第3節:二重の罠——計画の全容
三人は、しばらく沈黙していた。
オットーの工房。作業台の上に三つの品。壁際に積まれた鑑定資料と道具の箱。窓の外に、初秋の夕暮れが差しかかっている。
エリカが、燭台を一度手に取り、静かに台に戻した。
「……一つ、整理させてください」
マルクスが目を向けた。
「単体では保護術式に見えるものを、わざわざ細かく分割して配置する。手間がかかりすぎる設計です。検出回避だけが目的なら、もっと単純な手口がある。この設計にした理由が、別にある気がして」
「続けろ」
「……カールさんたちが届ける、ということが、重要なんじゃないかと思います」
オットーが、眉をわずかに上げた。
「もし計画が途中で発覚したとして——献上品を届けようとした人間が疑われます。若い改革派の貴族が、首席代表への暗殺魔道具の運搬者として疑われることになる。そうすると——」
「暗殺が成功すれば首席代表が死ぬ」
マルクスが、静かに言葉を引き取った。
「失敗が露見すれば——改革派の若い貴族が失墜する。どちらに転んでも、計画した側が傷つかない」
「二重の罠だ」
オットーが、腕を組んだ。窓から射す光が、老いた顔の皺を深く刻んでいた。
「設計した者は、暗殺だけを目的にしていない。暗殺と、政治的な打撃——二つを同時に狙っている。目的が失敗しても損がない。……いや、それどころか」
「失敗しても、政敵を潰せる。暗殺の成功は、あくまで上振れだ」
エリカが、短く息を吐いた。
「……卑劣な」
「卑劣で、論理的だ」
マルクスは答えた。感情ではなく、確認として。
*
「この術式の設計——仕掛けた者の手癖が、以前見た何かと一致するとお前が言っていた」
マルクスが、オットーに問うた。
老人は少し間を置いた。三つの品を順に見て、それから燭台の台座を指の腹でゆっくりと撫でた。
「……行政局にいた頃の話だ。似た術式の断片を鑑定したことがある。当時は断片とは分からなかった——他の案件と照合して、後から繋がった。単体では完全に見え、合わさった時にはじめて完成する。この発想を、ここまでの精度で実現できる者は少ない」
「その術師が誰か、分かったか」
「分からなかった。証拠がなかった。依頼人も、術師も、足がつかなかった」
オットーが燭台を台に戻した。
「だが、術式の指紋は残る。設計した者の癖だ。今回の品に、同じ癖が見える」
(——同じ手が動いている)
マルクスは何も言わなかった。ペトルへの工作。今回の分割型。西の離島域の技術。線が、静かに繋がりつつある。確証がある話ではない——だが、確証がない段階から見えている線は、大抵は正しい。
(今は城塞区の断片だ。繋がりを追うのは、次の仕事になる)
「イジーに連絡する」
マルクスが立ち上がり、懐から通信石を取り出した。黒い石に、連邦首席代表府の紋章が刻まれている。行政局の件で、ズデニェクから直接渡された公式通信具だ。
*
通信石が淡く光を帯びた。
「……はい」
石の中から、低く落ち着いた声が返ってきた。イジー・ストラーカ——ズデニェクの秘書官だ。エリカが行政局の仕事で顔を合わせた際、同じ場所にいた男だ。声に聞き覚えがある。
「マルクス・アッシュベルクだ。急ぎの件がある」
「……少々お待ちください」
短い間があった。足音がして、扉が閉じる音がした。静かになってから、声が戻った。
「——お聞きします」
「式典への献上品を調べている。城塞区に、術式の断片がすでに配置されている可能性が高い。首席代表の執務室周辺を調べさせてほしい」
「……断片、というのは」
「分割型呪殺魔法の断片だ。単体では保護術式に見える。通常の検査では通り抜ける。式典当日に全断片が揃った時点で発動する」
沈黙があった。短い沈黙だったが、密度があった。
「……分かりました。調整します。何名で参りますか」
「三名だ。私と、連れが二人」
「明朝、手配します。城塞区への一時立入許可証を用意しておきます」
マルクスが続けた。
「もう一つ頼む。クラウゼンベルク侯爵家の嫡男が学友の若い貴族を誘い、複数人で献上品を届ける段取りになっている。他の若い貴族家にも、同様の誘いが届いていないか確認してほしい。同じ手口を複数の経路で使っている可能性がある」
「……確認します」
「頼む」
通信石の光が消えた。
オットーが、横から口を開いた。
「……できる秘書官だな。こちらが言い切る前に、方向が見えている」
「連邦首席代表の懐刀だ」
「そうか」
エリカが、三つの品を丁寧に布で包みながら言った。
「明朝から城塞区ですね」
