Story 14
『河、湖、海、自然の水があるところならあたしが引きずり込んであげる。どこが良い? 選ばせてあげる』
ポタリ、とシャワーヘッドから落ちた小さな水の滴が、他の水滴を吸収しながら見る見るうちに人の形に変わっていく。
正しくは人の形をした、けれども人ではないもの。
水のように透き通った体と、魚のヒレの形をした下半身。アクアマリンの澄んだ青色の瞳に、高い位置で結ばれたターコイズブルーのボリュームのあるツインテールは水中にいる時のように波打っている。
オーロラに輝く鱗で覆われた下半身を見ても、頬にあるいくつかの鱗を見ても、現れたのが人外であることは確かだった。
「あなたは?」
『あたしは水の精霊。で、どこが良いの?』
「どこって?」
『だーかーらー、シュロイズとかっていう男の事よ!! 気に入らないなら消してあげるってさっきから言ってるでしょ』
「消す!?」
『そう言ってるでしょ。大浴場じゃ人間の魔力で浄化された水しかないからうまく力が扱えないのよ。あんたが自然の水があるところまでその男を連れて来てくれたら、あとはあたしがやってあげる』
やってあげる、が“殺ってあげる”に聞こえるのは気のせいだろうか。
突如現れたかと思ったら、突拍子もない提案に頭がついていかない。
それでも無意識に私は首を横に振っていた。
「や、やらなくて、良い」
『は? なんで? その男のこと嫌いなんでしょ』
「……苦手。でも、嫌い、ではない」
嫌いではないのだ。
シュロイズさんのことも、ランセスも、アルも、ハディも。
嫌いと判断するほど彼等に関わっていないし、彼等のことを知らない。何も知らないのに嫌いだと決め付けるのは、自分の価値観で彼等の人間性を決め付けているのと同じだ。
『人間って意味分かんない。まぁ、あんたが望まないことをあたしはやらないわ』
水の精霊はそう言うと私の周りを泳ぐようにゆっくりと回った。
時折『ふぅん』とか『へぇ』と言ってはジロジロと見てくる。正直居心地が悪い。
「あの、あなたは、なんでここに?」
『なんでって、決まってんでしょ。あんたに会いに来たのよ』
「私に? どうして?」
『〈風〉に聞いたの。あんた〈風〉に真名を授けたでしょ』
「〈風〉って風の精霊?」
『そうよ。だからあたしにも真名をつけなさい』
どうしよう………言っていることの意味が何一つ分からない。
水の精霊が私に会いに来た理由も、真名の意味も。
そもそも真名って何だろう。
確かに私は風の精霊にブリーズと名付けたけど、それが何か関係しているんだろうか。
「あの、質問、良い?」
『良いわよ』
「真名って?」
『は?』
「え?」
『〈風〉に真名をつけた時、聞かなかったの?』
コク、と頷くと水の精霊の表情が険しくなっていく。
それと連動するかのように、私は動いていないのに浴槽内のお湯が荒々しく波打ち始めた。浴槽の外にお湯が溢れ出る程になると、あまりの激しさに浴槽の縁に腕を掛けた。
『〈風〉のやつ!! 私、真名を付けてもらったの、うふふ。とかわざわざ自慢しに来たくせに!! 大事なこと話してないじゃない!!』
憤慨すると同時に大きな波が起きて、お湯は勢いよく浴槽の外へと溢れ出た。
今の波で浴槽内の泡のほとんどが無くなった。水の精霊だからか、同調しているのかもしれない。
『あんたも良く分からないで真名 を付けたのね?』
「説明、なかった」
『大方、名前ないから付けてーって言われたんでしょ』
水の精霊はかなりご立腹のようで、私が頷くと再び波が起きてお湯が浴槽の外へと溢れた。
今の波で完全に泡はなくなってしまった。
『〈風〉の奴。今度会ったらタダじゃ済まないんだから』
