紅珊瑚の枝
第25章
翌朝、パオロが宇久氏の居城を訪問する前に、伊都を見舞うために、滞在することになった教会近くにある信徒たちの集会所の建物に向かうと、入り口付近に数人の島民が待っていました。彼らは前回パオロが五島に滞在したとき交流を持った漁民たちで、彼らがたまたま漁網にかかった紅珊瑚をパオロに見せたことから、彼はこの近くの海域で紅珊瑚が採集できることを知ることになったのです。
どうやら彼らは昨日の交易船で多数の宣教師たちや日本人が到着したことを知り、きっとパオロもやってきたのではないかと思って、やってきたようでした。たまたま集会所にいたアユタヤ人の通辞と何か話しているところにパオロが登場したので、彼らは皆、新たに採集した紅珊瑚を袋から取り出しました。
「また網にひっかかったものを持ってきました。言われた通りに網に重りをつけてみたところ、ほら、こんなに。」
両手一杯に紅珊瑚を差し出した者もいて、パオロは礼を述べ、「このことは他の者に内密にすることを約束してくれれば、また買い取るので頼むよ。」と言って、彼等が要求する額の渡来銭をすぐに渡したのです。
「それは紅珊瑚ですね。ここでも採れるとは知りませんでした。パオロ殿はこういった物産も扱われているのですか?」
見事な色の紅珊瑚を見て驚いたのか、アユタヤ人の通辞、デーンがパオロに尋ねました。
「ああ、見事な紅い色をしているだろう?ここでこんなに品質のよいものが採れるとは、私も驚いている。君も決してこのことは口外しないで欲しいんだが…。どうだろう。これからも私のところで働いてくれるなら、君への給金は銅銭ではなく、銀で払うことを約束する。その代わり、ここで見聞きしたことは、内密にしてくれ。」
「もちろんです。宣教師の方々はアユタヤにいってしまうので、私も雇い主を見つけなければならないところでした。実はマテオ殿から、パオロ殿に推薦していただくようお願いしたところだったのです。よろしくお願いいたします。」
「名前は、デーンだったね。」
「はい、偶然ですが、アユタヤの言葉で『紅い』という意味なんです。私は髪の色が赤みがかっているので、それでそう呼ばれています。」
「それは、何か因縁じみているね。デーン、今日は伊都殿を見舞ったあと、午後に宇久氏の城に登城する予定だ。同行して欲しいが、問題ないかな。」
「わかりました。伊都殿のところはお一人でよろしいですか。すぐにマテオ殿にこのことを報告に行ったあと、午後から同行いたします。」
パオロが建物の中に入り、伊都が滞在している部屋を探していると、とよとジョルジョが楽しそうに会話している声が聞こえてきました。
「ご体調はいかがですか。」と声をかけながら部屋も扉を開けると、板間に座り、すっかり顔色の良くなった伊都がにこにこしながら、とよとジョルジョの会話を聞いていました。
「あ、パオロ様」
「ジョルジョ、こんなところで遊んでいていいのか。明後日にはアユタヤに向けて出航だろう? 食料品の買い出しとか、いろいろ準備があるのではないか?」
「マテオ様から、伊都さまが必要なものをそろえて届けてあげなさいって、用事をいいつけられて市場に行った帰りなんです。」
とよはジョルジョに頭を下げ、お茶をご用意しますね、と言って部屋を出て行きました。
「パオロ殿、このたびは本当にありがとうございました。心から感謝いたします。」
ジョルジョがいるせいか、稽古のときのような伊都のやや他人行儀な挨拶にパオロは少し躊躇しましたが、思い切って改めて尋ねました。
「その…お腹の子は…」
「義彰さまの子です。私は、義彰様の右筆であり、同時に彼の後継者を産むという、もう一つのお勤めがございました。」
伊都の、有無を言わさないまっすぐな目を見ると、パオロはそれ以上何も言えなくなってしまったのです。
パオロは初対面のときから、義彰と伊都は親しい関係だとは察してはいました。彼女の立場を考えると、義彰との関係に口を挟むことなどできないどころか、妻子ある身の自分が、修道士のように何年も禁欲生活を続けることはできず、なし崩し的に彼女と関係を持ってしまったことに非があることは分かっていました。
-そもそもわが妻カテリーナも、恋を諦め、フォスカリ家の跡取りのために結婚し子どもをもうけたのではなかったか。自分も、跡取りである息子を得たことで、義務を果たしたとばかり、妻子を残して国をあとにすることができたのではなかったか。-
「右筆でありながら右手を失い、義彰様亡きあと、私ができる、そして果たさねばならないもっとも大切なことは、無事義彰様のお子を産むことでございます。」
-そうだ、カテリーナの妊娠中に、私はポルトガル王との謁見のために妻を置いて長い間不在にしていた。帰ってきたのは、本当に出産の直前、あのジュリオが作ったパドヴァ大学付属病院の、開設を祝う演奏会の日。凜月のカテリーナが演奏するリュートを聴き逃すところだった。カテリーナは、初めての妊娠で不安だっただろうに、私の不誠実な行動をどう思っていたのだろう。-
「上様は商人の方々とは引き続き良好な関係をお望みとのことですので、パオロ殿におかれましては、蔵奉行と約束されましたお取引のつつがない遂行を、伏してお願いいたします。」
-そうだ。今は誰の子かなんてことはどうでも良い。まずは無事に元気な子を産んでもらわなくては。幸い、ここの島民は伊都殿を心からを受け入れてくれたようだ。マテオたちに頼んで、安産の祈願の祈りを捧げてもらおう。私は、彼女のために何ができるだろうか…安産…そうだ。-
「伊都殿、これを、お受け取りいただけますか? 私の国では、とても古い時代から、これは安産のお守りとして身につけたり、産まれてきた子の首につるしたりいたします。妊娠中の不安を鎮めたり、心身を健やかに保つ効果があるとも言われております。ぜひ健やかな子を授かることができますように…。」
パオロは、先ほど漁民から受け取った紅珊瑚の枝を取り出し、その中でも最も紅く美しい形をしたものを選んで、伊都に差し出しました。
パオロの唐突で予想外の行動に、思わず目を瞠る伊都。しかし自分の身を心から案じるパオロの純粋な気持ちを感じ、
「ありがたく頂戴いたします。そこまで私のことを気遣っていただいて、嬉しい。」
と、涙ぐみながら受け取ったのです。




