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氷河期(アイスエイジ)の魔法使い  作者: よん
第3章:「前任者の置き土産」

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第3節:第三層——ついに破綻

 食事を終えると、カレルが先に立った。


「こっちです」


 第二層の回廊を奥へ進む。先ほどまでの区画とは空気が違った。壁面の魔法陣が放つ光が、ちらちらと揺れている。安定していた灯りが、奥へ行くほど頼りなくなった。


 ヤロスラフが足を止めた。


「……聞こえますか」


 耳を澄ませると、低い振動が石壁を伝わってくる。地鳴りとも風鳴りともつかない、不規則な唸り。足裏にも微かな震えが伝わっていた。


「前回より揺れが酷くなってる気がします」


 ヤロスラフの声に、僅かな緊張が混じっていた。


「気がする、じゃない。実際に酷くなっている」


 マルクスは壁に手を当てた。石の冷たさの向こうに、術式が脈打つのを感じる。遺跡の基幹系が、不整脈を起こしていた。


「前回来たのは、いつだ」


「十日前です」


「十日で、ここまで進行したか」


 低い呟きだった。カレルが振り返る。


「ここです」



 第二層から第三層への階段。


 古代の石段が、闇の中に下りていた。


 一段ごとに、壁面の両脇に魔法陣が刻まれている。本来は行灯のように足元を照らす設計だったのだろう。だが今は、その光が不規則に明滅していた。点いては消え、消えては点く。まるで——壊れかけた灯台のようだった。


 遺跡全体の震動が、ここでは一段と激しい。天井の石材の隙間から、細かな砂粒がぱらぱらと落ちてくる。


 カレルが階段の手前で立ち止まった。


「前回、俺たちはここで撤退しました」


「……なるほど」


 マルクスは階段の上端に立ち、下を覗き込んだ。闇の底から、生温い風が吹き上げてくる。魔力を帯びた空気だ。肌がざわりと粟立つ。


「**古代の防衛機構**だ。認知妨害の罠がある」


 階段の入口に立っているだけで、微かな眩暈が押し寄せてくる。空間の奥行きが歪む。一段目の石段が、やけに遠く見えたり、すぐ足元にあるように見えたり——知覚そのものを撹乱する、古い時代の防御術式だった。


「それは俺たちも感知しました。だが——」


 カレルが言いかけた。


「ああ。**挙動がおかしい**んだろう?」


 マルクスが先を継いだ。


「発動と停止を繰り返している」


 その通りだった。認知妨害が波のように押し寄せ、数秒で引く。また押し寄せ、また引く。本来ならば、侵入者に対して持続的に作用するはずの防衛術式が、痙攣するように明滅を繰り返していた。


「前回はこの波が来るたびに、足元が危なくなりました。階段で踏み外したら、命に関わる」


「賢明な判断だ」


 マルクスは短く頷いた。


「無理に突っ込まなかったのは正解だ。——だが、放置すれば悪化する。実際にそうなっている」


 腰のワンドを抜いた。



 焦点具の先端に淡い光が灯る。


 マルクスは目を細め、階段周辺の空間を見据えた。灰色の瞳が、僅かに色を変える。


 **真理視デバッガー**。


 魔法の実行プロセスを可視化する、マルクスの切り札だ。通常は大掛かりな焦点具や魔導書の補助が要る儀式級の解析魔法を、長年にわたる最適化と自作の焦点具で——相当な負荷を代償に——一人で行使できるようにしたもの。


 目に映る光景が、一変した。


 石壁の表面に刻まれた魔法陣が、構造を露わにする。古代の術式が青白い線で浮かび上がり、マナの流れが透明な糸のように可視化された。


 ——そして、その上に重なるもの。


「……ひどいな」


 思わず、声が漏れた。


 階段の周辺には、**何重ものパッチ**が折り重なっていた。


 第一層で見た粗い筆致のパッチ。第二層で見た二つのパッチ。そしてここには——数えるのも馬鹿らしいほどの修正術式が、蜘蛛の巣のように絡み合っている。あるパッチは別のパッチの出力を遮断し、そのまた別のパッチが遮断されたはずの信号を迂回路で拾い、さらに別のパッチがその迂回路を——。


