王直の提案
第26章
体調が回復した伊都の様子に一安心したパオロは、午後に通辞のデーンを伴って、徒歩で宇久氏の居城に向かいました。
「ここもアユタヤのような海上交易の要のような場所なのですね。雰囲気が似ています。」
居城に行く途中で通った町の市場に、唐人をはじめ、さまざまな国から来た人々が行き交っている様子に、デーンが独り言のように呟きました。
「ああ、宇久氏が王直殿と懇意にしていることがわかるな。以前ここに滞在したときは、会う機会がなかったが、王直殿はここを拠点にして、活動をしていると見える。」
城に着くと、顔見知りの門番の衛兵がすぐパオロに気づき、宇久氏との面会を申し入れると二人を中に案内してくれました。
そして控えの間で小一時間待っただけで、謁見の間に通されました。
「ご無沙汰をしまして申し訳ございません、純定殿。」
「これはこれは、パオロ殿。よもや別れの挨拶ではあるまいな。上様がお仲間の修道士たちを追放せよとお怒りのようだが、彼等と一緒にそなたも一時帰国されるのかな。」
「いえ、私は商人としてやるべき事がございますので残ります。使命として上様との取引交渉をしなくてはなりません。これからも純定殿とは引き続きお付き合いいただきたく、改めてご挨拶に参りました。」
「そうか、商売は順調そうなのだね。」
「はい、おかげさまで。ところで今、福江にあの王直殿がいらっしゃっているとか。よろしければ私も一度高名な五峰船主にお会いしたいと存じます。不躾なお願いではございますが、純定殿に紹介のお骨折りをいただくことは可能でしょうか。」
「おや、彼との取引も考えているということかな。」
「私は商人です。商売になる機会があるなら、どなたとでも…」
「おう、それは私も同じだな」
突然衝立の向こうから大きな声がして、豪華な絹製の長袍をまとっても引き締まっているとわかる、立派な体格をした壮年の男性が現れました。
もう初老と呼んでもよい年齢であるはずなのに、日の焼けた精悍な顔つき、内側から溢れる行動力、そして目の前にいる相手の心の中身までも見透かしてしまうような、圧倒的な迫力。
『存在感が半端ない人物、これが密貿易の王とも称される王直殿か…』
心の中で畏怖を感じながらも、パオロは挨拶を返しました。
「初めてお目もじいたします、パオロ・バルバリーゴと申します。」
「パオロ・バルバリーゴ? その名は聞き覚えがあるぞ。義彰殿からも、マラッカにいるアランとかいうポルトガル人からも。そなた、キプロスにいたそうだな。若くして商館長という立派な地位ついたのに、ヴェネツィアでの身分を捨ててここまでやってきたとは。」
自分の素性が知られていることに動揺しつつも、パオロは答えました。
「キプロスでは、いろいろございまして。市井の一商人となり、自分の力を試すためにここにやって参りました。」
「高官という地位より求めたいことがあったのか、それとも何かから逃げてきたのか。」
思わず口ごもってしまったパオロを見て、王直は豪快に笑ったあと続けました。
「ははは、まあ、一時逃亡も、生き抜くためには有効な作戦だ。国のお偉方なんて、現場の苦労を知らん奴ばかりだからな。そなたは真面目だな。それに胆力もありそうだ。確かに商取引には信用が重要だが、それだけでは無理な世界だと言う現実も分かっているようだ。キプロスではムスリム相手の戦闘に巻き込まれた聞いている。戦後処理で本国との調整に、さぞや苦労したんだろう。」
「そこまでご存じなのですか?」
「商売は情報戦だぞ。そなたの母国のお家芸ではないか。それにいま、どれだけの数の船が行き交っていると思う?」
「おっしゃる通りですね。」
「で、そなたはなぜ自分自身の船を持たないのだ? 自分の力を試したいなら、いつまでもポルトガル王の庇護の下にいては意味が無いではないか。それではいつまでたっても、ただ誰かの手先として動いているだけではないか。ヴェネツィア政府の高官でいた頃と何ら変わらん。」
自分を射貫くような王直の鋭い目に、思わずゾクリとしたパオロでしたが、思わずこう答えていたのです。
「今は、ポルトガル王の力を利用して、自立する準備をしているところでございます。」
「ふふふ、そなたのこと、気に入った。パオロ・バルバリーゴ殿。私と組まないか? そなたに船を貸しだそう。商売で儲かってから、買い取ってくれればいい。誰と何を取引しようが、自由だ。自分の意思のままに動けばいい。祖国のお偉方とも、ポルトガル王とも対等に付き合えるようになる。そのかわり、商売に関しては、我々お互いに協力し合おうではないか。」
突然の王直の申し出に、さすがにパオロは即答できません。
「王直殿、お申し出は大変興味がございます。ただ、私も今はポルトガルに対して、責任がございます。いま取りかかっている案件をまずは片付けなければなりません。その上で次に私がここに来るときにお返事いたします。」
「なるほど、賢明な返答だ。では一度だけ返事を待とう。」
「ありがとうございます。」
頭を下げて礼を言うパオロに、王直は急に口調を変えて、まるで父親のように語りかけました。
「パオロ殿、最初で最後の忠告だ。人生には時に、今までのしがらみを全て捨てて、生まれ変わってやり直したほうがいいことがあるものだ。
かつてそなたと同じイタリア半島にある国で産まれたキリスト教徒の男の、こんな話を聞いたことがある。
子どもの頃はそこそこ裕福な生活だったが、ムスリムの船に誘拐され、奴隷となってガレー船の漕ぎ手として生きるか死ぬかの毎日を何とか生き延びた。あるときひどい嵐に会い、船が座礁して多くの漕ぎ手や船員が沈んでしまったが、その男は事故のさなか、主人の命を助けたことから気に入られて、部下に引き上げられた。彼はあっさりとイスラムに改宗し、それからのし上がって、ついにスルタンも認める、属国の王にまで昇りつめたそうだ。人間、生まれ変わってやり直すと決意したときほど、力が出ないことはない。」
この話を聞いて、パオロは強烈に思い出したのです。自分の命の恩人ジェローム王の、キプロスでの最後の姿を。




