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氷河期(アイスエイジ)の魔法使い  作者: よん
第3章:「前任者の置き土産」

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第4節:第一層からの修復

 崩れかける遺跡の中を、第一層まで引き返す。


 第二層の回廊は、行きとは様子が違っていた。壁面の魔法陣が断続的に赤く明滅し、天井から石片が落ちてくる。足元の石畳にも細い亀裂が走り始めていた。


「左だ。壁際を歩け」


 カレルが先頭に立ち、声を張った。回廊の中央を避け、壁際を一列で進む。中央部は天井の石組みが緩んでおり、落石の危険があった。


 ミラダが右手に防御結界の光を灯しながら殿を務める。マルクスは三番手。壁面を見ながら歩いていた。パッチの位置と基幹術式の配置を、頭の中で照合し続けている。


 第二層から第一層への階段。石段を駆け上がると、空気が変わった。


 第一層は、まだ比較的安定していた。震動はあるが、壁面の魔法陣は青白い光を保っている。ここの基幹術式は、パッチの影響が最も少ない。


「ここからだ」


 マルクスは立ち止まり、回廊の壁面を見渡した。


「**オリジナルの仕様**を確認する」



 第一層の回廊を、入口に向かって戻る。


 来たときには黄金の盾のパッチと焼き切られたトラップに気を取られていたが、今は違う。マルクスの目は、壁面のもっと古い部分——パッチの下に埋もれた、元の魔法陣を追っていた。


「ヤロスラフ。灯りを寄せてくれ」


「はい」


 ヤロスラフが携帯灯を掲げると、壁面の陰影が浮かび上がった。黄金の盾が焼き切ったトラップの残骸——その隣の壁面に、古代文字がびっしりと刻まれている。


 だが、焼け跡の煤が表面を覆い、読み取りにくい。マルクスは布で丁寧に拭い取った。煤の下から、繊細な彫りの文字列が姿を現す。


「……あった」


 マルクスの声に、微かな安堵が混じった。


「これは——二千年前の技術者が、後世のために残した**仕様書**だ」


「仕様書?」


「トラップの正規解除手順が記されている。この遺跡を建てた職人が、同じ工房の者に向けて残した引き継ぎ文書だ。——入口に『礼節をもって進め』とあっただろう。正規の手順を知る者、つまり仕様書を読める者だけが出入りできる設計だ」


 壁面には、認証魔法陣の構造図と、それに応答する古代語のフレーズが順番に記されていた。第一層のトラップ、第二層の扉、そして第三層の防衛機構——すべての正規手順が、一枚の壁面にまとめられている。


「保守用のドキュメントを壁に刻んでおくとは。——当時の職人は、仕事が丁寧だ」


 ヤロスラフが覗き込んだ。


「……マルクスさん、俺には全然読めないんですが」


「俺も全部は読めん」


 ヤロスラフが意外そうな顔をした。


「古代の技術言語だ。現代の教育課程では教わらない」


 マルクスは壁面の一節を指で示した。


「例えば、ここ。**条件充足反復(PERFORM UNTIL)**と刻んである——今の術師なら**反復(foreach)**の一語で済ませる処理だ。同じことをやっているのに、記法がまるで違う」


「マルクスさんは分かるんですか」


「すぐには分からん。だが、やっていること自体は同じだ。反復は反復。条件分岐は条件分岐。——書き方が変わっても、術式の考え方は二千年前から変わっていない」


 壁面の図を指で辿った。


「認証魔法陣の構造図と並べて書いてある。図と照らし合わせて、前後の文脈を読めば、この記号がどの処理に対応するかは絞り込める。——二十年もやっていれば、勘も働く」


「黄金の盾は、それができなかった——」


「経験が足りなかったんだろう。読めないから壊した。壊した結果を繕うために、パッチを当てた。パッチが干渉したから、またパッチを当てた。——仕様書が目の前にあったのに」