 すべてが、互いの足を引っ張り合っていた。


「第一層で当てたパッチが、第二層に干渉した」


 マルクスは、ワンドで空中に術式の流れを描きながら説明した。


「第二層で当てたパッチが、第三層に干渉した」


 ヤロスラフとカレルが、食い入るように見ている。ミラダは静かに眉を寄せていた。


「で、第三層の防衛機構を解除しようとして——」


 マルクスはワンドを下ろした。


「——**限界を超えた**」


「限界?」


 ミラダが訊いた。


「パッチの上にパッチを重ねすぎて、**もう何が何を制御しているのか分からなくなっている**」


 マルクスは壁面を示した。真理視の光の中で、古代の青白い術式と、黄金の盾が書き殴った現代のパッチが、互いに絡み合い、引きちぎり合っている。


「認知妨害の罠が発動と停止を繰り返しているのは、制御信号が汚染されているからだ。停止命令と起動命令が同時に流れ込んでいる。術式が——混乱している」


「術式が混乱する?」


「人が書いた術式は、人と同じように壊れる。矛盾する命令を同時に受け取れば、暴走するか、停止するか。この遺跡は——その中間で痙攣している」


 防衛機構の明滅が、また一際強くなった。壁面の石材が軋み、天井から石片がぱらぱらと落ちる。


 ミラダが咄嗟に防御結界を広げた。薄い光の膜が四人を覆い、石片を弾く。


「ありがとう」


「……続けて」


「黄金の盾はここで手に負えなくなった。だから撤退した」


 マルクスの声は淡々としていた。だが、その目は壁面のパッチの絡まりを睨みつけている。


「だが——**置き土産**は残っていった」


「置き土産」


「パッチ同士の干渉は、時間が経つほど蓄積する。制御信号が汚染されるたびに、遺跡の基幹術式が誤った応答を返す。誤った応答に、また別の術式が反応する。——雪だるまだ」


 震動が、また強くなった。足元が揺れる。壁面の魔法陣が、一斉に赤く明滅した。


「今、遺跡全体が——**自己崩壊**を始めている」


 沈黙が落ちた。


 壁の軋みだけが、闇の中に響いていた。



 真理視を解くと、どっと疲労が押し寄せた。


 マルクスは壁に手を突き、息を整えた。額に汗が浮いている。この術は消耗が激しい。だが、状況を把握するには避けて通れなかった。


「マルクスさん」


 ミラダが近づき、治癒の光を掌に灯した。マルクスは首を横に振った。


「大丈夫だ。少し休めば戻る」


「無理はしないで」


「……ああ」


 壁に背を預け、天井を見上げた。


 古代の石材が、微かに震えている。二千年の沈黙を守ってきた遺跡が、黄金の盾のパッチに蝕まれて、死にかけていた。


(——結局、こういうことだ)


 第一層。トラップを焼き切り、エラーを無視するパッチを当てた。**「この程度なら大丈夫」**。


 第二層。第一層のパッチが干渉を起こし、新たなパッチで抑え込んだ。**「なんとか動いてる」**。


 第三層。パッチの干渉が限界を超え、遺跡全体が痙攣を始めた。**「——破綻」**。


 どこかで聞いた話だった。


 いや、何度も聞いた話だ。二十年の現場で、繰り返し見てきた光景。仕様を読まず、場当たり的に対処を重ね、いつか手に負えなくなって投げ出す。——そして、後始末だけが残される。


(黄金の盾は、悪意があったわけじゃない。ただ——読めなかったんだ。古代文字も、自分たちが何をしているかも)


