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氷河期(アイスエイジ)の魔法使い  作者: よん
第3章:「前任者の置き土産」

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第5節:正常終了(シャットダウン)

 第三層への階段。


 先ほどとは、様子が変わっていた。


 壁面の明滅は残っている。だが、間隔が広がっていた。認知妨害の波が押し寄せ——引く。また押し寄せ——引く。あの痙攣じみた頻度ではなくなっている。


「……波の間が、さっきより長くなっている」


 カレルが呟いた。


「ああ。第一層と第二層の基幹系が安定した分、第三層の術式にも余裕が出ている」


 マルクスは魔導書を開き、壁画から書き写した認証フレーズを確認した。第三層への正規の通行手順。


「試す」


 古代語で、認証フレーズを唱えた。


 壁面の魔法陣が、一瞬——だが確かに、応答した。明滅が止まり、階段の空気がすっと澄む。数秒で、元に戻った。


「……通った」


 マルクスの声に手応えがあった。


「完全ではないが、正規の認証が通る。基幹系が生きている証拠だ」


「じゃあ、降りられるんですね」


「波の合間を縫えば、降りられる。——次の波が引いた瞬間に、一気に行く。走れ」


 四人は階段の上端で息を潜めた。


 明滅の間隔を数える。マルクスの右手が上がり——


「——今だ」


 カレルが先頭で駆け下りた。ヤロスラフ、マルクス、ミラダが続く。石段を一気に駆け抜ける。壁面の魔法陣が揺らめく。だが、認知妨害の波は来ない。認証フレーズが、僅かな猶予を与えてくれていた。


 足が平らな石床に着いた。


 振り返ると、階段の上端が揺らいで見える。背後から認知妨害の波が押し寄せてくる——だが、もう降りきっていた。


「間に合った」


 カレルが息を吐く。



 第三層は、広い儀式場だった。


 天井が高い。四方の壁面に、大規模な魔法陣が刻まれている。部屋の中央に円形の祭壇。その周囲を囲むように、壁面に六つの壁龕が穿たれていた。


 壁龕の中に——石像がある。


 ヤロスラフが足を止めた。


「……何ですか、あれ」


 人型だが、人ではない。二メートルを超える背丈。石の装甲に覆われた重厚な胴体。太い腕を胸の前で交差し、直立している。顔はない——頭部は滑らかな石の球体で、正面に魔法陣が一つだけ刻まれていた。


「**警備ゴーレム**だ。古代の**自動防衛機構セキュリティ・システム**」


 マルクスが低い声で言った。六体のゴーレムは、壁龕の中で沈黙している。頭部の魔法陣に光はない。


「動きませんよね」


「パッチの干渉で制御信号が滅茶苦茶になっている。命令が通らないから黙っているだけだ。死んでいるんじゃない」


 マルクスは儀式場の奥に視線を移した。正面の壁面に、ひときわ大きな魔法陣が刻まれている。


「あれが本丸だ。防衛機構の中枢」


 中枢魔法陣に近づき、仕様書の記録と照合する。第一層や第二層で見たものとは比較にならない密度のパッチが、蜘蛛の巣のように魔法陣を覆い尽くしていた。


「第三層のパッチは数が多い。しかも第一層と第二層のパッチを除去した影響で、信号の流れが変わっている。新たな干渉が起きていても不思議はない」


 魔導書の構造図と照合しながら、パッチの接続を読み解いていく。


「だが、基幹系は生きている。さっき認証が通った以上、正規の手順でいける」


 マルクスはワンドを構えた。


「始める。——少し、時間がかかる」


 壁面にワンドの先端を当て、最初のパッチに触れた——


 その瞬間だった。


 背後で、重い石が擦れる音がした。



 振り返ると、壁龕の一つが空になっていた。


 石造りの巨躯が、薄闇の中に立っている。頭部の魔法陣が、鈍い赤色に灯っていた。


「——動いた!」


 ヤロスラフが叫んだ。


 マルクスの手が、壁面で止まった。パッチの接続点を一つ触ったところだった。


(——パッチを弄った振動が、制御系に伝わったか)


