第12話 境界に赤旗――没収命令の足音
毎日、俺の元にはBPが積み上がっていく。
住人たちが俺を「神殿」として敬い、掃除をし、感謝を捧げるたびに――核の奥で、チャリンと鳴る。
無機質な音のはずなのに、なぜか消えにくい。
耳に残って、少し遅れてから気づく。
「あ、また増えたな」と。
朝は換気。
昼は乾燥。
夕方は外廊下の床暖房を、外気温に合わせて細かく調整する。
夜は防衛ログ。
不審な野生動物や迷い人がいないか、センサーを走らせる。
俺は家だ。
自分から動けない。
……動けないはずなのに、やることが尽きない。
気づくと一日が終わっていて、また次が来る。
おかしいだろ。
家って、もっと「そこにいるだけ」で許される存在じゃないのか。
俺だけ忙しすぎない?
いや、忙しいっていうか……休憩がない。
休憩室もない。俺が休憩室なのに。
朝イチで換気して、昼に乾かして、夕方に床暖房の微調整。
夜は夜で防衛ログ。
「今日は異常なし」
表示が出た瞬間だけ、少しだけ……助かる。
助かった、と思った次の瞬間には、もう次の確認に意識が向いてる。手がないのに。
……社畜から転生したのに、社畜と変わんねぇ。
転職先、まさかの"家"。しかも年中無休。
残業代? ない。
代わりに鳴るのが、チャリン。BP。
その音を聞いて「よし……」って思ってしまう時点で、もう終わってる気がする。
でも、やめられない。
それでも、ここは悪くない。
無理をしているのは俺だけで、住人たちは眠れている。
朝になれば「おはようございます、お家様」と柱を撫でてくれる。
ミアの飯の匂いが梁まで届いて、ルカの笑い声が壁を揺らす。
その揺れが、嫌いじゃない。
……家なのに、変だな。まあいい。
清潔な水。
冬でも凍えない寝床。
そして、勝手に連れていかれない安全。
それが続くように、俺は今日も黙って回していく。
……回していける、はずだった。
そうやって守ってきた平穏に、赤い警告が混じった。
広域センサーの端が一瞬乱れた。
映像が一コマだけ崩れる。嫌な予感がして、俺はすぐ記録を戻した。
戻した瞬間、コアの奥がひやりとする。
……冷える、って言い方も変だな。けど、そうとしか言えない。
昼下がり。
森の縁をなぞるように、赤い布が揺れた。
馬のいななき。
鉄が擦れる音。古い油。
手入れの甘い、乾いた革の匂い。
魔導商館にランクアップしたとき載ったデータベースが、旗の紋章を見つけて照合する。
【照合:カミール子爵家 境界に接近】
(……来たか)
ちょうどその時、応接室にいたカシムが、俺の主柱に手を置いた。
指が、少しだけ震えている。
震えを隠すみたいに、握る力が強い。
怖いのに、怒ってもいて――どっちも手の力で押し込めている。
「お家様……境界に、カミール子爵の旗が見えました」
カシムは口を閉じた。
ひと息だけ吐いて、続ける。
「ここに開拓民が住みつけば……子爵は必ず嗅ぎつけます。あの方は、一度目をつけた富を逃しません」
言い切ったあと、カシムは唇を噛んだ。
噛んだまま、しばらく黙る。
それから、窓の外を見た。
【魔導の目(広域)】で、外廊下を映した。
……ふむ。前より、細かいところまで見える。
外廊下の男たちが映る。
水をもらい、布で顔を拭き、床暖房に腰を落として、やっと眠れたはずの連中だ。
なのに今は、動きが止まっている。
桶を持ったまま固まっている者。