 マルクスは目を閉じ、数秒の沈黙の後、壁から背を離した。


「カレル」


「はい」


「状況はわかった。——対処を考える。少し時間をくれ」


「ここは安全ですか」


「第二層の広間まで戻ろう。階段の近くにいると、次の震動で巻き込まれる」


 四人は来た道を引き返した。先ほど昼食を取った広間まで戻ると、震動は幾分か収まった。ここは基幹術式が比較的安定している区画だった。


 マルクスは石の卓に魔導書を広げた。


 真理視で捉えた術式の構造を、記憶を頼りに書き起こしていく。古代の基幹術式の配置。その上に重ねられたパッチの位置と相互干渉。防衛機構の制御信号の流れ。


 三人は黙って見守っていた。


 しばらくして、マルクスはペンを置いた。


「——やはりか」


「どうなんです」


 カレルが訊いた。


 マルクスは魔導書の図面を指で示した。


「第三層の防衛機構は、遺跡の**構造維持魔法陣と連動している**」


「構造維持?」


「遺跡を物理的に支えている魔法陣だ。二千年もの間、この岩盤の中で石造りの構造が崩れずに保たれているのは、古代の術者が構造維持の術式を組み込んだからだ」


「それが防衛機構と繋がっている、と」


「ああ。——つまり、防衛機構をいじると、構造維持にまで影響が及ぶ。黄金の盾がパッチを重ねるたびに、遺跡を支える術式そのものが蝕まれていた」


 カレルの顔が強張った。


「……つまり、このまま放っておくと」


「遺跡が崩壊する」


 短い言葉だった。


「第三層だけじゃない。構造維持が破綻すれば、第二層も第一層も道連れだ。山腹の地盤にも影響が出る」


「町が——」


 ヤロスラフが息を呑んだ。遺跡は町の裏手、山道を四半刻の距離だ。


「魔力炉が暴走すれば、最悪——」


 マルクスは言葉を切った。最悪の想定を口にする必要はなかった。三人の顔を見れば、理解していることは分かる。


 ミラダが静かに言った。


「つまり——前の探索者の**後始末**を押し付けられた、ということね」


「そういうことだ」


 マルクスは魔導書を閉じた。


「**ドキュメントのない独自パッチ**ほど厄介なものはない。何をどう弄ったのか、書いた本人たちにも分かっていなかっただろう」


「撤退しますか。行政局に報告して、遺跡ごと封印するという手も——」


 カレルが慎重に提案した。


「第三層には二千年分の文献がある。見捨てるには惜しい」


「……ですが」


「それに、封印するにしても、今の状態では術式が安定しない。封印魔法自体がパッチと干渉して、余計に暴走を加速させる可能性がある」


 カレルが黙った。


「やるしかない」


 マルクスは立ち上がった。


「——**第一層に戻るぞ**」


「第一層に?」


 ヤロスラフが驚いた声を出した。


「第三層だけ直しても意味がない。第一層のパッチが第二層に影響し、第二層のパッチが第三層に影響している。**第三層を直すには第二層を直す必要があり、第二層を直すには第一層を直す必要がある**」


「つまり——」


「**第一層まで戻って、全部やり直しだ**」


 ヤロスラフが呆然とした顔をした。カレルは腕を組み、ミラダは小さく息を吐いた。


「マルクスさん」


 カレルが訊いた。


「時間は、どれくらいかかりますか」


「分からん。壁画に正規の手順が残っていれば、一日で終わるかもしれん。なければ——数日」


「遺跡は、それまで保ちますか」


「保たせる」


 短い、しかし揺るぎのない一言だった。


 カレルが頷いた。


「——わかりました。俺たちは護衛に徹します」


「頼む。……まずは第一層だ。仕様書を探す」


 マルクスは魔導書を鞄に収め、歩き出した。


 三人がその背中に続く。


 遺跡の壁が、また軋んだ。天井から細かな砂が落ちる。


 時間はあまり残されていなかった。


(第3節 了)


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