第八十四話「決別」
時間も距離もその感覚を掴めない、精神世界に広がる金色の草原をどれくらい歩いたのか。あるいはその場から動いてすらいないのか。ふと、眼前に場違いな深緑の巨大扉が現れる。
その扉には、セフィロトの樹が描かれている。だが、普段目にするものとは違い、セフィラには十二番目の円が描かれている。
「実に興味深いセフィロトの樹ね。十一番目のセフィラ、点線円のダアトとは別に、マルクトの上に極小円。神の住まいし宮というよりも、王国を守る砦――ヘーカルといったところかな。ならば隔絶世界の排除プログラムである銀甲冑はさながらルーツね」
思考の海を泳ぐエイヴェリーは、夢中になって独白する。
壁の塗装が乾燥でひび割れて剥がれ落ちるみたいに、精神世界の空がボロボロと崩れだした。
「エイヴェリー、まずい。今回も扉に触れることすらなく、プログラムが起動したようだ」
「なんの情報も渡さないつもりね。まったく寛大とは程遠い連中なんだから。それだけ知られてはまずいものがあるということの裏返し。ますます興味は尽きないけど、あれがそう何体も顕現するのは問題ね」
そうエイヴェリーが話す最中に、三人は現実の物質世界に引き戻される。
「あの子、運が良かったわね。なんとか自我を保てて、ギリこっちの世界に戻って来れたみたいね」
カインを一瞥したエイヴェリーは、祭壇に顕現した銀の甲冑姿に視線を移す。
先程まで手足を拘束され、祭壇で眠らされていた子供の姿がない。
「彼の肉体を拠り所に、自身の存在軸をこの世界に固定したと見るのが順当な考えか」
冷静に白衣のイーディスが分析する。
「つまりは高次元存在の受肉体。若干変則的な、ってところ?」
ヴン……。空間の揺らぎ。銀甲冑の姿が不意に消えた。
一瞬で距離を詰めると、銀の拳がエイヴェリーの小さな頭に振り下ろされる。右腕に肉体強化の魔法を重ね掛けして、それを防ぐも、ゴギッと嫌な音が耳の近くで響いた。
「これだから物理は嫌だわ」
と、ぼやきながら無詠唱で風の魔法弾を六連射で銀甲冑に叩き込み、自身との距離を引き離す。
イーディスはその様子を黙って見ていた。
再び空間が揺らぎ、エイヴェリーの前に銀甲冑。
「コロスコロスコロス……」
銀甲冑からくぐもった小声。
「被験体七号の感情かな?
ねぇ聞こえた、イーディス?これには意志がある。いや嫌悪のような原始的な本能かも」
銀甲冑との距離を風魔法で一定に保ちつつ、エイヴェリーが楽しげに声を上げた。
「受肉はむしろ、精神世界の深奥へのアクセスを強制切断するための手段と見るべきかしら。それにしても、この瞬間移動の術式は厄介極まりないわね。座標軸の変域はさほど大きくなさそうだけど」
(あれを牽制しながら考えに没頭している今なら彼女を、神の子を殺せるかもしれない)
イーディスの脳裏に不埒な考えがよぎった。
(彼女の理想へと至る手法は危険過ぎる。やはりこれ以上は看過できない。誰かが止めなければ!それは一番弟子であり、彼女の良き理解者である私の役目!)
中・遠距離からの魔法射撃では仕留められない。近距離からの極大物理魔法を叩き込む!
イーディスは覚悟を決め、駆け出した!
銀甲冑と格闘中のエイヴェリーの背後を取る。その射線上には、茫然自失でへたり込むカインの姿が。
「……エイヴェリー、私と共に地獄へ!ヒュペリオン・ハイデント!!」
雷鎚を纏う氷の巨槍が、無防備なエイヴェリーの背ごと銀甲冑とカインとを一瞬にして薙ぎ払う!