 マルクスは壁面の下部に目を移した。文字の一部が、見慣れない書体に変わっている。


「ミラダ」


「ええ。——**シェリフィエルの古語**が混じっていますね」


 ミラダが傍に寄り、壁面に指を這わせた。


「この遺跡の主は、エルフの工房と取引があったのかもしれない。術式の一部にシェリフィエルの記法が使われています」


「読めるか」


「ええ。古い綴りですけれど……ここは『第三の門の前にて、管理者の名を唱え、段階的に権限を委ねよ』。その下は——『急ぎて閉ざすなかれ。術式は眠りにつくまでに猶予を要す』」


 マルクスが頷いた。


「正常な終了手順には時間がかかる、という注意書きだな。黄金の盾は、この部分も読めなかった」


「アルカの精鋭でも、辺境の古代遺跡の言語体系には対応できなかったということね」


「スキルは万能じゃない。読む力は、スキルでは買えない」


 マルクスは魔導書を開き、壁画の内容を書き写し始めた。仕様書の全文。認証フレーズ。解除手順。シェリフィエル古語の注釈。


 ミラダが横から古語の読みを補い、マルクスが現代の術式用語に置き換えて記録していく。二人の作業は手慣れたもので、言葉少なに、しかし正確に進んだ。


 カレルとヤロスラフは、その間、回廊の両端で警戒に当たっていた。遺跡の震動は続いている。時折、壁の奥から低い唸りが聞こえた。


 仕様書の書き写しが終わるまで、半刻ほどかかった。


「……よし。これで手順は揃った」


 マルクスはペンを置き、魔導書の記録を確認した。


「始めよう」



 第一層のトラップ——黄金の盾が焼き切った認証魔法陣の跡。


 マルクスはその前に膝をつき、魔導書を傍らに開いた。


 まず、パッチの除去から。


 壁面に埋め込まれた一つ目のパッチ。エラーを無視する術式。マルクスはワンドの先端を近づけ、パッチの魔法陣を子細に観察した。


「……雑だな」


 独り言のように呟いた。パッチの術式構造は単純だった。基幹術式から上がるエラー信号を、力ずくで遮断しているだけ。信号の原因を調べもせず、ただ黙らせた。


 マルクスはワンドを壁面に当て、パッチの魔法陣に触れた。


 剥がすのではない。**解く**のだ。


 パッチの術式が基幹系のどの部分に接続しているかを確認し、接続点を一つずつ切り離していく。乱暴に引き剥がせば、基幹術式にさらなる損傷を与える。だから、縫い目を一針ずつ解くように、慎重に。


