Story 15
会話と会話の間の改行を無くしました。
食材を切る規則的な音が厨房に響く。
外は日の出の前の空が薄明るくなる頃で、家政婦の仕事を始めてから毎朝この時間に起きるようになった。早起きは苦ではないが、今日は少し眠い。
昨夜、水の精霊に付きまとい宣言をされたせいで、あまり眠れなかったのだ。
水回りの設備がない物置小屋には常に盥に水を張っている。物置小屋の近くに井戸があり、そこから水を汲んでくるのだが、水を見る度に水の精霊が現れるのではないかと身構えるようになってしまった。
今のところ水の精霊は現れていないが、だからこそ寝不足と言う結果になっている。
目の前にはサラダに適しているとダグラスさんに教わった、キャベツにとても良く似ている葉物野菜。眠気に意識がいかないよう、集中してそれを千切りにしていく。
「ねぇ、そんなに切ってどうするのぉ?」
隣から含み笑いと共に声を掛けられてハッとした。
明日も使用する野菜まで千切りにしてしまったようで、ビュッフェのような山盛りのサラダが出来上がっていた。食べる相手が成人男性と言えど、さすがにこの量は多過ぎる。
「ダグラスさん、おはようございます。すみません、これ、どうしよう?」
「おはよう、ニーナちゃん。少し萎びれちゃうけど昼食にも出しちゃうから大丈夫よ。それより、今日はアタシが非番だからお仕事代わるって言ったのにぃ」
「出掛けるまで、時間ある。それまで、お手伝いする」
「ふふ、ありがとう」
私が家政婦の仕事を休めるのは、代わってくれるダグラスさんが非番の日に限られる。
非番は厳密にいえば休みではない。非番日に緊急事態が発生した場合、突然現場に呼び出されるケースもあるし、彼等の場合は砦にいる小隊から指示を求められる事態も発生する。だから非常時に備えて非番の騎士は遠出を禁止されていて、主に騎士館内で過ごすようになっている。
今日はダグラスさんが非番の日だから、私は家政婦になって初めての公休日なのだ。
もともと私が来るまで第零隊騎士館寮の家事をしていたダグラスさんは、手慣れた手つきで朝食の準備を進めていく。
野球グローブみたいな大きな手で作られたとは思えない、ホテルの朝食に出てきそうなバゲットや様々なジャム、卵料理、ポタージュ。ジャムは先日ダグラスさんに教えてもらいながら一から手作りで作ったものだ。
ダグラスさんの厳つい姿からは想像出来ないスピーディで軽やかな包丁さばきも、筋肉の身に纏うフリルの付いた真っ白エプロンにも大分見慣れてきた。
「ニーナちゃん、少し早いけど朝食召し上がれー」
「ありがとうございます」
彼等が来る前に作業台の隅を少し片付けて、そこで朝食を摂る。
ダグラスさんに一度「一緒に食べれば良いじゃない」と誘われたが、丁重にお断りしておいた。私は雇われた身の家政婦で、騎士の彼等と同じ食卓を囲んで良い立場ではないのだ。断った時ダグラスさんは残念そうにしていたが、その後ろでシュロイズさんは断るのがさも当然のように表情筋だけで微笑んでいたから、私の答えは間違ってはなかったのだろう。
それ以来ダグラスさんは無理に誘うのを止めて、私が気に病まない場所で食事を摂るように促してくれている。
「はい、これもどうぞ」
小指を立てながら差し出されたのは、湯気の立つ香り高いカフェオレ。
ヴェルフェイム王国では朝食時にカフェオレを飲むのを好む人が多く、日本の丼鉢のような大きな陶器の器で飲まれることが一般的だそうだ。
第零隊騎士館寮の彼等は夜間も勤務していることもあり、カフェオレより珈琲を好んでいたからカフェオレを異世界で見たのは初めてだった。
「目の下にくまが出来ているわ。珈琲の方が目覚めには良いけど、すきっ腹には刺激が強いからね。ニーナちゃんにはこっち」
大理石で造られた作業台に寄りかかりながら、珈琲を飲むダグラスさんは観察眼に優れていると思う。
見た目のインパクトが強過ぎて圧倒されがちだが、細かい所に気付くし困っていたら手を差し伸べてくれる。日本のオカマバーだったら確実に人気店員だっただろう。
