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氷河期(アイスエイジ)の魔法使い  作者: よん
第6章:「散らばった呪い」

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第4節:散らばった呪い——既設断片の捜索

 朝の六時、ポジーチーの路地はまだ薄暗かった。


 オットーの工房の扉を叩くと、中から足音がして、すぐに開いた。老人は昨夜と変わらぬ姿——くたびれたローブに白髪がボサボサ。ただ、目は完全に起きている。


「六時だ」


「見れば分かる。……入れ」


 エリカはすでに来ていた。工房の隅の椅子に腰かけ、焦点具と記録用の羊皮紙を膝の上に揃えている。マルクスを見て、軽く頷いた。


「おはようございます、先生」


「ああ」


 三人が揃った。


 オットーが作業台の端から小さな包みを取り出した。芋のパン(ブランボロヴィー・フレーブ)の薄切りに、塩漬けのバターが挟んである。無言で三つ並べた。


「食ってから行け。腹が空いてると判断が鈍る」


 マルクスは一つ取った。エリカも続く。


 窓の外に、初秋の朝の光が差してきた。



 パンを食い終えた頃、オットーが口を開いた。


「城塞区に向かう前に確認しておく」


 二人がオットーを見た。老人が作業台の端に手をつき、三つの品——燭台、文鎮、印章入れを一度見てから続けた。


「昨夜から考えていた。発動のトリガーは何だ」


「カールたちが献上品を手渡す、その行為だ」


 マルクスが答えた。オットーが頷く。


「そうだ。断片が代表の至近に揃う——それがトリガーになる。式典の場でも、執務室でも、廊下で立ち話になっても——どこで渡そうと、渡した瞬間に断片が代表の側に集まる」


「……つまり」


 エリカが続きを引き取った。


「既設断片は、どこで受け取っても足りるように配置してある、ということですか」


「そういうことだ」


 オットーが腕を組んだ。


「発動には一定数の断片が揃う必要がある。仕掛けた側は、カールたちが三つ持ち込む、その前提で設計している。だから既設断片は——代表が立ち回るどの場所でも、残りの必要数を満たせるよう、多めに散らしてある」


「冗長配置だ」


 マルクスが言った。


「どこで受け取っても発動する。式典会場が変わっても、執務室になっても——どこにいても代表の周囲に必要数の断片が揃う計算になっている。そのために多く仕込んだ」


「……念が入っている」


 エリカが静かに言った。


「ああ。念が入っている」


 マルクスは通信石を取り出した。


「イジーに確認する。代表が立ち回る場所を全部聞く。それが探索対象だ」



 城塞区への一時立入許可証は、イジーの手配通りに用意されていた。城塞区南門の詰所で名を告げると、衛兵が一枚の文書を差し出した。連邦首席代表府の紋章。日付と三つの名前。


「アッシュベルク殿ですね。……どうぞ」


 石畳の坂を登る。城塞区は城下街の高台にある。坂を登りきると視界が開け、大聖堂の尖塔と連邦政府の建物が空を背景に並んでいた。式典が三日後に迫っているせいか、石畳には飾り布の取り付け作業をしている者たちの姿がある。柱廊に磨きをかける使用人の姿も見えた。


 首席代表府は城塞区の中央に位置する重厚な建物だ。白い大理石の柱廊。廊下に足を踏み入れると、ひやりとした空気が漂う。


 イジー・ストラーカが廊下の奥から現れた。四十がらみ、引き締まった顔立ち。昨夜の通信石越しの声の持ち主だ。昼夜を問わず切り替わる早さが、仕事の人間のそれだった。


「アッシュベルク殿。手配が整っています」


「助かった。一つ確認させてくれ。首席代表が日常的に立ち回る部屋を全部教えてほしい。式典当日に使う場所も含めて」


 イジーがわずかに眉を上げた。すぐに応えた。


「執務室、応接室、廊下(各室間を含む)、会議室——それが日常的な範囲です。式典当日は広間への移動がありますが、式典前日以前は使用しません。今日は首席代表は別室で執務中です」


