神様の好物
魔王城がなくなってから、三週間。
新しい魔王城の建設は、順調に進んでいた。
ただし。
「ここに納豆工房を作る」
「却下です」
「なぜだ!」
「城の入り口から納豆の臭いがするからです」
「それこそ魔王城らしいではないか!」
「観光客が来なくなります」
「むぅ……」
魔王ゼルガは腕を組んで悩んでいた。
その隣では、アルベルト王子が設計図を眺めている。
「納豆の保管庫は地下がいい」
「なぜ殿下まで参加しているんですか?」
リリアーナが尋ねる。
「友好国として協力しているだけだ」
「先ほどから『納豆の熟成には地下室が必要だ』とか言っていましたが」
「外交上、重要な知識だ」
「絶対に違います」
そこへ、王国の神官が走ってきた。
「聖女様!」
「どうしました?」
「神託です!」
リリアーナの顔が引き締まる。
神託。
それは神が人間に直接言葉を伝える、極めて重要なものだ。
過去には、魔王の出現や大災害を予言したこともある。
「何と言っていました?」
神官は息を整えた。
「神が……」
ごくり。
「神が、聖女様にお会いしたいと」
「私に?」
「はい」
「なぜ?」
神官は困った顔をした。
「それが……」
懐から神託書を取り出す。
そこには、たった一言だけ書かれていた。
『納豆を持ってきて』
「…………」
リリアーナは無言になった。
アルベルトも無言。
魔王も無言。
やがて魔王が口を開いた。
「神も納豆が好きなのか?」
「たぶん」
「さすが神だな」
「そこは感心するところではありません」
リリアーナは神殿へ向かうことになった。
持っていく納豆は三パック。
神殿の最奥。
普段は誰も立ち入ることのできない神聖な場所で、リリアーナは納豆のパックを開けた。
「神様」
「……」
「いらっしゃいますか?」
「いる」
突然、頭上から声が響いた。
リリアーナは驚いて顔を上げる。
「神様!」
「うむ」
「本当に神様なんですか?」
「そうだ」
「では、どうして納豆なんですか?」
少しの沈黙。
そして神は答えた。
「好きだから」
「やっぱり!」
リリアーナは頭を抱えた。
「神様が納豆を好きだから、私に聖女の力を与えたんですか?」
「違う」
「違うんですか?」
「聖女の力は、お前が困っている人を助けたいと願ったから与えた」
「それなら安心しました」
「ただし」
「はい?」
「納豆を食べてくれたのは嬉しかった」
「……」
リリアーナは複雑な顔をした。
「では、魔王城が消滅したのも?」
「偶然だ」
「本当に?」
「本当だ」
「納豆を食べた瞬間に?」
「偶然だ」
「神様?」
「偶然だ」
どうやら、そこだけは譲る気がないらしい。
リリアーナは納豆を混ぜ始めた。
「神様も食べますか?」
「もちろん」
「神様なのに?」
「神だって腹は減る」
「そうなんですね……」
リリアーナは神のために納豆を用意する。
「何回混ぜます?」
「百回」
「普通ですね」
「二百回」
「増えましたね」
「三百回」
リリアーナが止まった。
「……魔王様と同じです」
「魔王も納豆を食べるのか?」
「はい」
「では四百回」
「対抗しなくていいです」
神が突然、真剣な声を出した。
「聖女よ」
「はい」
「一つ伝えておくことがある」
「何でしょう?」
「納豆には可能性がある」
「はい?」
「魔王を救った」
「それは魔王様が勝手に食べただけです」
「王子も救った」
「王子様も勝手にハマりました」
「そして王国を豊かにした」
「それは経済効果ですね」
「さらに魔族との争いも止めた」
「……」
リリアーナは考える。
確かにそうだった。
納豆が原因で始まった騒動は、なぜかすべて良い方向へ進んでいる。
神は続けた。
「だから私は、お前に一つ使命を与える」
リリアーナは姿勢を正した。
「はい」
「世界中に納豆を広めよ」
「嫌です」
即答だった。
「なぜだ!」
「神様の仕事を私に押し付けないでください!」
「聖女ならできる!」
「聖女の仕事は人々を救うことです!」
「納豆も人々を救う!」
「食べ物です!」
「食べ物こそ重要だ!」
神殿に神と聖女の言い争う声が響く。
その様子を、外で待っていた神官たちは震えながら聞いていた。
「……神様と普通に喧嘩している」
「さすが聖女様だ」
やがて。
神が折れた。
「分かった」
「分かっていただけましたか」
「では、世界中に納豆を広めるのはやめよう」
「ありがとうございます」
「その代わり」
「はい?」
「納豆を食べる頻度を増やせ」
「それも嫌です」
「なぜだ!」
「私は一日一パックで十分です!」
こうして神との交渉は終わった。
リリアーナが神殿を出る。
すると、待っていたアルベルトとゼルガが駆け寄ってきた。
「どうだった?」
「神様と話してきました」
「何と言っていた?」
リリアーナは少し考えた。
「納豆は世界を救う可能性があるそうです」
アルベルトが頷く。
「やはりそうか」
魔王も頷く。
「さすが神だ」
「二人とも信じるんですか?」
「もちろん」
「納豆は偉大だからな」
「…………」
リリアーナはため息をついた。
そのとき。
空から光が降ってきた。
三人が見上げる。
そして神の声が響いた。
『あと、からしを忘れるな』
「神様!」
王都中に、リリアーナの叫び声が響き渡った。
翌日。
神殿では、正式に新しい祈りの言葉が制定された。
『今日も一日、健康に納豆を食べられますように』
それを知ったリリアーナは、深いため息をついた。
しかし。
その日の朝食。
彼女の茶碗には、いつもより少し多めの納豆が乗っていた。
「……まあ」
リリアーナは箸を手に取る。
「おいしいから、いいですけど」
世界を救った聖女は、今日も納豆を食べる。
その頃。
遠く離れた大陸では、別の国の王が納豆の存在を知った。
「納豆?」
王は首を傾げる。
「それは何だ?」
側近が答える。
「聖女と魔王と隣国の王子が夢中になっている食品だそうです」
王は少し考えた。
「……我が国にも輸入しよう」
こうして。
納豆は、ついに世界規模の問題へと発展し始めた。




