表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
氷河期(アイスエイジ)の魔法使い  作者: よん
第4章:「新しい環境」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

23/30

第3節:師匠の元へ——休日の再会

 休日の午前。


 ストジーブルナー・ルーナの事務所は、いつもより人の気配が薄かった。旧市街の石畳に朝の光が斜めに差し込み、ギルド街の通りはまだ静かだ。


 エリカは、見慣れた扉の前で立ち止まった。


 学院にいた頃は、何度もくぐった扉だ。悩んだ時、行き詰まった時、ただ話を聞いてほしい時。受付の若手と顔なじみになるくらいには、通い詰めていた。


 それが今年の春から、手紙になった。


 エリカは小さく息を吸い、扉を開けた。



「マルクスさん、お客さんです」


 受付の若手が奥に声をかける。以前より少し背が伸びた気がする。エリカは頭を下げた。


「お久しぶりです」


「ああ、ダルジェントさん。どうぞ、上がってください」


 奥の執務室へ続く廊下を歩く。板張りの床、古い額縁、壁の棚に詰め込まれた書類。何も変わっていない。変わっていないことが、少し胸に沁みた。


 扉をノックした。


「入れ」


 低く、落ち着いた声。それも変わっていない。


 マルクス・アッシュベルクは、机の前で古い魔導書を開いていた。白髪が増えた気がする。それ以外は——質素なローブも、灰色の瞳も——二年前と同じだった。


「……お久しぶりです、先生」


「来たか」


 マルクスは魔導書を閉じ、椅子を引いた。灰色の瞳が、一度エリカをまっすぐに見る。それだけで充分だという顔だった。


「まあ座れ。茶を淹れよう」


 責めるでもなく、感傷的になるでもなく。ただ当然のことのように、棚の上のポットに手を伸ばす。


 エリカは椅子に座り、部屋を見渡した。机の上に積まれた書類。壁に並んだ古い焦点具と魔導書。遺跡から持ち帰った石板の破片が、標本のように棚に並んでいる。


 学院の実習室より狭い。設備も古い。しかし——ここには何かがある。言葉にしにくい何かが。


 マルクスが、二つの湯呑みを机に置いた。


 薄い香りの茶。マルクスがいつも飲む、癖のない草茶だ。


「……何かあったんだろう。話してみろ」



 エリカは話した。


 入団初日のこと。スキル構成表の版不整合。古い焦点具では規定の出力に届かないこと。最初の実戦任務で後衛に回されたこと。


 マルクスは口を挟まなかった。湯呑みを持ち、時折頷くだけだ。エリカが話し終えるまで、何も言わない。


 「……以上です」


 ひと通り話し終えて、エリカは湯呑みに目を落とした。


「方法は考えました。焦点具を新しくするか、今の焦点具に合わせて魔導書側を調整するか——でも、どちらも今すぐは難しくて」


「焦点具の調整なら、こちらで診てやれる。——ただ、それで問題が解決するか」


 マルクスが、静かに聞いた。


「……たぶん、しないと思います。道具を変えても、今の環境に合わせるだけでは、根本は変わらない気がして」


「そうだな」


 マルクスは湯呑みを置いた。


「今すぐ買い替えられないなら、その制約の中で戦う方法を考えるしかない。——で、その制約、君はもともと得意だったはずだ」


 エリカは顔を上げた。


「古い焦点具でも動く軽量フレームワーク。学院であれを作った時、君は環境を選ばない魔法を目指していたんじゃないのか」


「……はい。でも、あれは学院の課題で——実務とは話が違います」


「課題だろうが実務だろうが、考え方は同じだ」


 マルクスの声に、強さが出た。諭すような、しかし揺るがない確かさがある。


「最新の焦点具を前提にした設計は、フィールドで何かが起きた時に脆い。君はそれを知っているはずだ。——自分で設計したんだから」


 エリカは黙った。


「今の環境で苦しんでいるのは、君の力が足りないからじゃない。君がすでに持っている武器を、まだ使っていないだけだ」


 言葉が、胸の中に落ちた。


(持っている武器を、まだ使っていない)


