Story 11
「いやぁん!! かぁわいいー!!」
「!?」
ぎゅう、と思いのほか優しく抱き締められたと思ったら、女性にしては少し低く男性にしては変に高い声が至近距離から聞こえてきた。状況が理解出来ず巨漢の男の腕の中で混乱していると、優しく引き離され今度は両脇に手を入れられ男の目線まで高く上げられた。
所謂、“たかいたかーい”状態である。
153cmの私が2m超の男の高さまで上げられると足は完全に浮く。
大人になってから(見た目は17歳だけど)高い高いを経験するとは思ってもみなかった私は放心状態だ。
「貴女がニーナちゃんね? アタシはダグラス。ダグって呼んでねんっ」
さっきまでの無表情が一変、にっこりと目を細めて微笑むその姿は男性そのものなのだが、如何せん顔と聞こえてくる声が一致しない。でも目の前の巨漢の男と私以外に誰も食堂にはおらず、声の持ち主は嫌でも男のものだと理解した。
ーーダグラス
目の前の男はそう名乗った。ということは、この男が第零隊騎士館寮の家事を今までやっていたということになる。
厨房で見掛けた手書きのラベルステッカー付きのスパイスボトルは、乙女心をくすぐる可愛いボトルデザインで、ラベルステッカーに書かれた文字は丸みを帯びて女性的な字をしていた。
だから、もしかしたら“ダグラスさん”は乙男なのでは?と思っていたのだが……
言葉遣いや声のトーンを聞く限り、どうやら彼は乙男ではなくオネエのようだ。
彼をオネエだと認識した瞬間、白いフリフリのエプロンを着て、小指を立てながら泡だて器を持った姿の巨漢の男が私の脳内に現れた。何故だかリアルに想像出来る。
「ニーナちゃんの事はヴァンから鳳蝶で聞いててぇ、早く会いたいって思ってたのよぉ!!」
「マ、鳳蝶?」
「闇属性が使える伝達魔法よん。離れていても鳳蝶を通してお互いに話をすることができるの」
電話のような魔法だ。
というか、私はいつまで高い高いをされていなくちゃいけないのだろう……
「それにしても、アタシが遠征に行く前より厨房と食堂が綺麗になってるわぁ!! さすが陛下が見込んだ子ね。明日からアタシも手伝いながら引き継ぎするから、分からないことがあったら何でも聞いてちょうだい」
「はい。あ、あの。降ろし……」
「はぁ……本当に可愛い。上から87、59、89かしら?」
「……?」
ダグラスさんはうっとりとしながら顔から足首までゆっくり眺める。
唐突過ぎて言われた数字が私自身のスリーサイズだと理解するのに時間が掛かった。しかも記憶が正しければ、高校時代のスリーサイズと全く一緒だ。
ペロリ、ダグラスさんは舌なめずりをしてーー
「んふっ。楽しみだわ」
何がっ!?
再び感じた身の危険に、自力で彼の手から降りようと手足をバタつかせるーー刹那。
ゴッ
鈍い音と共に、ダグラスさんの頭に広辞苑並みの分厚い本が勢いをつけて落ちてきた。
それが彼の脳天に綺麗にヒットしていた。それも分厚い本の角が。
私が痛みを想像して顔を顰めていると、ふらつきながらもダグラスさんはやっと床に下ろしてくれた。
「……ねぇ、ダグ。国外からの帰城後は医務館で検診を受ける規則になっているのだけど、医務館に来ないであんたここで何をしているのかしら?」
ダグラスさんの後ろにいたのは、聴診器を首から下げた仕事モードのアン先生だった。
アン先生が細くて綺麗な人差し指をクイっと自身に曲げると、床に落ちた分厚い本がふわりと浮き、ゆっくりと彼女の手元に戻っていった。本の背表紙には“医学書”と書かれている。あれが頭に落ちたとなると相当痛いはずだ。
というのに、当の本人は一瞬ふらついただけで倒れる事もなく、拗ねる様に口を尖らせながらアン先生を睨んでいる。
「痛いわよぉ、アン!!」
「痛くしたのよ。頭以外は筋肉が厚過ぎて、私みたいなか弱い乙女じゃ歯が立たないもの」
「あんた、乙女って言うほどの年齢じゃないでしょぉ。今年で三十……」
「次は目を潰してあげましょうか?」
「目は急所よっ!! やめてちょうだい!!」
「ならとっとと検診を受けに医務館に行きなさい?」
