満天の星に包まれて
『至上者』は、自身の滅亡の前に死に物狂いになった。攻撃者を発見し、誘導場の流れを辿って、必死の反撃を行った。
既にエネルギー流で飽和していたライルの装置にビームが逆流し、装置と同調していた彼を直撃した。
ライルは身体を硬直させ、意識を失って倒れる。
目の端にミーナが医療キットを引っ掴むのを見ながら、チャーリィは真っ先に駆け入る。ミーナが続いて駆けてきた。
勇は通信機に叩き付けるように叫んだ。
「ライルが襲われた! エネルギー源を探知して、直ぐ破壊してくれ!」
連合軍は火をついたような騒ぎになって、エネルギー発信源を突き止め、猛烈な攻撃を加える。
それで、エネルギー流は消滅したが、敵艦隊によるライルの艦への攻撃が始まった。
紫色の光輝に包まれ強張ったままの彼が生きていることだけを、チャーリィは確認する。後をミーナに任せると、勇が待つハッチへと駆けた。
勇と軽巡に乗り込むと、群がる敵艦に攻撃をかける。艦の搭載艇が次々と発進して、防御と攻撃を開始する。
ライルの艦は全く防御力を持たないのだ。その全ての出力は彼の装置へと回されていたのである。連合軍も応援に駆けつけ、ライルの艦を守る為に死闘が展開された。
***
ライルの意識は戻らない。端末が開くヘルメット型同調装置は頭部から外れ、床に転がっていた。
皮膚が有機セラミック化し、ぼうっと紫色に輝いている。
その間にも、宇宙に放たれた恐るべき怪物は膨れ続け、成長していった。
『至上者』の世界がその巨大な断溝に飲み込まれていくに従って、あれほど統率され整然としていた敵艦隊が乱れ始めた。
めくら滅法のスピードで自星系に戻り、挙句に裂け目から吹き出るエネルギー流に触れて吹き飛ぶもの、同士討ちを始めるもの、連合軍を全く無視して何処かへ飛び出していくもの、と、その混乱振りは異常を極めた。
それは頭脳を砕かれた浮遊生物の手足が、電気的刺激で蠢くのに似ていた。
統率性を失い、戦意を忘れ、抵抗らしい抵抗もできなくなった敵艦を全滅させるのは簡単だった。
その殲滅攻撃は屠殺行為に近かった。
これを遂行する意志力を持つ者は、銀河諸国の中でもあまり多くはなかった。しかし、後の憂いを残さぬ為に完遂せねばならない。
結局、ガルドと地球の艦隊が中心になって、この嫌な最後の仕事に取り組むしかなかった。
やがて、艦隊の将校達にも、肉眼でこの宙域で起こっている現象をはっきりと見ることができるようになった。それほどに空間の亀裂は拡大してきたのだ。
ライルがこの世に現出させた怪物は、筆舌しがたい恐るべきものだった。
それを目にした者達は、酸素系非酸素系を問わず、ヒューマノイド非ヒューマノイドを問わず、誰もが激しい恐怖に身を震わせた。
彼らが見ているうちにも、その恐怖の広がりは、みるみる加速的に拡大していくのである。
それが超アインシュタイン宇宙におけるロシェの限界を超えると、もはやその成長を止めることはできなくなる。
抑制を受けていた空間ポテンシャルの壁を破り、自由になったそれは手当たり次第に星々を飲み込んで、増大されていく過負荷が怪物の成長に拍車を掛ける。
やがては、銀河が、遂には宇宙そのものが、壮絶な累乗的破滅に向かって落ちていくのだ。
これを止めることができるのは、ライルだけ。
しかし、彼は意識を失ったまま正気づかない。その間にも、空間の怪物は近隣の恒星へとその魔手を伸ばしつつあった。
***
ミーナは硬質化し紫に輝く異質な生物を揺すった。名を叫び、頬を叩く。救急キットから強心剤のアンプルを出して注射する。彼はそれでも、人形のように身体を強張らせたままだった。
彼女は決意すると、電気コードを引いてきた。ボルトを確かめ、心臓が停止した患者に施す要領で電気を流し、ショックを与えた。
どんっ。
ライルの体が跳ねる。
「う……」
呻きが漏れた。
ミーナは、その頬を思いっきり引っぱたく。もう一つ。
ライルの腕が上がり、呻き声とともに意識が戻る。
目が開いた。ミーナの顔を見る。
はっと正気が戻り、飛び起きると物も言わずに制御装置に飛びついた。
計数を読むと、その顔が紙のように青ざめる。
臨界点に差し掛かっていた。
有機セラミックを解除する間も惜しんで、制御にかかった。
エネルギー攻撃を受けた所為で、装置はあちこちショートし、絶縁体も焼け焦げていた。配線の一部で漏電し、嫌な匂いと煙が出ている。回路の一部は完全にアウトになっていた。
唇をぎりぎりと噛むと、ヘルメットを取り上げ、決然とした表情で取り組んだ。
彼の指が制御装置の上を走る。
絶縁カバーを取り外し、剥き出しになった内部の配線を繋ぎ、熔けた回路の代わりに間に合わせの端子や別の回路で補う。
ミーナの連絡で眠り込んでいた技術者達が叩き起こされ、ばたばたと駆けつけるとすぐに装置の応急処置を開始した。
ジェネレーターや動力炉でも、出力を落とさないよう必死の奮闘が行われている。
ヘルメット型同調装置を通して、彼の意思が莫大なエネルギーをコントロールしていく。
果たして、これほどに成長してしまった膨大なエネルギーを内蔵する空間の暴走を押さえることができるだろうか?
