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氷河期(アイスエイジ)の魔法使い  作者: よん
第2章:「ギルドの日常」——脅迫者の罠

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第6節:小姓の正体——盗み聞きと対峙

 三日後の夕刻。白狐亭。


 マルクスはカウンターに座り、コーヒーを注文した。


「動いたぞ」


 ヤンが顔を上げた。


「ルードルフか」


「ああ」


 マルクスはコーヒーに口をつけ、声を落とした。


「噂を流す前から、あの小姓には目をつけていた。夜になると時折ひとりで屋敷を抜け出す。——昨夜、尾行した。夜半過ぎに城下街から橋を渡り、旧市街に入った」


「どこへ行った」


「裏通りの酒場だ。個室でヴァーツラフと落ち合っていた」


 ヤンの目が細くなった。


「……繋がったな」


「ああ。——そして噂も効いている。個室の外まで声が漏れていた。ヴァーツラフがルードルフを詰めていた」


 マルクスがヤンに流してもらった偽情報の中身は、こうだ。——**「ベッカー家が極秘裏に裏社会の有力者に大金を渡し、ヴァーツラフもろとも消そうとしている」**。


 脅迫で稼いでいた相手から、逆に消されるかもしれない。その恐怖は、裏社会の人間にとって切実だ。ヴァーツラフは噂の真偽を確かめるために、ベッカー家内部の情報源であるルードルフに詰め寄った——声を荒らげるほどに。


「ルードルフは夜半過ぎに館に戻った。邸で状況を確認するだろう。だが子爵も若様もそんな素振りはない——となれば、今夜にもヴァーツラフに報告しに行く」


「同じ酒場だな」


「ああ。——あの店に話をつけてほしい。個室にあの二人を通すようにして、俺を先に入れておいてくれ」


 ヤンは一瞬黙り、それから口の端を上げた。


「……盗み聞きか」


「ああ」


「あの店は俺の管轄だ。店主には話をつけてやる。——だが、派手なことはするなよ」


「……善処する」


 マルクスはコーヒーを飲み干し、銀貨をカウンターに置いた。



 その夜。


 マルクスは酒場の裏口から入った。


 旧市街の裏通りにあるその店は、表通りからは目立たない場所にある。繁盛しているわけでもないが、潰れもしない——そういう類の店だ。奥に個室があるのが、一定の客層に重宝されている。


 店主がぶっきらぼうに頷き、奥の個室へ案内した。ヤンから話がついている。


「あの二人が来たら、この部屋に通してくれ」


「……分かった。デサートニクの頼みだ」


 店主は肩をすくめて戻っていった。


 個室は狭かった。粗末な卓に椅子が四脚。蝋燭が一本。壁は煤けた漆喰で、隣の酒場から喧噪が低く響いている。密談にはちょうどいい——密談を盗み聞くにも。


 マルクスは部屋の隅、蝋燭の灯りが届かない暗がりに身を置いた。


 **隠蔽クローキング**を纏う。


 姿と気配を完全に消す魔法だ。遺跡探索で、トラップの感知範囲や魔物の巡回経路を避けるために使う基礎技術——だが、基礎だからこそ応用が利く。マルクスの隠蔽は光の屈折まで制御し、視覚的な不可視を実現する。声を出さず、動かなければ、まず気づかれることはない。


 部屋の隅で、マルクスの姿が空気に溶けるように消えた。


 あとは、待つだけだ。


 ——半刻ほど経った頃。


 個室の外で、足音が近づいてきた。店主の低い声。「こちらです」。


 扉が開き、ヴァーツラフが入ってきた。


 三十代半ば。赤みがかった髪、痩せた頬。用心深く室内を見回す——だが、マルクスの隠蔽は完全だった。誰もいないと判断し、卓につき、酒とボイシェルを注文した。


 ほどなく、店の者が皿と杯を運んできた。白濁したラグーソースの中に、薄切りの内臓が沈んでいる。ヴァーツラフは一瞥し、何も言わずフォークを手に取った。


 しばらくして——もう一人、案内されてきた。


 二十代半ばの若い男。きちんと整えた茶色の髪に、清潔な身なり。上着は仕立てが良く、この酒場の客層とは不釣り合いだった。落ち着かない目でヴァーツラフの向かいに腰を下ろす。