柔和な微笑を浮かべて、クイ、と顎をしゃくるアン先生の姿は、異様に恐ろしかった。
私に対しての言葉ではないのに、何故か背筋が伸びるほどの恐怖を覚えた。
「もうっ。行けば良いんでしょう、行けば」
「第三診療室よ」
「分かったわよぉ。それじゃあ、ニーナちゃん、またねんっ」
「はいっ」
静かに怒るアン先生に慣れているのか、ダグラスさんは怯える様子もなく、私にウインクをして食堂を後にした。
「ごめんなさいね、ニーナ。ダグってば可愛いものには目がないから、ちょっと暴走しちゃったみたいで」
「だ、大丈夫、です……たぶん」
あれが“ちょっと”の暴走なのだとしたら、本気の暴走が末恐ろしい。
舌なめずりをするダグラスさんを思い返すと、貞操の危機を感じる。次にダグラスさんに会う時、果たして自分は無事でいられるだろうか。
「ふふっ」
若干遠い目をしていると、アン先生の背後からお淑やかに笑う声と共に、私と同じくらいの背丈の少女が現れた。
胸下まであるオレンジブラウンの髪は左右で緩く三つ編みされていて、私を楽しそうに見つめる大きな瞳は右目が翡翠色で左目が瑠璃色と珍しいオッドアイだった。
アン先生と同じ白い医官の制服を着ていることから、彼女も医官なのだということが分かる。
「ダグラス様は見た目とのギャップが激しいお方。驚かれるのも無理はありませんわ。ですが、決して悪いお方ではないのでご安心下さいませ……あ、申し遅れました私、魔獣討伐部隊専属の鍼灸師をしております、マリー・ブランシュと申します」
「初めまして。ニーナ・アンドゥー、です」
つい数分前に対面を果たした私よりも、魔獣討伐部隊専属の医官である彼女の方がダグラスさんとの付き合いは長いだろうし彼(彼女?)を良く知っている。今のところ身の危険しか感じないが、悪いお方ではないという彼女の言葉を信じよう。むしろ信じたい。
気を取り直して、おさげの少女にお辞儀をすると、彼女は淑女の手本のように優美に微笑んでくれた。
アン先生と同じ魔獣討伐部隊専属の医官。そして同じ背丈であるのを見ると、彼女が私に衣類を貸してくれた子ではないだろうか。
アン先生を見上げると、私の考えていることが伝わったのか彼女は肯定の意味を込めて頷いた。
「ニーナ。彼女が貴女に服を貸してくれた私の部下よ」
「服、ありがとうございます。とても、助かった」
「とんでもございません。終戦して間もないパールホルム公国からその身ひとつで我が国に来られたと伺っております。私に出来ることがあれば、何でも言って下さいませ」
自分の素性を偽っていることに罪悪感はあったが、他の人に知られてはいけないと陛下に言われている以上、これから知り合う人には素性を偽って生きていく事になるのだから、仕方がないと割り切るしかないのだろう。
それ以上にヴァン団長、アン先生以外の人から与えられる久々の優しさに、不覚にも泣きそうになってしまった。もう泣かないと決めたのに。日本にいた時よりも明らかに緩くなった涙腺を叱責しながら、マリーさんに何度も感謝の言葉を述べた。
「アン先生、マリーさん、本当にありがとう。私、お礼、したい」
アン先生には当面必要な下着類、化粧品を用意してもらったし、マリーさんには服をお借りしている。第零隊騎士館寮は男所帯だから、まだまだ知らない事が多い私にとって話せる女性がいるというだけで心強く感じた。
それに何しろ魔獣討伐部隊の彼等とは話をする以前の問題がある。話し掛けたとしても無視されるのが目に見える。ランセスに関しては舌打ちももれなく付いて来るだろう。
恐らくアン先生とマリーさんには、これからも迷惑を掛けることがあると思う。
まだ働き始めて3日目でお給金をもらえるのも先だが、ちゃんとしたお礼も出来ていないから、何か返したいと思っていた。
「お礼なんて気にしなくて良いのよ? 私もマリーも好きでやっていることなんだから」
「そうですわ。人助けは性分なんですの」
「でも、助けてもらってばっかり。駄目」
「ニーナは真面目ねぇ。ヴェルフェイム王国に来てからまだ日が浅いんだから、分からない事の方が多いでしょう? 遠慮しないで甘えちゃいなさい」
「め、迷惑、ならない?」
