この村への「瞬間移動の招待状」は、エレノア夫人にしか発行していない。
だが、それがかえって素晴らしい好循環を生んでいた。
夫人が王都の社交界で「善良で、かつ信頼に値する」と認めた貴族だけが、この村への訪問を許される。いわば、夫人が最高級のフィルターとして機能しているわけだ。
選ばれた「上客」たちは、長い道のりをかけてこの辺境までやってくる。道中に点在する村々で馬を休め、宿に泊まり、護衛を雇い、贅沢な食事を注文する。
結果として、俺の村へと続く街道沿いの村々には、これまで見たこともないような大金が落ち、急速に潤い始めていた。
「いやはや、現金なものですな。あんなに荒れていた街道の治安が、貴族たちの往来が増えたおかげで見違えるようです。私設兵たちが巡回し、村々が潤えば野盗も消える。……お家様の狙い通り、この地はもはや『辺境の廃村』ではなく、王国の新たな経済の動脈となりましたぞ」
カシムが感心したように俺の柱を撫でる。
そう。俺が招待状の発行を絞っているのは、単に夫人に恩を売るためだけじゃない。
一瞬で移動させてしまっては、その間の村々は素通りされるだけだ。
長い道のりを移動させ、各所に金を落とさせることで、この土地全体のベースアップを図る。そうして潤った街道は、俺という「聖域」を守るための緩衝地帯にもなる。
「社交界では、夫人の持つ招待状を一枚手に入れるためなら領地を差し出す、と豪語する者まで出ている始末。……ですが、あえて発行を絞るお家様の差配、流石でございますな。……夫人も、選定の権限を握ることで、王都での発言力を盤石なものにされました。まさに、えげつないまでの共生関係ですな」
(……ははは、カシム。俺はただ、夫人の特別感を守ってやりたいだけだよ。……まあ、その副産物でこれだけ儲かるなら、家としても万々歳だ)
ふと、俺のサロンルームに魔力のゆらぎを感じた。招待状による転送の予兆だ。俺は自分の心臓で許可を出す。
そこに現れたのは、伯爵夫人――エレノアだ。
彼女は一瞬で切り替わった景色に驚くこともなく、ただ深く、深く、俺の空気を吸い込んだ。
「……ああ、この村の空気は、王都のどの庭園よりも清らかですわ。ここに来るたび、私は自分が救われていくのを感じますの。あの埃っぽい王都にいると、胸が締め付けられるようですわ」
彼女は窓辺に寄り、活気ある村を見下ろして微笑む。
かつての、あの刺々しい顔はもうない。
自分が「一瞬で俺の懐に来れる」っていう優越感と、俺が与える癒やしが、彼女を完璧に作り変えちまった。
彼女は今、この村の価値を最大化するために、王都で最も厳しい審査員として「招かれざる者」を完璧に排除してくれている。
(……だろうな。ここはもう、単なる村じゃない。俺という巨大な家の、賑やかな『リビングルーム』なんだよ)
俺のテリトリーは、もはや商館の壁の中だけじゃない。
村を囲む防風林、石畳の一枚一枚、井戸の底まで――俺の神経は村全体に根を張っている。
住民が幸せになれば、俺に建築ポイントが流れ込み、俺がそのポイントで設備を整えれば、住民はさらに幸せになる。
かつて温水一杯で死にかけていたボロ屋が、いまや村全体を「体内」に収める超常の存在となった。
俺は笑いたいのに、口がない。
だから代わりに、村全体を包む空気をふわりと暖めて、満足げに梁をひとつ鳴らした。
――トン。
もはや俺はこの土地そのものだ。ここに住まう者すべては、俺の大切な「居候」だ。
だが、あまりに輝きすぎた光は、暗闇に潜む連中の目も惹きつけるらしい。
夫人のフィルターを強引に突破し、あるいは迂回して、この繁栄を掠め取ろうとする「無作法な視線」を検知した。
(……さて。せっかくいい感じの村になったんだ。選ばれもしないのに、土足でここを荒らそうなんて考える愚か者たちには、聖域のえげつなさを教えてやるとしよう)
俺はBPを惜しみなく使って、次の「おもてなし」の設計図を広げた。




