納豆は世界を救う
「納豆を食べろ!」
王都中に、その声が響いていた。
市場から。
納豆工場から。
大豆畑から。
さらには王宮の厨房から。
『納豆を食べろ!』
『納豆を食べろ!』
『納豆を食べろ!』
リリアーナは窓の外を見つめた。
「……どうしてこうなったんでしょう」
隣に立つアルベルト王子が答える。
「最初は君が朝食に納豆を食べていただけだった」
「そうですね」
「それが魔王城を消滅させた」
「はい」
「魔王が生き残った」
「はい」
「魔王が納豆にハマった」
「はい」
「私もハマった」
「それは殿下の問題です」
「神まで納豆好きだった」
「はい」
「そして、世界中の納豆が喋り始めた」
「……はい」
アルベルトは遠い目をした。
「本当に、どうしてこうなったんだ」
そのとき。
扉が開いた。
「聖女!」
魔王ゼルガが飛び込んでくる。
「大変だ!」
「今度は何ですか?」
「納豆が王宮を占拠した!」
「…………」
リリアーナは立ち上がった。
「行きましょう」
「どこへ?」
「厨房です」
王宮の厨房。
そこには大量の納豆がいた。
壺。
桶。
樽。
小さな容器。
すべての納豆が、糸を引きながら動いている。
『ごはん!』
『ごはん!』
『ごはん!』
料理人たちは隅で震えていた。
リリアーナは納豆たちの前に立つ。
「あなたたちは、何がしたいんですか?」
一斉に納豆が答えた。
『ごはん!』
「それだけ?」
『ごはん!』
「……」
リリアーナは考えた。
そして、厨房の料理人に尋ねる。
「白米はありますか?」
「はい!」
「できるだけたくさん」
「承知しました!」
しばらくして。
巨大な炊飯器が運ばれてきた。
蓋を開ける。
湯気とともに、炊きたての白米が現れる。
納豆たちが一斉に静かになった。
『……』
リリアーナは一皿の白米に納豆を乗せた。
「はい」
『……!』
『ごはん!』
『ごはんだ!』
『いただきます!』
納豆たちが一斉に白米へ飛び込んでいく。
『おいしい!』
『最高!』
『もっと!』
王宮中に歓声が響いた。
魔王が呟く。
「……平和だ」
アルベルトも頷く。
「平和だな」
リリアーナは苦笑した。
「納豆で世界が救われるなんて……」
そのとき。
ナットウ二世が、リリアーナの肩に乗った。
『リリアーナ』
「はい?」
『ありがとう』
「……」
リリアーナは驚いた。
ナットウ二世が初めて、自分の名前を呼んだ。
『ぼく、ずっとひとりだった』
「……」
『でも、いまは、なかまがいる』
リリアーナは微笑んだ。
「そうですね」
『だから、もうだいじょうぶ』
その瞬間。
ナットウ二世が光り始めた。
「え?」
眩い光が王宮を包む。
魔王が叫ぶ。
「何だ!?」
アルベルトが剣を抜く。
「攻撃か?」
「違います!」
リリアーナには分かった。
この光は、これまでの奇跡とは違う。
もっと穏やかで。
もっと暖かい。
そして。
世界中に光が広がっていく。
王都。
グランディア。
魔族の国。
エルフの森。
ドワーフの山。
獣人の街。
世界中の納豆が、一斉に光った。
そして。
すべての納豆から、同じ声が響いた。
『ありがとう』
人々が立ち止まる。
兵士が剣を下ろす。
王が玉座から立ち上がる。
魔族も。
エルフも。
ドワーフも。
獣人も。
誰もが空を見上げた。
納豆の光は、ゆっくりと消えていく。
そして。
世界は静かになった。
リリアーナはナットウ二世を見つめる。
「これで終わりですか?」
『うん』
「もう、喋らないんですか?」
『たぶん』
「寂しくなりますね」
『……』
ナットウ二世は少しだけ揺れた。
『でも』
「はい」
『納豆は、ずっとおいしい』
「そうですね」
リリアーナは笑った。
すると。
魔王が突然、手を挙げた。
「聖女!」
「何ですか?」
「最後に一つだけ確認したい」
「はい」
「魔王城は消滅したままだ」
「そうですね」
「新しい城を建てた」
「はい」
「納豆工房も作った」
「はい」
「では――」
魔王は真剣な顔をした。
「城の名前を決めよう」
リリアーナは少し考えた。
「……納豆城?」
「それは却下だ」
アルベルトが口を挟む。
「私は『新魔王城』がいいと思う」
「普通ですね」
魔王が腕を組む。
「もっと威厳が欲しい」
三人で考える。
そして。
リリアーナが言った。
「『大豆の城』は?」
「……」
魔王は考え込む。
「悪くない」
アルベルトも頷いた。
「魔王城らしくはないが、悪くない」
こうして。
新しい魔王城は『大豆城』と名付けられた。
その後。
魔王ゼルガは世界征服をやめた。
代わりに、大豆の品種改良を始めた。
アルベルト王子は納豆外交の専門家になった。
そしてリリアーナは――。
相変わらず聖女だった。
ただし。
彼女の朝食だけは、昔と何も変わらない。
白いご飯。
味噌汁。
焼き魚。
そして。
納豆。
リリアーナは納豆を器に入れる。
箸でゆっくり混ぜる。
一回。
十回。
五十回。
百回。
「いただきます」
ぱくっ。
「……おいしい」
窓の外では、大豆畑が風に揺れている。
遠くから魔王の声が聞こえた。
「聖女! 今年の大豆は最高だぞ!」
さらにアルベルトの声。
「三百回混ぜるとさらにうまい!」
「殿下、仕事してください!」
「している! これは外交だ!」
リリアーナは笑った。
世界を救った聖女。
世界を救った魔王。
世界を変えた王子。
そして、世界中に広がった納豆。
大げさな英雄譚の最後に残ったものは。
意外にも、とても普通の朝食だった。
「……明日は少し、からしを多めにしてみようかな」
その瞬間。
空から神の声が響いた。
『いいと思う』
「神様は黙っていてください!」
こうして。
聖女と納豆の物語は、一応の終わりを迎えた。
ただし。
翌年。
大豆城で新しい納豆祭りが開催されたことは、また別の話である。




