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氷河期(アイスエイジ)の魔法使い  作者: よん
第4章:「新しい環境」

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第4節:自分の武器——軽量フレームワークの実戦投入

 日曜の夕方。エリカはアストラル商会の寮室に戻り、机の前に座った。


 ストジーブルナー・ルーナを出る前に、マルクスと昼を食べた。質素な食事だった。それよりも——茶を飲みながら、ぽつりぽつりと話した時間の方が、むしろ腹に溜まった気がする。帰りの橋を渡る頃には、足取りがいくらか軽くなっていた。


 部屋に入って最初にしたことは、魔導書を開くことだった。


 軽量フレームワーク。学院で、リブシェと一緒に作り上げた術式群。卒業してからは、使っていなかった。


 エリカは演算領域を展開した。指が、半ば忘れていた手順を思い出すように動く。古い木の杖が、慣れ親しんだ感触で魔力を受け取る。


(……久しぶりだな)


 班のスキル構成表を、改めて読み直した。防衛魔法陣の結合検証。三段階の依存関係ディペンデンシー。最新焦点具を前提とした出力規定。


 問題はすでに把握している。あとは、別のやり方でそれを解くだけだ。


 エリカは標準スキルの魔法陣を展開し、内部を解析し始めた。スキルを解体する——パッケージの中身を開いて、防衛魔法陣の本質的な処理と、汎用性のために積み上げられた冗長な部分とを見分ける。そして冗長な部分を削ぎ落とし、残った骨格に軽量フレームワークを組み込んで再構築する。カーネルを手元で組み直すような作業だ。


 完成したものはスキルだ。ただし——不要な依存を切り離した、自分仕様の再構築版。版不整合は再構築の段階で消える。焦点具の出力規格も、余分な処理を省いた分だけ古い焦点具でも対応できる。出力は落ちない。むしろ無駄を取り除いた分だけ、マナ効率が上がる。


 もう一つ。班の標準スキル版も、並行して用意しておく。二つを並べて比較する形にすれば、提案として出しやすい。


 灯りの魔道具が揺れる部屋で、エリカは夜中まで魔法陣を書き続けた。



 月曜の朝。エリカは書類の山に囲まれたトマーシュを捕まえた。


「少し、いいですか」


「ああ、何だ。立ち話でいいか、今ちょっと立て込んでいて」


「はい、短く済みます」


 エリカは魔導書を開き、二つのページを並べて見せた。


「先週の防衛魔法陣の結合検証、二つの版を用意しました。一つ目が、スキル構成表に従った標準版。二つ目が、軽量フレームワークで組み直した代替版です」


 トマーシュが手を止めた。書類から目を上げ、エリカの魔導書を覗き込む。


「……スキルを組み直したのか、これ」


「はい。標準スキルを解体して、軽量フレームワークを組み込んで再構築しています。依存関係ディペンデンシーを再構築の段階で切り離しているので、版不整合が起きません。マナ伝達効率の問題も、冗長な処理を省いた分で回避しています」


「性能は」


「出力は標準版と同等です。マナ効率は三十パーセント以上改善します。動作確認も済んでいます。古い焦点具でも、規定値を満たしています」


 トマーシュは少しの間、魔導書を見ていた。多忙な班長にしては長い沈黙だった。


「面白い」


 ぽつり、と言った。


「検証を、正式に記録しながらやり直してみよう。両方の版で。——ルカーシュも付き合ってくれ」



 検証は、ギルドの実験室で行われた。


 標準版は——ルカーシュの最新焦点具で、完璧に動いた。エリカの古い焦点具では、やはり規定値に届かない。これは想定内だった。


 軽量フレームワーク版は——エリカの古い焦点具で、正確に動いた。マナ消費は標準版より大幅に少ない。ルカーシュが試したところ、最新焦点具でも同様に動いた。


「測定値——標準版との比較で、マナ効率が三十二パーセント上」


 ルカーシュが読み上げた。少し呆けたような顔をしている。


「スキルを解体して再構築して、これだけ安定するのか。……どうなってるんだ」


「依存スキルがないから、環境に依存しないんです」


 答えながら、エリカは少し驚いた。マルクスが先週使った言葉を、そのまま自分が口にしていた。


「……これは使えるぞ」


 トマーシュが腕を組んだ。


「野外任務で焦点具が損傷した場合のフォールバック(代替手段)になる。最悪、出力規格を問わず展開する必要が出た時に——標準版しか持っていない班は詰まるが、この版があれば動ける」


「焦点具を選ばない設計、か」


 ルカーシュが呟いた。不思議そうな、しかし悪くない顔をしていた。


「班の標準手順に並列で持っておく。ダルジェントくん、文書にまとめてくれるか」


「はい」


(……やれた)


