チャーリィの困惑
周りに林立する見上げるような高層ビルではないが、手入れの行き届いた緑に囲まれたいかにも重厚な建物だった。
ライルが目で提督に訊ねると、彼は頷いて説明した。
「ガルディンは、六年前に建て直したんだよ。設備も古くなってきていたからね。以前よりずっと快適であることを保証するよ」
深々とした絨毯に足を乗せると、彼らはそっと背中を押されるような感触を覚えた。彼らは歩く必要もなかった。足は絨毯の上に乗っているのに、体が静かに移動していく。
広々としたロビーのどこにもフロント用の為のカウンターはなかった。ロビーそのものが、趣味の良いラウンジのようだった。
ここにはチェックインの必要な客は泊まらないのだ。そこここにソファにもたれて座っているのは、服装などから客の随員かボデイガードのようだった。
慇懃な物腰のホテルの接待係が音もなく現れ、彼らを部屋に案内する。
「地球の条件に設定済みです。快適なお時間をお過ごしなされますように、心から願っております」
部屋の使用法を一通り説明すると、彼は静かに立ち去った。
「すごい見晴らしだ」
勇が感心した声を放った。
部屋は最上階だった。ガルディンは当然ながら、最も景観の良い所にその展望を妨げられずに建造されている。
「こんな所を、俺達が使っていいのかな?」
珍しくチャーリィが弱気になっている。
しかし、それも当然かもしれない。明らかに最上の部屋と知れた。
少人数向けの部屋とは言え、十人の人間がゆっくり泊まれる。部屋は五つの寝室と、広いリビング、書斎にバーのラウンジまである。バスは中で泳げそうだった。絨毯は、靴のまま歩くのが憚れるよう。
トゥール・ランがバーに入って飲み物を作り出した。チャーリィが側に行って覗く。さすがに、地球の酒類はない。
「ゆっくり寛いでくれ。我々はバリヌール人をいつも最高の礼を以って迎えるのだ。あなた方は彼の友達なんだから、ご一緒していいんだよ」
ライルが苦笑して言った。
「僕達はいつだって、こんな過剰な歓迎は必要ないと言っていたはずだ。物とエネルギーの無駄だよ。それなのに、さらに贅沢になった。これは、キティンキラ産の絨毯じゃないか。あなた方の過剰装飾傾向は、留まることを知らないね」
トゥール・ランは愉快そうに笑った。口が大きく裂け、白く鋭い牙がむき出される。笑い声は轟くようだったが、それは温かく親しみ深いものだった。
「そんなことを言うのは、あなただけだよ。バリヌール人。ほら、地球のお友達に聞いてご覧。この贅沢を楽しんでいるから。そうだろう? チャーリィさん?」
チャーリィはトゥール・ランの作ってくれたカクテル? を慎重に試しながら、にやりとした。
「ああ、俺は恥ずかしげもなく言うよ。しっかり堪能しているさ。こんな素晴らしい部屋なんて、一生やっていたって、お目にかかれない。酒も素晴らしい」
チャーリィはトゥール・ランにグラスを掲げてみせた。
勇がやってきてカクテルを口に含んだが、トゥール・ランの手にあるほうを物欲しげにみつめる。
「これは、俺には甘すぎる。そっちのほうが良さそうだ」
ライルが呆れた。
「トゥール・ランの酒は掛け値なしのアルコールだよ。ダイナマイトを飲むようなものだ。君達は未成年じゃないか!」
トゥール・ランは、しかし、ライルの抗議を無視して、勇に同じ酒を作ってやる。
勇はそれを一口飲むと目を白黒させた。幸せそうにふーっと溜息をつく。
「すっごい! これこそ、男が飲む奴だ! でも、氷を三つばかり落としてくれないか。それから、その炭酸で1%だけ割ってくれ」
トゥール・ランはにやにやしながら、氷を落とし炭酸を20ccばかり加えてやる。ライルにガルド・オレンジのジュースを渡して、リビングに戻った。
「気に入ったよ。地球人と我々は、話が合いそうだ。バリヌール人は几帳面で、堅っ苦しくていかん。このライルにしたって、ガルドの子供も見向きもしないようなジュースなんか飲むんだ」
「君達はアルコール中毒者だよ」
ライルが眉をしかめて言った。
そんな様子を、トゥール・ランは目を細めて見ていた。
バリヌールの常識にすっかり染まる前のほんの幼い頃だって、ライルはこんな冗談の一つも言ったことはなかった。感情もずっと乏しくて、人形のようだった。
彼はなんとかして、ライルに『人間』らしい感情を目覚めさせようと努力したものだ。
それをこの地球人達が成し遂げつつあるようだ。
「私は、もっとこうしていたいが、会議の開催を急がせねばならん。ホストは呼ばないよ。そのほうが、君達も寛げるだろう。見学したかったらそこのボタンを押すといい。係りの者が来てくれる。食事はどこで取る? 何でも用があったら、そのボタンを押して用件を伝えればいい。ライルがここの流儀を知っている。では、また後で。どうぞ、良い時間を」
トゥール・ランはきびきびと出て行った。
「たいした虎だな。参ったよ。君がこれほどVIP扱いされるなんて思ってもみなかった。バリヌール人って奴はたいした種族なんだな」