 ——ルードルフ・マイヤー。ベッカー家の小姓。


 店主が扉を閉め、足音が遠ざかった。個室に、三人だけが残された。——二人は、そのことを知らないが。


 マルクスは息を詰め、耳を澄ませた。


 ヴァーツラフが低い声で切り出した。


「——で、どうだった」


「子爵も若様も、そんな素振りはありませんでした。裏で動いているなんて話、聞いたこともない」


 ルードルフは早口で言った。昨夜ヴァーツラフに詰められた恐怖がまだ残っているのか、声が上ずっている。


「子爵は相変わらず一件を穏便に収めることだけ考えていますし、若様は——あの記憶のせいで相当参ってます。とても裏で何かを仕掛けるような余裕は——」


「……そうか」


 ヴァーツラフは低く舌を打ち、酒をあおった。


「根も葉もない噂か。……だが、油断はできん」


 しばらく杯を傾け、ボイシェルをフォークで突いてひと口含んでから、声をさらに低くした。


挿絵(By みてみん)


「いずれにしろ——坊ちゃんの件は順調だ。あの若造は完全に信じ込んでる。**自分が女を犯した**とな」


 ルードルフが、引きつったような笑みを浮かべた。


「本当に効くもんですね、あの薬は。飲ませたら抵抗する力もなくなって」


「薬は下ごしらえだ。あれで頭の抵抗力を落とす。本命は**腕輪**だよ。あの魔道具が記憶を上書きしてくれる——目が覚めた時には、もう『自分がやった』と思い込んでいる。借金のカタでたまたま手に入れたもんだが、大した代物だ。女にやらせりゃ、人の頭の中を好き勝手に弄くれる」


(——やはり、腕輪か)


 赤い薔薇亭で見たミレナの腕輪。借金の形でヴァーツラフの手に渡り、悪用されている接触型の精神干渉魔道具。薬で精神の抵抗力を落とした上で腕輪を使い、偽の記憶を上書きする。出力を上げれば、記憶の改竄すら可能になる。


 ルードルフが、杯の縁を指でなぞりながら言った。


「……で、俺の借金の件は」


「ああ、約束通り帳消しだ。それに恐喝が成功すりゃ、お前にも分け前を出してやる。上手くいきゃ、かなりの額になるぞ」


「ありがてえ。……正直、あの家にいるだけじゃ一生遊ぶ金なんて貯まらねえもんで」


 ルードルフは安堵したように肩の力を抜いた。


 ——全部、聞けた。


 マルクスは静かに目を閉じた。


 全ての筋書きが、今の会話で裏付けられた。


 ルードルフは賭博の借金をヴァーツラフに握られ、返済と引き換えに協力を強いられた。カールの焦りにつけ込み、「裏事情に詳しい店がある」と歓楽街の高級酒場を持ちかけた。ルードルフの役目はそこまで——あとはヴァーツラフが薬を盛って精神の抵抗力を奪い、ミレナに腕輪で偽の記憶を植え付けさせた。


 カールの脳内に刻まれた「女に乱暴した」という鮮烈な記憶——それは全て、薬と魔道具で書き込まれた偽データだ。


 実際にはカールは何もしていない。薬で抵抗力を奪われ、魔道具で記憶を汚染された。ただそれだけだ。


(仮説Bは確定だ。認知的改竄メモリ・ポイズニング。——借金に転がされた小僧と、それを利用した無頼漢。下衆な話だが、やられた側は堪ったものではない)


