納豆、しゃべる
『……おなか、すいた』
魔王城の地下室に、小さな声が響いた。
リリアーナは固まっていた。
魔王ゼルガも固まっている。
アルベルト王子だけが、少し遅れて口を開いた。
「……今、納豆が喋らなかったか?」
「喋りました」
「やはり?」
「はい」
三人の視線が、巨大な納豆樽に集まる。
樽の中では、金色に輝く納豆が糸を引きながら、もぞもぞと動いていた。
『……ごはん』
「…………」
『ごはん、ほしい』
リリアーナは恐る恐る樽に近づいた。
「あなた……何者なんですか?」
『なっとう』
「それは見れば分かります」
『なっとうは、なっとう』
「会話になっていません」
魔王が腕を組んだ。
「これはきっと、魔界の魔力と納豆菌が融合した結果だ」
「そんなことあります?」
「我は魔王だ」
「だから?」
「だいたいのことは起こる」
「便利な言葉ですね、それ」
アルベルトが納豆を覗き込む。
「名前はあるのか?」
『ない』
「では、私がつけてやろう」
リリアーナが止める。
「殿下。勝手に名前をつけるのはどうかと」
「では、何がいい?」
「……ナットウ」
「そのままではないか」
「納豆ですから」
魔王が口を挟む。
「では、ナットウ二世だ」
「なぜ二世?」
「偉大な納豆になるからだ」
『……ナットウ、二世』
納豆が嬉しそうに揺れた。
「気に入ったみたいですね」
『ナットウ二世』
「……かわいい」
リリアーナが思わず微笑む。
魔王も頷く。
「うむ。なかなかいい」
アルベルトも納得した。
「では決まりだな」
しかし。
次の瞬間。
『……ごはん』
「またですか?」
『おなか、すいた』
リリアーナは首を傾げた。
「納豆って何を食べるんですか?」
三人が黙り込む。
魔王が言った。
「……大豆では?」
「自分と同じものを食べるんですか?」
「納豆なのだから問題ないだろう」
リリアーナは小皿に大豆を乗せた。
「はい。どうぞ」
『……』
ナットウ二世は大豆を見つめる。
『……いらない』
「え?」
『白いごはん』
「…………」
アルベルトが叫んだ。
「こいつ、完全に日本人じゃないか!」
「日本人って何ですか?」
「知らん!」
魔王が急いで厨房へ走った。
「白米を持ってこい!」
しばらくして。
炊きたての白米が運ばれてきた。
『……!』
ナットウ二世の体が、まばゆく輝いた。
『ごはん!』
「すごい喜んでますね」
リリアーナが白米の上にナットウ二世を乗せる。
『……いただきます』
「喋った!」
三人が驚く。
ナットウ二世は白米と一緒に、もぐもぐと動いた。
『おいしい』
「よかったですね」
『もっと』
「まだ食べるんですか?」
『もっと』
『もっと』
『もっと』
「……」
リリアーナは空になった炊飯器を見る。
「五合なくなりました」
アルベルトが呟く。
「食費が大変そうだな」
魔王が頭を抱える。
「魔王城の食料庫が一日で空になるぞ」
「納豆って、こんなに食べるものなんですか?」
『納豆じゃない』
「え?」
『ぼくは、ナットウ二世』
「そこはこだわるんですね」
こうして。
魔王城に新しい住人が増えた。
ナットウ二世。
喋る納豆。
そして、その存在が翌日には王国中に知れ渡った。
原因は、魔王ゼルガだった。
「皆に知らせるべきだ!」
「やめてください!」
リリアーナが止める。
「なぜだ?」
「また騒ぎになります!」
「しかし、喋る納豆だぞ!」
「分かっています!」
「世界的な発見だ!」
「だからこそです!」
しかし、遅かった。
翌朝。
王都には大勢の人が押し寄せた。
「喋る納豆を見せてくれ!」
「一目でいい!」
「触らせてくれ!」
「食べられるのか!?」
「食べないでください!」
リリアーナは必死にナットウ二世を守った。
すると。
群衆の中から、一人の老人が前へ出てきた。
「聖女様」
「はい?」
老人は深く頭を下げる。
「その納豆……わしには分かります」
「何がですか?」
「ただの納豆ではありません」
リリアーナの表情が変わった。
「どういうことです?」
老人はナットウ二世をじっと見つめた。
「昔、神殿に伝わる古文書で読んだことがあります」
「古文書?」
「千年前、この世界には一匹の『聖なる納豆』が存在した」
「……」
「その納豆は、神から祝福を受け、食べた者に奇跡を与えたという」
魔王が息を呑む。
アルベルトも真剣な顔になる。
リリアーナはナットウ二世を見る。
『……?』
「まさか……」
老人は頷いた。
「その伝説の納豆こそ――」
そして。
ナットウ二世が突然、まばゆい光を放った。
『ぼく……』
小さな声が響く。
『せかい、まもる』
「……!」
「世界を……?」
ナットウ二世の周囲に、巨大な魔法陣が浮かび上がる。
空が暗くなる。
大地が揺れる。
そして。
空の彼方から、巨大な影が現れた。
リリアーナは空を見上げる。
「……あれは何ですか?」
魔王の顔から血の気が引いた。
「知らん」
「魔王様でも?」
「ああ」
アルベルトが剣を抜く。
「敵か?」
魔王も構える。
「おそらくな」
リリアーナはナットウ二世を抱き上げた。
「ナットウ二世!」
『……』
「あなた、何をしたの?」
ナットウ二世は空を見上げた。
そして。
『……おなか、すいた』
「今それですか!?」
空から巨大な声が響いた。
『納豆を求めし者よ――』
全員が凍りつく。
『我が名は――』
雷鳴が轟く。
『究極の納豆神』
「…………」
魔王が呟いた。
「……神が増えた」
アルベルトが剣を下ろす。
「もう何が何だか分からない」
リリアーナは頭を抱えた。
こうして。
世界を救った聖女。
魔王城を失った魔王。
納豆好きになった王子。
そして喋る納豆。
そこへさらに、究極の納豆神まで加わった。
世界は今。
かつてないほど、納豆に支配されようとしていた。




