納豆ブーム
「聖女様、大変です!」
朝食の納豆をかき混ぜていたリリアーナは、昨日と同じように神官の大声で顔を上げた。
「今度は何ですか?」
「納豆が売り切れました!」
「……え?」
リリアーナの手が止まる。
「王都中の納豆が、です」
「全部?」
「全部です」
「なぜ?」
神官は、深刻な顔で答えた。
「聖女様が魔王を倒した奇跡の食べ物として、納豆を求める者が殺到しています」
「…………」
リリアーナは、ゆっくりと目の前の茶碗を見る。
残り、半パック。
彼女にとっては、世界を救ったことより重大な問題だった。
「それで……私の納豆は?」
「王宮の備蓄分がございます」
「どれくらい?」
「三日分です」
「三日……」
リリアーナは真剣な顔になった。
「それでは足りません」
「聖女様!」
「最低でも一週間分は必要です」
「問題はそこではありません!」
神官が頭を抱える。
「王都では現在、納豆を食べれば魔王を倒せるという噂が広まっています!」
「そんなことはありません」
「しかし、実際に聖女様が納豆を食べた直後に魔王城が消滅しています!」
「偶然です」
「では、なぜ神託まで『うまい』と?」
「神様に聞いてください!」
「聞けるなら聞いています!」
そのときだった。
廊下から、兵士の声が聞こえてきた。
「聖女様! 納豆を求めて民衆が王宮前に集まっています!」
「……どうして?」
「聖女様から直接、納豆を買いたいそうです!」
「私は納豆屋ではありません!」
リリアーナが叫ぶ。
しかし、その日の午後。
王宮前には長蛇の列ができていた。
「聖女様の納豆を一つ!」
「五つください!」
「私は十個!」
「家族全員分を!」
「魔王討伐のお守りとして、百個!」
「だから違います!」
リリアーナは頭を抱えた。
ところが事態は、さらに悪化した。
「聖女様!」
商人たちが押し寄せてきた。
「ぜひ我が商会と契約を!」
「うちでは聖女様監修の納豆を!」
「金箔入り納豆はいかがでしょう!」
「聖女様の顔を描いた納豆パッケージを!」
「いりません!」
「では聖女様の髪の毛を一本――」
「それはもっといりません!」
王宮は完全な混乱状態になった。
そして三日後。
王国中の食卓から、ある料理が消えた。
納豆ではない。
パンでもない。
肉でもない。
――白米だった。
「聖女様!」
侍女が泣きながら報告する。
「大変です!」
「今度は何ですか……」
「皆、納豆を食べるために白米を買い占めています!」
「…………」
リリアーナは窓の外を見る。
街のあちこちで、納豆をかき混ぜる人々。
「納豆があれば魔王を倒せる!」
「聖女様も毎朝食べているぞ!」
「百回混ぜるんだ!」
「俺は二百回だ!」
「俺は五百回!」
「混ぜれば混ぜるほど強くなるぞ!」
「違います」
リリアーナの呟きは、誰にも届かなかった。
その日の夜。
リリアーナは神殿で祈った。
「神様」
静かな神殿に、彼女の声が響く。
「どうか、納豆ブームを終わらせてください」
しばらく沈黙が続いた。
やがて。
天井から、神聖な光が降りてきた。
リリアーナは期待に満ちた顔で見上げる。
そして、神の声が響いた。
『無理』
「神様!」
『納豆、おいしい』
「あなたのせいでしょう!」
翌朝。
王国全土に、新たな神託が下った。
『納豆は一日一パックまで』
その瞬間。
王国中から歓声が上がった。
「神様も納豆派だ!」
「聖女様の言うことは正しかった!」
「納豆を食べよう!」
「一日一パックだ!」
リリアーナは思った。
魔王より、この国の納豆信仰のほうが恐ろしい。
そして彼女は知らなかった。
この騒動の裏で、隣国がひそかに動き始めていることを。
「……納豆?」
隣国の王子は、届けられた報告書を見て眉をひそめた。
「そんな臭い豆で国民を洗脳するとは……」
王子は立ち上がった。
「我が国では、絶対に流行らせてはならない」
こうして。
聖女と納豆をめぐる、国際問題が始まった。




