Story 10
2018.4.14 誤字訂正しました。
昔々、まだ大地も人も生まれるよりもずっと昔のこと。
朝日を浴びた稲穂のような黄金の髪と黄金の瞳を持った、アイテールラオスという神がいた。
アイテールラオス神の黄金の瞳から流れ出た涙は海となり、海に切り落とした黄金の髪は大地となった。アイテールラオス神が歌えばそれは風となり、舞いは炎となり、駆ければ雷となり、息を吹けば氷となった。
やがてそれらは精霊となり、自然を統べる六大精霊となる。
次にアイテールラオス神は、自身を光と闇のふたつに分けた。
光は朝となり、闇は夜となり、世界に時間が流れ始めた。双の精霊の誕生である。
アイテールラオス神の恩恵を受けた大地は緑豊かになり、数多の妖精達が生まれ世界には精霊と妖精で溢れた。
平和に暮らしていた中、気まぐれな闇の精霊は人間をひとり作った。
闇夜をそのまま映したような、美しい黒髪を持った女の赤子だった。やがて人間の始祖と呼ばれるその赤子は闇の精霊のみならず他の精霊、妖精達から大層可愛がられ、大切に育てられる。
その赤子だけ精霊達の手元に残し、双の精霊は大地に他の人間を作った。
そして双の精霊と六大精霊は誕生した人間達に祝福を与えた。
やがて生を受けた人間達は長い時をかけて村を作り、集落を作り、国を作り、栄えていくこととなる。
ある国の傲慢な王が、ひとりの美しい女の生贄を連れて精霊の住む森にやってきた。
傲慢な王は言う。
「この生贄と引き換えに、我を精霊の様に不老不死にしてほしい」
精霊の力を欲した傲慢な王に、精霊達は激怒した。特に人間を愛していた闇の精霊は怒り狂った。
「愚かな人間よ、その身をもって己の強欲の罪を償うがいい」
そう言うと闇の精霊は傲慢な王を醜い魔獣へと変えてしまった。
それでも闇の精霊の怒りは収まらず、傲慢な王の国を一夜で滅ぼしてしまう。
魔獣になった傲慢な王は闇の精霊によって滅され、女の生贄は闇の精霊の怒りを鎮めようと、寄り添いながら精霊の森の奥深くへと消えていった。
【子供のためのヴァルディガルト神話】
***
ふうー、と一息つきながら額に滲んだ汗を手の甲で拭き取り、スカートの皺を払いながら立ち上がった。
目の前の綺麗に片付いた厨房を見ると、えも言われぬ達成感に包まれる。
私は今、第零隊騎士館寮の厨房を掃除していた。陛下が言っていた通り、厨房は酷かった、そりゃあもう酷かった。むしろ酷いとしか言いようがない状態だった。
大理石で作られた大きめのシンクは洗われてない状態の食器が高く積まれ、シンクに置ききれない食器類は調理スペースを占領していた。しかも使用済みと思われる鍋がコンロに乗っていたが、鍋蓋を開けて中身を確認すると新たな生命が大量に宿っていた為、無言で鍋蓋を閉めた。悲鳴を出さなかった自分を褒めてやりたい。
まず最初に厨房全体の拭き掃除から始めた。
掃除の基本動作は上から下へ。最初に床掃除をしても、テーブルの埃を床に下ろしたらまた床掃除をしなくてはいけなくなる。作業効率を上げるためには掃除の順番はとても大切なのだ。あとは乾いた汚れは乾いたままで取り除く。乾いた汚れは濡らしてしまうことで、汚れを取り除くのに時間がかかってしまうことがある。頑固な汚れに重曹水を付け置きしつつ、拭き掃除を進めた。
なんと驚く事に重曹は異世界にもあった。
私が来るまで家事をしていたというダグラスさんの手書きなのか、片手で持てる瓶の蓋に麻紐が結ばれてあり、麻紐に掛けられた黒い紙に白いインクで“重曹”と書かれてあった。他にも大きさは違えど同じデザインの瓶で統一され、黒い紙に白いインクで調味料の名称が書かれてあって、それらはコンロ近くの壁にダークブラウンの木製のラックに収まっていた。おしゃれですっきり見えるのに他の惨状で台無しに見える。
さすがに味噌や醤油といった日本の調味料はなかったが、見た事もない調味料があって興味がそそられた。陛下が用意して下さった料理の本に載ってないか見てみようと思いつつ、掃除に専念した。
何故かべた付いている床を洗剤を撒いてモップで擦り洗いし水で流す、という工程を三回行ってやっと床の汚れは落ちた。