 使えない、のではない。使っていない。——確かに、そうだった。アストラル商会に入ってから、軽量フレームワークを一度も触っていない。スキルの構成表を追うことで精一杯で、自分の手でゼロから組むことを考えていなかった。


「……私、自分のやり方を捨てようとしていたのかもしれません」


「気づいたか」


 マルクスは立ち上がった。


「立て。訓練場を借りる」



 ストジーブルナー・ルーナの訓練場は、事務所の裏手にある。広さは大手ギルドの施設には遠く及ばないが、必要なものは揃っていた。的。測定用の魔力計。照明に使う魔道具。


「学院の修了研究で、スキルの中身を自分で組み直していたな」


 マルクスが壁際に腰を下ろした。見るだけだ、という姿勢だ。


「あれをもう一度やってみろ」


「……あの時は、焦点具の性能が足りなくて仕方なく——」


「仕方なく、ではない」


 マルクスの声は穏やかだが、切り捨てるような明確さがあった。


「あれは立派な技術だ。胸を張れ」


 エリカは焦点具を構えた。古い木の杖。使い込まれた木目に、指が馴染む。


 目を閉じた。


 スキルではなく——演算領域で、直接、魔法陣を組む。魔力の流れを手で捏ねるような感覚。パッケージ化されたスキルを呼び出すのではなく、自分の手で式を書く。


 最初は、ぎこちなかった。学院を出て以来、ずっとスキルに頼っていた。その感覚が、筋肉の記憶のように残っている。


 しかし——指が覚えていた。


 魔力が、焦点具を通じて滑らかに流れ出す。冗長な部分を省き、必要な構造だけを残した魔法陣が、エリカの演算領域に形を成す。


 展開。


 魔力計の数値が跳ね上がった。


(——動いた)


「測定値を見てみろ」


 マルクスが顎でしゃくった。エリカは測定値を確認した。スキルを使った時より出力は落ちる。しかし——消費したマナは、三分の一だった。


「既製スキルは便利だ。しかし中身を知っていれば、同じことを半分のマナでできる。君はそれを学院で証明した」


「……できました。久しぶりに、ちゃんと動きました」


「まあな。三ヶ月もやっていなければ、最初は誰でも鈍る」


 マルクスが立ち上がり、的の前に歩いた。


「もう一度。今度は攻撃系の魔法陣で」


 エリカは頷いた。


 もう一度、演算領域を開く。今度はより速く、より自然に。学院時代の感覚が、少しずつ戻ってきた。


 数回繰り返すうちに、指が迷わなくなった。


 壁際のマルクスが、腕を組み直した。測定値から、エリカの手元へ——灰色の瞳がゆっくりと移動した。何も言わない。



 ひと通りの指導が終わり、二人は訓練場の床に腰を落ち着けた。マルクスが水筒を差し出す。


 エリカは受け取り、一口飲んだ。


「先生」


「ん」


「……私、自分のやり方を恥ずかしいと思っていました。皆と違うから」


 言葉にしてみると、ずっと胸の底に沈んでいたものが、浮かび上がってくる感じがした。


「アストラル商会に入って、皆がスキルを当然のように使いこなしているのを見て。自分で魔法陣を組むなんて、時代遅れだと思われると思って」


 マルクスは少し黙った。


「車輪の再発明と笑われるが」


 静かな声で言った。


「自分で作った車輪は、壊れた時に自分で直せる。——君はもう、その車輪を持っている」


 エリカは顔を上げた。


「恥ずかしがる必要はない。大手ギルドの中で古い焦点具でも動く魔法を使えるのは、君だけだ。——それは、弱点じゃない」


 エリカは何も言わなかった。


 言葉が、今度はゆっくりと胸に沁みた。


「……はい」


 訓練場の窓から、旧市街の空が見える。雲が少し動いた。


「来週からはどうする」


「……まだ、うまくはいかないと思います。でも、考え方は変わりました」


「考え方が変われば、手が動く」


 マルクスが立ち上がった。


「帰りに飯でも食っていけ。まだ昼前だ」


 エリカは少し驚いた。それから——小さく笑った。


「はい。いただきます」


 その言葉が、思ったより素直に出た。


(第3節 了)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