Story 09
空を見上げれば日本では見た事のない、満天の星空と二つの月。
月明かりが照らす物置小屋周辺の地面は、手入れのされていない雑草がそこかしこに伸び放題に育っていて、風が吹くと足元の雑草がさわさわと揺れる。
その生い茂った雑草の中、物置小屋の近くに忘れ去れたようにぽつんと一つだけ木製の長椅子があり、ヴァン団長と私は人ひとり分空けてそれに座っていた。
玄関ホールでのやり取りのあと、ヴァン団長は物置小屋まで私を送ると申し出た。
一方的に冷罵された私を気遣ってくれたのだと思う。
ホールに残っていたのは私とヴァン団長だけで、シュロイズさんはいつの間にかいなくなっていた。ランセス達三人に啖呵をきった私には、あの感情の見えない目を直視する勇気はすでになく、ホールにシュロイズさんの姿がない事にホッとした。
玄関ホールから物置小屋までお互い無言で、重苦しい空気が流れていた。
彼等は何故、あそこまで他人を拒絶するのか。
私の知らない闇属性のこととは何なのか。
シュロイズさんは何を考えているのか。
それらをヴァン団長に聞くのは筋違いな気がして、聞きたい事はたくさんあった筈なのに、言葉にすることができなかった。
彼等の異様ともとれる拒絶の理由は、きっとデリケートな問題だ。おいそれと踏み込んで良い事ではないように思う。闇属性についても、アン先生が私に教えなかったのは何か意味があるからなんじゃないかとも思えるし、シュロイズさんの考えてる事はシュロイズさんにしか分からないのだから、ヴァン団長に聞くべきことではない。
沈黙のまま物置小屋の前まで来ると、ヴァン団長は「少しだけ良いか?」と長椅子に私を促した。
「嫌な思いをさせてしまった。悪かった」
「ヴァン団長、悪くない」
「悪い奴等ではないんだ。多少……いや、かなり捻くれている奴等でな、もっと早くニーナのことをきちんと紹介出来ていれば良かったんだが」
それに対して、私は無言で首を横に振る。
早い段階で彼等に私のことを説明していたとしても、結果的に拒絶されることに変わりはないだろう。こうなると分かっていたからこそ、ヴァン団長はずっと私が第零隊騎士館寮の家政婦になることを渋っていたのだ。
拒絶されてしまった以上、仕方がないと割り切って家政婦の仕事をするしかない。
私に出来る事は与えられた家政婦の仕事を全うして陛下から信頼を得る事。それだけだ。
「第零隊騎士館寮、何人いる?」
私は話題を変えようと努めて明るく言った。
これ以上ヴァン団長に、気に病んでほしくなかったから。彼は突然明るくなった私に驚いていたけど、そのあと困ったような顔で「あいつの言った通り、俺は馬鹿だな」と呟いた。
なんのことか聞き返そうとするより早く、ヴァン団長は先程の私の質問に答えてくれた。
「先程ホールにいた奴等の他に、現在遠征に行っているダグラスという騎士を入れて、第零隊騎士館寮には総勢六名いる」
「六名だけ?」
「あぁ。魔獣討伐部隊には二六名の闇属性の騎士が所属し、四名で一つの小隊を組んでいる。五つの小隊は国の要所にある五つの砦に各小隊が駐在し魔獣討伐の任務に就いているんだ」
「昨日いた砦?」
「そうだ。その砦に駐在している騎士を束ねるのが、第零隊騎士館寮にいる俺以外の騎士達だ」
それがどれほど凄いことなのか見当もつかない私は首を傾げる。
なんとなく凄いことは伝わるのだが、如何せん平和な国で育ち普通のOLをしていた私には階級など無縁な話で想像がつかない。
するとヴァン団長は「ふむ」と思案したあと私にも分かるように話してくれた。
ヴェルフェイム王国の近衛騎士団は第一部隊から第十部隊まであり、ひとつの部隊は三つの小隊から構成されている。
十五名で一小隊、つまりひとつの部隊には四五名の騎士が所属しており、その四五名を統括する立場にあるのが部隊長。またの名を中隊長と言う。
魔獣討伐部隊は所属騎士の人数が少ない為、一つの小隊に対して一人の中隊長が統括しており、その中隊長の肩書きをもつのが、なんとヴァン団長を除く第零隊騎士館寮の五人なのだそうだ。彼等は国の要である王城に駐在し、砦から魔獣出現の報告を受けると指示を出し、必要があれば自らも出動する。
小隊と共に砦に駐在しないのは闇属性が稀少な存在で騎士の人数が少なく、中隊長まで砦に配属させると王都が手薄になってしまうのと、王都に中隊長クラスの人間が五人いるという事実が他国への牽制になるらしい。
