はじめまして
王都までの十日、夜は道ばたで火を焚いて眠った。
商人のおじさんが火をおこすと、俺はそのへんで枝を一本拾ってきて、焚き火にくべる。
みおがいなくなってから、一日も欠かしたことはない。旅の途中でも、それは同じだ。
おじさんは、最初の晩こそ不思議そうな顔をしたが、三日目からは、乾いた枝を一本よけておいてくれるようになった。
枝が、ぱちりとはぜる。
隣にしゃがんで、口をとがらせて火を見る子は、ここにはいない。
母さんの薪は、袋の口からのぞかせたままにしてあった。暖炉にくべるために、持たされた薪だ。
袋の底には、父さんの手紙も入っている。封がしてあって、表には父さんの太い字で、ローズマリー、とだけ書いてあった。
聞いたことのない名前だった。たぶん、女の人だ。父さんと並んで竜と戦ったなら、きっと、父さんより腕の太い人だろう。
十日目の昼、丘の上から、王都アルバが見えた。
白い。
城壁も、その内側にびっしりと並ぶ家々も、真ん中の丘に立つ城も、すべてが白かった。壁も、屋根も、塔の先まで。昼の光を照り返して、街全体が、うっすらと光って見える。
村の家の壁と、同じ白だった。ここでは、それが見渡すかぎり続いている。
城を真ん中にして、太い通りが何本も、まっすぐ外へ伸びている。馬車の車輪を、上から見たような形だ。
知っている景色だった。ゲームの中で、何百回も見た。
「白は、ヒューマンの色だからな」
手綱を握ったまま、おじさんが自分のことのように胸を張った。
「ヒューマンってのは、純粋で誠実な種族だ。だから、王都も白いのさ」
四歳から親に嘘をつき続けてきたヒューマンなら、ここに一人いる。黙っておいた。
門をくぐると、足元が白い石畳に変わった。車輪が、村の土の道では聞いたことのない、乾いた音を立てる。
それから、人の声が押し寄せてきた。
人の数なら、朝の新宿駅のほうがずっと多い。なのに、こっちのほうが、ずっとうるさい。値切る声。呼び込みの声。どこかで、誰かが大声で笑っている。
あの駅では、誰とも目が合わなかった。ここでは、誰もが誰かと目を合わせている。
通りの形も、店の並びも、覚えているとおりだ。違うのは、派手な鎧や光る杖を持った連中が、一人も歩いていないことくらいだった。
あのころ、この通りの半分は、プレイヤーだった。
今ここを歩いているのは、ここで暮らしている人だけだ。
学園の門も、見覚えのある形をしていた。
手紙を見せると、門番は宛名を見て、なぜか眉を上げた。案内されたのは、中庭に面した小さな部屋だった。机と椅子が一つずつあるだけで、ふだん誰かが使っている様子はない。
窓辺に立っていたのは、ずいぶん細い人だった。
まっすぐな黒髪を、首のうしろで一つに結んでいる。その髪から、長い耳の先がのぞいていた。
エルフだ。
二十歳くらいにしか見えない。父さんの仲間というより、父さんの娘でも通りそうだ。ただ、目だけが、ずっと年を取っていた。
その人は手紙を受け取ると、封を切って、黙って読んだ。目が一往復しただけで、終わった。よほど短い手紙だったのだろう。
それから、俺の顔をじっと見た。
「林を一本の道にした子供というのは、お前か」
「……はい」
「噂では、山が一つ消えたことになっている」
表情が、少しも動かない。冗談なのか本気なのか、さっぱりわからなかった。
父さんの竜と同じだ。話というのは、遠くへ行くほど大きくなるらしい。
「あと十日遅ければ、学園が迎えを出すところだった」
父さんの読みどおりだった。噂は、とっくに王都まで届いていた。
「ローズマリーだ。昔、お前の親父と組んでいた」
「……学園の、先生ですか」
「新入生の相手は、私の仕事じゃない」
答えになっていなかった。
エルフなら、父さんの話に出てくる。
「……もしかして、父さんに求婚して断られたっていう、エルフの姫ですか」
ローズマリーさんは、少しのあいだ黙った。
「姫じゃない」
「……」
「求婚もしていない。パーティーに入れてくれと三回頭を下げてきたのは、あいつのほうだ。二回断った」
父さんの話の中で、エルフの姫は三人まで増えた。下げた頭の数だったらしい。
「手紙には、二つだけ書いてあった」
ローズマリーさんは、便箋を指で弾いた。
「息子を頼む。俺より強い。これで一つだ」
父さんらしかった。
「あいつが、自分より強いと書くのは初めて見た。だから、見に来た」
「もう一つは」
「毎晩、薪を一本くべる。好きにさせてやってくれ、だそうだ」
息が、止まった。
父さんは一度も、なんで薪なのかを聞かなかった。聞かないまま、こうして書いてくれていた。
「なんで薪なんだ」
うまい答えは、見つからなかった。
ローズマリーさんは、それ以上は聞かなかった。
「学園のことは、聞いているか」
「少しだけ」
「ここでは、年は関係ない。できる者から先へ進む。お前なら、どの段から始めてもいい。望むなら、二、三年で出してやれる」
「一年目からでいいです」
声は、すぐに出た。
ローズマリーさんの眉が、少しだけ動いた。会ってから、初めて動いた。
「理由は」
「後から来るやつがいるんで」
言ってから、急に照れくさくなって、付け足した。
「……子分なんで。親分を待たないと」