「ああ。六時に、ここへ来い。オットー、工房を集合場所に使わせてもらう」
「構わん」
オットーが、ゆっくりと椅子に背を預けた。長い夕刻だった。鑑定、推理、連絡——老いた体には、それなりの重さがある。
「エリカ、一つ聞いていいか」
オットーが、エリカに目を向けた。
「……はい」
「広い範囲を短時間で走査する解析魔法——城塞区の広さで、どの程度まで対応できる」
「正確には分かりません。試したことがない広さです。ただ——術式の密度が高い場所と低い場所を大まかに区別するくらいなら、相当な範囲をカバーできます。精細な読み取りは別で」
「それで充分だ。広く当たる担当はお前。精査するのはマルクスと私で分担する。でなければ三日では足りない」
「……分かりました」
エリカが外套を手に取った。窓の外は、完全に暮れている。
「今夜は帰れ。朝が早い」
マルクスが言った。
「はい。では——先生、オットー様、また明朝」
エリカが工房を出た。廊下で靴音がして、遠ざかる。路地に出た音がして、消えた。
*
工房に、マルクスとオットーの二人が残った。
しばらく、どちらも口を開かなかった。オットーが棚から小さな焜炉を取り出し、薬缶を乗せた。茶でも淹れるつもりらしい。
「……マルクス」
「何だ」
「城塞区の断片探しは、一筋縄ではいかん」
「分かっている」
「三日で終わる保証はない。一つ見落とせば——式典当日に、全部が無駄になる」
「分かっている」
マルクスは短く答えた。
オットーが薬缶の蓋を確かめ、焜炉の火加減を見た。
「もう一つ言っておく。この件が終わった後——術式の出所を辿れば、誰が作り、誰が依頼したかに繋がる。そこまで踏み込むつもりか」
マルクスは答えなかった。
(——今の俺には踏み込む力がない。証拠もなければ、権限もない。追える立場にもない)
「今は——式典を止めることだけ考える」
「そうか」
オットーが、小さく頷いた。それ以上は言わなかった。
薬缶が音を立て始めた頃、マルクスは立ち上がり、外套を取った。
「明日の六時に来る」
「早すぎる」
「六時だ」
「……六時半にしろ」
「六時だ」
オットーが、ふっと笑った。皺だらけの顔に、珍しい表情だ。
「バーボフカの残り、持っていくか」
「お前が食え。手土産にした意味がなくなる」
「半分しか食っていない」
「夜に食え」
マルクスは扉を開けた。路地の夜気が流れ込んでくる。石畳が月光を返し、遠くで川の水音がしている。
「おやすみ、オットー」
「……気をつけて帰れ」
扉が閉まった。
路地は静かだ。職人地区の夜は早い。工房の明かりが石畳に薄く落ちているほかは、どこも暗い。
マルクスは歩きながら、懐の通信石の重さを確かめた。
(——四つから六つ。城塞区のどこかに、既設断片が隠れている)
城下街を北に向かい、橋へ出る。初秋の川風が、冷えた水の匂いを運んでくる。
(三日で終わらせる。それだけだ)
橋を渡り、旧市街の石畳を踏みながら、マルクスは歩き続けた。
(第3節 了)
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### 解説:二重の罠
分割型呪殺魔法と、正規の配送ルートを汚染するサプライチェーン攻撃(Supply Chain Attack)を組み合わせた計画の構造だ。
**成功した場合:** 式典当日、全断片が首席代表の周囲に揃い、呪殺術式が発動する。
**発覚・失敗した場合:** 献上品を届けようとした改革派の若い貴族が、暗殺魔道具の運搬者として疑われる。意図的に選ばれた「無自覚な運び人」が、疑惑を一身に受ける。
**設計の意図:** どちらに転んでも、計画した側が政治的利益を得る。暗殺の成功は上振れに過ぎず、改革派への打撃そのものが本来の目的である可能性がある。
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### 解説:術式の指紋
術師が術式を組む際に残る、設計上の癖や手癖のことをオットーはこう呼ぶ。プログラマーのコーディングスタイルに似ている。同じ問題に対して同じ解決策を選ぶ傾向、特定の接続処理の方式、端の処理の仕上げ方——こうした細部の積み重ねが、術師ごとに固有のパターンを形成する。
高度な術師は意識的に癖を消そうとするが、完全に消すことは難しい。複数の案件にまたがって同じ指紋が現れた時、それは同一の術師の関与を強く示唆する証拠になる。証拠として法的効力を持つかどうかは別問題だが、調査の方向性を定める手がかりとしては有効だ。




