第11話 神殿商館の初営業
一夜明けて、俺の意識――【魔導の目(広域)】が捉える世界は、昨日までとは劇的に、そして残酷なまでに鮮明に変わっていた。
半径1km。
かつては「何か大きな動くものがいるな」程度にしか判別できなかった解像度が、今は4Kモニターを並べた管制室のようにクリアだ。
風に揺れる葉の一枚一枚に付着した朝露の量、地中を這うミミズの微かな体温、そして森の向こうから近づいてくる人間たちの「心拍数」までもが、数値化された正確なデータとして俺の核へ流れ込んでくる。
(……きたな。カシムの野郎、予定通りに『客』を連れてきやがったか)
村の方角から近づく二十人ほどの集団。
彼らが、俺の支配領域である【絶対障壁】の境界線を越えた瞬間、脳内に心地よいチャイムが鳴り響いた。
【通知:聖域への入居希望者を検知 ―― 悪意判定:白】
【現在の居住満足度予測:上昇 ―― BP獲得効率の向上が見込まれます】
よし。まずはスクリーニング合格だ。
ボロ小屋から神殿へと成り上がった今の俺にとって、悪意を持つ侵入者はただの「不法投棄物」だが、カシムが連れてきたような食い詰め者たちは「先行投資対象」だ。
さて、大改装で2,500 BPまで減っちまった俺の貯金(BP)を、こいつらを使ってどう効率よく回復させるか。
俺は、元社畜としての冷徹な計算式を、最新の演算ユニットで走らせる。
カシムたちが森の開けた場所に出た瞬間、彼らの足が止まった。
「お、お家様……!? なんだ、この……これは、本当にあのお家様なのですか!?」
先頭を歩くカシムが、文字通り腰を抜かしてへたり込んだ。
無理もない。昨日まで「少し立派な家」だった俺は、今や白亜の石材と魔導ガラスに覆われ、尖塔が天を突く【魔導神殿商館】へと究極進化を遂げている。
その威容は、辺境の若者たちにとっては「神の降臨」に等しい衝撃だったはずだ。
(トントン!)
俺は「さっさと入れ」と、玄関のドアを小気味よく鳴らして歓迎の意を示す。
彼らが恐る恐る敷地内に足を踏み入れたその時、俺は「商館」としての第一業務を開始した。
「ほら、お前ら! 昨晩話した通りだ。賢者様……いや、お家様にご挨拶をするんだ。失礼のないように、各自持ってきたものをここに並べるんだぞ!」
カシムの号令で、若者たちが震える手で自分たちの荷物を広げ始めた。
彼らにとっては、これは神への「奉納」であり、これからの生活を保障してもらうための「祈り」なのだろう。
だが、俺にとってはこれは「市場調査」であり「初回取引」だ。
まずは挨拶代わりに、彼らが道中で拾ってきた薪や、村で余っていた古い布、保存のきかない野草などが次々と並べられる。
俺は【魔導の目】と【全属性魔法(精密)】を使い、それらを一点ずつ、事務的に査定していった。
【鑑定:湿ったナラの薪 ―― 状態:普通。査定:5 BP】
【鑑定:粗末な麻布 ―― 状態:使い古し。査定:3 BP】
(……よし。まずはこいつらを『生活(2BP)』と『食料(1BP)』のパッケージで買い取ってやるか)
俺は玄関横の買取スロットに薪と布を吸い込ませ、代わりに【アイテムボックス】から対価を排出した。
一つは【食料(1BP)】のパッケージ。
中身は「乾パン、乾燥豆、塩の小袋」だ。
もう一つは【生活(2BP)】のパッケージ。
「小鍋、木のスプーン2本、清潔な布」のセットである。
それらが光の中から現れた瞬間、若者たちは絶叫に近い声を上げた。
「えっ、あ、あんな薪と布きれが……こんな新品の道具と食べ物に!?」
「このパン、俺たちが村で食べてる石みたいに硬い奴じゃない! 匂いだけでお腹が鳴るぞ!」
「見てくれ、この鍋! 曇り一つない……まるで鏡みたいだ!」
彼らが温かいスープを作り、清潔な布で顔を拭って感動に打ち震えるたび、俺のログには心地よい数字が並び始める。
【通知:居住者の満足度によるBP還元 ―― +120 BP】
(……フフ、ボロ儲けだな。商品原価として合計3BP使ったが、その結果得られるキックバックはその数十倍だ。これこそが、商館としての正しい『投資と回収』のサイクルだよ)
