『生命』を守る銀河種族と『意志』の最後の戦い
九の章
希薄な粒子が漂うばかりの暗黒の永遠に近い銀河間の距離をわたって、それは来た。
物質でもなく、エネルギーでもない、しかし確固たる一つの絶対的な意志をもったそれは、破滅の意図をもってこの銀河に押し寄せてきた。
「来た!」
シャルルが叫んだ。
彼の背後に拡がる銀河中に、彼は警告の叫びを上げた。
その直後、『意志』に触れた彼の心は破壊された。
人が絶え得るものではなかった。心ばかりではない。心を容れたその身体も分解された。細胞も、それに触れては耐えられないのである。
シャルルを守護していた快速船も、また、死んだ。一分子まで残らず励起エネルギーを喰われたのだ。
眼にも見えず、計器にも感知しない、『意志』の触手はシャルルの船を飲み込み、それを突き抜けて、銀河の中へと滲み込んできた。
その時、銀河が燃え上がった。M15星団を中心とする前線部の恒星群列が、一斉に超新星と化した。
まさに、十万の恒星の自殺。
人々は、これらの恒星の核融合プロセスを爆発的なまでに短縮させる為に働いていたのである。寝食を忘れ、自らの命さえも忘れて。
小型ブラックホールを幾万、幾十万も作り上げ、恒星達に撃ち込んだのである。自分の惑星も犠牲にして。
ブラックホールは恒星の中で、引き付け合い固まり凝集し、恒星は収縮を始める。
中心に蓄積している鉄もハイフェビウムも、水素もヘリウムも、全てが一挙に収縮し、圧縮され、原子核同士がぶつかり合うまでになっていく。
中性子が大量に放たれ、ハイフェビウムが急激に活性化し、そこで、ついに大爆発が起こるの。
その宙域にいた人々は、瞬時に消滅した。
次いで、惑星達が、そして、恒星自身が後を追った。あるものは砕け散り、あるものは重力崩壊を起こして、さらに巨大なブラックホールと化していく。
この凄惨な星の命のエネルギーに、如何なるものが抵抗できようか?
しかし、人々は見た。
超新星の眼も眩むばかりの――実際、殺人的かつ破壊的な――輝きが、急速に薄れていくのを。
恒星が放出したその命を、何かが食らっている。
あらゆるエネルギーが、そのポテンシャルを失っていく。
ゼロへと。完全な静止へと。そして、絶対的な熱量死へと。
人々は、それでも、絶望し恐怖する心を奮い起こして立ち上がる。『生命』の闘いなのだ。アルファン星が、クルンクリスト星が、次々と立ち塞がった。
壮烈な決意と意志は、だが、それの前に無残に敗北していく。
『意志』の侵攻は止まらず、背後には、広大な死滅した世界が空しく残されていった。
太陽は輝きを失い、静かにガスが拡散して消え、惑星は絶対零度の岩塊となる。やがてゆっくりと各々の結合している分子の凝縮エネルギーすら失われて、塵よりも細かく分解し、消滅していくのだ。
無に還るのである。完全な虚無へと。冷厳たる宇宙の『死』の前で、小さく儚い生物達に何ができよう。
銀河は滅びるのだ。
宇宙は死滅するのだ。
時は止まり、未来を失い、全てが終結するのだ。
「かかれ!」
トゥール・ラン老総帥は、遂に命じた。
ガルドの人々は定められた所定の位置に走る。重力発生装置の巨大なタンクの中であった。
ガルド人は自らの肉体を重力崩壊させ、凝縮エネルギー化させようというのである。人体は数ミクロンの重力場となる。
だが、それは、『生命』が凝縮した意志である。
その悲愴な『生命』のエネルギーを武器として、『意志』に当たっていくのだ。
『死』の『意志』に対抗するのは、質量ではなかった。意志をもつ『生命』そのものだった。
「後を頼む」
トゥール・ラン自らも、重力タンクの中へと進む。
その意志を引き継ぐのは、地球人近藤勇元帥。
二人は無言で握手し、別れた。言葉はもはや不要であった。
勇は無言で猛々しいガルドの勇者を見送る。その彼も、既に命を捨てている。
全ガルド人の『生命』のエネルギー体は、タンクを透過し、惑星の空へと、宇宙へと上昇し、次々と集結していく。
宇宙で待機している艦隊の周囲は、凝縮されたエネルギー球の集結で輝きだした。
これを成す為に、バリヌール人ライルの知識技術の援助があったのは言うまでも無い。
意志を持つ『生命』エネルギー体!
何という技術。
何という犠牲!