彼の額に汗が吹き出した。解除していない有機セラミックの皮膚が、精神の集中と緊張に紫色に強く輝きだす。
宇宙では、怪物が一番近い星系に近づき飲み込もうとしていた。その背後に星々の密集した中央肢体が続く。
近藤総司令官達は為す術も無くスクリーンを凝視するばかりだった。
その時、怪物の成長が止まった。
そして奇怪な痙攣を始めた。存在を否定されていくのに対し、反抗しているかのように、のたうち暴れて放電し、触手を伸ばしては青白いエネルギーの残像を残して消えていった。
これを見守る全ての人々の心に、決して消えない恐怖を残して。
それは、ゆっくりと獰猛な口を閉じていった。
空間が、早くもその修復を始めていく。
遂に、全ての出力を停止させ、残骸に近い装置の作動音がやむと、ライルはゆっくり目を閉じた。
そのまま、椅子の背にもたれるように再び意識を失っていった。
***
医務室のベッドで、ライルは意識を取り戻した。
静かだった。
船は慣性航行中らしい。周囲に誰もいないようだった。
そっと医務官の目を盗んで抜け出すと、ふらつく足取りで通路を抜け展望室に行く。
四方がハイビジョンフルスクリーンで、かつ、周囲の宇宙や画像処理した探査映像を、全方位立体画像で展開することができる。
そこに『至上者』の宙域を全周囲立体映像に呼び出した。足は展望室の床を踏んでいるが、まるで宇宙空間の真っ只中に浮いているような錯覚を与える。
銀河を脅かす『至上者』と、それを操る意思の存在の脅威は、もうなかった。裂けた空間は既に修復され、何事もなかったかのように当たり前の通常宇宙に戻っていた。
だが、その世界があったところには岩塊一つ、ガス一つとてなかった。輝く恒星群の中でそこだけぽっかりと、黒く穴のように何もない宙空が広がっているばかりだった。
そこには、もう、何も無かったのだ。
ライルはそれを暫く見つめていたが、いきなり青ざめると激しく嘔吐を始めた。
延々と吐き続ける。止まらないのだ。
自分が為した暴力と破壊への嫌悪が、生理的なレベルで彼を責め立てる。
苦しさに涙を流し、床に倒れ、血を吐いた。
***
ライルの艦に戻っていたチャーリィ達はハッチへ向かっていた。トゥール・ラン提督の旗艦で行われる近藤総司令官を始めとする地球代表者達との会見に列席するよう連絡を受けたのだ。
チャーリィは、ふと、胸騒ぎを覚えた。ライルはまだ昏睡して医務室に寝ているはずだった。それでも、不安を感じた。
「俺はあとから行くから。先に行っていてくれ」
チャーリィはミーナと勇に言い置くと、医務室に駆けた。
医務室に行くと、ライルが寝ているはずのベッドが空だった。医師は席を外しているらしい。廊下に飛び出し、目についた士官を呼び止める。
――奴が行くとしたら、どこだ?