イライラとした様子を隠そうともせず、水の精霊は腕を組んで水かきがついた指でトントンと叩いた。
暫くすると苛立ちが収まったのか、空中を泳ぐように移動して私の近くへとやって来た。
『しょうがないからこのあたしが教えてあげるわ』
「お願いします」
『真名っていうのは、モノの本当の名前のことよ。人間ってどうして生まれた赤ん坊に名を与えると思う?』
「えっと、名前ない、呼ぶの、困る?」
『それもあるけどね。生まれたばかりの赤ん坊って自我がないから肉体と魂の繋がりがまだ不安定なの。だから名を与える事で魂を肉体に縛るのよ。簡単に言うと接着剤のようなものかしら。赤ん坊は名を呼ばれることで自分が何者であるかを認識する。そうすることによって自我が芽生える。名前がないものって他人にその対象を説明できないじゃない。“あれ”とか“それ”って言われても見る人によっては認識が違うでしょ? だから存在を認識させる必要があるから名を付ける。赤ん坊に限らず、物や形のない感情とかね。それほど名前っていうのは意味と力を持つのよ』
「意味と力……」
『名前とはそのモノの魂。名前を知ることは魂そのものを知ること。人間の中には名前を使って呪うヤツもいるみたいじゃない。名前は一種の呪よ。名前を知る事で相手を支配することが出来る』
「風の精霊に名前、付けた、まずい?」
支配という単語を聞いてゾッとした。
安易に付けた名前が風の精霊を支配することに繋がっていたとしたら、自分の浅はかさに嫌気がさす。
『まぁまぁ、最後まで話を聞いて? そもそもあたしたち精霊には名前はないの。あたしには人間達が勝手に呼び始めた“クラーケン”って呼び名はあるけども、それは人間達があたしを認識するのに付けただけに過ぎない。あたしたち精霊には自分でさえ知らない真名があるの』
「自分でさえ、知らない……?」
『そう。何故、精霊に名がないのか。それは精霊の名には力と権威が宿っているからよ。さっきも言ったでしょ? 名前を知る事で相手を支配することができるって。支配とは即ち、相手の力を奪うこと。あたしたち精霊は自由の象徴、不可侵の存在。支配されないために名は付けないの』
「じゃあ、真名って……」
『あたしたち精霊の本当の名前』
風の精霊に名前を付けた時、不思議と頭に名前が浮かんできた。
それがもし精霊の本当の名前だとしたら、何故私にそんなことが出来たのだろう。
『〈風〉に真名を授けた時、頭の中に浮かんでこなかった? “真名を知る力”それがあんたに授けられた加護よ』
「え、えぇぇ!?」
サラっと告げられた事実が衝撃過ぎて大声をあげてしまう。
魔獣に追い掛けられ危ない所をヴァン団長に助けてもらって保護されて、陛下に衣食住と給金の保障をしてもらって……後から思えば幸運と思えるそれらは神様からもらった加護のおかげではなく、自分の運だったのか。
『言っておくけど、その加護は万能じゃないからね。精霊自身、あんたに真名で呼ばれたいと願った時だけ相手の真名を知る事が出来るの』
「真名知ったら、相手、支配しちゃう?」
『あんたにあたし達を支配する事は出来ない。名前を知って支配するには魔力が必要なの。あんたには魔力が一切ないでしょ? あたしたち精霊の真名を知ってあんたが出来るのはあたしたちを呼ぶことだけよ』
「呼ぶ……」
『召喚とも言うわね。加護っていうのはね、神が力を加えて守り助ける事を言うのよ。魔力のないあんたを、あたしたち精霊が自分の意思をもって守って助けるの』
ーーー『何か困ったことがあったら私の名を呼んで? 雷ほど早くは飛んで来れないけれど、ニーナの為なら何処へだって駆け付けるわ』
ーーー『ブリーズ、と呼んでね。約束よ』
呼んでねってそういうことか!!