ヴェルフェイム王国の魔獣討伐部隊の中隊長は魔力、属性力が百以上の持ち主で、その実力、人数共に世界で右に出るものはいない。他国ではせいぜい中隊長クラスが三人いるかいないかぐらいで、友好国から魔獣討伐要請が来ることもあるのだとか。
要するに、ずっと睨み付けていたランセスや、視界に入るな宣言をしてきたアル達は魔獣討伐部隊の幹部で、中隊長という肩書をもつ偉い人物だったのだ。
そんな肩書を持つ人達に啖呵きっちゃったけど大丈夫だったかな、なんて今更ながら心配になってくる。
啖呵きったことは後悔はしていない。あの時言わなければそれこそ後悔していた。
私が心配してるのは彼等に解雇通達されないかだ。階級をもつということはある程度の権限ももっているということ。
サァ、と顔が青くなる。
「私……クビなる?」
「それはないから安心しろ。雇用主はあいつらでもなければ俺でもない。おまえと契約を結んだのは陛下であり、陛下以外が解雇をする権限はない」
「良かった……」
「……逆に言えば、お前がどんなにツライ状況に陥っても、危険に晒されても、陛下が許可しなければ家政婦は辞められない。それでも、第零隊騎士館寮でやれそうか?」
彼は責任を感じているのかもしれない。
黎明の森で私を保護したことによって、負わなくても良い責任を彼に与えてしまった。もし保護したのがこの世界の普通の女の子だったならば、帰るべき場所に送って彼の仕事は終わっていたかもしれない。そしていつもの日常に戻るだけ。
だけど私は異世界にやってきた。
そしてヴァン団長に助けられ、第零隊騎士館寮の家政婦になった。その事実はもう変えられない。
ヴァン団長に責任なんて感じてほしくない。助けてもらって心から感謝しているのだ。これからの生活が自分にとって過酷になろうとも、ツラくなろうとも、それは私を保護したヴァン団長のせいではない。だから責任なんて感じてほしくないし、心配も掛けたくない。
私はなるべく平然を装って、微笑んだ。
「家政婦、やる」
何とも言えない顔で「そうか」とだけ言うと、彼は私の右手首につけられた魔力補助の装備品を外し、別なバングルを着けた。
それは魔力補助の装備品よりも華奢で、見るからに女性物のアクセサリーだった。
五ミリ幅の細身のバングルは深みのある美しい黒色で、表面には小さな宝石が三つ並んで埋め込まれている、至ってシンプルなデザインだ。宝石はヴァン団長の瞳の色に似た赤ワインのような暗い赤色をしていて、彼は私の左手首のも同じデザインのバングルを着けた。
「これは?」
「今まで着けていたのは新兵用に使用されている魔力補助の装備品だ。誰かに見られると家政婦が何故これを着けているんだと詮索される可能性がある。だから新しいものを用意した」
なるほど。ヴァン団長に言われるまで、そんなこと気付かなかった。
長袖の洋服を着ていたのが幸いしたのか、ランセスに腕を掴まれた時、気付かれなくて本当に良かったと安堵する。
「実はさっきまでこれを作っていてな。それもあってニーナのことを迎えに行くのが遅れてしまった」
「作った? ヴァン団長? これ!?」
「王命でな。お前も受け取っただろう? あのふざけた書状。ニーナの為に用意してやれと書いてあってな……宝石商で売っているバングルでは俺の魔力に耐え切れず破損してしまうし、かと言って俺の持っている装飾品はどれもお前には大き過ぎる。城下町まで下りて探しに行く時間もないから作った」
筋骨隆々なヴァン団長の大きな手で、華奢なアクセサリーを作っているところが全く想像がつかない。
そんな失礼なことを考えているのが伝わったのか、彼は「魔術で作ったんだぞ」と眉間に皺を寄せながら言う。
どうやら工具などを使用して製作したわけではないようで、ヴァン団長が言うにはもともと持っていた彼の装飾品を魔術で成分を分解して新たに生成したのだそうだ。
新兵用の魔力補助の装備品とは違い、バングルの内側に魔法陣はなく、見た目は普通のアクセサリー。でも魔力補助の装備品と同じく魔力の補充が出来、もし誰かにバングルを見られたとしてもこれが魔力補助の装備品だとは分からないように生成と共に成分に魔法陣を記憶させた、とヴァン団長は成分の分解と生成、構築など細かく話してくれたが途中からは話が難しくなり、ちんぷんかんぷんだった。
とにかく、これがあれば魔力のない私でも第零隊騎士館寮で怪しまれることなく、普通に生活出来るのだそうだ。
「補充できる魔力量には限界がある。魔力補充は一週間に一度、その時は俺の執務室に来てもらう」
