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氷河期(アイスエイジ)の魔法使い  作者: よん
第8章:「書き換えられた記録」

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第1節:偽造の発見

 三週間が経った。


 協定歴4120年、冬。緑釜工房の仕事から帰ったあの晩秋の夕暮れが、エリカには遠い昔のように思える。マルクスと並んで歩いた石畳の路地は、今はもう雪の下だ。経路図の束は引き出しの中にある。カスミールの工房で積んだ三日間の仕事は、一枚の調査報告書に纏まり、アストラル商会の書庫に収められた。


(……設計は正しかった。文書がなかっただけだ)


 マルクスが言ったその一文を、エリカはときどき思い出す。特に、こういう仕事のとき。



 「エリカ」


 トマーシュ・ハーヴェルが執務室の扉を引き開けながら名を呼んだのは、その日の昼前だった。


 三十歳で第二技術班の班長を務める男だ。背が高く、肩幅が広い。ひたすら真面目な顔をしている。アストラル商会の中で、エリカが「この人は信用できる」と思っている数少ない人間の一人だ。


「新型通信中継システムの障害対応チームに入ってほしい。今すぐ来られるか」


 エリカは手元の報告書から顔を上げた。


「……何があったんですか」


「先週稼働した新型の通信中継システムが、四日で落ちた。クライアントが三件、損害が出ている。通信記録の消失が二件、魔法道具の破損が一件」


 それだけで、大体の重さが分かった。軽微ではない。


「調査チームの人員選定で、君に声がかかった。このシステムの開発には関わっていないから、客観的に見られるということで」


「分かりました」


 エリカは立ち上がり、魔導書を脇に抱えた。


「記録類は全部揃っていますか」


「開発記録、試験記録、稼働ログ。一式用意してある。ただ——」


 トマーシュが一瞬言葉を止めた。


「多い。記録が、ずいぶんと多い」


(……多い、か)


 嫌な予感がした。記録が多いのは問題じゃない。問題は、多いのに何も分からないときだ。



 会議室に積まれた書類を見て、エリカは少し考えた。


 開発記録、試験記録、稼働ログ——確かに多い。ただ、整然としている。番号が振られ、日付順に並んでいる。整然としているのに何も読めない記録と、雑然としているのに全部分かる記録と——どちらが良いかは、読む人間次第だ。


(……まず全体の流れを掴む。それから細部に入る)


 マルクスの仕事の進め方だ、とエリカは気づいた。いつの間にか、そうなっていた。


 通信中継システムの概要から確認する。三つの拠点を中継する魔法的な通信網だ。各拠点に術式陣が置かれ、中央処理系を経由して相互に繋がっている。稼働四日でダウンした原因は——まず、中央処理系の術式に過負荷がかかったと記録されている。


(……過負荷。その原因が分かれば話は単純だ。しかし)


 試験記録に目を移す。稼働前の検証期間の記録だ。


 最初に気になったのは、日付だった。


 このクラスのシステムであれば、段階的な負荷試験(**ストレステスト(段階負荷検証)**)を複数回行うはずだ。開発記録によれば、試験は三段階で実施予定とある。基本動作確認、中負荷試験、高負荷試験。


 しかし試験記録の日付を並べると——三段階のはずが、実施間隔がおかしい。基本動作確認から高負荷試験まで、たった二日しかない。中負荷試験の日付は存在する。


 しかし。


(……この日の記録、何か足りない)


 稼働ログを引っ張り出す。各術式の起動時刻、マナ消費量、処理件数——術式が実際に動いた証拠が、数字として記録されている。試験当日のログを、試験記録の数字と突き合わせる。


 食い違いがある。


 数字が、合わない。


 試験記録では「中負荷試験・術式処理件数:二百八十件、マナ消費量:四百三十三単位」とある。しかし稼働ログには、その日の同時刻帯の術式起動記録が存在しない。術式が動いた形跡がない。


(……これは)


 もう一度確認する。別の日の記録と照合する。別の時刻帯に紛れ込んでいないか、可能な限り確かめる。


 ない。


 その日のその時刻に、試験設備は起動されていない。


 エリカは三度、数字を確かめた。


(……意図的な改ざんだ)


 静かに、はっきりと、そう認識した。試験は実施されていない。しかし、記録だけは存在する。承認印も押してある。


 手が少し止まった。


 動揺しているわけではない。ただ、分かってしまったことの重さを、どこかで計っていた。


(……誰がやったか)


 試験記録の承認欄を確認する。各記録に同じ印が押されている。**開発部主任・ヴラジミール・ホウサー承認**。


 開発部の主任が、納期前日に「試験完了」と宣言した。会議記録にそう残っている。しかしその日の稼働ログには、試験設備を動かした記録がない。


(……証拠が揃ってしまった)


 エリカは一度、目を閉じた。


(どうすれば——)


 答えは出なかった。



 翌日の昼、廊下でエリカはヴラジミール・ホウサーと鉢合わせた。


 三十五歳。端整な顔立ちに清潔なスーツ姿——社内でも見映えの良い人物として通っている。通常業務に戻ったような顔で歩いていた。エリカに気づくと、自然な笑みを向けてきた。


「エリカさん。障害対応チームに入ったと聞きました」


「はい」


「ご苦労様です。調査の進捗は?」


 礼儀正しかった。ただ——目が、少し違う。笑っていない。探っている。


「……実装上の問題点を、絞り込んでいます」


 声が出た。自分でも驚くほど自然な声で、そう言っていた。


「そうですか。何かあれば開発側にも聞いてください、協力しますので」


「ありがとうございます」


 ヴラジミールが先に行く。その背中が廊下の角を曲がって、見えなくなった。


 エリカは、その場に立ったまま、一拍置いた。


(……なぜ、言わなかったんだろう)


 言えなかった、ではない。言わなかった。証拠は手元にある。言う機会はあった。しかし言葉が出なかった。


(組織の中にいると——こういうことが、体に染み込むのか)


 廊下の先で、誰かが声を掛け合っている。いつもの昼の声だ。


 エリカはゆっくりと息を吐いて、会議室へ戻った。


 机の上の書類を、もう一度引き寄せた。


(……整理しなければ)


(第1節 了)


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