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兄妹になる  作者: 橘廉
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学園のアイドル

 結衣ちゃんが僕と同じ高校に編入して一週間。校内は黒船来航並みの騒ぎになっていた。


「おい雅紀! お前、あんな超絶美少女が妹になったなんて、前世でどんな徳を積んだんだよ!」

「不公平だ……。お前みたいな軽薄男に、あんな儚げな妹が降臨するなんて、神様は長期休暇中か?」


 休み時間になるたびに、僕の席には野次馬(羨望と嫉妬の塊)が押し寄せる。結衣ちゃんは、編入初日にして『旧校舎の白百合』という、どこぞの文学少女のような二つ名を冠されていた。不倫の末の引き取りなんてヘヴィな事情は、彼女の圧倒的なビジュアルと「健気で控えめな態度」という完璧な装甲の前に、ただのスパイスとして消化されたらしい。


「あはは、シスコンの才能が開花しちゃいそうで怖いよ。今日も結衣ちゃんの昼食代、僕の小遣いから出しちゃったし」


 僕はいつもの軽薄なノリで周囲を煙に巻く。それが、この家……そして彼女を守るための、僕なりの『盾』だった。



 放課後。図書委員に就くことになった結衣ちゃんを待つため、僕は図書室の隅で適当な雑誌をめくっていた。結衣ちゃんは、他の委員たちと返却本の整理をしていた。その動作の一つひとつが丁寧で、指先まで神経が行き届いたガラス細工のような美しさがある。


「結衣さん、本当に助かるよ。君が入ってから、本の整理がすごく早くなった」

「いえ、そんな……。私、これくらいしかお役に立てませんから」


 結衣ちゃんが先輩の言葉に控えめに微笑み、頭を下げる。その完璧な「守ってあげたくなる少女」の姿。……が、その時、一人の一年生が本を積みすぎたのか、バランスを崩して数冊の本を床にぶちまけた。


「あ、ごめんなさい! すぐ拾います!」

「大丈夫ですよ。一緒に拾いましょう」


 結衣ちゃんはスッと寄り添い、流れるような動作で本を回収していく。謝り倒す一年生に対し、彼女は聖母のような微笑みを浮かべてこう言った。


「気にしないで。……これでちょうど、帳尻が合いましたから」


 一年生は「え?」と一瞬きょとんとしていたが、結衣ちゃんの美貌に当てられたのか、すぐに赤くなって会釈して去っていった。


 仕事を終えた結衣ちゃんが、僕に向かって歩いてきた。雑誌のページをめくっていた手を止める。


「お兄ちゃん、お待たせしました。帰りましょう?」

「ああ。帰りにアイスでも買ってこうか。母さんがまた『結衣ちゃんを太らせる会』でも開きそうな勢いだったし」


 僕はいつもの軽薄な兄貴の顔に戻って、彼女とともに歩き出す。図書室からの帰り道。夕焼けに染まった通学路を、僕たちは少しの距離を保って歩いていた。数歩先を行く結衣ちゃんの背中。セーラー服の襟元から覗くうなじは、夕日に透けて消えてしまいそうなくらい細い。


「お兄ちゃん。……私、学校、楽しいです」


 不意に彼女が足を止め、振り返って言った。その瞳は、一点の曇りもない宝石のように綺麗だった。


「そう。それは良かった。君みたいな子が来たから、男子連中も気が気じゃないだろうけど」

「そんな。……でも、皆さんに親切にしていただけるのは、きっと私が『お父様の子』だからですね。感謝しなきゃ」


 感謝。謙虚。健気。彼女が選ぶ言葉は、どれも「理想的な妹」という役割に完璧にフィットしている。けれど、僕はどうしても、先ほどの図書室での「帳尻が合う」という無機質なフレーズが耳の奥で反響するのを止められなかった。


 

 家に着くと、ちょうど運送会社が届けてくれた数個の段ボール箱が玄関に置かれていた。結衣ちゃんが以前のアパートに残していた、数少ない「母親の遺品」だという。


 父さんが申し訳なさそうに箱を運び入れ、母さんが「さあ、整理しましょう!」と、またしてもイベントを楽しむかのようなトーンで声をかけた。


「結衣ちゃん、お母さんの思い出の品、リビングに飾ってもいいわよ? 毎日お話しできる方が寂しくないでしょ?」


 母さんの悪気のない、けれどあまりに無邪気な一線越えに、父さんが顔を引きつらせる。不倫相手の遺影をリビングに飾る。普通なら修羅場だが、うちの母さんの辞書に「嫉妬」や「ドロドロ」という言葉は載っていないらしい。


「ありがとうございます、奥様。でも……。母はあまり、自分の跡を残したがらない人でしたから」

「やーね、奥様なんて。ママって言ってよ!」


 結衣ちゃんが段ボールのガムテープを静かに剥がした。中から出てきたのは、どれも年季の入った、生活感というよりは「困窮」を感じさせる品々だった。色あせたマグカップ、使い古された手鏡、そして――いくつかの空の薬瓶。


「……あ、ごめんなさい。これ、捨て忘れていました」


 結衣ちゃんが慌てて薬瓶を箱の隅に隠す。その瞬間、彼女の表情がふっと曇った。  夕方の明るいリビングに、そこだけ不自然な影が落ちたような、そんな暗い表情だ。


「……お父様も、ご存知でしたよね。母が、自分の感情をうまく扱えなかったこと」


 父さんが、喉の奥で詰まったような音を立てて頷く。


「ああ。……彼女は、時々、ひどくヒステリックになって……。結衣ちゃん、君にも、当たったりしていたんだろう?」


 結衣ちゃんは首を振った。けれど、その目は明らかに「何か」を耐えているように見えた。


「いいえ。……母はただ、不安だっただけなんです。お金もなくて、頼れる人もいなくて。私がもっとしっかりしていれば、あんな風に壊れることもなかったのに。……私が、もっと早くに母を……」


 言葉の端が、わずかに震えている。


 その時、母さんはといえば、出てきた古い髪飾りを手に取って


「まあ! これ、結衣ちゃんに似合いそう。今度、これをつけてお買い物に行きましょうよ。お母さんもきっと、喜んでくれるわ」


 結衣ちゃんは、母さんに向けられたその提案に、一瞬だけ唇を噛み、それから無理に作ったような、歪で寂しげな微笑みを浮かべた。


「……はい。そうですね。……奥様は、本当に、お優しいですね」


 整理が終わった後、自分の部屋へ戻ろうとする結衣ちゃんの背中を、僕は少し離れたところから見ていた。彼女が持っていた小さな段ボール。その底に、さっき僕の目をかすめたものがある。母親の薬。父さんは「精神が不安定だった」と言っていたが、その分量は、その管理は、一体誰がしていたんだろう。


 階段を上る彼女の足音は、驚くほど静かだった。


「……雅紀。結衣ちゃんのこと、頼んだぞ。あんなに健気な子はいない」


 背後で父さんが鼻をすすりながら僕の肩に手を置いた。僕は「わかってる」とだけ答え、そっとその手をかわした。


 窓の外で冷たく光る月は、僕にだけは真実を見せようとしている気がして、僕はカーテンを乱暴に閉めた。

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