ミーナの聖夜
雪がしんしんと降る夜の道。灯りも今夜は柔らかく、降りゆく雪の舞を照らしていた。
何処からか風に乗ってホワイトクリスマスの曲が聞こえる。住宅地を外れた通りを行くのは、彼と二人だけ。
ロマンチックこの上ない設定なのに、ライルはミーナの肩さえ抱こうとせず、ただ黙々と歩いている。
ミーナは肩をぶつけるようにして身を寄せると腕を取って組んだ。彼は別に逆らおうともせず、腕を組んだまま歩き続ける。
そのまま、キスどころか言葉の一つも無く終わってしまいそうで、ミーナは急いで声をかけた。
「寒くない?」
言ったあとで、しまったと思う。果たして、
「当然だ。雪が降っている。少し急ごう」
と、もう足を速めだす。
ミーナは少しでも長くこうしていたいのだ。少々寒くてもいい。寒かったら、人目も無いのだもの、ぴったり寄り添えばいい。
それなのに、このバリヌール人はちっともそんなことなど気がつかないのだ。
ふと、彼が黙りこんでいるのは、チャーリィと過ごす夜を私が邪魔したからなのかしらと考えた。そう思うとたまらなく不安になってくる。
ちらっと見上げた顔は、気のせいかひどく冷淡に見える。端整な美貌の所為で、その冷たさがいや増して居たたまれず、ミーナは口を開いた。
「無理やり誘って悪かったわ。あなた、本当はチャーリィと一緒にいたかったんじゃない?」
彼の返事を聞くのが怖くなる。そうだと言われたらどうしよう。
「そんなことはない。彼と一緒に過ごすのも楽しいのは事実だけれどね。それより、寒くないの? 僕は体調整能力で外温への適応ができるから、寒さは感じない。でも、君達はそういう訳にはいかないだろう?」
眼をあげると、ライルの眼が優しく見つめていた。
あっと、ミーナは頬を染める。そうだった。この優しい人は、他人を恨むなんてできない人だった。私は独りで何をやきもきしているのだろう。
「平気よ」
――あなたと一緒だから。
でも、そう言ったらまた非論理的だと言われそうで、ミーナはただライルの腕にしがみつく。
***
ライルを知ったのは、昨年4月のアカデミーの附属病院でだった。副専攻していた準医修コースの2年生後期看護実習である。
準医修コースは、アカデミーの4年間で応急処置程度の医学知識と技術を習得し準医士官試験資格を得るものである。修士まで進めば正医士官試験の資格まで取れる。
準医士官や正医士官は、医学博士である医師ほどの専門知識は期待されないが、各宇宙軍隊では必要不可欠な資格士官であった。
ライルはその時、物理学講師としてアカデミーに来たばかりで、病院ではインターン生だった。すごくきれいな医者がいると女の子達が騒いでいたが、はじめは気にも留めていなかった。
彼女は希望して緊急治療室にいた。たいへんではあるが実体験が積めるからだ。
そこへ二人の患者が同時に到着した。
一人はぼろを着た生活保護者で、脳梗塞を起こし重篤だった。
もう一人は車事故でこれも肋骨と足が折れていそうな重体だったが、とりあえず命に別状はなさそうだった。ただ、大会社の重役で州議員だった。
州議員は大声で苦痛を訴え、早く診ろと居丈高に怒鳴り、スタッフ達は彼のほうへ集まった。
その時、州議員を無視して脳梗塞の患者に屈み込んだのが、ライルだった。ミーナをはじめ、看護師達にてきぱきと指示を出す。
すると、議員が強い剣幕で怒り出した。
「おい! そこの医者! ここに重傷者がいるんだぞ! こっちを先に見ろ! 手遅れになったらどう責任を取るんだ!」
すると、若い医者はちらっと目線だけ送って答えた。
「それだけ大声を出せるならショックも起こしていないでしょう。しばらく待ちなさい」
議員は唖然とした。そんな扱いを受けるとは思っていなかったのだろう。憤然として怒鳴りだした。
「おい、若造! 私を誰だと思っているんだ! 私が一声言えば、お前なんか医者などやっていけなくなるんだぞ! ここを追い出されたいのか!」
看護師やほかのインターン達がそわそわする中、彼は無表情のままきっぱりと言った。
「こちらの患者のほうが重篤なのだ。静かになさい。」
そして、貧しく薄汚い服の老人に、
