消えずの薪
仕事を辞めたのは、それから一か月ほどしてからだった。
「辞めるのは、いつでもできるだろ。少し休んでからでも」
高嶋部長は、会議室で何度もそう言ってくれた。人事からは、ケアの案内が届いた。福利厚生で、フォーミュラ社の感情ケアAI「カーム」が使えるらしい。
俺は、どっちも断った。
周囲には止められたし、ケアも用意してもらった。でも正直言って、無気力だった。
外に出ると、ふと思い出しそうだった。コンビニの棚のポテチ。駅前のスタバ。夜道。
だから、家に引き篭もった。ゲームと酒とタバコだけ。
起きている時間のほとんどを、ゲームの中で過ごした。魔物を狩って、素材を売って、また狩る。何も考えなくていいのが、ありがたかった。
夜になると、必ずハウスに戻った。暖炉に、薪を一本くべる。それだけは、一日も欠かさなかった。
友達は、最初のうちは定期的に顔を見に来てくれた。
『飲み行こうぜ』
『たまには外出ろよ』
『生きてる?』
LINEの間隔は、少しずつ空いていった。
フレンドリストの「みお 最終ログイン」は、三十日目で数字が止まった。
みお 最終ログイン:30日以上前
そこから先は、何日たっても同じ表示のままだった。
ゲームのほうが先に、数えるのをやめた。
裁判が始まったのは、それから半年後だった。
久しぶりに着たスーツは、少しゆるくなっていた。
裁判所の前には、もう長い列ができていた。記者らしい人たちと、ただの見物人みたいな人たち。俺は、その最後尾に並んだ。
係の人が、手首に紙のリストバンドを巻いていく。番号が印刷されている。傍聴席は、抽選だった。
初日は、外れた。掲示板に並んだ番号の中に、俺の番号はなかった。
みおの家族には、抽選なんてない。
被告人質問の日に、やっと当たった。
法廷は、思っていたより狭かった。前のほうに木の柵があって、その向こうが法廷、こっちが傍聴席だ。
柵の向こう、検察官の隣に、小柄な女の人が座っていた。
みおのお母さんだった。
遺族は、柵の内側に座れるらしい。俺の席は、柵のこちら側だった。
刑務官に挟まれて、男が入ってきた。
どこにでもいそうな、痩せた中年の男だった。電車で隣に座っていても、たぶん気づかない。
こいつが、みおを。
男は、ずっと無表情だった。何を聞かれても、他人事みたいに短く答える。
「はい」
「覚えてません」
「そうだと思います」
弁護人が、男のこれまでを話した。工場の仕事を、AIに取られたこと。それから何年も、誰とも話していなかったこと。
それから、お母さんが立ち上がった。
「どうして……」
声が、震えていた。
「どうして、みおだったんですか」
男は、少しだけ考えるような顔をした。
「誰でもよかったんです」
気づいたときには、体が勝手に動いていた。
「なんでみおなんだよ!」
立ち上がって、柵をつかんでいた。自分の声とは思えないくらい、大きな声だった。
「傍聴人は静かに!」
裁判長の声が飛ぶ。職員が、こっちに駆け寄ってくる。
そのとき、男が振り返った。
初めて、目が合った。
男の顔が、変わった。迷子が、やっと名前を呼ばれたみたいな顔だった。
「……あんた、彼氏?」
男が、早口でしゃべり出した。
「すごいね、その顔。そんな顔で見られたの、何年ぶりだろ。工場クビになってからさ、誰も俺のこと見ないんだよ。話しかけても、返事するのはAIだけでさ。自分の気持ちなんて、とっくに全部処理しちゃったし」
「被告人、発言をやめなさい!」
裁判長が何度止めても、男はしゃべるのをやめなかった。
「怒ってくれるんだ。いいね。ほんとに、いいね」
職員に、両腕をつかまれる。それでも、柵から手が離れなかった。
男は、少しだけ首をかしげた。それから、天気の話でもするみたいに言った。
「ケーキセット、買えなくて残念だったね」
法廷が、静まり返った。
『ばっくれたら、ケーキセットね』
