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第29話 求婚印


「……刀夜!」


 私は弾かれたかのように目を覚ます。飛び起きたと言ってもいいだろう。心臓の音がうるさいし、思いのほか汗をかいていた。

「ふう」と、大きく息を吐き出す。


 右肩だけガウンを脱ぐと、二の腕には確かに桔梗の花の紋様が浮かんでいた。昨日までは無かったのだとすると、今さっき夢の中で付けられたのだろうか。

 考えれば考えるほど思考回路がちぐはぐで、ごちゃごちゃになってまとまらない。休むために眠ったのだが、より疲れた。

 刀夜はこの国にいる。

 そして私が城砦ガクリュウ周辺にいることに気づいた。確認しなければならないことが沢山さんあるはずなのに、私の脳裏にはダリウスのことばかりが浮かぶ。


(「求婚印」なんて初めて聞いたわ。……それとも私が知らなかっただけ? ううん、それよりもこの印がある以上、ダリウスに──)


 愛想を尽かされるのだろうか。

 それとも少しずつ距離を取られるのだろうか。今日のように──。

 不安になったら胸が痛くなった。


「ユヅキ?」


 ふと顔を上げると、ダリウスが寝室に入ってきていた。服は着替えたのだろう。ただガウンではなくラフな白のシャツと黒のズボンだったが。濡れた髪をタオルで拭っている。


「ダリウス……」


 とっさに私は着崩したガウンを羽織りなおす。

 一瞬だったけど、彼には見えてしまっただろうか。ダリウスは固まったままで、息をのむように目を見開いていた。

 数秒、あるいはもっと短かったかもしれない。

 けれど私にはあまりにも長い沈黙。


「──っ」


 ダリウスは何も言わず踵を返すと、そのまま部屋を出て行ってしまった。たったそれだけのことなのに、私は胸が引き裂かれるような痛みが走る。

「待って」と言いたくても、声が出ない。手を伸ばそうとするが、その手は空を掴む。


(これが刀夜の言っていた「求婚印」の影響?)


 冷静になろうとしても、頭の中がごちゃごちゃして一向に考えがまとまらない。まごまごしていたら、ダリウスとの距離がさらに空いてしまう。

 そう思い、立ち上がろうとした瞬間。


「風邪引くだろうが」


 怒号と共に、彼は部屋に戻ってきた。その手にはカーキ色の毛布がある。


「へ?」

「こんな薄着で何考えているんだ!? 城砦とは違うんだもっと厚着をなければ風邪引くだろう!」

「あ。……ごめんなさい」


 彼はずかずかと大股で歩み寄ると、私をぐるぐる巻きのミノムシのようにすると、そっと抱きしめた。

 彼の濡れた長い髪がすでに冷たくなっている。


(──って、ええええええ! 違う違う。ちょ、ちょっとまって。なんでダリウスが普通なの? いつも通りなのだけれど!?)


 いろんなことが起こりすぎて思考回路がショートしかけていた。けれど、ダリウスのぬくもりが温かくて少し落ち着く。


「ええっと、ダリウス……」

「なんだ?」

(「求婚印をつけられたのだけれど、どうして平気なの?」……って、聞けるか!)


 私は自分に突っ込んだ。


「本当にどうした?」


 くつくつと、彼は楽しそうに笑う。その笑顔に私はそわそわしてしまう。


「……髪を乾かさないと風邪を引くわよ」

「だろうな。だが……髪を乾かす時間が惜しいほど、お前に会いたかった」

「!?」


 あまりにもいつも通り過ぎて、私は言葉に窮した。


「ユヅキ?」

「……やっぱりちゃんと乾かさないとダメよ。ほら、乾かすから離して」

「しょうがないな」


 彼は名残惜しそうに私を離してくれた。ミノムシ状態を解いて羽織る形に直すと、膝を立てて彼の髪に触れる。長い艶やかな髪はとても綺麗だ。普段と変わらないダリウスの態度に私は少しだけ安堵する。


「ユヅキの髪も長いのに、すぐ乾くのはなんでだ?」

「魔法を使って温風で乾かしているのよ。こんな風に」


 説明するよりも私は魔法を使って温風を起こす。

 彼の黒い絹糸のような髪が揺らいだ。あっという間に髪は乾く。そしてそれを待っていたダリウスは再び私を抱き寄せた。

 直接聞くのは唐突なので、遠回しに聞こう。そう思い私は慎重に言葉を選ぶ。


「ねえ、ダリウス」

「なんだ?」

「えっと──、ふと思ったのだけれど、龍神族の風習で「求婚印」ってあるでしょう。そういった知識は残っているものなの?」


 我ながら完璧だ。

 もし知らなければ、左腕の紋様も何かと誤魔化せる。龍神族の末裔といっても、知らない可能性もある。しかし、これは失敗だった。──と言うか最悪だった。一瞬でダリウスの機嫌が悪くなったのだから。


「龍神族が異性に対して行う印の事だろう。……まさか、誰かに付けられた──のか?」


 私の計画は崩れ去った。ダリウスの声が低いし、眉が吊り上がる。


「な、な、なんで宝玉の伝統は途絶えたのに、そういうのは残っているのよ!?」

「昔読んだ本に──って、そんなことはどうでもいい。俺の質問に答えろ」

「その、夢の中というか……ええっと……」


 別にダリウスの恋人でもなんでもないので、私が罪悪感を覚えることでもないのだけれど、それでも居心地の悪さというものはあった。


「そうか。それなら上書きをすればいいだけどの事だ」

「へ? ええええええええええ!?」


 私はダリウスから離れようともがくが、一足遅かった。

 すでに腕の中に囚われている状態なので、余計に逃げ遅れたというのが正しい。


「ちょ、ダリウス!」

「そうだな。最初からこうすればよかった」



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