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 すっかり太陽が隠れてしまった夜の時間。


 今後どうするかなどは後日集まって決めることにして、今日のところはこれで解散、するはずだった。


「お嬢、ほなまた」


「おやすみ白雪ちゃん」


「……ちょっと待ってください」


 白雪は頬を膨らまし、玄関から動こうとしない銀次をじとっと睨みつける。


「なんやトイレか」


「ちがいますー! そうじゃなくて、どうして銀次さんは帰らないのですか!」


「わいの家は遠いし、ホテルに泊まるのもお金がもったいないやろ。今日も今日とて、ここに泊るんやけど」


「聖夜さんの迷惑です! 出てください! 今すぐに! ゲットアウト!」


「聖夜、別に迷惑やないやろ」


「ま、まあ僕は別にいいけれど……」


 僕の返事を聞いた白雪は、ますます頬を膨らませ、今にも弾けんばかりだった。

 そして急に何かが弾けたのか、すっと真顔に戻りスマートフォンを取り出した。


「ちょっと待っていてください」


 どこかに電話をしに行き、すぐに戻ってくる。そしてずばりと銀次を指差し、ぴしゃりといった。


「今日は私も泊まりますので!!」


「いやいやいやいや、何を当然みたいに言うとんねん」


 真っ先に異議を唱えたのは銀次だった。


「なんで銀次さんが反対するんですか。あなたは家主ではないですよね」


「わいは命が惜しいねん。お嬢と同じ屋根の下で寝るとか、命がいくつ合っても足りひんわ」


「失礼ですね。私は人を傷つけないことで有名ですよ。安心してください」


 白雪はにっこり笑った。


 見慣れた天使の微笑みであるはずなのに、背後に大砲の幻影が見えた。銀次が一歩後ずさる。僕もついつい後ずさった。

 こればかりは仕方がない。フロイト曰く、人間には防衛機構というものがあるのだ。


「泊まるといっても、布団は一組しかないよ」


「では、私が聖夜さんと一緒に寝ます」


「それは良くないと思うで」


「何か問題がありますか」


「問題しかないやろ」


「私、寝相はいいですよ」


「あかん。聖夜、はよドア閉めたほうがええ」


 僕の心臓が、鼓動を早めてしまうのはなぜだろうか。

 白雪と同じ布団。おっほー。考えただけで語彙がヤバい。


「ほな、わいが聖夜と寝るってのはどうや」


「それは絶対駄目です」


「お嬢がよくて、わいはあかんのおかしいやろ」


「銀次さんは床と相場が決まっています」


「なんでやねん!」


「聖夜さんの家に私の許可なく泊まっていた罰です。本当は死刑でもいいのですが、恩赦で生かしてもらえるだけ、感謝してください」


「聖夜、お嬢は伊藤翼より危険やと思う」


 結局、話し合いの末、僕が布団、白雪が座布団を並べた即席寝床、銀次が毛布一枚で床という配置に決まった。銀次は最後まで不服そうだったが、白雪が「朝日を無事見れたらいいですね」と言った瞬間、毛布に頬ずりして「床、最高やな」と態度を改めた。


 白雪が泊まることが決定し寝床の問題が片付くと、次は夕食についていざこざが始まった。


「私、料理できますよ」


 白雪が胸を張った。相当自信があるのか、胸を反りすぎて凄いことになっている。

 その姿が愛おしく、僕の心はきらめいた。銀次はなぜか青ざめた。


「ほんまに大丈夫なんか」


「失礼ですね。冬野家では料理長に褒められたことがあります」


「何を作ったんや」


「お湯です」


「料理長は人格者やなぁ」


 少しばかりの、ほんの小さな、一抹の不安が生まれたものの、白雪がせっかく作ってくれるというのだ。断れるはずもない。僕は白雪に台所を任せた。


 結果として、食卓には黒い何かが並んだ。


「これなんや」


「カレーです」


「カレーって、こんなに光を吸収したっけ」


 皿の上のそれは、世界で一番の黒色を落としたようなものだった。まるで机の上に穴が空いたよう見える。銀次がスプーンで表面をつつくと、こん、と硬い音がした。


「お嬢、これ食べ物とちゃうで」


「食べ物ですよ。銀次さん、味見をお願いしますね」


「なんでわいやねん!」


「ほら、銀次さんは客人ですし、やっぱり客人優先ですから」


「床に寝る客人はおらんと思う」


 銀次は無駄な抵抗をした。だが、白雪の笑顔といつの間にか出てきていたアームストロング閣下の無言の圧力に敗北し、結局震える手で一口食べることとなった。


「……ぐふっ」


「美味しいですか」


「なに、入れたんや」


「とってもきれいな虹色のキノコを入れました!」


 銀次はそのまま息を引き取った。


 最終的に夕食は近所のコンビニで買ってきた唐揚げ弁当になった。白雪は落ち込んでいたが、僕が「一生懸命作ってくれた気持ちが嬉しいよ」と言うと、みるみる顔を赤くして、箸で唐揚げをつつくだけの生き物になった。


 食後、弁当の空き容器を片付け、三人並んで歯磨きを済ませた。

 一命を取り留めた銀次は、ぶつぶつ文句を言いながら床の毛布へ滑り込んだが、数分もしないうちに寝息を立て始めた。


 電気を消すと、部屋は薄い闇に沈んだ。僕と白雪も、それぞれの布団に潜り込む。


「銀次、寝付きがいいね」


「図太い人です」


 暗闇の中でも白雪が天使のように笑ったのが分かった。


 その笑い声がやけに近く聞こえて、僕は布団の中で身じろぎした。部屋は狭い。寝床を分けたところで、同じ屋根の下にいることには、変わりはない。


 当然、もんもんとして眠れるはずがなかった。


 時計を見ると時刻はすっかり丑三つ時、窓からは月明りが仄かに差し込んでいた。


「聖夜さん、まだ起きていますか」


 白雪の声が聞こえた。


「起きているよ。どうしたの、眠れないの」


「まあ、そんなところです」


 白雪は寝付けないようで、ごそごそと衣擦れする音がした。ただ何か言いづらそうに、次の言葉を探している様子がうかがい知れた。


 しばらく続いた沈黙の折り、白雪はほんの小さな声で話し始めた。


「聖夜さんは、私が男と知って、どう思っていますか」


 その問いは、できうる限り考えないようにしていたものだった。


 忘れたいことだが、僕は二度目の失恋中である。白雪は男であり、僕も男であるが故、叶わぬ恋の深傷は、まだも癒えるはずがなかった。


 しかし、そのことを白雪に伝える必要はない。


「大丈夫だよ。ショックを受けなかったというと嘘になるけれど、君が心配するほどのことじゃない」


 真実ではなかった。


「そう、ですね」


 白雪は、今にも消えてしまいそうなか細い声で、返事をした。そしてそのまま眠ってしまったのか、次に紡ぐ言葉はなかった。


 月明りが消えた暗闇の中、規則的な一つの寝息が聞こえる。心地が良く眠りを誘うその音を聞いてもなお、僕は眠ることができなくなっていた。


 闇の向こう、そばにいる白雪のことを思い浮かべる。


 今でも変わらぬ恋心が、いつかはきっと消えると信じて、僕はゆっくりと瞼を閉じた。


 あくる日、白雪は家の用事があるらしく早朝にさっさと帰っていった。対照的に銀次は、昼までひたすら眠りこけた。


 流石は如意棒の所有者だろうか、寝る子は育つ、迷信ではなかったようだった。

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