布を握ったまま指が動かない者。
誰かが手首をさすり、別の誰かは首の後ろを押さえている。
鞭の音。
鎖を引きずる音。
男たちは固まった。
目だけ動いて、体が動かない。
ミアはルカの手を握った。
ぎゅっと。爪が白くなる。
ミアは何か言いかけて、飲み込んだ。
「ルカ、こっち――」
呼ぶだけで声が揺れそうで、口を閉じる。
ルカは背中に回らない。
拳を作って、外を見ている。
鼓動が速い。
息が浅くて、肩が小さく跳ねる。
膝が震えて、足に力を入れても止まらない。
(……分かってる)
(あんな夜には戻さない)
俺は柱を鳴らした。
トン。
短い音。「同意」だけを落とす。
カシムの指が、ほんの一瞬だけ緩む。
緩んで、すぐ握り直す。
「……今日は、嗅ぎに来ただけですな」
"だけ"と言いながら、目が固い。
カシムは喉を鳴らして、続ける。
「……この『家』の奇跡が噂になれば……次は、嗅ぎに来るだけでは済まない」
カシムは言い直さなかった。
口をぎゅっと結んで、外を見た。
もう覚悟が決まっている顔だった。
俺はもう一度、短く柱を鳴らした。
トン。
(このままだと、いつか取られる)
(だから、先に手を打つ)
俺はBPカタログを開いた。
一覧が目の前に出る。
選ぶ項目は多い。……でも、迷ってる暇はない。
ランクアップした今の俺なら、子爵本人と殴り合っても、たぶん勝てる。
でも最初にそれをやると、争いが大きくなる。
それだけは避けたい。
(先に、強い後ろ盾を作る)
(貴族の守りと兵士で固めて、二度と手を出せない形にする)
目標はローゼルス伯爵。
子爵より上だ。
魔導商館のデータベースを当たる。
悪い噂が少ない。領民からの評判も、そこそこいい。
(後ろ盾にするなら、この人が一番ましだ)
(献上品は二つ)
(伯爵には刃。夫人には肌の手入れの品)
(地球の技術力、思い知らせてやる。ワハハハ……)
(……って、俺は何と戦ってるんだ)
【BP購入:三層ダマスカス鋼・万能ナイフ(燕三条製)】
排出口が、かすかに鳴った。
カン、と乾いた音。
桐の箱が、応接室の卓の上に現れた。
蓋を開けた瞬間、刃が灯りをまっすぐ返した。
それだけで、部屋が静かになった。
カシムの手が箱の縁で止まる。
ミアも息を吸いかけて止めた。
魔力はない。
でも刃の表面が均一で、曇ったところがない。
灯りが当たると、光がまっすぐ返った。
刀身には、細い層の線がびっしり走っている。
線が乱れていない。欠けも歪みも見えない。
「……信じられん」
カシムが、うわ言のように漏らした。
指先を伸ばしかけて、触れたらその精度が壊れてしまうのではないかという恐怖に、手を止める。
「金属を重ねて叩き、層を作る手法は知っている。だが……これほどまで均一に、針の先ほどの乱れもなく層を重ねるなど、人間業ではない。一生を鍛冶に捧げた名工が、全盛期の数秒間に奇跡で刻むような線だ。それが、切っ先から根元まで隙間なく並んでいる。……これは、神の指紋か?」
カシムはナイフに顔を数センチまで近づけ、ハァハァと荒い息を吐き始めた。
その目はもはや商人のものではなく、重度の刀剣マニアのそれだ。
「ああ、この重なり……この密度。一日中、いや一生眺めていたい。……舐めるように、隅から隅まで……」
カシムの指が、不気味な震えを伴って刃に伸びる。
――さすがに、見ていられない。
パチッ!!
