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氷河期(アイスエイジ)の魔法使い  作者: よん
第6章:「散らばった呪い」

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第1節:カール・フォン・ベッカーの来訪

 協定歴四一二〇年、初秋。

 アルカの石畳に、乾いた風が吹き始めていた。通りの木々の葉は、まだ完全には色づいていない——が、端から黄みが入り始めている。夏とは違う、澄んだ空気だ。


 この季節になると、連邦中から人が集まってくる。連邦議会定例開会式。各地の有力貴族と行政官が首都アルカに参集する、年に一度の大きな式典だ。城塞区の宿は一月前から塞がり、城下街の往来は余所行きの顔であふれる。


 若い貴族の嫡男にとって、この開会式は政治的な通過儀礼でもある。初めて父に随伴して式典に参席し、連邦首席代表への挨拶の献上品を届ける。執務室を飾る装飾品、書斎に置く文具、地方の特産品——品々は贈り主の家格と教養を示す。複数の嫡男が連れ立って届けることも多く、それ自体が社交の場になる。


 そういう季節の、ある朝のことだった。



 ストジーブルナー・ルーナ(Střibrná Luna)の二階作業室。マルクスは焦点具の修繕に向かっていた。夏の間に酷使された調整式の杖で、内部の術式配置が目に見えて解れている。一から確かめながら細かくパスを修正していく——秋の仕事の始まりは、たいてい前の季節の後始末だ。


 一時間ほど向かっていると、目の奥が重くなった。細かい術式を追う仕事は、四十代になってから目に来る。(若い頃は一日中でも平気だったが)——そう思うが、言ったところで何も変わらない。手元から目を離し、軽く目を閉じた。


 階下から声がした。来客だ。


 杖を置いて椅子を引き、腰に短い張りを感じながら立ち上がった。一瞬だけ体を伸ばして、階段を下りた。



 応接の間に入ってきたのは、カール・フォン・ベッカーだった。


 二十代の前半。細身の体つきだが姿勢が良い。一年以上の付き合いになる——顔が、少し大人になった。


「アッシュベルク殿」


 カールが軽く頭を下げた。一年以上の付き合いになる——顔が、少し大人になった。


「……まあ、座れ」


 向かいに腰を下ろした。茶を頼んだ。


「……少し、相談があって参りました」


「聞こう」


 カールが話した。


 今年、初めて連邦議会定例開会式に参席する予定だ。学友のフリードリヒ・フォン・クラウゼンベルク——クラウゼンベルク侯爵家の嫡男——から声をかけられた。「一緒に首席代表への献上品を届けよう」と。


(——レティシアの家か)


 一年前の魔法学院の件を思い出す。闇の魔法商人グレゴール・シャドウに利用され、エリカたちの研究成果を奪おうとした侯爵令嬢——その実家がクラウゼンベルク侯爵家だ。現当主の妻はブレンナー公爵家の出で、事件後は二つの貴族家が揃ってもみ消しを図った。公爵の名は表に出なかったが、ズデニェク首席代表の政敵であることは変わらない。先だっての行政局の件でも、同じ意志の影がちらついていた。


 マルクスはカールの話に耳を戻した。


 フリードリヒが品々を用意し、カールは連れ立って届けるだけ、という話だったが——


「……父が、念のため確認しろと申しました。以前の件もありますから」


 茶が運ばれてきた。野バラの実のシープコヴィー・チャイだ。深い赤みがかった水色に、ほのかな酸味の香りが立つ。初秋の定番だ。カールが両手で受け取り、短く頭を下げた。


(——ベッカー子爵は、息子に正しいことを教えた)


 貴族の交際の場で、相手の献上品を疑えば角が立つ。それを承知の上で「念のため確認しろ」と言えた父親の判断を、マルクスは内心で評価した。


「品物は持ってきたか」


「はい」


 カールが懐から取り出したのは、蓋付きの木製小箱だ。布が丁寧に畳まれ、三つの品が収まっている。


 精緻な卓上燭台——銀製で、三股に枝分かれした細工が施されている。彫刻入りの大理石製文鎮——貴族の書斎に置くにふさわしい、重みのある品だ。蓋に紋様が刻まれた銀細工の印章入れ——手のひらに収まる大きさ。


 いずれも上質だ。貴族の嫡男が首席代表に届ける献上品として、申し分ない品格がある。


「……見たところ、ただの工芸品だと思うんですが」


 カールが、少し申し訳なさそうに付け加えた。


「念のための確認だろう。それでいい」



 カールが退出した後、マルクスは作業室に三つの品を並べた。


 まず肉眼で観察する。——問題はない。上質な工芸品だ。銀の細工は連邦西部の職人の仕事に見える。


 次に、焦点具を通して。——わずかにマナの気配がある。高級工芸品には保護や防汚の術式を施したものがある。その範囲とも取れる。


 だが——


 マルクスは真理視デバッガーを展開した。


 術式の構造が視野の中に浮かぶ。燭台の台座に薄い魔法陣の層が見える。文鎮の内部にも。印章入れの蓋の裏にも。


「……これは」


 表の層は、確かに保護術式だ。だが——その奥に、別の術式陣が畳まれている感覚がある。


 構造が綺麗すぎる。保護目的の術式は、たいてい配置が粗い。実用を前提としない分、精度よりも見栄えが優先される。これは違う。幾何学的な精度がある。術式の密度も均一だ。


 それと——端が開いている。


 何かに接続することを前提とした構造だ。完結していない。


(……断片、か。だが)


 確信が持てなかった。これが本当に装飾術式なのか、それとも何かの断片なのか——マルクスの目では判断がつかない。装飾に偽装された何かである可能性を排除できないが、それを断定できるだけの根拠もない。


(俺には分からない。……これが誰かの仕事なら、俺より上の目が要る)


 真理視を解いた。三つの品は変わらず、美しい工芸品として卓上に並んでいた。


 マルクスは立ち上がり、応接の間に戻った。カールはまだ待っていた。


「品物は預かる。少し時間をくれ」


「何か分かりましたか」


「分からないから預かる。分かったら話す」


 カールが、静かに頷いた。このやり取りの呼吸が、一年で合うようになった。


「承知しました。お待ちします」


「急ぎか」


「……式典は三日後です」


「分かった」


 カールが辞去した。足音が石畳に消えていく。


 作業室に戻り、窓際の台に三つの品を置いた。初秋の光が差し込み、銀細工の燭台を淡く照らしている。


 懐から通信石を取り出した。


 呼ぶべき人間の顔が、頭の中にある。


(第1節 了)


---


### 解説:野バラの実の茶(Šípkový čaj)


初秋から冬にかけて、アルカ周辺で広く飲まれるハーブティー。野バラ(šípek、シープク)の実が赤く熟す季節に摘み取り、乾燥させて保存する。


**外見と香り:** 深い赤色から橙色の水色。甘さの中にほのかな酸味が漂い、温かみのある香りが立つ。


**味わい:** 軽い酸味が特徴だが、苦みはほとんどない。蜂蜜を少量加えるとまろやかになる。寒くなり始めた朝や、少し疲れた体に、温かく馴染む茶だ。


**用途と文化:** 初夏の菩提樹の花茶と並んで、アルカの家庭や職人の工房に根付いた季節の茶だ。夏の終わりを感じ始めた頃から棚に並び始め、春先まで飲まれる。マルクスの事務所では、季節が変わると茶も変わる。


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