クリスマス・イヴ
一の章
重く伸し掛かるような雲が低く垂れた空の下で、木枯らしが音を立てて吹きすぎていく。まだ降り始めていないが、夜にはきっと雪模様になるだろう。
アカデミーでも、今日は常に無く浮き浮きした気分が漂っている。今日は、クリスマスイブなのだ。
授業も今年は終わりで、新年明けまで休暇となる。まだ、昼過ぎだというのに、もう学生達はクリスマス気分で、話題はパーティや休暇の事でいっぱいだった。
地球がようやっと混迷を抜け、統一された一種族として地球政府のもとに、宇宙の深淵へ乗り出すようになってまだ間もない。
それでも今日は世界中、それこそ一丸となってクリスマス一色に染まっていた。ジングルベルの歌が何処でも聞こえ、赤い服を着たサンタのおじさんが、子供達に笑顔を振りまき、サービス商品のプレゼントを配っている。
アカデミーでも、どこからか陽気なクリスマスの歌が聞こえていた。学生達の足取りも、自然と弾むように軽い。
それを全く無視して、栗色の髪の長身の青年が黙々と歩いていた。
無造作に白衣を羽織っている下は数日前から着っぱなしの仕官コース訓練の制服。合わせ目に紺の線が入った水色の上着と同色の紺のズボンは、さすがにくたびれた感がある。
地球統一宇宙士官アメリカ州大学――通称スペースアカデミー――の中央通りをマイペースで歩く美貌の主を、学生や教官達が畏敬の眼差しで遠巻きに見送っていた。
始めは突如現れた無名の天才科学者。ついで恐ろしい異星人として名が広まり。今は、優れた古い種族の最後の一人。
ライル・フォンベルト・リザヌール。
十一月に十九歳になったばかりの地球人の遺伝子を併せ持つバリヌール人。
彼にはクリスマスは無関係だった。本人はそう思っている。
今もアカデミーセンターの中央コンピューター室での作業の帰りである。このまま真っ直ぐ行けばアカデミーの正門に出る。
しかし、彼は五メートル先の噴水のあるロータリーで、右に曲がろうと考えていた。
そうすれば情報統括総合学の教室のある建物に行く。教授である彼の部屋もそこにある。早く入ってしまおう、と足を向けた。
と、腕をいきなり取られて正門のほうへ向き直させられた。
冷たい木枯らしに金色の髪が輝く。
「捕まえたわよ。どこへ行く気だったの? 今日は、私達でクリスマスのパーティをやりましょうって言ってたでしょ?」
ミーナが男の顔を見上げながら甘いソプラノで咎めた。ニットのワインのワンピースの胸に、逃がすものかとライルの腕を抱え込む。
ワインのタイツと赤いブーツの小鹿のような長い脚の美女に、周囲の男達が視線を注いだ。
「忙しいんだ。やらなくてはならない仕事が詰まっている」
男達の羨望や嫉妬の眼差しも知らず、ライルは抵抗を試みる。ミーナが形のいい眉をしかめて、強い詰問風に語調を変えた。
「やりたい仕事でしょ。三日も泊り込んで、更にクリスマスの日にまでしなくちゃならないほど、急ぎで重要な仕事なんか無いことくらい、知っているわよ」
ずばりと言われて、彼は本音を吐いた。
「パーティは好きではない。チャーリィ達が酒を飲む口実だよ。いつだって勝手に飲んでいるくせに、もっと飲むつもりなんだろう。それなら、僕抜きでやっていればいい」
「もう! 本当にそう思っているの? そうだったら、貴方に断ったりしないで、勝手に家を使わせてもらっているわよ。今日はイヴの日よ。貴方にもいて欲しいのよ」
「どうしてイヴの日だから居て欲しいんだ? 別にクリスチャンでもないのに、どうして世界中でクリスマスなんだ? 非論理的だ」
「駄々っ子みたいに理屈こねないで。昔からの習慣に、論理も何もないわ。クリスマスイヴは親しい人達と楽しく過ごすものなのよ。私もお料理の腕をふるうわ。チャーリィや勇も何か作るつもりよ。だから、一緒に行きましょう。ね?」
男をとろかしてしまうような妖艶な笑顔で誘う。アカデミー一の美女の誘惑にも彼はまったく感銘さえも受けない。
まだ行き渋っていると、ミーナに引き摺るようにして強引に連れ出された。
カタログから抜け出てきたかのような殺風景な家が彼の住まいである。住宅地を少し外れた、まだ自然が残っている所に建っている。少し不便であるが、静かなのでライルは気に入っていた。
二階建てで、一人住まいには少し大きいが、一階の半分はコンピューターや資料書棚やわけのわからない機器類に占領されているから、実質の私室は二階にしかない。
一階に辛うじて残された空間をキッチンとリビングに使い、ミーナが何とか人間が住む家らしくしようと苦心している跡がみられた。
うっかり気を緩めると、直ぐ粒子測定器だのPC端末機だのがリビングにまでのさばってくる。その度に、ミーナに叱られてドアの向こうの仕事場に片付けさせられるのだ。
普段は見捨てられている伊万里焼の花瓶に、今日はバラの花を飾り、リビングの隅にはクリスマスツリーが小さいながらも置かれてあり、壁には新しい額が掛かっていた。
彼が留守にしていた三日のうちにミーナ達が支度を整えていたらしい。
キッチンのドアを開ける前から、焦げ臭い匂いがしていた。
「何を焼いているの?」
ミーナが叫びながらキッチンのドアを開けると、煙が吹き付けてきた。
「火事にする気?」
咳をして顔をしかめると、煤だらけになった勇が顔を突き出した。