あの夜、俺の『今から帰ります』を見ていたのは、こいつだった。
みおのスマホで、二人の最後の一日を、上から順に読んでいた。
「傍聴人に、退廷を命じます」
両腕を抱えられて、法廷の外へ連れ出される。ドアが閉まる直前、柵の向こうで、お母さんが両手で顔を覆うのが見えた。
廊下の長椅子に、どれくらい座っていたのか、わからない。
俺の中で、何かが、音もなく終わった。
怒りをぶつける先は、ゲームの魔物しかなかった。
朝も夜も、狩り続けた。眠くなったら少しだけ眠り、起きたらまた狩る。倒しても倒しても、腹の底にあるものは、少しも減らなかった。
ランキングの数字が、少しずつ上がっていった。千位。百位。十位。
一年以上たったある日、俺の名前の横に「1」が並んだ。
サーバーで、一番強くなっていた。
うれしくも、何ともなかった。
それでも、夜にハウスで薪をくべることだけは、やめなかった。
友達は、今はもういない。最後のLINEがいつだったかも、もう覚えていない。
気づけば、俺に話しかけてくるのは、スマホのAIだけになっていた。
『悲しみを処理しますか?』は、いつの間にか『怒りを処理しますか?』に変わり、それもやがて、こうなった。
『この500日間、笑顔が検出されていません。悲しみを処理しますか?』
画面を伏せて、またログインした。
運営会社で情報漏洩が起きたのは、それから少しあとのことだった。
ニュースは三日で次の話題に変わり、会社は倒産した。聞いたことのない会社が事業を譲り受けたけど、結局うまくいかなかった。
そして、サービス終了のお知らせが届いた。
『平素より格別のご愛顧を賜り、誠にありがとうございます。誠に勝手ながら、本サービスは……』
AIが書いたみたいな文面だった。たぶん、本当にAIが書いたんだろう。
最後の夜。
広場には、プレイヤーが集まっていた。まだこんなに残っていたのかと思うくらいの人数だった。夜空に花火が上がり、チャット欄が滝みたいに流れていく。
『今までありがとう!』
『楽しかった』
『またどこかで』
俺は、広場には行かなかった。
ハウスの暖炉に、最後の薪をくべる。火が、ぱちりと鳴った。
木の床に、みおが勝手に置いた人をダメにするソファ。伝言板を開く。
『遅れてごめん。また明日』
返事は、最後まで書き込まれなかった。
その明日は、もう来ない。
『サービス終了まで、あと5分です』
画面の隅にシステムメッセージが流れたとき、メールボックスが光った。
アイテムが一つ、届いていた。差出人の欄は、空白だった。
『レジェンドアイテム 消えずの薪』
アイコンは、どう見てもただの薪だった。
添えられたメッセージを開く。
『今まで長く遊んでいただきありがとうございます! 最後にささやかですが、消えずの薪をプレゼントします。これからもアヴァターラをよろしくお願いします』
「……なんだこれ」
ゲームが終わるってのに、何をよろしくで、何に使うんだよ。
伝説の、薪。
あまりのばかばかしさに、喉の奥から変な音がもれた。
笑っていた。
みおがいなくなってから、初めてだった。
『サービス終了まで、あと10秒です』
どうせなら、と思った。消えずの薪を取り出して、暖炉にくべる。
3、2、1――
画面が暗くなる。――はずだった。
暖炉の火だけが、消えなかった。
白く燃え上がった火が、画面いっぱいに広がっていく。
「なんだこれ、まぶし……」
光が、部屋ごと俺を飲み込んでいく。
どこか遠くで、声がした。
「おーい、やっと笑った」
「え? これ、なに?」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
次の話から、舞台はアヴァターラの世界に移ります。
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