「すぐに手術を行います。頑張ってください。」
と、優しく告げて手術室に運んでいった。ミーナが彼の後をついていったのは言うまでもない。
彼の医師としての腕は素晴らしかった。老人は助かり、うるさい議員の手術もこなした。
その後、ミーナは彼と一緒に仕事をする機会を意図的に増やした。彼はまるでロボットか人形のように感情を見せず、常に迷いなく公正だった。だが、患者に接する時はとても優しい表情を見せた。
そして、いつしか彼女は、彼ばかりを見つめるようになっていた。
ミーナに言い寄る男は数知れず、崇拝者は履いて捨てるほどいた。
が、ライルはまるで勝手が違っていた。彼女の存在すら気にも留めていないようだった。
それも、彼女には新鮮だった。
ミーナががライルと話をしたり食事に行ったりできるようになるまでに3か月かかったのである。
***
雪の降る二人だけの夜道はたちまち終わり、ミーナのアパートに着いてしまった。
彼女の部屋の前で、ライルは行儀良く、
「おやすみ」
と、告げるともうくるりと向きを変えた。その腕を捕らえてミーナが誘う。
「上がってらして。暖かいお茶を入れてあげるわ」
「でも、もう遅いから失礼する」
「明日から年末の休みよ。まだ、ベッドに入るには早いわ。それとも、イヴの夜を、私独りで過ごせって言うの? さあ、いらっしゃいってば!」
結局、強引に引っ張り込んでしまう。
ライルは仕方なさそうに居間のソファに落ち着いた。これまでも何回か部屋に上げているが、こんな夜更けには初めてだった。
明るいパステルカラーで統一された細やかな気配りの利いた部屋である。
この部屋に入る栄誉を勝ち取る為に、世の男達は血眼になっていたが、彼女はライル以外の誰も寄せ付けなかった。羨望と嫉妬の眼で睨まれる当のライルは、あまりありがたくもなさそうにぼうっと座っている。
シャンペンが入っている所為で眠そうな様子だ。紅茶を入れて戻ってみると、ソファにもたれて本当に眠っていた。
「ライルっ! どうぞ!」
叱りつけるように声を尖らせた。彼がはっと目を覚ます。目の前のローテーブルに香りの良い紅茶のカップを置く。
弁解するでもなくおとなしく紅茶をすする彼に、ぷりぷりしながらテーブルを挟んで彼の正面に座った。
タイツを脱いでミニの赤い刺激的なドレスに着替え、魅力的な足をこれ見よがしに見せびらかす。サワーライム酒のグラスを取るために屈むと、大きく開いた襟から形の良い胸が覗く。
これだけの演出をして見せても、目の前の恋しい男には通じない。彼の瞳は澄んだ星空のようにどこまでも静かで美しい。
ミーナは溜息をついてグラスを飲み干す。だからこそ、彼が好きなんじゃないの。
しかし、今夜はその行儀の良さが恨めしい。
「お代わり持ってきてあげる」
ミーナは彼の返事も聞かず、カップを取り上げ、キッチンに引っ込んだ。
熱い紅茶の中に、香りの薄い火星産ブランデーを注ぐ。そして、何食わぬ顔で彼の前に置いた。
彼は何の疑いもなく手に取る。ミーナはじっとそれを飲み干すのを見守った。
効果は絶大だった。
たちまちかあっと顔が真っ赤に染まり、そのまま伸びてしまう。
「ライル!」
ミーナはびっくりして駆け寄った。彼は口を開けたまま、苦しそうに息をして意識がない。
「ごめんなさい。悪かったわ」
後悔しながら、服のボタンを外し緩めてやる。ショックを起こしているのじゃないかと心配して顔を寄せると、くうくうとはっきりと寝息が聞こえた。熟睡しているのだ。
ミーナはぶうっと膨れた。床にぺたりと座り込む。酒で酔いが回っている所為なのか、ぼろぼろと涙があふれてきた。止まらない。
「ライルの馬鹿! 馬鹿! どうしてこんな奴を好きになっちゃったのかしら」
ぐっすり眠りこける彼の前で恥も外聞も無くミーナは泣いていた。
***
TELの呼び出し音にミーナは目が覚めた。
「休日の朝っぱらから、なんて無粋なのかしら」
TELに出たくない。傍らにはライルがまだ眠っている。セミダブルだから、必然的にぴったりと寄り添った彼の暖かい体温が心地よく伝わっていた。
しかし、TELは辛抱強かった。ミーナは諦めてネグリジェの上にガウンを引っ掛けると、ベッドから出てリビングに行く。
