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8/12

はじめまして

王都までの十日、夜は道ばたで火を焚いて眠った。


商人のおじさんが火をおこすと、俺はそのへんで枝を一本拾ってきて、焚き火にくべる。


みおがいなくなってから、一日も欠かしたことはない。旅の途中でも、それは同じだ。


おじさんは、最初の晩こそ不思議そうな顔をしたが、三日目からは、乾いた枝を一本よけておいてくれるようになった。


枝が、ぱちりとはぜる。


隣にしゃがんで、口をとがらせて火を見る子は、ここにはいない。


母さんの薪は、袋の口からのぞかせたままにしてあった。暖炉にくべるために、持たされた薪だ。


袋の底には、父さんの手紙も入っている。封がしてあって、表には父さんの太い字で、ローズマリー、とだけ書いてあった。


聞いたことのない名前だった。たぶん、女の人だ。父さんと並んで竜と戦ったなら、きっと、父さんより腕の太い人だろう。


十日目の昼、丘の上から、王都アルバが見えた。


白い。


城壁も、その内側にびっしりと並ぶ家々も、真ん中の丘に立つ城も、すべてが白かった。壁も、屋根も、塔の先まで。昼の光を照り返して、街全体が、うっすらと光って見える。


村の家の壁と、同じ白だった。ここでは、それが見渡すかぎり続いている。


城を真ん中にして、太い通りが何本も、まっすぐ外へ伸びている。馬車の車輪を、上から見たような形だ。


知っている景色だった。ゲームの中で、何百回も見た。


「白は、ヒューマンの色だからな」


手綱を握ったまま、おじさんが自分のことのように胸を張った。


「ヒューマンってのは、純粋で誠実な種族だ。だから、王都も白いのさ」


四歳から親に嘘をつき続けてきたヒューマンなら、ここに一人いる。黙っておいた。


門をくぐると、足元が白い石畳に変わった。車輪が、村の土の道では聞いたことのない、乾いた音を立てる。


それから、人の声が押し寄せてきた。


人の数なら、朝の新宿駅のほうがずっと多い。なのに、こっちのほうが、ずっとうるさい。値切る声。呼び込みの声。どこかで、誰かが大声で笑っている。


あの駅では、誰とも目が合わなかった。ここでは、誰もが誰かと目を合わせている。


通りの形も、店の並びも、覚えているとおりだ。違うのは、派手な鎧や光る杖を持った連中が、一人も歩いていないことくらいだった。


あのころ、この通りの半分は、プレイヤーだった。


今ここを歩いているのは、ここで暮らしている人だけだ。



学園の門も、見覚えのある形をしていた。


手紙を見せると、門番は宛名を見て、なぜか眉を上げた。案内されたのは、中庭に面した小さな部屋だった。机と椅子が一つずつあるだけで、ふだん誰かが使っている様子はない。