「ごめん、ごめん。詰め物入りガチョウを、本格的に炭火で焼こうと思ったら、焦がしちゃったんだ」
「焦がしたんじゃなくて、燃やしたんじゃないの?」
空調装置が動いているのを確かめて、ミーナは煙が充満するキッチンに入って行った。
「火が強すぎるのよ。炭火で焼く時は、外に行ってやってちょうだい。キッチンが真っ黒になっちゃうじゃないの」
ミーナの声が聞こえてくる。
「ガチョウは諦めなさい。これじゃ食べられないわ。……食べたかったら、買ってくればいいわ。まだ、間に合うわよ。ガチョウがなかったら、七面鳥やチキンだっていいじゃない」
「でも、ガチョウが食べたいんだ」
「チキンでもおいしいわよ」
「でも、ガチョウ……」
「チキンでいいの!」
窓を開けて、煙を外に出そうとしている物音が聞こえた。
キッチンのドアの所で突っ立っているライルの側に、チャーリィが滑り込んできた。手に買い物袋の大きい包みを二つも抱えている。一つは酒瓶で破けそうだ。
ちょっと気障っぽくカジュアルな服を着こなした、ファッション紙から抜け出てきたような赤い髪の長身の男。ライルや勇と、アカデミーで同期の候補生である。
それが、精悍な顔を鼻を鳴らしてしかめた。
「なんだい? 火事か? 勇の奴だな。だから、無理だって言ったのに。ライル。良く出てきたな。ひょっとしたら、今日も帰って来ないんじゃないかと心配してたんだぞ」
荷物をドアの前に降ろすと、素早くライルを抱きしめてキスをする。一度触れるともっとしたくなって抱く腕に力を込めようとした時、ミーナのきつい声が降って来た。
「チャーリィ! 少しは手伝ったらどうなの? ライル。あなたもぼうっと突っ立てないで、手伝いなさい!」
ライルの腕を掴むと、キッチンに引っ張り込む。
「あなた、男でしょう? チャーリィにキスされて喜んでちゃだめよ」
ミーナが叱り付けている。バリヌール人にずけずけと物が言えるのは、彼女だけかもしれない。
「生物学的には男じゃない。彼のキスは気持ちがいいんだ」
ライルが抗議している。
「形態学的には男なのよ。あなたはホモだって言われるわよ」
「非論理的だ」
「ミーナ。止めとけよ。ライル相手に本気で熱くなるもんじゃない。だいたい、これでいいと思うけれど、あと、何が足りないかな」
チャーリィがキッチンに入りながら、ミーナの噛み付くような視線を平然とかわす。
テーブルに品物を並べて、酒瓶をキッチンの一角を占める棚に並べる。ライルは飲まないのだが、日参するチャーリィ達がここを酒庫にしていた。
「ガチョウがない。俺、ひとっ走り行って買って来るよ」
ガチョウにこだわる勇が、煤に汚れた顔で言い張った。
「顔を洗ってから行けよ。ライル。お前もバス使って来い。三日間、ろくに洗ってないだろう」
ライルを追い出すと、チャーリィは支度を手伝いながら、後ろを向いたままミーナに訊いた。
「なぜ、あんなことを言った? 奴には男だの女だのなんて意味がないのは知っているくせに」
語調がきつい。
ミーナはぞくりとした。
チャーリィは別名カミソリの仇名で知られている。彼の刃物のような鋭い緑灰色の眼でじろりと睨まれると、大概の人間は震え上がって青くなってしまう。
これに平気で見返せるのは、勇とライルだけだった。
ライルはどんな脅しも通じないし、勇は胆力の特別座った男だった。だから、チャーリィと親友でいられるのかもしれない。親友でライバルだった。
ミーナは悔しいが、本気を出したチャーリィには敵わない。怖い男だと思う。それが魅力で女達は彼に惹かれるのだ。
それでも、ライルに関しては負けたくないと思う。
「何も解ってない彼に手を出すのは、卑怯だと思うからよ。彼は貴方の言うことなら、何でも信じ込んでしまうわ」
チャーリィは手にしたケチャップのラベルを確かめるかのように容器を眺めていた。
「だから、俺はあれ以来、奴には触れていない。これでも我慢しているんだ」
「キスしてたじゃない」
「ひと月ぶりだ。俺はあいつの夢を毎晩のように見る。好きなんだ。君だってそうじゃないか」
「でも、私はあなたのように、即セックスには結びつかないわ。あくまでもプラトニックよ。あなたのは強姦と同じよ」
ミーナも手厳しい。
「奴は女とセックスなんかできないぜ。そんな気にもならないだろう。そもそも無理なんだ。でも、俺とならきっとできる」
「それは、彼にとってはセックスではないわ。あなたも解ってるでしょうに。きっとそのうち、ひどいしっぺ返しを喰らうわよ」
勇のバイクが町へ向かって走り去った。
しばし、二人は黙って支度を進めていた。ビーフベースのブイヨンのゼリーを冷蔵庫に入れながら、チャーリィが口を開いた。
「とにかく、奴に変なことを吹き込まないでくれ。俺も君の邪魔はしないつもりだ」
「公正ね。それとも、宣戦布告?」
「まぜっかえすなよ。君と喧嘩をしたくない。俺は、君も好きなんだぜ。君とだったら、俺もライルの事を忘れることができるかもしれない」
ミーナはしばらく黙っていたが、やがて、溜息をついて答えた。
「無理ね。私はあなたと友達以上にはなれないわ。それに、例え、私があなたと付き合うようになっても、あなたはライルを忘れることなんかできない。私も彼を忘れられない。私はライルに敵わない。誰だって、敵わないのよ」
――ミーナは泣いているのか? あの気丈なミーナが?