 沈黙していたゴーレムに、命令信号が届き始めたのだ。だが認証系はパッチに汚染されたまま。正規の認証フレーズを唱えた者も、侵入者と判定する。


「——**パッチの副作用**だ」


 声は冷静だった。


「認証系が壊れている。敵味方の区別がついていない」


 ゴーレムが一歩を踏み出した。石の足が床を踏むたびに、低い振動が伝わる。


「直しに来たのに攻撃されるんですか!」


 ヤロスラフが短剣を構えた。


「**仕様を壊した人間に言ってくれ**」


 マルクスはワンドを壁面に戻した。


「——シャットダウンを急ぐ。時間を稼いでくれ」


 二つ目の壁龕が、軋み始めた。



「カレル!」


「分かっている!」


 カレルが前に出た。大剣を構え、ゴーレムの正面に立つ。


 ゴーレムが腕を振り上げた。石の拳が、重力に乗って叩きつけられる。カレルは半身で躱し、剣の腹で軌道を逸らした。衝撃が腕を痺れさせる。


 石造りの質量だ。人間の戦士なら、受け止めることすら不可能だっただろう。だがカレルは獣人だった。熊型の膂力が、ゴーレムの一撃を正面から受け流す。


「重い——が、遅い!」


 踏み込み、ゴーレムの胴体に肩を当てた。巨体が半歩、後退する。


「マルクスさん! シャットダウン、どのくらいかかる!」


「認証と段階委譲で——**最低でも四半刻**」


「四半刻か。——ヤロスラフ、二体目! こっちに来させるな!」


「了解!」


 ヤロスラフが低い姿勢で走った。二体目のゴーレムが壁龕から身を起こすのを見計らい、足元に潜り込む。関節部に短剣を叩き込んだ。刃は石に弾かれた——が、動きが一瞬、乱れる。


「装甲が硬い! 傷ひとつつかない!」


「構わない。倒す必要はない。動きを止めるだけでいい!」


 カレルが怒鳴り返した。


「ミラダ!」


「ええ」


 ミラダの掌から、防御結界の光が広がった。マルクスの背後を覆う半透明の障壁。


「マルクスさん、集中してください。後ろは任せて」


 結界を維持しながら、空いた左手から治癒の光をカレルに飛ばす。ゴーレムの拳が掠めた右腕の擦過傷に、光が吸い込まれた。


 戦士が前衛で時間を稼ぐ。盗賊が側面から敵の動きを乱す。僧侶が術師の作業空間を守り、仲間を癒す。


 魔法使いは——仕事をする。



 背後の戦闘音を、意識の端に追いやる。


 マルクスは中枢魔法陣に向き合っていた。


(——**正常終了グレースフル・シャットダウン**。いきなり電源を切るんじゃない。正規の手順で、段階を踏んで終了させる)


 仕様書には三段階の手順が記されていた。


 第一段階——**認証**。


 古代語で、管理者認証のフレーズを唱えた。壁画から写し取った古代の言葉。ミラダが読み解いたシェリフィエルの注釈を組み込んだ、完全な形。


 中枢魔法陣が——応えた。


 パッチの残骸に覆い隠されていた古代の設計が、その奥底で息を吹き返す。管理者権限の認証信号が通った。青白い光が、壁面の線を辿るように広がっていく。


「第一段階、通過」


 第二段階——**段階的な権限委譲**。


 防衛機構の各系統に、順番に休止命令を送る。一気にではなく、段階的に。仕様書の注意書きが脳裏をよぎった——『急ぎて閉ざすなかれ。術式は眠りにつくまでに猶予を要す』。


 ワンドの先端で、中枢魔法陣の制御経路に一つずつ触れていく。


 認知妨害系——休止。


 背後の階段で、明滅が止まった。


 トラップ系——休止。


 ゴーレム制御系——


 パッチの残骸が信号を遮った。


「——通らない」


 権限委譲の命令が、パッチに阻まれて先に進まない。制御系統にパッチが食い込んでいて、正規の信号を遮断している。


 背後で、三体目のゴーレムが壁龕から身を起こす気配がした。石が擦れる重い音。


「マルクスさん!」


 カレルの声が飛ぶ。余裕がなくなってきている。


「——分かっている」


 パッチを除去しながら、命令を通す。第一層でやったことと同じだ。パッチの接続点を一つずつ解いて、正規の制御経路を復元する。


 だが、第三層のパッチは密度が違った。一つ解くと、別のパッチが反応する。除去と命令を同時に進めなければならない。右手でパッチを解き、左手で魔導書を支えながら、口では古代語の命令文を唱え続ける。