「その四か所で充分だ」


「書類と机の中には触れないでください」


「分かった」


 短い確認だった。



 案内されたのは、首席代表の執務室だった。


 広い部屋だ。窓が大きく、城塞区の南側を見晴らす。窓際には花瓶が一つ。壁際の棚には書類の束と装飾品が並び、作業机は実用的に整えられている——政治家というより仕事人の部屋という印象だった。


 ドアが開き、ズデニェク・ノヴァークが顔を出した。背は高く、白髪混じりの頭。落ち着いた眼差しが、三人を一度見渡した。


「……アッシュベルク殿」


「お邪魔します。ご協力に感謝します」


「好きに調べてくれ」


 それだけ言って、ドアを閉めた。


 マルクスはオットーを見た。老人が軽く頷く。


「まず執務室から。頻度が高い、ここに確実にある」


「エリカ」


「はい」


 焦点具を構えた。



 エリカが目を閉じ、焦点具を緩やかに動かし始めた。


 解析魔法アナリシス——精細な読み取りとは違う。広い範囲を薄く走査し、術式の痕跡を地図のように浮かび上がらせる手法だ。粒度を落とす代わりに、速く、広く当たれる。


 しばらくして、エリカが目を開けた。


「……反応があります。窓の方と、あともう一か所——こちらの棚の近く」


(——二か所。執務室だけで二つある)


 マルクスは窓際の花瓶に近づき、焦点具を展開した。真理視デバッガー——術式の構造が、肉眼では見えない形で浮き上がる。花瓶の表面には保護術式と防汚の薄い層がある。だが——底面に、別の層が張り付いていた。肉眼では分からないほど薄い銅板。その表面に、細かい刻印。


(——ある)


「これだ」


 オットーが近づき、老いた指で底面を静かに触れた。


「……断片だ。底に貼り付けるとは、花瓶ごと引き取られることを見越している。入念な仕事だ」


「棚の方も見る」


 壁際の棚に近づく。棚板を見渡すと、装飾品の一つ——小さな石の器——の底部に同様の銅板があった。


「二つ目」


 エリカが走査の結果を確かめるように器を一瞥した。


「……執務室だけで二つ。やはり一番使われる部屋には多めに仕込んである」


「次は応接室だ」



 応接室に移る。


 壁に掛かった額絵——山と川を描いた、ありふれた風景画だ。エリカの走査が止まった。


「ここです。額の裏」


 額を慎重に壁から外す。木製の裏板。内側に、細い木片が一枚固定されていた。木片の表面に、刻印。


「三つ目」


「もう一か所か?」


「……応接室はここだけです」


「分かった。廊下へ」


 廊下の装飾棚。石材の小像が一つ置いてある——花を持つ精霊の意匠だ。エリカが棚の前で止まった。


「これ」


 像の底部。台座の裏面に、刻印が刻まれていた。


「四つ目」


 マルクスは少し間を置いた。


(——既設断片の最低数は、これで担保できている計算になる。だが設計の癖からすると、もう一か所ある可能性がある)