嘘ではなかった。全部でもなかった。
ローズマリーさんは、しばらく俺を見ていた。それから、便箋をたたんだ。
「本当のことほど、冗談にする。そういうところは、親父そっくりだ」
部屋を出ようとすると、背中に声がかかった。
「寮の談話室に、暖炉がある。冬までは、火を入れない決まりだ」
振り返ると、ローズマリーさんは、もう窓の外を見ていた。
「一本だけだぞ」
「一本しか、くべません」
「知っている。手紙に、そう書いてあった」
寮は、まだがらんとしていた。
入学式まで、あと五日ある。新入生のほとんどは、これから着く。相部屋の相手も、まだ来ていなかった。
日が暮れると、窓の下の通りを、灯り番が長い棒を持って歩いていった。棒の先が触れるたびに、街灯に一つずつ灯りがともる。同じ間をあけて、同じ色の灯りが、通りの先までまっすぐ並んでいく。白い壁が、灯りの色に染まった。
村の灯りは、母さんが指を鳴らしてつけるものだった。
すっかり暗くなってから、談話室に下りた。
大きな暖炉だった。村の家の暖炉なら、三つは入りそうだ。中はきれいに掃除されていて、灰ひとつ残っていない。
袋から、母さんの薪を抜いた。十日のあいだ、袋の口からのぞいていた薪だ。
暖炉の脇にあった火打ち石で、焚きつけに火をつけた。小さな火が育つのを待ってから、母さんの薪を一本、そっとのせる。
火が、ゆっくりと皮をなめていく。
ぱちり、とはぜる。
裏の林の匂いがする。
売ってるのと、うちのとは違う。母さんの言ったとおりだった。
広い暖炉の真ん中で、一本の薪が燃えている。頼りないくらい、小さな火だ。
出発の前の晩、父さんは、家の暖炉は父ちゃんがくべとく、と言った。今ごろ、村の暖炉でも、父さんが一本くべているはずだ。
火を見ていると、もう一つの暖炉を思い出す。ゲームの家の暖炉。薪をくべるのは、いつもみおの係だった。
この学園は、ゲームの中で、俺とみおの学生時代が始まった場所だ。一年目の、秋の入学式から。
一年目からでいい、と言った、もう一つの理由だった。
みおが動かしていたキャラは、この世界にもいるのだろうか。
俺が、シオンとしてここにいるみたいに。
いるなら、会いたい。
会うのが、怖い。
いなければ、それまでだ。いたとして、中にいるのが、みおじゃなかったら。
みおだったら——。
その先は、十二年、考えないようにしてきた。
母さんの薪は、時間をかけて燃えた。最後の火の粉が消えるまで、俺は暖炉の前から動けなかった。
次の晩からは、市場で買った薪をくべた。
形も大きさも、母さんの薪とほとんど変わらない。それなのに、燃え方が違う。はぜる音も、匂いも。どこがと聞かれても、うまく言えないけれど。
母さんが聞いたら、ほらね、と胸を張るだろう。
寮は、日ごとににぎやかになった。廊下を走る足音。聞いたことのない訛り。夜遅くまで、どこかの部屋から歌が聞こえる。
学園のあちこちで、淡い色の髪の子とすれ違うたびに、足が止まった。どれも、知らない顔だった。
中庭には、大きな木が一本立っていた。村のいつもの木より、ずっと高い。
気がつくと、てっぺんを見上げていた。
誰も、いなかった。
家に、手紙を書いた。
父さんと母さんの分は、すぐに書けた。
『無事に着いた。ローズマリーさんに会った。エルフの姫の正体は、母さんにだけ教える。焦げてないご飯には、まだ飽きてない』
ミモザ宛ての分は、三回書き直した。何を書いても、怒られる気がした。
結局、一行だけにした。
『学園の木は、いつもの木より高い』
読んだら、きっと怒る。それから、村でいちばん高い木に登りに行くはずだ。
入学式の講堂も、知っている場所だった。
高い天井。色のついた窓ガラス。壇の上の、古い紋章。ゲームの中で、何度も来た。
大学の入学式も、こんな広い講堂だった。何百人も並んで座って、隣が誰だったかも覚えていない。同じサークルだったみおのことも、最初のころは、名前くらいしか知らなかった。
だから、ゲームの中では、ここで出会ったことにした。
新入生は、百人ほどいた。俺と同じくらいの子供もいれば、ずっと年上に見える人もいる。年は関係ない、とローズマリーさんは言っていた。
いつのまにか、一人ずつ顔を見ていた。
ミモザは、ここにはいない。来るのは、来年か、再来年だ。
待つのは、俺のほうだ。
わかっているのに、目は、淡い色の髪を探していた。
端のほうの席に座った。隣は、空いたままだった。
壇の上に人が立つ直前、その席に、誰かがすべり込んできた。少し息を切らしている。走ってきたらしい。
「はじめまして」
隣から、声がした。
振り向いて、そのまま動けなくなった。
知っている顔だった。
淡い色の髪が、窓からの光を受けて、少しだけ桃色にきらめいている。ゲームの中で、何年も見てきた顔。その、いちばん最初の顔だ。
あの日、この講堂で、みおも同じことを言った。はじめまして、と言ってから、変なの、と自分で吹き出した。
目の前の女の子は、吹き出さなかった。
少し首をかしげて、俺の返事を待っている。
知らない人を見る目で。
「ネリネといいます」
ネリネ。
それは、みおがゲームで使っていたキャラの名前だ。