「マリーとの待ち合わせは第零隊騎士館寮の裏門だったわよね?」
「はい。約束の時間、マリーさん、来てくれる」
「お買い物楽しんできてね。帰ってきたら土産話も聞かせてちょうだい」
「はい! あ、お土産、何、良いですか?」
「やぁねー。話だけでいいわよぉ」
「甘いの、好きですか?」
「甘いのも辛いのも好きだけど、強いて言うならニー…」
「ダグ。スープをよそってもらっても良いか」
ダグラスさんの最後の方の言葉は、厨房に顔を出したヴァン団長の声で掻き消されてしまった。
両頬に手を添えて、恥ずかしそうに何かを言おうとしていたダグラスさんは、急に現れた自分の上官をきつく睨んでいる。
「空気読みなさいよヴァン!!」
「読んだつもりなんだがな」
「読み間違えてるわよ。思いっ切りね!!」
「そんなことよりシュロイズが腹が減ったと喚いている。うるさいから持って行ってくれ」
「そんなことより!? アタシのことよりシュロイズの朝食の方が重要ってこと? シュロイズも朝食ぐらい自分で持っていきなさいよぉ!!」
そう言いつつもダグラスさんは、手際良く三人分の朝食をトレイに乗せて食堂に配膳しに行った。
ヴァン団長とシュロイズさんと一緒に朝食を摂るのだろう。
ダグラスさんが食堂に行ったのを見届けて、ヴァン団長は私にキャメル色をした革製の巾着を手渡した。両手に収まる大きさの巾着を受け取ると、中から硬貨がぶつかり合う音が聞こえた。
「今週分の給金だ。中には今日の買い物に必要な硬貨が入っている。残りの給金は魔法銀行に預けておいた」
「魔法銀行?」
「ヴェルフェイム王国が運営する金融機関だ。給金は全て魔法銀行の個人金庫に預けられる仕組みになっている。巾着の中を開けてみてくれ」
ヴァン団長に渡された巾着はこの世界でいうところの財布ということか。
キャメル色の柔らかい質感をした巾着を開けてみると、銀貨と銅貨が数枚と硬貨ではなさそうなメダルが入っていた。そのメダルを取り出してみると、直径八センチほどはあり、赤銅のフレームが付いていて中のプレートはガラスで出来ているようだった。ガラスのプレートには私の名前と複雑な魔法陣、そして何かの数字の羅列が刻印されていた。
「これは?」
「それは魔法通貨と言う。露店はほぼ硬貨でのやりとりだが、王都の商店では金融水晶が導入されていて硬貨の持ち運びはほぼ不要だ。何か欲しい物があれば金融水晶に魔法通貨をかざすと個人金庫から即時引き落としがされる」
「べ、便利………!」
まるでデビットカードのようだ。
数字の羅列は口座番号のようなものだろうか。
巾着の中にある数枚の硬貨でも結構重みを感じることから、硬貨を持ち歩くには枚数に限界がある。だからデビットカードのような仕組みが発展したんじゃないだろうか。
「詳しいやり方をニーナに教えるようマリーには頼んでおいた。今週分だけでも結構な額の給金が支給されてある。金額は気にせず買い物して来ると良い」
「ありがとうございます!」
まだ実際には見ていないからこの国の物価や貨幣制度は分からないが、今日の買い物を楽しむ分にはお金はあるようで安心した。
ヴァン団長に見送られて、マリーさんの待つ裏門へと急いだ。
***
「ニーナ様、おはようございます」
「おはようございます、マリーさん」
「本日はお買い物楽しみましょうね」
「はい!」
第零隊騎士館寮の裏門に着くと、そこにはすでにマリーさんがいた。
仕事着の白い医官服ではなく、若草色のふくらはぎまで長さがあるワンピースを着ている。中にパニエを履いているのかスカート部分はふんわりとして、裾にあしらえた白のレースが良く栄えて見えた。ココアブラウンのつま先が丸みを帯びたパンプスと、同じ色の丸型ポシェットで統一感があり、全体的に可愛い印象だ。
今私が着ている洋服もマリーさんに借りているものだが、白のフリルブラウスに、空色に白の小花柄がたくさん刺繍されたジャンパースカートは裾や肩紐にフリルがついていて、マリーさん同様可愛らしい系統の服だ。