宇宙を見張らせる場所はどこかと聞いた。きっと結果を確認するはず。
突き刺すような刃物の鋭利な目に、巨体のガルドの士官は顔を引きつらせてどもった。
「メ、メ、メインデッキか、あ、あ、あとは、操縦室、あ、火器管制室も。それから、展望室も……そ、それか……」
「そこだ! 展望室だ! 案内しろ!」
チャーリィの剣幕に、士官は慌てて展望室に案内する。駆けていく彼の背後に、ミーナと勇も続いて来るのがわかった。
***
宇宙の中にぱっと明るい扉が開いた。
チャーリィは目を見張った。ドアを開けると、そこに宇宙空間があった。
彼を案内してきたガルド人士官は、中をひと目みるなり医師を呼びに駆けて行く。
「ライル!」
宇宙の真っ只中に、彼が倒れていた。そこが床だと解っていてもためらうほどに、全方位投影映像は室内であることをまるで感じさせない。
だが、チャーリィはそれでもライルに駆け寄った。足は確かな床を踏んでいる。
鮮血を吐く血まみれの愛しい者を抱く。ぐったりと意識がなかった。
しまった! と後悔する。もっとはやく、こうなる可能性に気づくべきだった。
ミーナと勇は扉の所でしばしためらっていたが、チャーリィの後を追って傍へ来た。
「いったい、どうしたの? ライルに何があったの?」
ミーナが心痛に身を揉むように聞いてきた。
「俺のミスだ。ライルはこの戦争で自分を責めていた。自分がみんなを巻き込んだと責めていた。『至上者』を殲滅したことにも、激しい抵抗があるはず。バリヌール人は暴力行為を嫌悪する。性質的に相容れないんだ」
「それで、こんな状態に?」
ミーナは察しがいい。ライルが陥った状態を、ほぼ正確に理解したようだった。
医者が駆けつけてきた。ガルドの士官達もどかどかと駆け込む。
だが、その医者も何故彼が血を吐き続けるのか解らない。
携帯してきた医療検査機で調べた数値は、内臓を始め諸器官の機能が極端に低下していることを示していた。だが、何処にも原因となりそうな異常や障害が見当たらない。
そうこうしているうちにも、数値は低下し続け、バリヌール人はどんどん衰弱していく。体温も下がり続け、既に室温と同じレベルになっている。
鮮血を吐く度に苦しそうに歪むほかは、血の気を失ったその顔は、もうまるで死者の面のようだった。
医者達がライルを医務室に連れて行こうとした。
だが、チャーリィはそれを拒否した。医療では、彼を取り戻すことはできない。
「ミーナ。みんなを外にだしてくれ。そして、誰も入れるな」
チャーリィは背を向けたまま、低い声でミーナに命じた。決意のこもった恐しいほどの意志を感じ、彼女はぞくりとする。
「……わかったわ。必ず、彼を連れ戻してきて」
まだ困惑し心配する勇と医者達の背を展望室の外へと、ミーナは強引に押した。
「しかし、ミーナ。ライルが……」
「トゥール・ラン提督と総司令官が待ってるわ。旗艦に行きましょう」
渋る勇を外の廊下に引っ張リ、厚い扉をばたんと閉める。
無力な自分に唇を噛み締めた。が、黄金の髪を決然と振リ上げると、勇の腕を掴んでハッチへと向かった。
***
「ライル。俺がわかるか?」
星が輝く宇宙の中。
ぐったりと力を失った身体を抱き上げて、血の気の失せた唇に口を重ねた。唇に溢れる血を舐め取って、舌できれいにしてやる。まともに食べていなかったのだろう。吐しゃ物の残余はなかった。ひたすら、血が溢れていた。
栗色の髪を手で優しく梳く。
「ライル。目をあけろ。俺を見るんだ」
だが、頑固なバリヌール人は、かたくなに己の中に閉じ籠る。ごふっと血が再び溢れ出た。
――このまま死なせてたまるか!
彼の上着を剥ぎ取る。星の散らばる永遠の夜の闇の中に白い半身が浮かぶように横たわる。少し瘦せたようだ。その身体を足もとに、チャーリィは自分も上着を脱ぎ捨てた。
――闇の中に落ちていく気なら、強引に戻すまでだ。俺が、引き戻す。
首に、肩に、胸に口付け、手で愛撫し、彼の五感を呼び覚ます。
――覚えているだろう? この感触を。この快感を。思い出せ!
だが、彼は皮膚の感覚網さえ閉じている。全ての活動を停止させようとしていた。腕に抱きあげた身体は異常なほどに冷い。
まるで、陶器の人形のようだった。皮膚は硬いセラミック質で、弾くと澄んだ硬い音がした。
耐えかねて、胸の中に強く抱き締める。
女でもなく男でもなく、地球人でもない異質な生物の身体だった。抱いているとそれを強く意識する。
それでも、ライルが愛しかった。
ふと、バリヌール人の姿の彼を見たいと思った。
どれほど異質な容姿でも、きっと愛しい。
例え、ヘビやナメクジのような形であってさえも、肌を撫でキスをしたいと望むだろう。
ライル、お前を愛している。お前の魂を愛している。だから!