チャーリィは、部屋のほうに手を振った。
――俺は何を苛々しているんだ? 何もかも思い通りに行っているって言うのに。
「見学に行くかい? ここ第六惑星には、国際宇宙港がある関係で、殆どの政府機関が集中している。訪問客を楽しませるための施設も充実しているよ」
ライルの提案に、勇が言った。
「慌てることはないさ。しばらくここにいるんだろ? それより腹が減った。飯を食って、酒を飲んで、休もうや」
「勇らしい提案だな。俺も疲れたよ。ここの重力はたまらない。食事はどうしたらいいんだっけ?」
食事は部屋で取った。ガルド式の豪華な食事で、肉類が主だった。しかし、バリヌール人向けに、植物質の料理も用意されていた。勇でさえ、食べきれないと無念がった。
ガルド人のボーイが畏敬を込めて恭しく給仕してくれた。おかげで、チャーリィは何を食べたのかさっぱり分からなかった。
ライルはもともと小食だし、勇は三人分を詰め込むのに忙しかった。ボーイが豪勢な料理の残骸と共に去ると、チャーリィは心からほっとした。
彼には、あのボーイが、並べられた料理より自分達の方に、より食欲を感じているのではないか、と言う思いに捕らわれてしょうがなかったのだ。
***
リビングの前面の殆どを占める大きな強化ガラスの向こうの空に、夕闇が訪れていた。
青く小さな光輝の強い太陽ガールが西の向こうに沈んで行った。空は青紫の色に染め上げられている。宇宙ポートの空に低く広がっている薄い雲は赤紫に輝いていた。
赤く巨大なダールが、やがて東の空からオレンジ色の光を振りまきながら昇ってくるまで、ここは僅かな間、真の夜を迎えるのだ。
広大な窓の前に立って外を眺めていたチャーリィは、空になったグラスにカクテルを満たそうとバーの方へ振り返って、顔をしかめた。勇が例のきつい酒を手に、またバーから出てくるところだった。
ライルはチャーリィに背を向ける形で、ソファに沈み込んでいる。低いテーブルの上に置いてあるティーカップは空だった。
「お茶を入れようか?」
チャーリィはカクテルを調合しながら聞いた。
「要らない。ありがとう」
チャーリィはライルの声の調子に眉をあげた。グラスを持って彼の側に行く。ちらっと顔を見たが、彼はいつもと同じ表情のない顔だった。
彼はライルが泣いているんじゃないかと、ふと思ったのだ。彼が静かに自分の殻に閉じ籠っているので、チャーリィも話しかけずに黙ってカクテルを味わった。
ガタン! と、音がして、チャーリィは振り返った。向こうのソファの隅で、勇が半分体をずり落ちさせながら眠っている。
「ちっ! 呑気な奴だな」
チャーリィが舌を鳴らすと、ライルも後ろを振り返って見た。そして、チャーリィに口もとだけで笑いかけてきた。
その目がひどく悲しげに見えたので、ライルの横に座り直した。
「元気がないな。疲れているんなら、横になったほうがいい」
しかし、そう言ったチャーリィも、理由がそれだけではないことを知っていた。
ライルは視線を落として口を開いた。
「僕はこのように物事が進むなんて、思っていなかった。ここへ向かう途中、こんな提案は一蹴されるに違いないと期待していたんだ。証拠も確証も、何もないのだから」
「確かに驚いたよ。バリヌール人の影響力に。彼等がこれほどまでに、バリヌール人に従順だとはな」
「従順だなんて。僕達は誰にも、何かを要求したり、指図したりなんかしなかったし、しようとも思わなかった。ただ、たまに彼らを訪問して、知識を交換したり、時にはほんのちょっと彼らの手伝いをしただけだ。それも、僕達が彼らより、わずかばかり多くを知っていたというだけに過ぎない。僕には彼らの命を指図する資格も、権利もありはしない」
ライルは視線を上げ、チャーリィの緑灰色の目を見つめた。
「わかっている」
彼は甘いテノールのトーンを落として続けた。
「『至上者』との戦いは、必要な事だ。避けられない。『至上者』に勝たせるわけにもいかない。近い将来、『至上者』は宇宙中の問題となることも解っている。彼等が充分な力を蓄える前に叩いたほうが、作戦上有利なことも承知している。勝つためには手段を選ばないと言ったのは地球人だ。より多くの幸せの為には、些少の犠牲はやむを得ないと。でも、僕はやっぱり、戦争なんかあってはならないと思っている」
「戦争はもう、始まっているんだよ。十一年前に。バリヌールの世界が滅ぼされた時に、始まっていたんだ」
チャーリィは慰めにならないと知っていても、他に何と言えばいいのか分からなかった。
ライルの体が微かに震えている。寒いのではない。空調は完璧だった。彼の心の中が、凍えているのだ。
バリヌール人の心は地球人とは違う。暴力に対し、信じられないほど傷つきやすかった。
黎明の頃から暴力と破壊を繰り返し、血塗られてきた地球人に、怯え傷ついたバリヌール人を慰めることなどできるだろうか?