若者たちが落ち着いた頃、カシムが、最後に大切そうに抱えていた古い小箱を差し出した。
「お家様……。これは村の宝物庫に眠っていた、先代の長が『いつか困った時に使え』と遺したものです。中身が何かも分からぬ代物ですが、今の俺たちにはこれくらいしか捧げるものがありません。どうか、お納めください」
若者たちも、息を呑んでそれを見守っている。
村では誰も開けられなかった、曰く付きの箱らしい。
俺は精密魔法の触手を伸ばし、その箱の「鍵」を分子構造レベルで解読して、音もなく開いた。
中に入っていたのは、鈍い光を放つ一本の「角」だった。
(……鑑定。……【双角獣の真角 ―― 状態:超良好。高純度な闇属性魔力の蓄積体】。……おいおい、カシム。お前、とんでもないもん持ってきやがったな)
【査定:最上級魔導触媒 ―― 買取価格:1,200 BP】
(チャリンッ!!)
脳内で、今日一番の快音が鳴り響いた。
薪が5BPだった世界で、いきなり1,200BP。元社畜の血が騒ぐ。
これ一本で、俺の浄化槽を二段階くらいアップグレードできるぞ。
「おおぉっ!? 箱が開いた! ……お家様、それはそんなに価値のあるものなのですか?」
カシムが驚愕して俺(家)の反応を伺っている。
俺は、あまりの「高額買取」に自分でも少し驚きつつも、そこは商館としての威厳を保った。
角をスッと【アイテムボックス】へ回収し、代わりに彼らの目の前に豪華なセットを排出した。
まずは【食料(2BP)】のパッケージ。
具入りスープ、乾麺、そして「はちみつの小瓶」だ。
さらには「一冬越せるほどの厚手の毛布」や「浄水機能付きの水筒」など、今の俺に提供できる最高級の生活物資をどさどさと並べてやった。
「な、なんだって……!? あの不気味な角一本が、こんなにたくさんの宝物に変わるのか!?」
「カシムさん! 俺たち、これで冬を越せるどころか、一生食いっぱぐれないんじゃないか!?」
若者たちが熱狂し、地面に額を擦り付けて拝み始める。
カシムも涙を流して震えている。
俺は心の中で、前世では決して味わえなかった「商売の醍醐味」を噛み締めていた。
(フフフ……。これこそが『情報の非対称性』を利用した、商売の面白さだよ。お前らにとっては使い道のない不気味な角だが、俺にとっては喉から手が出るほど欲しい『高効率なエネルギー源』なんだ。……さて、この調子でどんどん持ってこいよ。俺が全部、最高の『生活』に変えてやるからな)
この一撃で、俺への信頼は確固たるものとなった。
素材を持ち込み、俺から生活の糧を得る。
彼らにとっても、俺にとっても、悪くない話だ。
完璧な経済圏の確立だ。
家の中では、ミアとルカが窓からその様子を見て、楽しそうに笑っていた。
「家さん、外のみんな、とっても喜んでるわね。……ふふ、お家さんが誇らしげに窓を鳴らしてるのが分かるわ」
(……そりゃな、ミア。今日は一気に1,200BP以上の利益だ。今夜のおかずは、ちょっといい肉にしてやるよ)
俺は溜まったBPを、すぐさま「投資」に回す。
福利厚生を整え、労働力の満足度をさらに上げる。
俺は【聖域の家事権能】を使い、彼らが宿泊する外廊下の石畳を「最高級の床暖房」へと設定変更した。
「……うわぁ、あったかい……。この石の床、まるでお母さんの膝の上みたいだ……」
「俺、もう村には帰りたくない。ここで一生、お家様の庭掃除をして暮らしたい……」
【通知:居住者の幸福感によるBP還元 ―― +450 BP】
(よし、リターン確認。……施しじゃない。これは、彼らをこの地に縛り付け、俺の防衛網の『盾』兼『生産者』にするための、合理的な経営戦略だ)
さて、朝の「商談」が終われば、次は「夜勤(防衛)」の準備だ。
俺はふと自分のステータス画面の隅に居座る項目を見つめた。
【スキル:剣術 Lv.1】
(……相変わらず、これだけはピクリとも動かねぇな。……家が剣を振るなんて物理的に不可能だ。屋根から巨大な剣でも生やすか? いや、そんなのBPの無駄遣いだし、そもそも剣を振る腕がない。……いつかこれ、役に立つ時が来るのか?)