日本にいた頃も女性らしいフェミニン系を好んで着ていたから、異世界でも可愛らしい洋服を着れて心嬉しい。可愛いものが好きだと言っていたマリーさんとは洋服の趣味が合いそうで、彼女の勧めてくれるコーディネートが楽しみでもあった。
「ニーナ様、菖蒲の門が見えてきましたわ」
「あれが、菖蒲の門……」
城門には王族だけしか通れない門や、貴族や国外からの来賓のための門など様々な門があり、私やマリーさんのように城勤めをしている者は菖蒲の門から城に出入りする決まりになっている。
馬車がすんなり通れるほどの大きな煉瓦造りの門の上には菖蒲が彫刻されていて、列をなした人々が門番に身分証明の懐中時計を提示して門を通って城外へ出て行くのが見えた。
モスグリーンの騎士服を着た門番二人は長くその職に勤めているのか、無駄な動きは一切なく流れるような動きで人々の懐中時計を確認し「良し」と言って通行許可を出している。
私とマリーさんの番になり、初めて他人に身分証明を見せることもあって、少し緊張しながら門番に懐中時計を提示した。私の身分は陛下が用意して下さった偽物。陛下にそう偽装するようにと命令されたと言えど、悪いことをしているようで顔を強張らせながら門番の反応を窺った。
門番の青年は私の懐中時計を一瞥したあと、他の人にも言ったように「良し」と口を開きかけて動きを止めた。通行許可の言葉は出て来ず、驚いた顔をして懐中時計を二度見している。
「君があの黒の隊の家政婦?」
「黒の隊?」
「悪い事は言わない。あそこの家政婦なんて辞めた方が良い」
「えっと……?」
門番の言っていることが分からず首を傾げる。
なぜ初対面の人に退職を勧められているんだろう。しかも門番の青年は至って真面目な顔をしていて、冗談で言っているようには見えない。門番の青年の言葉を聞いて、私の後ろに並んでいる人々がざわつき始めた。
「あいつらの家政婦だって?」
「いやだわ、怖い」
「呪い持ちに関わると碌なことがない」
「こいつも呪い持ちなんじゃないのか」
「呪い持ちはあそこから出て来なければ良いのよ」
聞こえてきたのは明らかに嫌悪や恐怖を含んだ言葉。
名指しで言っているわけではないのに、私に向かって発しているのだけは背中に突き刺さる視線で嫌でも理解した。
ヒソヒソ声があっという間に菖蒲の門にいた人達に伝播していく。
後ろは怖くて振り向けない。かと言って先に進みたくても門番の青年は「あいつらに脅されているのか」と見当違いなことを聞いてくる。
どうするべきかと困惑していると右腕を優しく引かれた。
「後ろが閊えておりますわ。行きましょう、ニーナ様」
「あ、はい」
「待って。俺はこの子のためを思って……!」
「貴方の価値観を押し付けないで下さいませ。私達、先を急いでおりますの」
「っ……」
「通ってもよろしいですね?」
ニコリと門番に微笑むマリーさんは有無を言わせぬ雰囲気で、門番の青年もそれ以上何も言わなかった。
マリーさんに腕を引かれながら門番の青年に会釈をすると、心配気な視線を私に送りながらも青年は自分の業務へと戻っていった。
菖蒲の門を通ってから、私の腕を引いて歩くマリーさんは無言だ。
少し前を歩く彼女の表情は窺えないが、どこかピリピリとした空気を纏っているように感じる。私は私で釈然としない気持ちがあった。
「……マリーさん」
「マリーで良いですわ。敬語も不要です」
「えっと、マリー。黒の隊って?」
ピタリ、と歩いていたマリーの足が止まる。
振り返った彼女は困ったように笑っていた。
「嫌なところをお見せしてしまい申し訳ございませんでした。パールホルム公国には闇属性はいらっしゃらないと伺っております。ですから尚の事、先程の光景は衝撃的でしたでしょう?」
「驚いた、けど、なんであそこまで?」
「黒の隊とは魔獣討伐部隊のことです。ヴェルフェイム王国の騎士団は所属する部隊によって騎士服の色が変わりますわ。近衛騎士団は青、衛兵騎士団は緑、国境警備隊は赤、警邏隊は灰色、医療隊は白、魔獣討伐部隊はご存知の通り黒です。それぞれ部隊の正式名称は長いので、略称として“蒼の隊”や“紅の隊”と呼ばれるようになりました。ですが……黒の隊の場合は差別的な意味で呼ばれております」