風の精霊、ブリーズの言っていた意味がやっと分かった。
つまり困ったことがあったら助けるから召喚してねってことだったのか。
そのままの意味だが、通常姿を見たり言葉を交わす事の出来ない存在である精霊が、魔力のない私を助けてくれるというのは、国にしてみれば確かに脅威だ。
ヴァン団長や陛下には申し訳ないが、風の精霊に名前を付けた事を言わなかったあの時の自分の判断を褒めてやりたい。
話していたら監視どころじゃなかっただろう。今頃監禁もしくは危険人物だと判断されて牢獄に放り込まれていたかもしれない。
それにしても、真名で呼ばれたいと願った時だけ相手の真名を知る事が出来るのだとしても、精霊達は嫌ではないのだろうか。
私はこの世界の人間ではないし、ましては魔力も属性もない、力のない人間だ。
私は精霊にとって守り助けるに値する人間なのだろうか。
「精霊、嫌じゃない? 私に、真名、呼ばれる」
俯き加減で不安を吐露すれば、水の精霊は苛立ちを含ませて『はあ?』と言った後、水かきのついた手で無理矢理私の顔を上げた。
『あんただから良いに決まってるでしょ』
「えっと、それはどういう……?」
『そのままの意味よ。嫌なわけないじゃない。あんたのその魂にあたしたちはどうしようもなく惹かれるんだから』
目尻に涙を溜めて、でも嬉しそうに笑って、泣き笑いのような顔だった。
なんで、そんな表情をするんだろう……
水の精霊を見ていると自分がそんな表情をさせているのかと、胸が何故だか締め付けられる。
心情を読み取ろうと水の精霊と見つめ合っていると、突然ニヤリと笑った。
『ってことだから、さっさとあたしにも真名付けなさいよ』
「え!? 無理!!」
『無理ってどういうことよ!!〈風〉には付けたでしょ!!』
「〈風〉の時、真名、知らなかった。今は……自信、ない」
『自信って何の自信よ』
「自分。私、無力。何にも、力ない」
そんな私でも精霊は守ってくれるだろうか。
私のようなちっぽけで無力な存在の為に、永い時を生きる精霊達の手を煩わせるなんて、おこがましいのではないか。
『あんた自分を過小評価し過ぎよ』
「そんなことない」
『あたしが良いって言ってるんだからとっとと真名付けなさいよ』
「む、無理……」
『……あんたが付けてくれるまで四六時中、付きまとってやる。水があるところなら何処からでも出て来れるし』
私の顔を抑えていた手を離し、腕組みをする水の精霊は見下しながら私に脅しの言葉を告げる。
四六時中、付きまとわれているところを想像してゾッとした。
水があるところで現れるとしたら、今のように入浴中か、調理中、掃除中、はたまたトイレにも出てくるということだろう。
「プ……」
『ぷ?』
「プライバシーの侵害だー!!」
わなわなと身を震わせ、日本語で叫びながら大浴場を飛び出した。
その後ろで水の精霊が『ぷらいばしーって何よー!?』と叫んでいたが、それに答える余裕は私にはなかった。
*質問コーナー*
Q.ダグラスに質問です。ダグラスが使用している入浴剤について紹介お願いします。
A.「ついに、ついにきたわ……アタシのコーナー!! 入浴剤についての紹介ね。任せてちょうだい!!お花の香りが特徴の入浴剤って言うのをアタシは使っているわ。お店はもともと香水を取り扱っているお店なんだけど、数年前から入浴剤も取扱うようになったの。《香りの天使》っていうお店なんだけど、通販も対応しているからアタシは通販で購入することが多いわね。アタシ、これでもお得意様なのよ、うふ。アタシがお勧めする入浴剤は気品もあって石鹸を思わせるような清楚な香りの《鈴蘭》、誰からも愛される甘くて優しい香りでありながら凛とした美しさや気高さを感じる《金木犀》、自然な香りで優しい雰囲気もありながら幻想的でもある《茉莉花》。香りはそれぞれ違うけど、リラックス効果もあるし、高保湿なのもお勧めするポイントねっ。え?《薔薇》をお勧めすると思った?うふふ、《薔薇》も嫌いじゃないんだけどね。アタシの最近気になる人が、強い香りが苦手なようなの。だから香りの強くない入浴剤を取り寄せて彼女にプレゼントしたのよ。そうしたら彼女、気に入ってくれたわ。何の花の香り?その花はどういうの?って質問してくるんだけど、その姿が可愛くて可愛くて……あぁ、早く一緒にお風呂入r……強制終了。
総括.ダグラスは黒髪のあの子を狙っているようです。