 マルクスは目を開いた。


 そして——**隠蔽を解いた。**


 何もなかった暗がりの中に、一人の男が現れた。質素なローブ。灰色の瞳。蝋燭の灯りがその顔を照らした瞬間——ヴァーツラフとルードルフの会話が凍りついた。


「——いい話を聞かせてもらった」


 低く、よく通る声だった。


 ルードルフの顔が、蒼白になった。ヴァーツラフの目が獣のように鋭くなる。


「な——誰だ、てめえ」


 マルクスは答えなかった。一歩、前に出た。


「元老院議員の嫡男に薬を盛り、魔道具で記憶を書き換え、脅迫する。——なかなかの重罪だな」


 低く、淡々とした声だった。怒りも感情もない。事実を列挙しているだけだ。だが、その冷静さがかえって二人を追い詰めた。


「くそっ——!」


 ヴァーツラフが椅子を蹴って立ち上がった。懐から——ナイフ。刃が蝋燭の灯りを反射し、マルクスに向かって突き出される。


 マルクスは半歩退いた。右手の指先を向ける。


 **麻痺スタン**。


 指先から青白い光が走った。詠唱なし。神経を痺れさせる、ただそれだけの魔法だ。


 電撃がヴァーツラフの腕を貫いた。ナイフが手から弾け飛び、床に落ちる。ヴァーツラフの全身が痙攣し、膝から崩れた。


 マルクスはもう一歩踏み込み、倒れたヴァーツラフの背に膝を落とした。腕を背中にねじり上げ、卓の上の酒瓶の紐を引きちぎって手首を縛る。手慣れた動きだった。


「ぐ……っ、離せ……!」


「大人しくしろ。お前が動くたびに縄を締める」


 ヴァーツラフは歯を剥いたが、スタンの痺れが全身に残っている。暴れる力はなかった。


 マルクスは視線を——ルードルフに向けた。


 ルードルフは席から立ち上がりかけていた。逃げようとしたのだろう。だがマルクスの灰色の瞳に射すくめられ、膝から力が抜けた。


「ひっ……」


「お前も逃げられんぞ」


 マルクスは静かに言った。


「ベッカー家の人間だからな」


 ルードルフは、がたがたと震えながら椅子に崩れ落ちた。




 懐の通信石に、短く魔力を込めた。


「終わった。二人とも押さえてある。——執行官か衛兵手配してくれ。身柄を引き渡す」


『……お前、本当にやったのか。分かった、すぐ手配する』


 ヤンの声は短く、確かだった。デサートニクの上に立つ行政局の執行官——ヤンの治安組織上の上司に当たる。夜中の呼び出しになるが、元老院議員の嫡男に対する精神干渉と脅迫だ。動かない理由がない。


 程なくして、衛兵が二人、酒場に踏み込んできた。マルクスは事情を手短に説明し、ヴァーツラフとルードルフの身柄を引き渡した。


 ヴァーツラフは痺れの残る足を引きずりながら、マルクスを睨みつけていた。衛兵がその腕を掴み、連れ出していく。ルードルフはもう抵抗する気力もなく、うなだれたまま従った。


 マルクスは酒場を出た。旧市街の夜風が頬を撫でる。


(カールは無実だ。記憶は汚染されていた——全て、偽物だった)


 あの若者が背負い込んでいた罪悪感には、何の根拠もなかった。やってもいないことに苦しめられ、眠れない夜を過ごしていた。——それを思うと、腹の底が静かに煮えた。


 あとやるべきことは三つ。


 女と腕輪を押さえ、物的証拠を確保すること。


 カールの記憶領域から偽データの痕跡を検出し、記憶の汚染を立証すること。


 そして——ハインリヒに報告し、後始末を委ねること。


 マルクスは旧市街の暗い路地を、ギルド街に向かって歩き出した。


(第6節 了)


---


### 解説:ボイシェル(Beuschel)


連邦西部の伝統的な内臓料理。主に子牛の心臓と肺を薄切りにし、クリームベースのラグーソースで煮込む。西部の料理文化が交易路を通じてアルカに伝わったもので、旧市街の古い酒場でいまも出てくる。


**外見と香り:** 白濁したソースの中に、淡い褐色の薄切り肉が沈んでいる。独特の内臓の香りがあり、慣れない者は敬遠するが、煮込むことで臭みは和らぎ、濃厚なコクに変わる。


**味わい:** 肉は柔らかく、クリームソースのまろやかさと酸味が絡む。黒パンやクネーデルでソースを拭い取りながら食べるのが一般的だ。「骨の髄まで使い切る」という中欧の食文化が凝縮した一皿で、上品な店には並ばないが、裏通りの酒場では珍しくない。


**作中での位置づけ:** ヴァーツラフが何気なく注文し、会話の合間に黙って口に運ぶ。食べることへの淡白さが、この男の生き方を映している。隣のルードルフが何も頼まないのと対照的だ。


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