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氷河期(アイスエイジ)の魔法使い  作者: よん
第4章:「新しい環境」

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第2節:大手ギルドの洗礼——「環境が違う」

 翌朝。


 エリカは第二技術班の作業室に足を踏み入れた。


 広さは学院の実習室と似たようなものだが、雰囲気がまるで違う。壁一面の棚に、分厚い書類綴じが並んでいる。机の上には魔導書が開かれ、魔法陣の薄青い光が揺れていた。五、六人の魔法使いが、それぞれの業務に集中している。誰も顔を上げない。


 ルカーシュがすでに席についていた。


「早いな、エリカさん」


「おはようございます」


「トマーシュさんはもう来てるよ。奥の席」


 トマーシュが、机の端に書類の束を置いたまま振り向いた。


「来たか。今日から早速、実務に入ってもらう」


 渡されたのは、案件の仕様書と一枚の用紙。上部に「スキル構成表(ver.3.2)」とある。


「受託案件の防衛魔法陣、結合検証だ。この構成表に書かれた通りにスキルを検証用魔導書へ組み込んで、動作確認をしてくれ。チームの設計に組み込む前の最終チェックになる」


「分かりました」


依存関係ディペンデンシーに注意してくれ。基盤から順に三段階の連鎖になってるから、一つ合わないと全部崩れる」


 エリカは構成表を手に取った。三段階の依存関係が図示されている。基盤防護スキル「マナ・ウォールv2.1」——拡張スキル「レイヤード・シールドv1.4」——戦闘スキル「アクティブ・バリアv3.0」。この順に組み込み、最終的に戦闘スキルが正常に展開されれば、検証は成功だ。


 ルカーシュとそれぞれの作業を開始する。



 構成表の指示通りに、検証用魔導書へ基盤スキルを組み込んだ。続いて、拡張スキル。


 ——展開失敗。


 魔導書の内部で、かすかな術式の衝突を感じた。スキルが連動していない。展開の途中で止まったような、不完全な手応え。


(おかしい。手順通りにやったはずなのに)


 エリカは構成表を見直した。手順に間違いはない。しかし、拡張スキルが基盤スキルを認識できていない——まるで呼び出すべき部分が存在しないかのような挙動だ。


「ルカーシュさん、少し確認してもいいですか。拡張スキルが基盤スキルを見に行けていないようで」


 ルカーシュが覗き込んだ。一瞬で、彼の顔に「ああ、それか」という表情が浮かんだ。


「その文書、古いよ。『マナ・ウォール』、今はv2.3になってる。v2.1からv2.2になった時に呼び出し部分の仕様が変わったから、v3系の拡張スキルはv2.1を認識しない」


「……最新版は、どこですか」


「チーム共有の魔導書庫にある……はず」


 「はず」——その二文字の重さを、エリカは黙って受け取った。


(更新はされているが、誰も教えてくれなかった。いや——それすら「当たり前のこと」として済まされている)


「探してみます」


 共有書庫の棚を一段ずつ確認する。数分かけて、「スキル構成表(ver.3.4)」を見つけ出した。


「……二つ、版が上がってた」


「よくあることだよ」


 ルカーシュが肩をすくめた。気にしている様子がない。それがここの当たり前なのだろう、とエリカは思った。



 昼の鐘が鳴った。


「外、出ないか」


 ルカーシュが声をかけてきた。


 ギルド街の路地に面した小さな食堂だった。木の扉を押すと、スープの匂いが出迎えた——キャラウェイの、土に似た、しかし温かみのある香り。


「クミノーヴァ、二つ」


 ルカーシュが迷わず注文した。しばらくして運ばれてきたのは、透き通った薄い汁のスープだった。浮かんでいるのはキャラウェイの実と、半熟の卵が一つ。それだけだ。ライ麦パンが横に添えられている。