しかし、彼のほうに振り向いた顔は笑いを作っていた。
「さあ、早いとこ、仕上げちゃいましょう。勇がお腹をすかせて帰ってくるわ」
「そうだな」
チャーリィもとやかく言うのはやめてミーナに調子を合わせる。
ライルもさっぱりした顔で下りて来て、料理の仲間に加わった。彼らはアカデミーの三年生の時に、相当きつい実習訓練を終えてきている。
料理も当然担当させられているから、腕は結構確かだった。サバイバルでは、軍人が生き残るのも無理ないのである。
夕暮れ時から、ついに雪が降り出した。暖房でぬくぬくと暖まった部屋で、彼らはホワイトクリスマスイブを祝った。とっときのシャンペンを開け、苦心の料理とガチョウを味わう。
ライルでさえ、シャンペンを少し飲んでいた。もっとも、チャーリィがこれは酒じゃないと言うのを真に受けたからなのだが。
夜も更けて、ひたすら飲み食いに忙しかった勇が、眠そうに欠伸をして帰っていった。多忙の近藤総司令官が息子とクリスマスを過ごすために、久し振りに家に帰ってきているのだ。
(チャーリィは、今晩、泊まるつもりかしら)
ミーナは怪しんだ。
(きっと、彼と寝るつもりなんだわ。そんなこと、許すもんですか!)
チャーリィが数多のガールフレンドの今夜の誘いを必死に断ってきたのを知っている。下心が見え見えなのだ。
「ライル。私、帰るわ。もう随分遅くなっちゃったから、アパートまで送ってくださらない?」
チャーリィがはっと顔を向けてきたが、ミーナはそっぽを向いて知らん顔をしている。
「まさか、夜道を若い女性一人で歩かせたりしないわよね?」
ライルは戸惑った顔をしている。夜道といっても、少し歩けば直ぐ住宅街の明るい通りに出るし、ミーナは柔道・空手の有段者なのだ。ライルなんかよりよっぽど強い。
――ミーナに手を出す野郎のほうが気の毒ってもんだ。
チャーリィも苦い顔で、腹の中でぺろりとつぶやく。
「君は必要ないんじゃないか?」
ライルが正直に言ってしまう。途端にミーナの眦がきりりと上がった。
くるりとチャーリィのほうを見据えて、決め付ける。
「チャーリィ。あなた、この非常識な人に男子の心得って言うのを教えてやって頂戴!」
美しい顔が勝ち誇って、冷たく微笑んでいる。
――畜生! 出し抜かれた!
と、思っても仕方がない。さっき邪魔しないと言ったばかりなのだ。むすっとした顔で、それでも彼に説明を試みた。
とても納得したとは言えない表情ながらライルはミーナと雪の中に出て行った。ちらりと振り返って見せたミーナの顔を見て、チャーリィは面白くなさそうに肩を竦める。
彼女、今夜は彼を帰さない気だ。ちっと舌を鳴らしチャーリィも外へ出る。
ライルのいない家は、妙にがらんとして寂しい。停めておいたエアバイクのエンジンを蒸かしながら、今夜はどの娘の所に行こうかなと考えた。
※注:情報統括総合学:ライル・フォンベルト・リザヌールが新しく起こした分野。各専門学の専門的データを統括的な視野で総合判断する学問。専門知識が求められる各学問は縦の情報交換はあっても、異なる専門学問間の横の情報交換は難しい現実がある。これを統括して横の連携を促し新たな可能性に至る観点を示唆し、広く全体的な視野で総合的に考察することが主の分野。極めるためには、各専門学のある程度以上の知識が欠かせないのが難である。多次元立体グラフを用いて、各専門データを視覚的に表すことが可能。のちに、火星にて多機能グラフによる総合的視野による開発を行っている。