「はい」
「……本当は俺がニーナの部屋まで出向いた方が良いんだろうが、あいつらが勘繰るだろうからな」
魔獣討伐部隊の団長が、ただの家政婦のもとに週一で通うのは誤解と混乱を招くだろうことは容易に想像が出来る。
私とヴァン団長の関係性は、私が異界人であるという“秘密の共有者”だ。でもそれも、第零隊騎士館寮では関係のない事。ここでは彼は魔獣討伐部隊の頂点に立つ団長で、私は雇われたただの家政婦。それ以上もそれ以下もない。家政婦の域を超えるような関わりは、周りに“あの娘は何者だ”と疑念を抱かせるだろう。私が異界人だと知られたら、自分だけでなく、この国に迷惑がかかるかも知れないのだ。それは困る。私は迷惑を掛けたいのではなく、陛下から信頼を得たいのだ。
だから私とヴァン団長は一定の距離感を保っていた方が良い。
そう思い素直に頷いたのだが、やはり不安であることは変わらない。何も知らない異世界で、私が頼れる人は秘密の共有者である四人だ。その内の一人、陛下はおいそれと会える方ではないし、アン先生は任務や仕事以外で第零隊騎士館寮に来ることは滅多にないと言っていた。シュロイズさんは先程のこともあり頼りづらいし、かと言ってヴァン団長は立場上、簡単には頼れない。
そういう私の思いを察してくれたのか、ヴァン団長が口を開いた。
「……何かあったら俺を頼れ。俺はニーナの味方だ」
「……うん、ありがとう」
じわり、目頭が熱くなる。
彼は立場上、ランセス達の前で家政婦を守ったり、気にかけることは出来ない。理不尽な仕打ちをしてくるならば、さすがに彼は止めるだろうが、基本は見守る事に徹すると思う。
それでも、ヴァン団長は味方でいてくれると言ってくれた。
これほど心強い味方はいないだろう。気を抜いたら涙が零れそうになる程、嬉しい言葉だった。
でも彼の前で泣くのは駄目だ。
これ以上、彼に心配は掛けたくない。
目に涙を浮かべているのに気付かれたくなくて、私は少し俯く。
そんな私を見て、ヴァン団長は長椅子から立ち上がるとごほん、とわざとらしく咳をした。
「あー……俺はまだ仕事があるから中に戻るが、ニーナはどうする?」
「私、まだ、ここいる」
「そうか。早く休めよ」
「うん」
恐らくヴァン団長は泣くのを我慢していた私を気遣って、一人になれるよう退席してくれたのだ。
私が頷くのを見ると、彼は第零隊騎士館寮に向かって歩いていく。
「ヴァン団長、ありがとう。また明日」
大きな背中に向かって、私はなるべく声が震えないように言った。後ろを向いたまま、彼は右手を軽く上げて応えてくれた。
ヴァン団長が第零隊騎士館寮に入ってくのと同時に、ポロっと涙が零れる。
この国で生きていこうと覚悟を決めたのは自分だ。だからと言って不安がないわけではない。全く知らない土地で、国で、世界で生きていく事は、少しの期待と大きな不安が入り混じっていて、今の私は情緒が多少不安定になっているのだと思う。
だからか、一度流れ出た涙は一向に止まる気配はない。ヴァン団長の気遣いや優しさが不安定な心に沁みて、自分の意思で涙を止める事が出来そうになかった。
「……っ」
不安に思うのは自分が無知だからだ。
覚悟を決めても、異世界で生きていく為の知識と経験値がないから足元が不安で揺れるのだ。
不安要因が分かっているなら、あとは克服していけば良い。この異世界で生きていく為の知識を得る事、家政婦の仕事をこなし経験値を積む事。そして陛下からの信頼を得て、あとはヴァン団長にこれ以上心配を掛けさせない。
そう頭では理解しても、感情が追い付いていかない。自分が思うよりも深く、ランセス達やシュロイズさんの拒絶が心に根深く突き刺さったのかもしれない。だからこんなにも感傷的なのだ。
「大丈夫、大丈夫……私、頑張る」
声に出して、自分に言い聞かせる。
私は大丈夫だ。頑張れる。まだ始まったばかりだ。いや、やっと第二の人生のスタートラインに立ったばかりで、始まってすらいない。これから私の第二の人生がスタートするのだ。
明日からは前を向いてひたすら頑張ろう。せっかく神様からもらった第二の人生。楽しまなきゃ損だ。
「泣くのは、これ、最後」
だから、泣くのは今日だけにしよう。
この時の私は、本当に何も分かっていなかった。
第零隊騎士館寮の彼等の事も。
精霊の事も。
闇属性の事も。
そして、泣いている私をヴァン団長が見ていた事も。
私が全てを知るのはずっと後。
次回から第二章に入ります。