「会議室もある。続けてくれ」



 会議室に入る。長い机と椅子が並んでいる。エリカが走査しながら進み、部屋の隅の一脚の前で止まった。


「……椅子の脚です。裏側に」


 椅子を慎重に横倒しにする。後脚の接続部——小さな金属製の留め具が付いていた。一見、補強のための部品にしか見えない。しかし表面に、わずかな刻印。


「五つ目だ」


 エリカが走査を最後にもう一度広げた。


「……会議室はこれだけです。ここには、これ以上ありません」


 マルクスは四つの部屋で見つかった五つの断片を頭の中で並べた。執務室に二つ、応接室に一つ、廊下に一つ、会議室に一つ。


「オットー」


「ああ」


 老人が頷いた。


「どの部屋で受け取っても、最低数は確保できる配置になっている。計算通りだ」


「全部回収する。工房に戻る」



 城塞区を出てポジーチーの工房に戻ったのは、昼をだいぶ過ぎた頃だった。


 オットーが作業台の上に八つの断片を並べた——城塞区で回収した五つと、カールから預かってある三つの品(燭台、文鎮、印章入れ)。八つが初めて一堂に会した。


 老人がゆっくりと一つずつ手に取り始めた。マルクスは離れた位置に立ち、待った。エリカは羊皮紙を広げ、記録の準備をしている。


 長い沈黙だった。


 オットーが最後の一つを台に戻した時、部屋の光が傾いていた。夕刻が近い。


「……分かった」


 老人が顔を上げた。目に、何か険しいものがある。


「遅延性呪殺術式の亜種だ」


 マルクスが動かなかった。


「発動のトリガーは——手渡しの行為そのものだ。カールたちが代表の手に品を渡す、その瞬間に断片が代表の至近に揃う。揃った瞬間に術式が完成する設計になっている」


「最低発動数は」


「五つだ。八つのうち、五つが代表の周囲に揃えば発動する。カールたちの三つに加えて——既設断片のうち二つ以上が代表の近くにあれば、それで足りる」


「執務室だけで二つあった」


「ああ。だから、どの部屋で受け取っても発動する。廊下で立ち話になっても、執務室でも、応接室でも——どこにいても代表の周囲に二つ以上の断片がある計算になっていた。五つ仕込んであったのは、その冗長担保だ」


 エリカが羊皮紙を握る手に力を込めた。


「……どこで受け取っても逃げられない、ということですか」


「受け取る側が何も知らない限りはそうだ」


 オットーが続けた。


「さらに——これは急性ではない」


「……徐々に効く型、ですか」


「数日から二週間かけて、持病の悪化に見せかけて仕留める設計だ。心臓への負荷を徐々に蓄積させる——急に倒れるのではなく、体調が悪化するように見えて、やがて」


 沈黙が落ちた。


 しばらくして、エリカが口を開いた。


「……一つ、聞いていいですか」


「何だ」


「遅延発動なら、式典の日には何も起きない。数日後に体調が悪化するとしたら——その時点では、もう献上品との結びつきは証明しにくい。それだと、カールさんたちを罠にはめるには……間に合わない気がします」


 マルクスは少し間を置いた。


「断片が見つかれば、それで済む」


「……え」


「発動したかどうかは関係ない。呪殺の道具が、誰の手で城塞区に持ち込まれたか——それだけで充分だ」


 エリカが息を飲んだ。


「遅延は、暗殺が成功した場合の話だ。首席代表を自然死に見せかけるための設計だ。だが断片が露見した場合——カールたちが凶器の運搬者として疑われる。設計が発動したかどうか、誰も確かめる必要はない」


「……罠の出口が二つある」


「そうだ。成功すれば首席代表が死ぬ。失敗して露見すれば、改革派が凶器の運び人として終わる。どちらに転んでも、仕掛けた側は傷つかない」


(——ペトルの件)


 マルクスの頭に、あの「過労による心臓の発作」が浮かんだ。入札前夜。不自然なタイミング。急病という形で舞台から消えた男。


(同じ設計思想だ。直接手を下さない。痕跡を残さない。時間をかけて、自然死に見せる)


「……完全に計算された設計だ」


 マルクスは静かに言った。感情ではない。確認として。


「ああ」


 オットーが頷いた。


「設計した者は、人の死を時間をかけて演出することに慣れている。……嫌な職人だ」



 無力化の作業を、その夜から始めた。


 方針はマルクスが決めた。


「壊すのは簡単だ。だが構造を記録してから壊す。同じ手口で再犯されないように」


 エリカが羊皮紙と焦点具を構えた。マルクスが一つずつ術式を展開し、構造を読み上げる。接続の手順、端の処理の方式、発動の条件式——エリカがそれを正確に書き留めていく。オットーが側で補足し、誤りを指摘する。地味な作業だ。


 断片の一つを完全に記録し終えたところで、マルクスとオットーが手分けして無力化する。術式の接続点を断ち、発動の条件を崩す——壊すわけではない。ただ、もう合わさっても完成しない形にする。


