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氷河期(アイスエイジ)の魔法使い  作者: よん
第6章:「散らばった呪い」

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第5節:式典前日——カールへの説明と静かな不発

 翌日の昼前、カール・フォン・ベッカーがストジーブルナー・ルーナを訪ねてきた。


 作業台の端に三つの品——燭台、文鎮、印章入れ——が並んでいる。呪いは、すでにない。だが、カールはまだそれを知らない。


 扉を叩く音があった。控えめに、二度。


「どうぞ」


 カールが入ってきた。前回と同じように、背筋を伸ばして。だが今回は顔が違う。前回は「念のため確認しに来た」という顔だった。今回は——答えを聞く覚悟で来た顔だ。二十代の若い顔に、緊張が浮かんでいる。


「……アッシュベルク殿」


「座れ。茶を出す」


 マルクスは向かいの椅子を引き、薬缶を確かめた。カールが椅子に座る。茶を二つ用意して、一つをカールの前に置いた。カールが両手で受け取った。


「品物は調べ終わった。今日返す」



 話した。


 三つの品が分割型呪殺魔法の断片であったこと。すでに城塞区のどこかに別の断片が仕込まれていたこと。それらが全て無力化されたこと。


 簡潔に、順序よく。


 カールは黙って聞いていた。途中、一度だけ小さく息を止めた。それ以外は、動かなかった。


「……私が」


 マルクスが話し終えた後、カールが口を開いた。声が低く、かすれていた。


「私が、暗殺の道具を届けるところだったのですか」


「意図せず、だ」


 マルクスは静かに答えた。


「君は何も知らなかった。これは君の責任ではない」


 沈黙があった。


「……フリードリヒは、知っていたのですか」


「分からない。だが——知らなかったと思う」


「……」


「使われたんだ。君も、フリードリヒも」


 カールが下を向いた。しばらく、そのままでいた。


「……誰かに」


 マルクスは答えなかった。確証がない。確証のないことを口にする場面ではない。


 カールが顔を上げた。


「私は——どうすればいいですか」


「予定通り、献上品を届けてくれ」


 カールが目を見開いた。


「品物は全て無害化してある。式典に参加して、普通に届ける——それが今の君にできることだ。式典に出て、何事もなく届ける。それが、君が何も知らなかったことの証明になる」


「……」


「それに——もし君が突然欠席すれば、誰かが気づくかもしれない。式典は平静に進める方がいい」


 カールは少し間を置いた。


「……分かりました。父にも報告します」


「そうしろ」


 また沈黙があった。カールが両手の茶杯を一度静かに置いた。


「アッシュベルク殿」


「何だ」


「……また、助けていただいて」


 カールがわずかに頭を下げた。


「ありがとうございました」


「礼を言うなら、ベッカー子爵に言え」


 マルクスは短く答えた。


「慎重にしろと教えた父親が正しかった。俺が動けたのは、君が持ってきたからだ」


 カールが顔を上げた。少し、目が揺れていた。二十代の、若い顔だ。


 マルクスは立ち上がり、作業台の端に並んでいた三つの品を手に取った。それぞれを丁寧に布で包んで、カールに差し出した。


「持っていけ。ただの工芸品だ。明日、堂々と届けてくれ」


 カールが両手で受け取った。重さを確かめるように、しばらく持ったままでいた。


「……はい」


 カールが工房を出た。廊下で足音がして、遠ざかる。


(——後は、当日だ)


 マルクスは椅子に戻り、向かいの空になった茶杯を見た。



 式典当日は、快晴だった。


 初秋の空が高く、城塞区の石畳に朝の光が満ちている。連邦議会定例開会式——年に一度の行事だ。城塞区の各所に式典の飾り布が揺れ、議事堂広間への道筋に衛兵が等間隔に並んでいた。


 マルクスとエリカは、広間の南側の回廊にいた。


 式典に参加しているわけではない。招かれた立場でもない。ただ、外にいる。待つだけの仕事だ。


 エリカが焦点具を手に持ち、じっとしている。その背筋に、緊張が出ていた。


「……イジーから何か」


「まだだ」


 やがて通信石が淡く光った。イジーの低い声が届く。


「——献上品の贈呈が始まりました」


「分かった」


 また沈黙になった。回廊の外で、式典の進行を知らせる鐘の音がした。低く、遠く。


(——今頃、カールが広間にいる)


 マルクスは石の柱に背を預けた。目を閉じるでもなく、ただ、静かに待った。城塞区の秋の風が、回廊を抜ける。


 イジーの声が戻った。


「——献上品の贈呈、終了しました。カール・フォン・ベッカー殿の品も、首席代表の手に渡りました。……何も起きていません」


 エリカが息を吐いた。


「……終わった」


「ああ」


 エリカが、小さく口を開いた。


「……よかった」


 それだけだった。


 式典は続いている。回廊の外では、広間の行事が粛々と進んでいく。鐘の音がまた届く。誰も知らない。カールが届けた品が何だったか。城塞区のどこかに断片が仕込まれていたか。あの夜、三人が工房で何をしていたか——誰も、気づいていない。


(——ブレンナー公爵は今頃、計画は動いていると思っているだろう。式典当日は何も起きない。それが設計の通りだ。異変に気づくのは、数日経っても首席代表が倒れない時だ)


 マルクスは立ち上がり、外套の前を合わせた。


(だが、それだけだ。俺たちには証拠がない。あの男を追い詰めることはできない。……今は、それだけだ)


 回廊を歩き出した。エリカが後に続く。


「先生」


「何だ」


「……オットー様に、報告しなくてよいですか」


「夕方に行く」


「一緒に行かせてください」


「好きにしろ」


 エリカが少し表情を緩めた。


 城塞区の坂を下る。石畳に、秋の光が柔らかく落ちていた。


(第5節 了)


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