TELはギアソンからだった。地球防衛庁長官である。
ギアソンは、世慣れた気さくさで話しかけてきた。
「いや、朝から気のきかんことをして申し訳ない。ところで、そちらに、ライル・フォンベルト博士が来ていやしないかね。彼の家は留守だし、チャーリィ君に聞いたら、ここだろうということでね?」
ミーナは諦めの口調で言った。
「ええ、いますわ。まだ、眠っています」
「良かった。それではすまんが、彼を叩き起こして、直ぐに防衛庁本部まで出頭するよう話してくれんかね。緊急の用件が入った。詳しい事はその時に。ミス・ブルー、悪いね。恨まんでくれたまえ」
ギアソンはあまり詳しく説明したくはないようだった。一方的に伝えると、TELを切ってしまう。
彼は誤解したかしら。彼が誤解したことが、誤解じゃなかったら良かったのに。
寝室に戻ると、ライルが目を覚ましていた。トランクス一つの身体をベッドに起こしてぽかんとしている。
「今のTELは、ギアソン長官?」
「ええ、そうよ。至急、防衛庁へ来て欲しいんですって。気分はどう?」
彼がかすかに眉をしかめるのを見て聞く。ライルは額に手を当てた。
「頭が痛い。僕はどうしたんだ? いつの間にベッドに入ったのか、その記憶もないんだ」
当惑している彼を見て、ミーナが告げた。
「本当に覚えていないの? あなたは酔っ払って……私を抱いたのよ」
ライルが目を丸くしてびっくりする。
「そりゃあ、素敵だったわよ」
「信じられない。僕が……性行為を? 覚えていない」
正直に当惑する彼を見て、ミーナは笑ってしまった。
「嘘よ。あなたは私の悪戯で酔い潰れて、ずっと今まで眠りっぱなしだったのよ。リビングに放って置くのも気の毒だったから、私のベッドを貸してあげたの。あなたは軽いから、運んでくるのは造作なかったわ」
ベッドから出て服を取り上げるライルの艶やかな染み一つ無い美しい裸身を見ながら、ミーナは人知れず嫉妬を覚えた。
綺麗な肌。これがバリヌール人の肌なのかしら。
陶器のように滑らかで、いくぶん硬質のしっとりと吸い付いてくる肌。
昨夜、彼は正体も無く眠っていて、まったく目覚める気配がなかった。
彼女は彼にぴたりと寄り添い、その肌に触れていた。
微かな花のような香りを胸いっぱいに吸い込んで、心が甘く切ないまでに融け緩んでいくままに。
切なくて、夢のようにときめいた不思議な時間。
彼を独占した罪深い秘密のひととき。
確かに彼は男ではない。どちらかと言うと女に近いかもしれない。
ゾウリムシ型分裂単性種ということは、自分で分裂して子孫を残すのだから、基本的に、それは雌の性ともいえるだろう。
それとも……、とミーナは思う。
彼は、女よりも妖しい魅力に満ちた危険な生物なのかもしれない。
***
二日酔いの頭痛は身体調整能力で難なく処理し、彼は勝手知った地球防衛庁の簡素で機能的な広い通路を歩んでいた。
彼の姿を見た人々は足を止め、畏敬の眼差しで眺め、囁きかわす。バリヌール人ライルが人々に打ち解け迎えられるようになるには、もう少し時間がかかるようだった。
異星人が当たり前のように地球上を歩き回り、人々と親しく談笑するようになるのは、更に多くの時間が必要だった。
彼がギアソンのオフィスに近づくにつれ、辺りの空気が妙に緊張していることに気づく。その理由はオフィスのドアを開けた時に解った。
ギアソンに向かい合って、大きな座り心地の良さそうな椅子に、青と黒の縞模様の長い体毛を持つ大柄な人物が窮屈そうに腰かけていた。
彼はその大きながっしりした体躯に似合わぬほど敏捷な身のこなしで、音も無く向き直って立った。
切れ上がった鋭い金色の眼が喜びに輝き、耳のような触角の生え際まで裂けた口裂が大きく開く。高位の身分を示す華麗で機能的な異世界の制服に身を包んだ彼は、青と黒の長い毛でおおわれた六本指の両手を広げてライルを迎えた。
「ライル。久し振りだな」
「トゥール・ラン提督。貴方が来ているとは知りませんでしたよ」
彼の大きな両腕の中に抱かれながら、彼が直々に来ているようでは、ただならぬ事になりそうだな、と考えていた。