「マルクスさん、スキルで一気に消せないんですか」


 ヤロスラフが後ろから訊いた。


 マルクスは手を止めなかった。


「**スキルで上書きしたから、こうなったんだ**。同じ轍を踏んでどうする」


「……すみません」


「謝ることはない。誰でも考える疑問だ。——だが、覚えておけ。古代の術式は、古代の流儀で扱う。それが鉄則だ」


 パッチの接続点を、最後の一つまで解き終えた。マルクスがワンドで軽く触れると、パッチの魔法陣が淡い光を放ち——消えた。


 壁面に、焼け焦げたトラップの残骸だけが残る。


 次は、これだ。


 マルクスは仕様書の記録を確認した。第一層の認証魔法陣。正規の解除フレーズ。


 焼き切られた魔法陣の残骸に、ワンドの先端を当てた。灰になった術式の奥に、かろうじて原型の痕跡が残っている。完全には失われていなかった。


「……修復できる」


 マルクスは魔導書から、書き写した仕様書の術式構造を呼び出した。古代の設計図を手本に、焼けた魔法陣を再構築していく。


 派手さはない。ワンドの先端が石面の上を這い、古代の線を一本ずつ描き直していく。——絵画の修復師が、剥落した顔料を一筆ずつ補っていくように。


 ヤロスラフは黙って見ていた。カレルも、ミラダも。


 遺跡の震動が、僅かに——本当に僅かに、収まった気がした。


「……おっ」


 ヤロスラフが小さく声を漏らした。


 再構築された認証魔法陣が、淡い青白い光を灯した。正しい形を取り戻した術式が、静かに脈動している。


 マルクスは仕様書のフレーズを、古代語で唱えた。


 魔法陣が応答した。光が一瞬強くなり——そして、穏やかな定常光に落ち着いた。認証完了。トラップの正規解除。


 足元の震動が、目に見えて弱まった。


「第一層、完了だ」


 マルクスは立ち上がり、額の汗を袖で拭った。


「一つ目のパッチが消えた。基幹術式へのエラー信号が止まったから、第二層への干渉も軽減される」


「……すごい」


 ヤロスラフが呟いた。


「すごくない。正しい手順を踏んだだけだ。——第二層に行くぞ」



 第二層で、同じ作業を繰り返した。


 二つのパッチ。一つは第一層のパッチが引き起こした干渉を抑え込むもの。もう一つは、制御信号の迂回路を作るもの。どちらも、第一層が安定した今となっては不要な代物だった。


「第一層が安定したから、第二層のパッチも剥がせる」


 マルクスは同じ手順で、パッチを一つずつ解いていった。第一層より時間がかかった。パッチが二つある分、接続点も複雑に絡み合っていた。だが、仕様書の構造図があれば、どの接続が正規でどの接続がパッチなのかは判別できる。


 二つのパッチを除去し終えると、第二層の震動も収まった。壁面の魔法陣が、安定した青白い光を取り戻す。


「次は——あれだ」


 マルクスは、こじ開けられた貯蔵庫の扉を見た。


 蝶番ごと引き剥がされ、壁際に立てかけられた石の扉。表面の認証魔法陣は半ばから叩き割られている。


「これを直すんですか」


 ヤロスラフが訊いた。


「直す」


 マルクスは扉の残骸に近づき、割れた魔法陣の断面を観察した。破壊は激しいが、術式の構造はまだ読み取れる。壁画の仕様書と照合すれば、再構築は可能だった。


 扉を元の位置に戻すのは、カレルの仕事だった。


「よっ——と」


 石造りの扉を、獣人の膂力で持ち上げ、蝶番に嵌め直す。人間三人がかりでも動かせない重量を、カレルは片手で支えながら位置を調整した。


「蝶番の術式も損傷しているが……扉さえ嵌まれば、認証魔法陣の修復で連動して戻る」


 マルクスが割れた魔法陣を、仕様書に従って再構築していく。線を描き直し、古代文字を刻み直し、マナの導線を繋ぎ直す。


 扉の表面に、認証魔法陣の光が戻った。蝶番の術式も連動して蘇り、扉が微かに震えた。——生きている、と感じさせる振動だった。


 マルクスは一歩下がり、仕様書の認証フレーズを唱えた。


 扉が——静かに、開いた。


 軋みもなく、衝撃もなく。設計された通りの滑らかな動きで、石の扉が内側へ揺れ開く。


 ヤロスラフが、息を呑んだ。


「……こじ開けなくても、読めれば開くんですね」


「そういうことだ」


 マルクスは扉の向こうを覗いた。貯蔵庫の内部。先ほど初期文献を回収した部屋だ。修復された認証魔法陣の光が、棚に並ぶ石板や焦点具を静かに照らしている。


「本来は、こう開ける。正規の手順を知っていれば、力は要らない」


 背後で、ヤロスラフが小さく何かを呟いた。聞き取れなかったが、その横顔には、初めて見る種類の真剣さがあった。



 第二層の修復が終わると、遺跡は明らかに落ち着いていた。


 壁面の魔法陣は安定した光を放ち、震動はほぼ消えている。空気も変わった。先ほどまで漂っていた不安定なマナの揺らぎが収まり、二千年の静寂が——少しずつ、戻りつつある。


「……静かになりましたね」


 ミラダが天井を見上げた。


「第一層と第二層のパッチを除去して、基幹術式が正常に戻った。第三層への干渉も、かなり軽減されているはずだ」


「第三層は、まだですか」


「まだだ。——だが、最も厄介な仕事は終わった」


 マルクスは壁に手を当てた。石の冷たさの向こうに、術式の脈動を感じる。規則正しい、健やかな脈動。第一層から第二層まで、基幹術式が本来の姿を取り戻していた。


「第三層が本丸だ。だが——」


 マルクスは振り返った。


「土台が安定した今なら、手の打ちようがある」


 カレルが頷いた。


「行きましょう」


 四人は、再び第三層への階段に向かった。


(第4節 了)


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