 エリカはその言葉を、心の中でだけ繰り返した。



 翌週。野外任務の通知が来た。


 アルカ近郊の低地に、霧渡り(ムラジャ)の群れが確認された——との報告だった。出発前の説明で、トマーシュが手短に言った。


「霧渡りは、全身から霧状の魔力を滲ませる魔獣だ。この霧が持つ霧散クローキングの特性がスキルの命中精度に干渉する。うまくいけばスキルが不発になることもある」


 ルカーシュが眉を上げた。


「スキルが不発? 厄介だな」


「念のため代替スキルを複数用意しておいてくれ。主力が通らなかった場合に備えて」


 それから、エリカを一度見た。


「ダルジェントくん。先週まとめてくれた軽量フレームワーク版、今日持ち出してみてくれ」


「はい」


 エリカは頷いた。



 現場に着いた時、低地には薄い靄が漂っていた。


 自然の霧ではない。地面すれすれを流れるその靄は、近づくほど密度を増し、触れるだけで魔力的な揺らぎを感じる。スキルの照準系がこの揺らぎに干渉される——説明でそう聞いていたが、実際に肌で感じると、理屈より先に体が警戒した。


 木立の影から、一体目が滑り出してきた。全身から霧を滲ませた輪郭。輪郭が定まらないぶん、位置の把握がしにくい。体格は中型の犬ほど。しかし足運びが速く、低い重心で接近してくる。


「来るぞ」


 前衛の班員が低い声を出した。


 ルカーシュがスキルを展開した。詠唱は完璧だった。しかし——魔力が霧に絡まった。照準が半歩ずれ、スキルは霧渡りの脇を通り抜けた。


「——くそ」


 即座に別のスキルへ切り替える。今度は発動した——しかし出力が落ちていた。霧散クローキングの干渉で、精度が低下している。霧渡りはそれをものともせず、前衛に向かって牙を向けた。


(スキルが通らない。——照準系が、霧に引っ張られている)


 エリカは息を吸った。


 演算領域を開く。魔導書の再構築版を呼び出す——事前に解体・再構築しておいた拘束術式だ。


(——再構築の時、自動照準の処理を読んだ。中身が分かれば、切ることもできる。霧散クローキングが照準計算に干渉するなら——今はオフでいい)


 照準は自分の目と体の向き、魔力の手応えだけが頼りだ。霧渡りの位置を捉え、術式を展開する。学院の修了研究で何百回と繰り返した手順。マルクスに昨週叩き込まれた感覚。


 展開。


 霧渡りの前脚に魔法が直撃した。


 一瞬、場が止まった。


「……今、スキルを使ったか?」


 ルカーシュが、呆気にとられたような声で言った。


「使っていません」


「再構築して、あの精度——」


 態勢を崩した霧渡りに前衛が追撃した。そのまま仕留める。続けて二体目が木立の向こうから滑り出てきた。


 エリカは既に演算領域を組み直していた。


 再構築版は、冗長な処理を省いた分、展開が速い。マナの消費も少ない。照準計算を切り離してあれば——霧には、引っ張る先がない。


 二体目は側面から。三体目は、前衛の班員と挟む形で。霧渡りの群れが四散し始めると、残りは退いていった。


 低地に、静寂が戻ってきた。


 エリカは演算領域を閉じた。息が少し乱れていた。照準を切った分、目で補う。スキルをそのまま呼び出すより集中力を使う——それは学院の修了研究の時から変わっていない。しかし、霧が充満した現場で標準スキルが軒並み通らない中、再構築版だけが確実に動いた。それは事実だ。


(霧散への対処は、今日分かった。次の交戦までに照準系のパッチを当てておく——霧の干渉下でも使える形に)



 帰り道。トマーシュがエリカの隣を歩いていた。


「スキルを基礎段階まで分解して使う新人は珍しい」


 前置きなしに、そう言った。しみじみとした声だった。


「——誰に教わった?」


「学生時代に知り合った、あるギルドの顧問に」


「学生時代に」


 トマーシュが少し間を置いた。


「……そうか」


 それだけ答えた。


 少し後ろで、ルカーシュが「学生時代の知り合い、か……」と呟いていた。不思議そうな声だった。


 エリカは前を見た。


 夕暮れの光が、低地の草原を橙色に染めていた。霧はもう薄れている。遠くに首都の輪郭が見える。


(先生)


 心の中で、ひとこと呼んだ。


(できました)


 それから少し間を置いて、もう一つ。


(次は、もっとうまくやります)


 足音が、石畳の上に続いていく。


(第4節 了)


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