 三つ目が終わった頃、外は完全な夜になっていた。


 五つ目を終えた時、燭台に灯を足した。


 七つ目の作業中、エリカが一度だけ小さなミスをした。オットーが指摘した。


「……ここの接続、もう一度」


「はい」


 エリカが羊皮紙を確認し、書き直した。表情に疲労はあるが、手が止まらない。


 八つ目——カールが持参した燭台だ。三つの品の中でも最も術式の層が複雑な、「核」に相当する断片。マルクスが時間をかけて読み上げ、オットーが確認し、エリカが記録した。無力化の手順も慎重に踏んだ。


 終わったのは、夜が深く更けた頃だった。



 エリカが完成した記録文書を丁寧に巻き、紐で縛った。


「……終わりましたね」


「ああ」


 三人は、しばらく黙っていた。


 作業台の上に、八つの断片が並んでいる。花瓶の底の銅板、棚の石の器の台座、額絵裏の木片、小像の台座、椅子脚の留め具、燭台、文鎮、印章入れ——どれも今は、ただの工芸品と装飾品と小道具だ。呪いは、ない。


 オットーが小さな焜炉コンロを確かめ、薬缶を乗せた。昨夜と同じように。


 しばらく沈黙が続いた。薬缶が静かに音を立て始めた頃——


「……マルクス」


「何だ」


「おまえはいつから、こんな仕事をするようになったんだ」


 マルクスは少し間を置いた。


「なり行きだ」


 オットーが薬缶の蓋を確かめ、炎の具合を見た。


「そうか」


 老人は、それ以上は言わなかった。ただ、短く続けた。


「……なり行きで正しいことができる人間は少ない」


 マルクスは答えなかった。


 薬缶が鳴り、湯気が立った。老人が三つの杯に茶を注いだ。エリカが両手で受け取り、静かに口をつけた。


 工房の外は、静かな夜だ。職人地区の夜は早い。どこの炉も消えていた。


(第4節 了)


---


### 解説:遅延性呪殺術式ディレイド・キル


通常の呪殺術式が即時的な効果(急性の体調悪化・致死)を狙うのに対し、この術式は効果を時間分散させる設計だ。


**特徴:** 発動後すぐには何も起きない。標的の体内に蓄積型の負荷を与え、数日から数週間かけて「持病の悪化」「過労による体調不良」として発現する。急性でないため、魔法的な原因と気づかれにくい。


**設計の意図:** 発動のタイミングと効果発現のタイミングをずらすことで、因果関係を隠蔽する。術式が式典当日に完成しても、標的が倒れるのはその後——式典との関連を立証することが困難になる。


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### 解説:冗長配置リダンダント・デプロイメント


この術式の既設断片が「必要最低数よりも多く」仕込まれていたのは、配置の冗長担保のためだ。


**設計の論理:** 発動には五つの断片が代表の至近に揃う必要がある。カールたちが届けるのは三つ——したがって、代表の周囲に既設断片が二つ以上あれば条件を満たす。しかし代表が式典当日どの部屋にいるかは事前に確定しない。そこで「代表が立ち回るすべての部屋に、それぞれ最低二つ以上の断片が常に近くにある」ように五つを分散配置した。どこで受け取っても条件が満たされる。


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### 解説:解析魔法の広域走査


エリカが城塞区の捜索で用いた手法だ。


通常の解析魔法は対象を精細に読み解くために使う。しかし「どこにあるか分からない断片を広い範囲から探す」という用途では、精細さよりも範囲と速度が求められる。


エリカはこれを「走査の粒度を粗くする」ことで実現している——一点を詳しく読む代わりに、広い空間に薄く術式の波を走らせ、「何かある」場所だけを浮き上がらせる。精細な鑑定はその後でマルクスとオットーが担当する、という役割分担だ。


今回はさらに「事前の配置予測」によって探索対象を絞り込んでいる——闇雲に全区域を走査するのではなく、「代表が立ち回る部屋」という論理的な絞り込みを先に行った上で走査する。推論と技術の組み合わせだ。



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