「差別……」
「はい。闇属性の魔力と属性力は桁外れで人の常識を遥かに超えています。故に人は闇属性の人間に恐怖を抱くようになりました。その並外れた力は祝福ではなく、闇の精霊からの呪いであると信じている人間が大半です」
「だから、呪い持ち?」
「そうです。あと私のように闇属性でなくても人とは違う何かを持っていたりすると、呪い持ちと呼ばれることがあります」
「マリーが? どうして?」
「私のこの両目は人々からは呪いに見えるようですわ」
マリーの翡翠色と瑠璃色の瞳が悲しげに伏せられる。
「綺麗な、目なのに?」
「綺麗……? 気持ち悪くないのですか?」
「気持ち悪くない。キラキラ、宝石みたい、私好き」
覗き込むように俯いていたマリーを正面から見上げる。
初めてマリーと会った時、オッドアイを見て神秘的で綺麗だと思った。こんなに美しい瞳が呪いに見えるなんて私には信じられない。光の角度で輝いて見えて、本当に宝石のようだ。
ジッとマリーの両目を見つめていると、見る見るうちに彼女の顔は耳まで紅潮した。
赤くなった顔を隠すためか、マリーはまた俯いてしまった。
「天然……天然タラシですわ。その笑顔と好き発言は反則ではなくて? こんなに自分が女であることに後悔したのは初めてですわ……これはダグラス様に報告しなければっ」
両手で顔を覆ったマリーはなにやらブツブツ呟いている。
心配になって彼女を呼ぶと「何でもありませんわ」と満面の笑みが返ってきた。
「本当に、大丈夫?」
「大丈夫ですわ。ありがとうございます、ニーナ様。私、少しだけ自分の目が好きになれました」
「マリーの目も、闇属性の人のことも、呪いじゃない、理解してくれたら、嬉しい」
「ニーナ様のような人で溢れたら、もっと優しい世界になっていたんでしょうね。でも私は、私を理解してくれている人が少しでもいればそれで良いのです」
「マリー……」
私の両手を優しく握り締めて、はにかんだような表情を見せてマリーは言った。
それから彼女は城下街の方を指差した。菖蒲の門を出て、丘陵をひたすら下っていけば城下街がある。城下街に着くにはまだまだ時間が掛かりそうだが、ちょうど丘の上から城下街を見れる位置に私達はいた。
「ニーナ様、見て下さい。あれが城下街ヴェルムロフです」
「すごい……!!」
目の前に広がるのは絵本の世界のような街並み。
街のシンボルである大きな古い時計塔、真っ白に輝く大聖堂、街に流れるエメラルドグリーンの川、家の屋根はオレンジで壁の色は白やピンク、青や黄色もあり、色とりどりのその光景が、私には花束のように見えた。
*女の勘?*
「ハッ!!」
「どうしたダグ」
「何故だか分からないけど、マリーが今良い思いをしている気がするわっ」
「またダグは良く分からない事を言うねー」
「ちょっとシュロイズ、女の勘を舐めないでちょうだい!」
「ダグは男じゃん」
「心は紛うことなき乙女よ」
「見た目は紛うことなき裏組織のおっさんだけどねー」
「おっさん言わないで!! 泣くわよ!!」
「おっさんの泣き顔なんて見たくないよー」
「シュロイズ……あんた本当に良い性格してるわよね」
「ありがとう」
「褒めてないわよ。ヴァン、あんたも黙ってないでこの捻くれ坊やを何とかしてちょうだい」
「ヴァンは俺の性格をよーく分かってるからね。今更直せとか言わないよ」
「自分で分かっているなら少しは自重しろ」
「これでも少しはしてるつもりなんだけどなー」
「少し? それで少し自重してるつもりなの? 全然努力が足りないわよ」
「もう俺の話はいいよー。それより俺さ、食後の珈琲飲みたいんだけど」
「分かったわよ。持ってきてあげるわよ。あんたは本当に人使いが荒いわ」
「そう言いつつダグはやってくれるよねー」
「アタシを敬いなさい。ヴァンの珈琲も入れてくるわよー」
「あぁ。助かる」
「………………で、ヴァンはどう思う?」
「何がだ?」
「ダグの女の勘ってやつ」
「あぁ……ダグのあれは似た者同士のシンパシーだろう」
「なるほど」