 一口飲んだ。シンプルだが、温かさが体の中心に届く。キャラウェイの香りが鼻の奥をゆっくり抜けた。


「ライ麦パン、浸して食べると旨いぞ」


 言われた通りにした。汁を含んだパンはほどよく柔らかく、小麦の味がスープに溶け込んでいる。


「ここ、安くて早い。業務の合間によく来る」


「……おいしいですね」


「だろ」


 しばらく、二人は黙って食べた。食堂の中は適度に混んでいる。隣のテーブルでは、別の班らしい魔法使いたちが書類を広げながら食事をしていた。


「エリカさんは、学院から直接来たのか」


「ええ」


「前はどこかに所属してたのか」


「小さなギルドのお手伝いを少し——所属という形ではなかったですが」


「そのくらい自由にやれる場所だったんだな。——軽量フレームワーク、そこで作ったんだろ」


「……ええ」


「なら、いい環境だったんじゃないか」


 エリカは少し考えてから、頷いた。


「そう思います」


 ルカーシュは最後のパンをスープに浸し、口に運んだ。


「うちは手続きが多くてしんどいけど——扱う案件の規模が、全然違う。小さいところでは絶対に触れない仕事が来る。それはここにいないと経験できないことだ」


 そういう価値観もある、というだけの口調だった。押しつけるふうではない。


 エリカは残りのスープを飲み干した。



 最新版の構成表でやり直す。今度は連動が成立した。基盤スキル、拡張スキルが正しく接続され、戦闘スキルの展開が始まる——


 ——出力低下。


 術式の展開は成功した。しかし画面に表示された出力値は、構成表に書かれた「検証基準値」の三分の二ほどだった。


(足りない)



 トマーシュを呼んで報告した。


「展開は成功しましたが、出力が規定値に達していません」


 エリカが数値を示すと、トマーシュは眉を寄せた。


「構成は合ってるか」


「ver.3.4で確認しています。手順に間違いはないはずです」


「術式自体の問題か、インターフェースの問題か……」


 トマーシュがエリカの魔導書に視線を落とし、それから焦点具——古い木の杖——へ視線を移した。


「エリカくん。焦点具の問題じゃないか」


 静かな口調だった。咎めている感じはない。ただ、事実を確認している。


「……おそらく、そうだと思います。最新規格のスキルが要求するマナ伝達効率に、今の焦点具では対応できていないようです」


「そうだろう。——困ったな。うちの業務は標準規格以上の伝達効率が前提なんだ。それを下回ると、この規模のスキルは規定値に届かない」


 トマーシュが腕を組んだ。


「今日のところは、ルカーシュに確認作業を引き取ってもらう。エリカくんは手順を見ながら把握してくれ。——焦点具の件は、後で話し合おう」


「……はい。すみません」


「謝らなくていい。問題の所在が分かった。それで充分だ」


 ルカーシュが同じ構成で組み直し、焦点具を構えた。最新の銀製の焦点具が、澄んだ光を帯びる。


 展開。


 出力値が、基準値を上回った。


(……これが、「動いている」ということか)


 エリカはその数値を、黙って頭に刻んだ。


 *自分の環境では動いたのに——*という言葉が、頭をよぎった。先生ならそう言って、一言皮肉を添えるだろう。いや、むしろ皮肉より先に、「だから何が問題なのかを考えろ」と続けるはずだ。



 数日後。初の実戦任務があった。


 アルカ近郊の森林地帯に出没した魔獣の駆除。難度は「中」——新入りが参加するチーム任務としては標準的な案件だ。


 ルカーシュと先輩班員三名、そしてエリカの計五名が現地に集まった。トマーシュは後方で指揮を取る。


「対象は岩牙獣、二体確認済み。連携スキルで一気にやる。フォーメーションは練習の通りだ」


 各員が素早く展開した。魔導書が開かれ、連携用スキルが起動状態になる。


 ——茂みが揺れた。


 低い唸り声。枝を踏み折る重い足音。そして——二体の岩牙獣カメニー・クルが踏み出してきた。


 全身を覆う鱗状の皮膚は、遠目にも岩と見紛うほど硬く灰色だ。大型犬より一回り大きな体躯に、短く太い四本脚。頭部が低く構えられ、発達した牙が光る。


 一体が突進してくる。


 先輩班員が防護スキルを展開した——術式の光が岩牙獣の側面に当たり、弾かれる。岩のような皮膚が通常スキルの出力を殺した。だが、それで充分だった。次の術式がすでに走っている。ルカーシュが第二波の攻撃スキルを叩き込んだ。連携の間隙がない。一体目が地に伏した。