勇の鼾が聞こえ出した。本格的に寝込んでしまったようだ。外は闇に沈み、窓に映し出された彼らの姿の中に、星々と宇宙ポートのきらめきが輝いていた。
「震えがとまらない。寒くはないのに……」
ライルの声は震えていた。
「どうしたらよいのだろう。チャーリィ」
ライルが彼の目をひたと見詰めてきた。
いつも冷静なはずの彼の目が、心の不安に揺れていた。
チャーリィは彼の身体を抱きしめる。他に彼を励ます方法が思い浮かばなかった。
大丈夫だと、間違ってはいないのだと、自分がついているから、と、チャーリィはライルの身体を抱きしめる。
ライルがそっと手を背中に回し、チャーリィに抱きすがってきた。
思いがけずチャーリィの胸が高鳴る。まるで、美女を抱きしめている感覚だった。
この異星人には性がない。ならば、自分にとって女であってもいいわけだ。そんな考えが浮かぶ。
ライルの唇に唇を寄せていく。
その時、勇が寝ぼけ眼で起き出してきた。正確には、勇がソファから落っこちて目が覚めたのだ。
――勇の馬鹿め!
しかし、それでチャーリィは正気に戻れたのだった。
***
ガルド宇宙局の司令室の一角で、チャーリィは報告を待っていた。プリトー人の母船の捜査にガルドの軍艦が出動しているのだ。
『至上者』の命令は絶対だった。違える事は無論、遅れすら許されない。太陽系で作戦を進めているように、他の世界でも行われている、と考えるのが妥当だ。
木星の衛星軌道上に待機していた母船は、作戦の失敗を知ると、さっさと退去してしまった。その航跡を海王星軌道上のレーダー観測機が記録していた。
その僅かなデータを基に、ガルドの宇宙局が方角を割り出し、軍を派遣したのである。『至上者』のデータをもっと集めなければならないのだ。
勇はガルド艦に乗って出掛けてしまった。既に侵略された二十の世界を調査するためである。トゥール・ランが勇に一緒に乗って行かないかと誘ったのだ。
勇は二つ返事で承知してしまった。
――あいつにはデリケートな神経というものがないのか? 虎の怪物に囲まれて何とも感じないのか?
もちろんチャーリィだって、ガルド人が洗練された非常に知的な種族で、多分地球人などよりずっと高度で平和を愛する素晴らしい連中だとは、分かっている。だが、人類の本能に根ざす生理的なものは如何ともし難いのだ。
ライルは、老ガルド人のラム・ホムラン博士の招待で、科学技術局に出掛けている。そんな所に行ったら、ちょっとやそっとでは戻ってこないだろう。何もかも忘れて夢中になって難しい数式を並べ立てているに違いない。
――俺の事も忘れて。
チャーリィは、むすっと手近な椅子に座り込んだ。椅子は彼にとって、クッションが効き過ぎ、大きすぎた。苛々と爪を噛む。小さい頃の苛ついた時の癖で、もう直ったと思っていたのだが……。
要するに、彼は暇を持て余していたのだ。何か動きたくてたまらないのに、何をしたらいいか、解らないのだ。
宇宙局の高い窓から、見るとはなしに宇宙船の発着を眺めていたが、やがて、彼は身を起こした。窓に寄って確かめる。
見間違いじゃない。彼等が来た時より、宇宙港に停留している船の数が増えている。また一隻、着陸態勢に入ってきた。
次々と船がガルドの宇宙ポートにやってくるのだ。それらの船のバラエティーに富んだ様々な形態様式を見れば、宇宙中のあらゆる種族が集まりつつあるらしい。
チャーリィは、唖然と口を開けた。
「なんてことだ。ガルドの大将、何を考えているんだ?」
チャーリィは、目の前の光景から予想される事を思い描いて、ぞっとした。体が我知らず、震えてくる。
「冗談じゃない。ライルじゃないが、止めてくれって言いたいぜ。畜生! こんなことなら、来るんじゃなかった。ギアソンか国連事務総長でも来りゃあ良かったんだ」
政府高官らしいガルド人が、チャーリィの方へ真っ直ぐ歩いてきた。チャーリィとしては、逃げることも隠れることもできなかった。
※注:ネネルの住むキティンキラ星に生息する羽毛のような毛皮のキティンキラ(惑星の名前はこの生物の名からつけられた)から取れる繊細な繊維で織られた絨毯。軽やかで柔軟、毛足が長くふわりと柔らかな弾むような感触と、どれほど圧力を加えられてもしなやかさを失わない耐久性に優れ、銀河で最高の品種と評価される。一年に産出する量が極めて少なく、幻の絨毯とも言われ、非常に貴重で高価である。