俺は自嘲気味に、屋根の風見鶏をクルリと回した。
今の俺には、魔物はおろか宇宙からのゴミさえ「買取」の対象にするポテンシャルがある。
剣なんて、原始的な武器を頼る必要などどこにもない。……そう思っていた。
だが、その時だ。
【警告:境界線付近に生命反応を検知 ―― 照合:野生の森狼】
【魔導の目】が、森の闇から這い出してきた影を捉えた。
カシムたちが持ち込んだ「バイコーンの角」の残り香か、あるいは神殿化した俺の魔力に当てられたのか。
だが、魔導神殿商館に進化したセキュリティは、既に彼らを「部外者」として自動的に弾き出している。
「クゥン……ッ!?」
境界線で目に見えない壁に鼻先を打たれ、困惑する野良狼たち。
そんな中、一頭の狼だけが、迷いのない足取りで障壁をすり抜けてきた。
(……お、いらっしゃい。今日もきっちり『予約』通りだな)
かつて俺が高級ブラシで磨き上げ、今や森の狼とは思えないほど艶やかな毛並みを誇る「サロン狼」だ。
こいつは他の野良たちが外で右往左往しているのを、「品がないねぇ、少しは身嗜みを整えたらどうだ」と言いたげな余裕の一瞥で切り捨てると、俺の正面玄関前、指定の「納品ポジション」へと悠然と歩み寄った。
彼はその口に、今日も自慢の俊足で仕留めてきたばかりの「新鮮な野ウサギ」を咥えていた。
(よし、毎度あり。しっかり『代金』は受け取ったぜ。……これは後でミアたちの朝飯に回してやるからな)
俺は玄関横のスロットでウサギを回収し、【アイテムボックス(保冷・熟成モード)】へと放り込む。
BPに変えて消去するのはもったいない。これは明日の「現物支給」用だ。
代わりに精密魔法の魔導ブラシを起動。
カシムたちが床暖房の心地よさに包まれて寝静まる中、月明かりの下で「深夜のプレミアム・ブラッシング」が始まった。
サロン狼は恍惚とした表情で身を委ね、自慢の毛並みをさらにピカピカに磨き上げられていく。
【通知:サービス満足度によるBP還元 ―― +40 BP】
(……ククク。お前の満足度がBPになり、お前の獲物が住人の胃袋を満たす。完璧なエコシステムだぜ)
野良狼たちが遠巻きに羨望の眼差しを向ける中、サロン客は磨き抜かれた体で、床暖房の効いた特等席へと優雅に丸くなった。
カシムたちの安眠、サロン狼との対等な商談、そして明日のための食材確保。
それらすべてを、最新のセキュリティが静かに包み込んでいる。
(……ふぅ。これが『最新アップデート済み』の余裕ってやつだな。無駄な殺生も騒音もなしだ)
夜の帳が下りる中、魔導神殿商館はただ静かに、月光を反射して白く輝いている。
俺は元社畜らしく、明日の「朝食メニュー」を脳内の献立表に書き込みながら、静かに夜を明かすことにした。