 額の汗が、顎を伝った。


 一つ。


 二つ。


 三つ目のパッチを解いた瞬間——ゴーレムの動きが変わった。


「——遅くなった!」


 カレルが叫んだ。ゴーレムの拳の速度が、目に見えて落ちている。


「権限が削がれている。——もう少しだ」


 四つ目。五つ目。


 手が震えていた。パッチの除去と終了シーケンスの同時進行は、精神力を著しく消費する。真理視とは違う種類の疲労が、指先から背骨に沿って這い上がってくる。


「マルクスさん、無理は——」


 ミラダの声が、結界の向こうから届いた。


「……あと、少しだ」


 六つ目——最後のパッチに、ワンドの先端が触れた。



 第三段階——**休眠モードへの移行**。


 最後のパッチを解き終え、制御経路が完全に復元された瞬間、中枢魔法陣の全体が——脈打った。古代の設計が、パッチの残骸から解放されて、本来の姿を取り戻す。


 マルクスは古代語で、最後の命令を唱えた。


 短い一文。管理者として、安全な休眠を命ずる。


 中枢魔法陣が、深い青色の光を放った。壁面の古代文字が、一斉に輝く。


 そして——静かに、消えていった。


 消えたのではない。眠ったのだ。魔法陣の線が、穏やかな残光を帯びて石面に沈んでいく。灯りが消えるのではなく、蝋燭が燃え尽きて溶けていくような、自然な終わり方だった。


 ゴーレムが、動きを止めた。


 振り上げた拳が、宙で止まる。カレルが身構えたまま動かない。ヤロスラフも、短剣を握ったまま息を呑んでいる。


 ゴーレムの頭部の魔法陣が——赤から、青に変わった。


 そして、ゆっくりと、向きを変えた。


 壁龕に向かって歩き出す。一歩ごとに床を踏む重い足音が、遠ざかっていく。


 三体のゴーレムが、それぞれの壁龕に戻った。石の腕を胸の前で交差し、頭部の魔法陣が穏やかな青に落ち着く。——眠りにつく前の姿勢。入ってきたときに見た、あの石像の佇まいだった。


 震動が、止まった。


 魔法陣の明滅が消え、壁面が柔らかい定常光に包まれる。


 静寂が——降りてきた。



 マルクスは、その場に膝をついた。


 ワンドを持つ右手が、まだ震えている。額の汗が石の床に落ちた。


「——終わった」


 ミラダが結界を解き、傍に膝をついた。治癒の光が掌から静かに広がる。消耗した身体に、温かい力が染み込んでくる。


「ありがとう」


「……無茶をするんですから」


 穏やかな声に、僅かな叱責が混じっていた。


 カレルが大剣を鞘に収めた。腕に幾筋かの擦り傷。だが、重傷はない。


「……四半刻、持ちましたよ」


「助かった」


「おあいこです。マルクスさんがいなかったら、あのゴーレムを相手にしながら遺跡ごと埋まっていた」


 ヤロスラフが、壁龕に戻ったゴーレムを見上げていた。


「……自分で戻っていきましたね」


「ああ」


「壊さなくても、良かったんですね」


 マルクスは立ち上がった。ミラダの治癒で、足元はもう安定している。


「**正しい手順で終了すれば、壊す必要はない**。——それが**正常終了グレースフル・シャットダウン**だ」


 ヤロスラフがゴーレムの方を見たまま、静かに頷いた。



 儀式場は、穏やかな光に満ちていた。


 壁面の魔法陣が、定常光を放っている。第一層から第三層まで、すべての基幹術式が本来の姿を取り戻していた。空気が澄んでいる。さっきまで漂っていた不安定なマナの揺らぎは、もうどこにもない。


 カレルが壁面を見回した。


「……結局、第一層から全部やり直したな」


「ああ」


「黄金の盾が三ヶ月かけてぐちゃぐちゃにしたものを、一日で」


「直したんじゃない。**元に戻した**だけだ。——壊す方が、ずっと簡単なんだよ」


 マルクスは壁に背を預けた。


「**近道をしようとして遠回りになる**。黄金の盾がいい例だ。仕様を読まずにパッチを重ねた結果、手に負えなくなって撤退。俺たちに後始末を押し付けた」


 ミラダが壁面の古代文字に目を遣った。


「最新のスキルより、**古い仕様書を読む力**のほうが役に立つこともあるのね」


「……まあ、そういうことだ」


 マルクスは魔導書を閉じた。


「さて——本来の仕事をしよう」


 視線の先に、儀式場の奥が広がっていた。壁面には、見たことのない規模の古代魔法陣が刻まれている。棚には石板と古い焦点具が並び、発掘すべき文献と遺物が、長い眠りから覚めるのを待っていた。


 マルクスの灰色の瞳が——静かに、輝いた。


(第5節 了)


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