窓辺に立っていたのは、ずいぶん細い人だった。


まっすぐな黒髪を、首のうしろで一つに結んでいる。その髪から、長い耳の先がのぞいていた。


エルフだ。


二十歳くらいにしか見えない。父さんの仲間というより、父さんの娘でも通りそうだ。ただ、目だけが、ずっと年を取っていた。


その人は手紙を受け取ると、封を切って、黙って読んだ。目が一往復しただけで、終わった。よほど短い手紙だったのだろう。


それから、俺の顔をじっと見た。


「林を一本の道にした子供というのは、お前か」


「……はい」


「噂では、山が一つ消えたことになっている」


表情が、少しも動かない。冗談なのか本気なのか、さっぱりわからなかった。


父さんの竜と同じだ。話というのは、遠くへ行くほど大きくなるらしい。


「あと十日遅ければ、学園が迎えを出すところだった」


父さんの読みどおりだった。噂は、とっくに王都まで届いていた。


「ローズマリーだ。昔、お前の親父と組んでいた」


「……学園の、先生ですか」


「新入生の相手は、私の仕事じゃない」


答えになっていなかった。


エルフなら、父さんの話に出てくる。


「……もしかして、父さんに求婚して断られたっていう、エルフの姫ですか」


ローズマリーさんは、少しのあいだ黙った。


「姫じゃない」


「……」


「求婚もしていない。パーティーに入れてくれと三回頭を下げてきたのは、あいつのほうだ。二回断った」


父さんの話の中で、エルフの姫は三人まで増えた。下げた頭の数だったらしい。


「手紙には、二つだけ書いてあった」


ローズマリーさんは、便箋を指で弾いた。


「息子を頼む。俺より強い。これで一つだ」


父さんらしかった。


「あいつが、自分より強いと書くのは初めて見た。だから、見に来た」


「もう一つは」


「毎晩、薪を一本くべる。好きにさせてやってくれ、だそうだ」


息が、止まった。


父さんは一度も、なんで薪なのかを聞かなかった。聞かないまま、こうして書いてくれていた。


「なんで薪なんだ」


うまい答えは、見つからなかった。


ローズマリーさんは、それ以上は聞かなかった。


「学園のことは、聞いているか」


「少しだけ」


「ここでは、年は関係ない。できる者から先へ進む。お前なら、どの段から始めてもいい。望むなら、二、三年で出してやれる」


「一年目からでいいです」


声は、すぐに出た。


ローズマリーさんの眉が、少しだけ動いた。会ってから、初めて動いた。


「理由は」


「後から来るやつがいるんで」


言ってから、急に照れくさくなって、付け足した。


「……子分なんで。親分を待たないと」


嘘ではなかった。全部でもなかった。


ローズマリーさんは、しばらく俺を見ていた。それから、便箋をたたんだ。


「本当のことほど、冗談にする。そういうところは、親父そっくりだ」


部屋を出ようとすると、背中に声がかかった。


「寮の談話室に、暖炉がある。冬までは、火を入れない決まりだ」


振り返ると、ローズマリーさんは、もう窓の外を見ていた。


「一本だけだぞ」


「一本しか、くべません」


「知っている。手紙に、そう書いてあった」



寮は、まだがらんとしていた。


入学式まで、あと五日ある。新入生のほとんどは、これから着く。相部屋の相手も、まだ来ていなかった。


日が暮れると、窓の下の通りを、灯り番が長い棒を持って歩いていった。棒の先が触れるたびに、街灯に一つずつ灯りがともる。同じ間をあけて、同じ色の灯りが、通りの先までまっすぐ並んでいく。白い壁が、灯りの色に染まった。


村の灯りは、母さんが指を鳴らしてつけるものだった。


すっかり暗くなってから、談話室に下りた。


大きな暖炉だった。村の家の暖炉なら、三つは入りそうだ。中はきれいに掃除されていて、灰ひとつ残っていない。


袋から、母さんの薪を抜いた。十日のあいだ、袋の口からのぞいていた薪だ。


暖炉の脇にあった火打ち石で、焚きつけに火をつけた。小さな火が育つのを待ってから、母さんの薪を一本、そっとのせる。


火が、ゆっくりと皮をなめていく。


ぱちり、とはぜる。


裏の林の匂いがする。


売ってるのと、うちのとは違う。母さんの言ったとおりだった。


広い暖炉の真ん中で、一本の薪が燃えている。頼りないくらい、小さな火だ。


出発の前の晩、父さんは、家の暖炉は父ちゃんがくべとく、と言った。今ごろ、村の暖炉でも、父さんが一本くべているはずだ。


火を見ていると、もう一つの暖炉を思い出す。ゲームの家の暖炉。薪をくべるのは、いつもみおの係だった。


この学園は、ゲームの中で、俺とみおの学生時代が始まった場所だ。一年目の、秋の入学式から。


一年目からでいい、と言った、もう一つの理由だった。


みおが動かしていたキャラは、この世界にもいるのだろうか。


俺が、シオンとしてここにいるみたいに。


いるなら、会いたい。


会うのが、怖い。


いなければ、それまでだ。いたとして、中にいるのが、みおじゃなかったら。


みおだったら——。


その先は、十二年、考えないようにしてきた。


母さんの薪は、時間をかけて燃えた。最後の火の粉が消えるまで、俺は暖炉の前から動けなかった。



次の晩からは、市場で買った薪をくべた。


形も大きさも、母さんの薪とほとんど変わらない。それなのに、燃え方が違う。はぜる音も、匂いも。どこがと聞かれても、うまく言えないけれど。


母さんが聞いたら、ほらね、と胸を張るだろう。


寮は、日ごとににぎやかになった。廊下を走る足音。聞いたことのない訛り。夜遅くまで、どこかの部屋から歌が聞こえる。


学園のあちこちで、淡い色の髪の子とすれ違うたびに、足が止まった。どれも、知らない顔だった。


中庭には、大きな木が一本立っていた。村のいつもの木より、ずっと高い。


気がつくと、てっぺんを見上げていた。


誰も、いなかった。


家に、手紙を書いた。


父さんと母さんの分は、すぐに書けた。


『無事に着いた。ローズマリーさんに会った。エルフの姫の正体は、母さんにだけ教える。焦げてないご飯には、まだ飽きてない』


ミモザ宛ての分は、三回書き直した。何を書いても、怒られる気がした。


結局、一行だけにした。


『学園の木は、いつもの木より高い』


読んだら、きっと怒る。それから、村でいちばん高い木に登りに行くはずだ。



入学式の講堂も、知っている場所だった。


高い天井。色のついた窓ガラス。壇の上の、古い紋章。ゲームの中で、何度も来た。


大学の入学式も、こんな広い講堂だった。何百人も並んで座って、隣が誰だったかも覚えていない。同じサークルだったみおのことも、最初のころは、名前くらいしか知らなかった。


だから、ゲームの中では、ここで出会ったことにした。


新入生は、百人ほどいた。俺と同じくらいの子供もいれば、ずっと年上に見える人もいる。年は関係ない、とローズマリーさんは言っていた。


いつのまにか、一人ずつ顔を見ていた。


ミモザは、ここにはいない。来るのは、来年か、再来年だ。


待つのは、俺のほうだ。


わかっているのに、目は、淡い色の髪を探していた。


端のほうの席に座った。隣は、空いたままだった。


壇の上に人が立つ直前、その席に、誰かがすべり込んできた。少し息を切らしている。走ってきたらしい。


「はじめまして」


隣から、声がした。


振り向いて、そのまま動けなくなった。


挿絵(By みてみん)


知っている顔だった。


淡い色の髪が、窓からの光を受けて、少しだけ桃色にきらめいている。ゲームの中で、何年も見てきた顔。その、いちばん最初の顔だ。


あの日、この講堂で、みおも同じことを言った。はじめまして、と言ってから、変なの、と自分で吹き出した。


目の前の女の子は、吹き出さなかった。


少し首をかしげて、俺の返事を待っている。


知らない人を見る目で。


「ネリネといいます」


ネリネ。


それは、みおがゲームで使っていたキャラの名前だ。


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