 エリカは自分のスキルを展開しようとした。


 ——遅い。


 古い焦点具では、マナの供給が安定しない。術式が揺れ、展開に間がある。もたついている間に、二体目もルカーシュの追撃スキルで仕留められていた。


 エリカのスキルは、何も仕留めなかった。


 静寂が戻った森の中で、エリカは立っていた。魔導書を握ったまま。焦点具を握ったまま。


「エリカくん」


 トマーシュが近づいてきた。穏やかだが、明確な口調だった。


「次は後衛に回ってくれ。索敵と後方警戒を頼む」


「……はい」


 分かっている。連携は精度が命だ。タイミングが合わない者を前衛に置くのはチーム全体のリスクになる。正しい判断だ。


 だからこそ——言葉が重かった。


 胃の底に、鈍い重さが落ちた。呼吸が、少し浅くなっている。


 エリカは後衛の位置についた。木の杖を、一度だけ強く握った。



 帰路。


 一行が街道を歩く中、ルカーシュがエリカの隣に並んだ。


「なあ、エリカさん」


「……なんですか」


「さっきのことだけど。気にすんなよ、ってわけでもないんだけど——」


 ルカーシュが少し言葉を選んだ。


「俺、見てた。展開の構成自体は悪くなかったと思う。タイミングの遅れも、半秒くらいだ。焦点具さえ良ければ、エリカさんの実力なら充分に前衛で動けてたと思うぞ」


 エリカは少し間を置いた。


「……ありがとう」


 通りの端に、塩プレッツェルを吊るした屋台が出ていた。ルカーシュが立ち止まり、銅貨を払って二本取った。


「ほい」


 エリカに一本差し出した。受け取ると、ずしりとした重みがある。外側は硬く、粗い岩塩の粒が光っている。


 一口かじった。塩気が先に来て、それから小麦の素朴な味が続く。嚙むたびに少し粉が散った。


「本当のことを言ってるだけだって。——焦点具の新しいの、買うのはちょっと難しいのか?」


「今は少し……」


「そっか」


 ルカーシュはそれ以上追わなかった。気を遣ってくれる奴だ、とエリカは思った。


 ただ——道具のせいにしたくない、とも思っていた。


 焦点具の問題は確かにある。しかしそれだけではない。自分の設計がはじめから最新規格ありきになっていた。古い焦点具でも通用する戦い方を、実務の場でまだ何も試せていない。


 (先生に教わったことを、一つも使えていない)


 ——というより、試そうともしていなかった。一人で魔法陣を組む、という発想が、この職場では時代遅れに見えると思っていた。


 西の空が、少し赤みを帯び始めていた。エリカは前を向いたまま、足を進めた。


 ——先生の言葉は、頭の中に残っている。まだ、体現できていない。


 だが。


 エリカは歩きながら、木の杖を握り直した。使えていないだけだ。使えない、とは違う。


(第2節 了)


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### 解説:クミノーヴァ(Kmínová polévka)


クミノーヴァ(Kmínová polévka)は、アルカの代表的な家庭スープのひとつ。名前の通り「キャラウェイのスープ」だ。


**材料:** キャラウェイシード(キャラウェイはニンジン科の香草で、クミンとは別物)を煮出した澄んだ出汁に、卵を落として半熟に仕上げる。材料はごく少なく、シンプルの極みといえる一品。


**付け合わせ:** ライ麦パン(žitný chléb)を浸して食べるのが定番。ライ麦パンは酸味があり目が詰まった濃い色のパンで、スープを含んでしっとりと柔らかくなる。小麦の味がスープに溶け込み、一杯で腹が落ち着く。


**味わい:** キャラウェイの香りは土に近いが温かみがある。透き通った汁が体の芯まで届く、地味だが正直なスープ。路地の食堂や職場近くの安食堂では昼の定番で、魔法使いや職人が合間に立ち寄る一杯だ。


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### 解説:塩プレッツェル(Preclík)


プレッツェル(Preclík)は、アルカから東の連邦各国にかけて広く親しまれる塩気の効いたパンの一種。


**形状:** 生地を交差させた独特の形に成形し、表面に粗い岩塩を振って焼き上げる。外側はつるりとした硬い皮で、かじるたびに少し粉が散る。


**食べ方:** そのままかじるだけ。特別な食器も席も必要ない。屋台で一本買い、歩きながら食べる——それがプレッツェルの本領だ。


**味わい:** 塩気が先に来て、小麦の素朴な旨みが続く。腹が大して膨れるわけでもないが、長い帰り道を一緒に歩いてくれる。


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