俺は主柱から、カシムの指先へピンポイントで電撃を飛ばした。
「あだっ!?」
カシムが飛び上がり、情けない声を上げて後退る。
ミアが目を丸くし、ルカが「あ、お家様が怒った」と指をさした。
「……失礼。お家様、お見苦しいところを。あまりの至高の品に、商人の魂が、いえ、理性が焼き切れるところでした」
カシムは何事もなかったかのように居住まいを正したが、赤くなった指先を必死に振っている。
……魂じゃなくて、お前の性癖が漏れ出してたんだよ。
誰もすぐには触れなかった。あまりの完成度に、指先の脂ですら汚すのが憚られたのだ。
続けて。
【BP購入:高保湿・超浸透美容液(透明ガラス小瓶・20本)】
カラン、と澄んだ音。
透明な小瓶が、箱の中で揃って並んでいた。
濁りがない。気泡もない。歪みもない。
同じ形が二十本。栓まで同じ。
匂いはしない。液も減っていない。
ミアの手が止まった。
触れたいのに、先に怖さが来て、指が引っ込む。
戻して、もう一度だけ握り直した。
カシムが小さく息を飲んだ。
仕上げが揃いすぎている。ここまで揃えるのは、どんな職人でも無理だ。
――見た瞬間に、普通じゃないと分かった。
カシムは震える指を一度握り込み、意を決したように俺の主柱へ向き直った。
「……お家様。これは、値段が読めません」
その声は低く、重い。
商人の顔が、戦場に向かう男のそれへと変わる。
「揃いすぎている。……売り物の域を超えています。ここに置けば、あのハイエナ共を呼び寄せる毒にもなる。伯爵へ献上しましょう。これこそが、話を通すための最強の『札』になります」
カシムはそう言って、俺の柱をじっと見た。
自分の判断が間違っていないか、俺の返事を待っている。
俺は返事の代わりに、柱を一度だけ鳴らした。
トン。
短い音を聞いて、カシムが「承知しました」と小さく頷く。
彼はすぐに献上品の箱を閉じ、出発の準備を始めた。
だが、俺は彼をそのまま行かせなかった。
性能も知らないまま持たせるより、一度ここで効果を試させた方がいい。
俺は念動力を起動した。
指も道具も使わず、卓に並んだ小瓶のうち一本を浮かせ、その栓を静かに抜く。
ミアの肩が一瞬跳ねたが、驚きながらもじっと見守っていた。
ルカもその動きを目で追い、不思議そうに口を開けている。
中から透明な一滴を宙に浮かせる。
まずは片側の頬だけに試すことにした。万が一、肌に合わなかった時のためだ。
浮かせた雫を、ミアとカシムの頬へ一滴ずつ落とす。
ミアは驚いて息を止めたが、すぐに表情を緩めた。ベタつきがなく、塗った瞬間に肌へ馴染んでいったからだ。
「……え、いま……」
ミアが戸惑いながら自分の頬に触れる。
冬の冷たい風に焼かれ、硬くこわばっていた肌が、内側からふっくらと解けていく。刺すようなヒリつきが消え、指が吸い付くような柔らかさに変わっていた。
カシムは窓ガラスに映る自分の顔を覗き込み、目を剥いた。現代のオフィスビル並みに平滑な俺のガラスは、鏡以上に鮮明に、彼の肌の変化を映し出していた。
俺は仕上げに、室内の湿度をわずかに上げた。美容液が乾かないよう、空気全体に潤いを含ませる。
さらに、カシムが触れている主柱に、ごく微細な振動を送った。
超音波美顔器の要領だ。肌の奥まで浸透を促すように、壁を通して心地よい刺激を伝える。
「……っ!?」
カシムが驚いたように目を見開く。
驚いたのに声が出ない。喉が鳴って終わる。
「……温かい。……動いてる、って言うのか……」
言葉が追いつかないまま、体の反応だけが先に出る。
カシムは、自分の頬に触れていた手を、そっと主柱へと戻した。
そこから伝わる、心臓の鼓動よりも細かく、繊細な震え。