――行くな! 俺を置いて行かないでくれ!
あまりにライルの身体が冷たくて、チャーリィは心が震える。
せめて、己れの体温で冷たい身体を温めてやろうと。
じっと抱いて横になっていると、宇宙の冷たい闇が二人を包み込んでいく。色とりどりに小さく光る無数の星まで、彼らの体温を奪いとっていくようだった。
「目を覚ませ。ライル。俺を見ろ。俺を感じろ」
チャーリィは二人を包む星々に願った。
――頼む! ライルを連れて行かないでくれ! バリヌールの星よ。俺のライルを返してくれ!
それでもライルの身体は冷たいままだった。それは、そのままチャーリィをも拒絶しているように思えてたまらなくなる。
ふつふつと怒りが沸いてきた。自分からライルを奪おうとしているバリヌールの星に。宇宙の星々に。そして、頑固なライルに。
チャーリィは身を起こすと、目を閉じたままの青白いライルの顔を睨みつけた。優しくしてわからないのなら……。
バシンッ! 遠慮のない音が右頬に響いた。
もう一つ、ビシッと、次は左の頬を。
「目を開けろ! ライル! しっかりしろ! 聞こえてるんだろう? ライル!」
さらに右、左と手の平が痛くなるほどに引っぱたく。血の気のない顔にそこだけ真っ赤に色が付いた。
ライルがうっすらと目を開けて、彼を見た。
「チャーリィ……」
呟くように名を呼んでくれた。
チャーリィはライルの身体を引き起こして胸に抱きしめる。心なしか、温みが戻ってきたような気がした。もっと温めてやろうと抱く腕に力を込める。
ふっと、身体の強張りが解けて、肌に柔らかさが戻った。
帰ってきてくれた。ライルが自分達のもとへ帰ってきてくれた。
――星々よ。バリヌールの星よ。
チャーリィは心の中で感謝の祈りを捧げる。涙が零れないようにぎゅっと目と閉じた。
ライルの腕が伸びて、チャーリィの背を捉えて来た。互いの体温が通い合うのを、しばらくじっと味わう。
チャーリィが目を開けると、ライルが抱き縋ったまま見つめてきた。その紫の瞳に無数の星が映っている。
「ライル。終わったことをくよくよしたって、しょうがないだろう? お前は誰にもできないことをやりとげたんだ。いいか。これは、弱肉強食の世界だ。意気地なしのバリヌール人は負けたが、お前と俺達は勝った。ただ、それだけなんだ」
「チャーリィ。君達地球人は強靭だ。……僕はとても……、自分の犯した行為に耐えられそうもない」
チャーリィは優しく微笑んだ。鋭い刃物のような目が、思いがけないほどに柔らかく温かくなる。
「そんなことはない。あの英雄的な決断を下した時に、既にお前は耐えていたはず。お前は今でも、自分が正しい事を知っている。お前は為さなければならないことをやっただけだ。お前の中の地球人の血が、その勇気をお前に与えたんだ」
チャーリィは美しい頬とあごを汚す血を舐め取りキスをする。赤く腫れあがってしまった頬を痛まし気にそっと撫でた。
「お前は、もう、あの古めかしいバリヌール人じゃない。新しいバリヌール人として一歩を踏み出したんだ。お前の倫理は、これからお前が作っていくんだ」
そして、唇にキスを。
囁くように優しく告げる。
「ライル。お前が知っているバリヌール人は……もう、いないんだ」
ライルの紫の瞳に涙が盛り上がる。その目をチャーリィの緑灰色の目が見つめた。
「俺がいつでも、お前のそばにいる。お前が行った如何なる行為も、罪も、苦しみも、俺が一緒に受け止める。恐れることはない。逃げるな。自分を信じて、勇気をもつんだ」
「チャーリィ……」
かつて、老リザヌールから最後に伝えられた言葉だった。その言葉を、友が告げた。
言いようのない熱い想いが胸に溢れて苦しくなり、ライルはチャーリィの暖かい胸に顔を埋めた。
涙があふれて頬を濡らす。
今の彼は、これが涙というものだと知っている。
だが、なぜ、涙が出るのか、彼には解らない。
涙は止めどもなく流れ続け、チャーリィが優しくいつまでも抱き締めてくれていた。