異世界の台所洗剤は粉末タイプで、持ち運びができるよう紙袋に入っているものと、残量が確認しやすい円柱型のガラスのソープディスペンサーがシンクに取り付けられているものがあった。ソープディスペンサーはレバー式で、粉洗剤を出した後、ヘチマたわしに似たスポンジに水を含ませて泡立てるようだ。日本にいた頃の私のキッチンより大分オシャレである。
次に調理スペースの確保をするため、汚れた食器類を一度食堂のテーブルに運んだ。
ここの厨房と食堂はひとつながりになっていて、調理しながら食堂にいる人達とコミュニケーションできるような造りになっている。日本でいうところのカウンターキッチンにとても似ている造りだ。カウンターにはカウンターチェアがあり、天井からはワイングラスが吊るされている。バーカウンターのようなおしゃれな造りなのに、残念なことに吊るされたワイングラスは埃をかぶっていた。カウンターテーブルに乱雑に置かれた無数の酒瓶を見る限り、グラスを使わずラッパ飲みしたようだ。ワインラックだと思われるラックには一本もワインがないことから、飲みきったという事が分かる。私の頭のメモに“魔獣討伐部隊は酒豪の可能性あり”と書き加えられた。
大量のゴミの分別をしたあと食器を洗い、乾燥させ、全く活用されていない立派な食器棚に片付ける、というのを何回も繰り返し、厨房の掃除が終わる頃にはあっという間に三日が経っていた。
ちなみにこちらの世界の食料の保管方法は日本とそんなに変わらなかった。
シンクや調理スペース、コンロが横一列に並んでいて、その後ろにはパン作りや麺打ちも可能な大理石の大きな作業テーブルがある。作業テーブルのさらに後ろの壁には扉が三つあり、パントリー、冷蔵室、冷凍室に分かれていた。
日本と違うのは冷蔵庫のように箱型の保管庫ではなく、部屋になっているところだろうか。向かって一番右の部屋がパントリーで、常温管理の食べ物や飲み物、使用頻度の低そうな調理器具等が並べてある。中央の部屋が冷蔵室で、一体何キログラムあるんだと思わしき生肉の塊や、私の知っている野菜と色や形が少し違う野菜が貯蔵されていた。左の部屋は他の部屋に比べると小さいが冷凍室になっていて、テレビでしか見た事のない大きさの氷塊や、ジェラートのようなカラフルな氷菓が保存されていた。
この三つの部屋は中で続き間になっていて、パントリーから冷蔵室に行きたい時は中から移動できるようになっている。なんて素敵な構造。
もちろん電気はこの世界にはないから、冷蔵冷凍は魔法の力によるものだろう。魔道具のひとつなのかもしれない。
厨房と食堂の掃除をしている三日間、ヴァン団長以外の人達は一度も厨房には来なかった。
拒絶されているから当たり前だが、宣言通り各々食事を摂っているのだろう。料理を作れる状況でもなかったが掃除が終わった今、明日の朝食から料理は出せる。でも何人分作れば良いのだろうか。それに朝の何時には用意していた方が良いのか、次ヴァン団長に会った時に聞いてみた方が良いかもしれない。
ヴァン団長は仕事の合間に、私に食事を持ってきてくれた。
家政婦が団長に食事の用意させるのはまずい、と最初は遠慮していたが「一人で城下町まで行けるのか」「金銭のやり取りは一人で出来るのか」と言われれば受け取るしかなかった。早く一人で出来る事を増やしたい。
今の私には就寝前に陛下が用意して下さった本を読む事しか出来ないが、決して無駄ではないと考えている。
本には知識や経験が詰まっていて、読書をすることで先人の知恵を学ぶことができる。もともと私は読書は好きな方だ。勉強も嫌いではない。
それに本を読めば読んだ分、私は話せる言葉が増える。エイルの言語スキルの影響だが、言葉は意思疎通を図るための大事なツールだ。なるべく早めに取得するに限る。
陛下の言った通り、初めにパールホルム公国についての本を読み、その後教典を手に取った。
教典は信仰と生活の上で規範となる基本的な教説が記されている。国を知るのには適切な教科書だ。
ここ、ヴェルフェイム王国では創造神であるアイテールラオス神を崇拝している。この世界の始まりの神で、万物の創造神であることから生誕と愛を司る神とされ、信仰中心地であるヴェルフェイム王国の一週間に渡る豊穣祭はそれはもう華やからしい。
教典から始まり子供向けの挿絵がある神話の児童書を読み進めていくうちに気付いた事がひとつあった。
