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烙印者 Prequel ~空白の1ページ~  作者: 日月
第3章 旅立ち
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ep.46 木賃宿暮らし

拙い文章ではありますが あなたの心に触れられたら 幸いです

 5月24日ヘーリオスの曜日。



 近況。木賃宿の暮らし。


 この世界で目覚めてから、早くも一ヶ月が過ぎようとしていた。


 人間は慣れる生き物である。

 日常を離れたどんな贅沢な体験も、感動するのは最初の内だけ。繰り返せばそれが当たり前になり、そのうち何の有難味も感じなくなる。


 また報酬より損失に敏感な生き物である。

 例えそれが一時的に貸し与えられた特権で、取り上げられたとしてもプラスマイナスゼロのはずなのに、結果的には損した気分になる。


 一度上昇した生活レベルを落とすのは難しい。

 一等地にある男爵邸から、場末の木賃宿に生活の拠点を移したオレは、住み心地の落差に苦労している。


 人間は7日で環境に適応するという説があるらしい。

 この暮らしを始めてまだ3日。慣れるまではあと4日の辛抱だ、頑張ろう。



 習慣の日記をつけていると、軋む床を踏み鳴らし、誰かが近づいて来る気配がする。

 控えめなノックにオレが返事をすると、ドアが勢いよく開け放たれた。

「やあ、こんな所に泊まっていたのか。探したぞ()()()殿()

 突然の来訪者は男爵――ではなくドロシーだった。

 電話やメールといった便利な通信手段がない世界だから、事前通知もなく物事の起こりはいつも突然だ。 

「男爵邸を尋ねたら、君は出て行ったと言うじゃないか。引っ越すなら一報くらいくれよ。町中の宿を探す羽目になったぞ」

「悪い。うっかり知らせるの忘れてた……」

 オレは電話やメールがある世界の出身だから、緊急性が低いことは事後報告が癖になってしまっていた。

「何かあったのかい? お屋敷の快適な生活を捨てて、こんなボロ宿で不自由に暮らし始めるなんて」

「それは……――あ」


 ドロシーの疑問に対して、オレが答えようとした時だった。

 起き抜けで空っぽの腹が盛大に鳴り響き、会話の続きを遮った。

「ふっ、やもめ暮らしの君だ。こんなことだろうと思ったよ。はい、手土産だ」

(やもめって……オレは妻と死別したりしていないけど……)

 暗にマティルダと別離したことを揶揄しているのだろうか。

 あるいはニュアンスの違いにより、自動翻訳が正しく機能していていないのかもしれない。


 手渡された紙袋を覗くと、中にはミートパイが入っていた。

「おお、助かる! ひょっとして、ドロシーの手作りとか?」

「まさか。この私だぞ。料理に時間を割くくらいなら魔法書の1つでも読む」

「ですよねー……」

 オレが寝泊まりしているここは、木賃宿だからして食事は提供されない。

 一応、追加料金を支払えば、調理場を借りられるけど、異世界の市場へ出向き、未知の食材を調理する勇気と技術がオレにはなかった。

(三食おやつ付きの屋敷暮らしが恋しいぜ……)


「まずは腹ごしらえといこうか。私も方々を歩き回って空腹だ」

 ドロシーは自分の分のミートパイを頬張りながら、オレ探しの苦労を愚痴る。

(……意外と豪快に食べるのな)

「ん? そんなまじまじと見て、私の顔にミートパイでも付いてるか?」

 ドロシーは3口ほどでミートパイを平らげ、ローブの袖で自分の口元を拭う。

 バッド食事マナーについて、多少思うところはあるけど、まあ人それぞれだ。

 もちろん、他人を不快にしないよう、最低限抑えるべきマナーはある。

 だけど、それで人に嫌われるのは彼女であり本人の問題だ。

 オレはそれを躾ける立場にはないし、どっかの講師のように押しつけがましいのはよくない。

「あーうん。頬にまだパイ屑がな……」

「おっと、私としたことが……そうだ。君が取ってくれないか?」

 言うが早いか、ドロシーは身体をよじり、顔をこちらに寄せてくる。求めているのは、口元に付いた米粒を取るような、つまり仲睦まじいカップルがする――じゃなくて!

「えっ? ええっ?」

 あのドロシーのドロシーらしからなぬ発言に、オレは耳を疑う。 

「ははっ、冗談だよ。先日ふと手にした恋愛絵巻の一節を試してみたのさ。なかなか面白い反応を引き出せたな」

「おのれ、性悪な魔女め……青少年の純情を(もてあそ)びおってからに……はん、そんなはしたない食べ方してると嫁の貰い手がなくなるぞ」

 よりにもよって、恋愛事情に疎いドロシーにいいようにされた悔しさから、意趣返しのつもりで苦し紛れにそう言い返した。

「そうか? 普通だろ。庶民はそうだが、とりわけ冒険者はこんなものだぞ」

 冒険者は魔物(モンスター)の生息地で、見張りを立てつつ交代で食事を済ませる。ゆえに自然と早食いの癖が身に付くそうだ。

(一瞬の隙が生死に関わるのに、食事マナーなど言ってる場合じゃないってことか……)

「貴族じゃあるまいし、優雅にお食事なんて柄じゃない」

 費用にしろ時間にしろ、食を道楽としてコストを費やせることこそが、貴族を貴族たらしめる。

 オレは貴族の食卓に慣れていたので、庶民の食事マナーに軽いカルチャーショックを受けたのだった。

「それで、先の質問だが……いったい何をやらかして屋敷を追い出されたんだ?」

「ああ、いや、別にオレは屋敷を追い出されたわけじゃ――いや、ある意味追い出されたのか……?」

 オレは屋敷を出るに至る経緯をかいつまんで説明する。

 聞くも涙、語るも涙……。


 というのは嘘で。別段、込み入った事情があったわけでもない――。

ご高覧いただき ありがとうございました 次回へ続きます

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