塔の上半分が吹き飛んだ。瓦礫が散乱し、もうもうと砂煙を上げる。
「イーディス、君には失望ね。ここに来て私を裏切るなんて」
カインの姿を認め、わずかに躊躇したのが甘かった。それは、エイヴェリーが防御魔法を展開するのに、十分な時間であった。痛恨の失策である。
完全に仕損じた。
さらに無駄な犠牲まで出してしまった。巻き込んだカインは助かるまい。
苦虫を噛み潰したような顔で砂煙が晴れるのを待つイーディス。
しかし、予想に反してカインは無事であった。
先程とは別の、階下に鎖で繋がれていた銀甲冑がカインを守るように、そこには立っていた。
「お前……俺を助けてくれたのか?」
「ほぅ。これは実に興味深い。殺戮本能だけで動いていると思ってたいたあの銀甲冑が」
(あの子を止めて。神境の番人の意志に飲まれてる!)
「シーナ!シーナなのかっ!」
心の中で響くシーナの声。だが、カインからの呼び掛けには反応がない。
その時、瓦礫を跳ね上げ、大柄の銀甲冑が一番近くにいたカインに襲いかかる!
「コロスコロスコロス…………」
(避けきれない……)
と、恐怖でカインは目を瞑る。
その彼の頭へと振り抜かれた右ストレートを、抱え込むように肘から掴んで、細身の銀甲冑が相手の力を利用して足払いをかける。
頭部から床に叩きつけられた大柄の銀甲冑。
それには見向きもせず、細身銀甲冑はカインを抱いて、その場をさっと跳び離れた。
「あれには巻き込んだ被験体六号の意思が反映されているようね。面白い」
エイヴェリーが目を輝かせ、笑みを浮かべる。
「だとしたら、被験体六号は神の意志の一端に触れているはず!」
そのエイヴェリー目掛けて銀甲冑が無造作に突っ込んでいく。
「ホント邪魔ね。こっちのは面白くないのよ。一番近くの者を無差別に襲うだけだもの」
その銀甲冑の動きに同調し、挟撃する形でイーディスが逆側から、エイヴェリーに攻撃を仕掛けようと動いた。
「そうね。その前にイーディス、あなたをどうにかしないと。この研究の成果を外部に漏らされると事だから」
「ヘカトス・アガナベルア!!」
イーディスの力ある言葉によって生み出された、数百の魔法の赤き矢が一斉に放たれる。エイヴェリーは魔力障壁を展開し、イーディスの矢を弾くも、何本かに一本の矢が障壁を貫通し、エイヴェリーの二の腕や太ももに突き立つ。
(魔力濃度を変えた矢を紛れ込ませたのね)
さらには矢をものともしない銀甲冑がエイヴェリーに肉迫し、強烈な打撃を加えようとする。その瞬間、エイヴェリーの姿が二人の前から忽然と消えた。
「見様見真似で使ってみたけど、なかなか魔力消費が激しい術式ね。思った所に出られないし。座標設定の運用がまだまだ甘いわね。効率化、改良の余地ありといったところかしら」
この短時間で銀甲冑の瞬間移動の術式を解析し、自らの術式に落とし込み、使いこなすというのか。
ガコンッ!
(なんの音?銀甲冑の中から聞こえた?)
急激な魔力量の増大を感知!
赤黒いもやが銀甲冑の周囲に発生する。異常なほどの魔力の膨張が視認できるほどに。
「排除プログラムの怒りを買ったようね。ここで確実にイーディスを仕留め、彼らの身柄を確保しておきたかったのに」
そう言うとエイヴェリーは先程覚えた瞬間移動の術式を駆使して、東塔を出てさらには水堀を越え、一瞬にして施設の外に退避する。
後を追うように逆方向へと、カインを抱いた細身の銀甲冑が脱出を図る。
(ここを吹き飛ばすつもりかっ!)
まだここには何人もの子供や衛兵がいるというのに。けれども、銀甲冑の周りに集まる魔力は、もはや止められる量じゃない。自分の身一つすら守れるかどうか。
(でも、生き残り、エイヴェリーを止めなければ!とにかくここを離れないと!)
ズガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガ!!!!!!
目が眩むほどの閃光と鼓膜が破れるほどの爆発音が、その被害の大きさを雄弁に物語っていた。
凄まじい爆発が一瞬にしてその場を更地へと変えていた。