「……お家様の、お力ですか。これほどまでに、深く……」
派手に変わるわけじゃない。
でも、乾いていた肌が落ち着く。
赤みが少し引く。つっぱりが弱まる。
ミアが頬を撫でて、撫でたまま止まった。
指を離した瞬間に、この心地よさが消えてしまうのではないか。
そんな不安さえ混じった、震えるような手つきだ。
「家さん……これ……痛くない」
カシムが拳を握る。強く、ほどけない。
肌が若返った喜びなどではない。この一滴が持つ、あまりに巨大な「価値」に手が震えているのだ。
「……お家様。これほどまでの品、もはや薬の類ではありません。……これは、均衡を崩す『力』そのものです」
一度は感動に震えていたカシムだったが、その目が再び怪しく光りだした。
窓から差し込む光を浴びて、ピチピチと輝きを取り戻したミアの頬。その「現代美容の奇跡」を前に、商人の好奇心が理性をまたしてもブチ抜いたらしい。
「失礼……。これほどの『整い』、いかなる質感か、商人の指先で確かめねば……」
「……え、カシムさん?」
カシムの手が、まるで吸い寄せられるようにミアの頬へと伸びる。
指をわななかせ、もはや「ペタペタ」と触る気満々の顔だ。
(おい、こら。それは事案だぞ)
バチバチッ!!!
今度はさっきの倍の出力で、カシムの脳天に静電気の塊を落とした。
「ぎゃんっ!?」
カシムが床を転げ回る。
ルカが「あ、またやった」とゲラゲラ笑い、ミアはポカンとした顔でその惨状を見ている。
「……はぁ、はぁ……。お家様、重ね重ね申し訳ございません。……このカシム、美しすぎる成果を前にすると、つい探究心が暴走してしまい……」
「カシムさん、さっきからちょっと気持ち悪いですよ?」
ミアの冷ややかな一言が、電撃よりも深くカシムに刺さったようだ。
その一言が、梁の奥まで響いた。
(お前の探究心は、方向性が危なすぎるんだよ。次やったら床暖房の設定温度、お前の部屋だけ最大にするからな)
カシムは震える手で小瓶を抱え、ふと、ある事実に気づいたように顔を上げた。
「しかし、お家様。この……肌を震わせ、潤いを奥まで叩き込む『神の施術』は、この神殿(お家様)にしかできぬこと。伯爵夫人に瓶を渡すだけでは、真の価値は伝わりますまい。いかがなさるおつもりで?」
俺は答えの代わりに、玄関の扉を「コン、コン」と二度、軽快に鳴らした。
ついでに、客室の扉をそっと開けて見せる。
(決まってるだろ。モノで釣って、ここへ連れてくればいいんだよ。伯爵夫人が通う店、なんて肩書きがついたら、最強の防壁になるだろ?)
俺の意図を汲み取ったカシムの目が、カッと見開かれた。
「――なるほど! 品物はあくまで入り口。真の奇跡を求めて、この神殿へと足を運んでいただく……! そうなれば伯爵家はこの地の守護をより強固にし、やがてはここを中心に新たな流通が生まれる。お家様、恐れながら……そこまでお考えでしたか!」
(……いや、そこまでは考えてねぇよ。ただのサロン経営のつもりだったんだけどな)
「流石です。このカシム、お家様の深遠なる知略の、ほんの端くれに触れられたこと、商人の誉れに存じます!」
(カシム、お前……忖度の天才か? その察しの良さ、逆に気持ち悪いわ)
カシムは深々と一礼し、今度こそ迷いのない足取りで扉へと向かった。
ナイフと美容液。そして俺が提示した「招待状」という名の武器を抱えて。
「……行って参ります。最高の客人を、お連れしましょう」
扉が閉まったあと、応接室に沈黙が落ちた。
ルカがミアの手をぎゅっと握り、ミアは自分の頬の「痛くない」感触を噛み締めている。
よし、これで準備は整った。
あとは、あの子爵の役人が、伯爵の前で黙るところを見届けるだけだ。