それは闇の精霊の記述が他の精霊に比べると少ないうえに、悪い印象を与えるような描写が多かったことだ。
闇の精霊と光の精霊は、もとはアイテールラオス神で世界に朝と夜を作る為に二つに分かれたとされている。光の精霊は癒しと創造を司る精霊で、闇の精霊は戦いと破壊を司る精霊。対の存在とされているからか、善と悪で描写されてある書物が多かったのだ。
悪という枠に分類された闇の精霊と、その闇の精霊に祝福された人間が世界の人達からどう見られて、どう扱われているのか、実際に見た事がない私は想像がつかない。ただ、たくさんの書物に闇の精霊が否定的に書かれてあるのを読むと、あまり良い想像は出来そうになかった。
第零隊騎士館寮の彼等の態度も、闇の精霊が関係しているのだろうか。
「あっ。洗濯物!!」
ふと窓の外を見ると陽が傾き、西の空が赤く染まり始めていた。
物置小屋がある後庭は雑草が伸び放題で荒れている様に見えるが、軽いランニングが出来るほど広々としている。そこに物干し竿があり、洗濯物を干していたのだ。
この世界は科学がない代わりに魔法が発展している。
私は水洗いをした衣類を足で踏み付けて汚れを押し出す洗い方を想像していたのだが、この世界の洗濯方法は想像と違っていた。脱衣所の隣に備え付けられた約六畳の洗濯室があり、中には天井から目の高さまで吊るされた直径一メートル程のアンティークなガラスの球体が三つ並べてある。ドラム式洗濯機のような丸い扉を開けて衣類と洗濯洗剤を入れると、魔力を感知して洗濯と脱水をしてくれるのだ。
洗濯に関しては重労働を覚悟していた私だが、これには感激した。洗濯中は日本の洗濯機のように振動も音もなく静かだ。何よりころん、とした丸いフォルムの見た目が可愛い。
これで乾燥まで出来たら形は違えど、ほぼドラム式洗濯機と機能は一緒だ。
便利だとは思うが、天気が良い日に外で干すのも私は好きだ。真っ青な空の下で、真っ新なシーツを干す時はとても気持ちが良い。それに寝転んで眠りにつくのも心地が良い。
今日洗濯したのは自分のシーツで、今夜は気持ちよく寝れそうだとにんまりしながら食堂の扉を開けた。
ドンッ
私は食堂の扉は開けたはずが、分厚い何かにぶつかった。
目の前にある何かは黒くて壁のようにも思えるが、何故扉を開けてすぐ壁があるのか。不思議に思って一歩下がって見てみると、その黒い何かは人だというのが分かった。ヴァン団長と同じ黒い騎士服で、三十センチは超えるだろう大きな黒い革靴が見える。ただ一歩下がっただけでは顔までは見えず、さらに二歩下がってその人物を見上げた。
「で か っ!!」
私はその人を見て、思わず日本語で叫ぶほど驚愕した。
ヴァン団長もアン先生も長身だが、目の前の人物はそれをも超える、長身だったのだ。恐らく二メートルは軽く超えているだろう身長に見合った体の太さは、私の倍近くはありそうだ。筋骨隆々がヴァン団長だとしたら、目の前にいる男は筋肉の塊、もしくは筋肉の壁と表現するのが適切に思える。現に私はこの人物を、最初は壁だと思ったのだ。
その身に纏った黒い騎士服は体にピタッとフィットしていて、その下に鍛え抜かれた筋肉が控えているのだという事が見て取れる。立派な厚い胸筋に、成人女性の標準的な太ももぐらいはありそうな上腕二頭筋、片手だけで頭を粉砕できそうな野球グローブ並の大きな手。どこを見ても全てが大きく恐怖を感じるのに、さらにその巨漢の男はスキンヘッドでトライバルタトゥーに似た刺青が頭部から首にかけて入っていた。
青灰色の瞳はヴァン団長に劣らず鋭く、無表情で私を見下ろしている。下から見ると男の下まつげが長いことに気付いた。眉毛と同じ灰色をした睫毛だから、もし巨漢の男に髪があったら髪の色は灰色なのかもしれない。
ゆらり、男が揺れると両方の耳朶と軟骨に付けられた大粒のダイヤモンドのピアスが夕日を浴びてキラリと光った。
ランセスが不良だとしたらこの巨漢は暴力団員のようだ。
一歩、男が近付いて、私は二歩後退する。
私の二歩より男の一歩の方が歩幅があり、後退したにも関わらず、一気に二人の距離感は近くなった。
易々とパーソナルスペースに入ってきた男は、両手を上げさらに一歩近付く。
「ひっ!?」
身の危険を感じた、その時だったーーーー