「私達はニーナの事を迷惑だなんて、全く、思ってないから安心して」
全く、を強調して言われてしまえばこれ以上は言えなくなってしまう。
けれど、私も甘えきってしまう事に納得しているわけでもなく、少し困ったように眉を寄せた。
そんな私を見てマリーさんが何か閃いたようで、色白の手を軽く叩いた。
「アン様、確認なのですがニーナ様は今現在ご自身の衣類は一着もお持ちではないのですよね?」
「そうね。さすがに下着類は買った物だけど、持っているのは今日着ている服を含めて全てマリーの服を借りているわ」
「ということは、いつかはご自身の服を調達に行かなくてはなりませんわね」
ずっと借りているわけにもいかないから、給金が入ったら城下町に買いに行こうかと下着類を受け取った時にアン先生と話していた。
この世界の洋服の入手方法は三つあり、一つは仕立て屋を屋敷に呼んで採寸からデザイン、生地選びなど全てがオーダーメイド。この方法は高額ゆえ主に上流階級の貴族に利用が多い。
二つ目は既製服を購入すること。電動ミシンはもちろんこの世界にはないが、人力の足踏み式ミシンが発明されて以来、大量生産が可能となり自分で縫う時間も手間も掛からない分、値は張るがオーダーメイドではないので平民でも安価で購入出来るようになった。この方法が洋服の一般的な購入方法で、私も既製服を購入しようと考えていた。
三つ目は自分で一から手縫いで作る事。女の子は家族の服を手縫いで仕立てられるよう、幼い頃に母親から縫製技術を一通り教わる。小さな村や足踏み式ミシンが普及されていない小国では手縫いの方が一般的なのだそうだ。
「では、その際にニーナ様のお洋服を私に選ばせて下さいませ」
「マリーさんに?」
「はい。それが私の求めるお礼ですわ」
それは、お礼になるのだろうか……
いや、それはそれでありがたいというか、洋服の流行とか、例えば女性は足を隠した方が良いとか、教えてくれるならとても助かる。けど、結局それではお礼にはならないのでは……
「私にとっては十分なお礼になりますわ。なぜなら私、可愛い人を愛で……ごほん、より可愛くコーディネートするのが好きなんですの」
今、愛でるって言いかけませんでした?
小首を傾げてにっこり微笑んでますけど、さっきの「楽しみ」発言をしたダグラスさんと同じ目をしている気がする。
そう、まるで獲物は逃さないと、狙いを定めた狩猟家のような目。
捕獲されたら私はどうなっちゃうのでしょうか……
「それなら週末に行ってきたら良いわよ。マリーは非番だし、給金は今回だけ週払いにしてもらうよう私からヴァンに言っておくから」
「さすがアン様、名案ですわ」
「ニーナは自分の給金で自分の服を買うことで、マリーに対する負い目はなくなるし、マリーはニーナを自分好みに着せ替えられる。これならニーナも気を遣わなくて済むでしょ?」
「そう、ですけど……」
「あのね、ニーナ。申し訳ない、お礼がしたいっていう気持ちはとても良く分かるわ。でも私もマリーも見返りが欲しくて貴女に優しくしたり、助けているわけじゃないのよ」
「アン先生は、どうして、助けてくれる?」
「貴女が一生懸命だからよ。ニーナを見てると応援したくなっちゃうのよね」
即答だった。考える素振りもなく、アン先生はすんなりと答えてくれた。それがまた私の涙腺を緩ませる。
「与えられたら、同じだけ返す必要なんてないのよ。だから何か返そうなんて考えないで。その代わり、私やマリーに何か困った事が起きたら、その時は助けてくれない?」
「は、はいっ……」
「もし、それでもニーナの気が済まないっていうなら、そうねぇ……」
アン先生は人差し指を口元に当てて考えた後、妖艶に微笑んだ。
「たまにで良いから私に紅茶を入れてくれないかしら」
「紅茶?」
「そう、紅茶。ちなみにミルクたっぷりの甘めの紅茶ね。疲れた身体に優しい味って身に沁み渡らない? ついでに私の話し相手になってくれたら尚良し。ニーナからのお礼、私はそれが良いわ」
「アン先生……っ」
「お願いできる?」
「はいっ」
私の返事を聞くと、アン先生は満足そうに頷いた。




