納豆禁止令
「納豆を禁止します」
王城の大広間に、その言葉が響いた。
発言したのは、王国貴族の中でも特に古い家柄を持つ、グラハム公爵だった。
「……はい?」
リリアーナは思わず聞き返した。
「納豆を禁止すると申し上げました」
「なぜですか?」
「理由は三つあります」
グラハム公爵は立ち上がった。
「第一に、臭い」
「はい」
「第二に、糸を引く」
「はい」
「第三に……」
公爵は納豆を指差した。
「見た目が悪い!」
「…………」
リリアーナは思った。
三つとも、ほぼ同じ理由ではないだろうか。
「公爵様」
アルベルト王子が口を挟んだ。
「納豆はすでに王国の主要産業になっています。今さら禁止などできるはずがない」
「だからこそです!」
公爵は机を叩いた。
「この国はおかしくなっている!」
「どこがです?」
「王宮の朝食に納豆!」
「はい」
「貴族の晩餐会にも納豆!」
「はい」
「兵士の携帯食にも納豆!」
「はい」
「さらには国境を守る兵士が、敵兵に向かって『納豆食うか?』などと言っている!」
「それは……」
リリアーナは少し考えた。
「平和的でいいのでは?」
「戦場で納豆を勧めるな!」
大広間がざわめく。
グラハム公爵はさらに続けた。
「そもそも、聖女様!」
「はい」
「あなたが納豆などという庶民の食べ物を広めたことから、すべてが始まったのです!」
リリアーナは黙った。
確かに。
最初はただ、朝食に納豆を食べていただけだった。
それが魔王城を消滅させ。
納豆が王国中に広まり。
隣国の王子まで納豆好きになり。
魔王まで納豆料理コンテストに参加し。
さらには神様まで納豆を要求するようになった。
「……そう言われると、私にも責任がある気がします」
「でしょう!」
公爵が勢いづく。
「ならば――」
その瞬間。
「断る」
低い声が響いた。
全員が振り返る。
そこにいたのは魔王ゼルガだった。
「なぜ魔王が王国の会議にいるんですか?」
リリアーナが尋ねる。
「納豆の未来がかかっているからだ」
「理由が納豆なんですね」
ゼルガは公爵を睨んだ。
「グラハム公爵」
「な、何だ」
「貴様は納豆を食べたことがあるのか?」
「あるわけがない!」
「では、なぜ嫌いなのだ?」
「臭いからだ!」
「食べてから言え」
「嫌だ!」
「一口だけでも」
「絶対に嫌だ!」
ゼルガは腕を組んだ。
「なるほど」
「何がなるほどだ!」
「食べたこともないのに嫌っている」
「当然だ!」
「それはつまり」
ゼルガは真剣な顔で言った。
「納豆に対する偏見だ」
「偏見ではない!」
そのとき。
アルベルト王子が立ち上がった。
「公爵」
「隣国の王子まで……」
「私も最初は納豆が嫌いだった」
「え?」
「臭いと思っていた」
「……」
「見た目も嫌だった」
「……」
「しかし、食べてみたらうまかった」
アルベルトは胸を張る。
「今では一日三パック食べている」
「それは食べすぎです」
リリアーナが即座に突っ込んだ。
「王子として、それでいいのですか?」
「問題ない」
「問題あります」
グラハム公爵は震えていた。
「殿下まで納豆に洗脳されている……」
「洗脳ではない」
「では何だ!」
アルベルトは答えた。
「食欲だ」
「もっと悪い!」
そのとき。
大広間の扉が開いた。
「お待ちください!」
入ってきたのは、王国の神官だった。
「神託が下りました!」
全員が静かになる。
神託。
それは神の言葉。
神が再び、何かを伝えようとしている。
神官は震える声で読み上げた。
「『納豆を禁止してはならない』」
「…………」
グラハム公爵が固まった。
「神様まで……」
神官は続ける。
「『納豆は素晴らしい』」
「…………」
「『納豆を食べる者に祝福を与える』」
「…………」
「『ただし、一日四パック以上食べる者には注意せよ』」
アルベルトの顔が青くなった。
「なぜ私を見る?」
全員が王子を見る。
「……」
「…………」
「私は一日三パックだ」
リリアーナが首を傾げる。
「神様は『四パック以上』と言いましたよね?」
「そうだ」
「なら、三パックはセーフでは?」
「よし」
アルベルトは安心した。
その直後。
神託の文字が光った。
そして、新しい一文が浮かび上がる。
『アルベルトは四パック食べている』
「神様ぁぁぁぁ!」
王子の絶叫が響き渡った。
大広間が笑いに包まれる。
しかし。
グラハム公爵だけは笑っていなかった。
「……それでも私は納豆を認めん」
「公爵様」
リリアーナが静かに声をかける。
「一度だけ、食べてみませんか?」
「嫌です」
「本当に?」
「本当です」
「では、これを」
リリアーナは小さな皿を差し出した。
「何だ?」
「納豆です」
「見れば分かる!」
「普通の納豆ではありません」
公爵が警戒する。
「何だというのだ?」
「魔王様が三百回混ぜた納豆です」
「いらん!」
「アルベルト殿下が監修した納豆です」
「もっといらん!」
「神様が祝福した納豆です」
「…………」
公爵の動きが止まった。
「神様が?」
「はい」
「祝福を?」
「はい」
「……」
公爵は納豆を見つめた。
そして、小さく言った。
「……一口だけなら」
「公爵!」
「うるさい!」
公爵は震える手で箸を持った。
納豆を少しだけ取る。
鼻を近づける。
「……やはり臭い」
「食べてください」
「分かっている!」
公爵は目を閉じた。
ぱくっ。
「…………」
誰も喋らない。
公爵はゆっくりと目を開けた。
「…………」
リリアーナが尋ねる。
「どうですか?」
公爵はしばらく黙っていた。
そして。
「……悪くない」
アルベルトが笑った。
魔王が頷いた。
神官は感動している。
リリアーナも微笑んだ。
「でしょう?」
公爵はもう一口食べた。
そして、もう一口。
「……これは……」
さらに一口。
「うまい……!」
「公爵様」
「何だ!」
「それ、私の納豆です」
「…………」
公爵は皿を抱え込んだ。
「これは私のだ!」
「急に独占しないでください!」
こうして。
納豆禁止令は、正式に廃案となった。
そして翌日。
王国中で新たな納豆ブームが起こった。
原因は一つ。
グラハム公爵が、自宅で納豆を五パック食べたからである。
なお。
その夜。
公爵の妻から王宮へ苦情が届いた。
『主人が夕食に納豆しか食べません。どうにかしてください』
リリアーナは、その手紙を読んで深いため息をついた。
「……納豆って、怖いですね」
その頃。
魔王ゼルガは新しい魔王城の地下で、巨大な納豆樽を眺めていた。
「……そろそろだな」
「何がです?」
リリアーナが尋ねる。
ゼルガは振り返った。
「納豆の熟成が終わる」
「へえ」
「最高級の魔界納豆だ」
「楽しみですね」
「うむ」
ゼルガは笑った。
しかし。
その樽の中では。
誰も予想していなかった異変が起きていた。
納豆が、淡く光っていた。
「……?」
リリアーナが眉をひそめる。
「魔王様」
「何だ?」
「この納豆……光ってません?」
「…………」
二人は黙って樽を見る。
そして。
樽の中から、小さな声が聞こえた。
『……おなか、すいた』
「「…………」」
納豆が、しゃべった。