しかし、ライルは相談と要請を受けた時、ただ黙って頷いた。
――もはや躊躇いはしない。
ライルはこの言葉を守り通した。
深い感慨を抱いて、この光り輝くエネルギーの群れを眺めていた勇は、毅然と彼方の宇宙を睨んだ。
眼にも見えず、触れることも、どんな探査装置にも現れることのない巨大な宇宙の『意志』。
だが、それは、確実な死と凄惨な破滅を後に残して、迫りつつあるのだ。
「全艦、発進!」
『生命』のエネルギーを、巨大な破滅的な敵に放つために。
勇は、艦隊を死出の出撃に向かうべく発進させた。
***
この時、既にチャーリィは、ライルの指示に従って銀河の執政本部を太陽系に移していた。選抜されて故郷を逃れてきた人々が、太陽系やその背後の宙域に続々と流れていく。
誰も一様に青ざめ、恐慌をきたし、しかし、みな口を閉ざして自分達の星々の最後を見つめていた。
彼らは誰も、自分達を幸運だとも思っていないし、その立場を喜んでもいなかった。
彼らの同胞の全ては、あの残してきた世界とともにあり、懐かしい故郷とともに壮烈な討ち死にを果たすのである。
『そのほうがいい』
ある者が言う。故郷は二度と戻らないのだ。その彼らも、結局は、同胞の後を追うのだろう。
例え、万が一生き残ったとしても、彼らの前に横たわっているものは、気の遠くなるような困難な道しかない。
これらの故郷を失った種族の僅かな生き残り達を率い、導かねばならないのがチャーリィだった。
彼は遷移した執行部の建て直しと、調整統括に奮闘しながら、絶望した彼らを統合するべく必死に努力していた。
ほとんどの種族は、まだ船を降りない。宇宙間で待機したままだった。生き残る為に、さらに、銀河の果てへと移動していかねばならなくなるかもしれないのだ。
彼らはひっそりと息を詰め、そして、待った。
***
銀河連盟最後の抵抗ともいうべき、ガルド人のエネルギー凝集体とそれを導く宇宙艦隊が、ついに、『意志』と接触した。
一隻先行していた前哨艦が、そのエネルギー体ともども消滅したのである。
勇は直ちに散開を命じ、艦の数の限りに、宙域の全面を包囲させた。
「放て!」
艦は持てる全エネルギーを傾けて、『生命』エネルギー凝集体を加速する。
エネルギー体は宇宙間を、見えぬ相手めがけて飛び込んで行った。
艦隊が包囲した宙域の前方で、輝きが一瞬、起こっては消えていく。
それは、『生命』が果敢に『意志』に攻撃しては、砕かれ消滅していく輝きであった。
『生命』そのものの攻撃に、さしもの『意志』も動きを止めた。後退すらし始めた。
「続け!」
第二陣、第三陣と、攻撃を続ける。『意志』は触手を縮め、怯んだかに見えた。
だが……。
エネルギー体は次々と消滅していく。ガルドの勇壮な人々の『生命』が消えていく。
トゥール・ラン大総帥も、また。
「最終段階、行け!」
勇は最後の命令を発した。
全艦は、『意志』に向かって発進した。
進みながら、自ら、艦ごとエネルギー体と変貌する。
無機質体と有機質体の、機械と生物の『生命』が一つに溶け合って、『意志』に突入していくのである。
幾十万もの巨大なエネルギー凝集体が、一斉に『意志』の宙域に走った。
***
ガルド星系から離れた前線基地の一つ。
そこに、避難船団の最後の残りが、まだ留まっていた。
彼らとともにチャーリィは、はるか彼方の宙域で巨大な輝きが現れ、消えるのを見た。
その輝きの意味を、彼は知っていた。
「勇……」
チャーリィは歯を食い縛ってその名を呟いた。彼の無二の親友の名である。幼い中学部の時代から、二人はライバルで、喧嘩相手で、そして、これまで幾多の困難を共に解決してきた、掛け替えのない友であった。
「ついに来たか……」
それは、また、銀河の人々の最後の抵抗が潰えたと同義であった。
残るは、オリオン星雲のライルのみ。
チャーリィは、人々に退避命令を発した。
逃げるしかない。何処までも。逃げ切れるだけ逃げていくのだ。
永遠に。
宇宙船団が金切り声を上げて次々と発進し、太陽系へと、さらにその奥へと、駆けていくのを横目で見ながら、チャーリィはオリオン星雲へ、今一度飛んだ。
太陽系から、わずか千三百光年。
私信で会いたいと求めたが、断られた。映像のライルは表情をなくし、石のように無機質に見えた。
それで、チャーリィは自分の高速艇で向かった。もちろん、彼が操縦して行く気はない。彼の操縦技術は、先天的に欠陥があるので有名だった。
最高執政官の権限で徴員した第一級のパイロットに任せている。それでも、オリオン星雲のイオン雲や衝撃波前線には苦労するのだ。
***
オリオン星雲の中に入って行くと、例の構造体が巨大に成長していた。
金属質の桁や柱が脆そうなほどに細く細く、どこまでも伸び、腕を伸ばしあい、結合しては、さらに彼方へと伸びていく。既に、星雲内全域ほどにも拡がっていた。
「驚いたな。たったあれだけの時間で……」
チャーリィが感想を漏らすと、船の侵入路を捜しながらパイロットが指摘した。
「あれを御覧ください。執政官殿。左舷のほう。この建造物は、自分で成長しているんですよ」
彼の言う通りだった。
分子雲のイオンを吸着させ、その構造を転換させて、望みの金属や合金と成して、構造体を次々と造っているのである。
その反応を生じている先端は、嫌な光を発している。核融合の輝きだった。
「すごいですね。物質転換。初めて見ましたよ。この構造体は、きっと物凄い超伝導体に違いないですよ」
パイロットは、光り輝くほうには近づかないように注意しながら、複雑な構造体の間に艇を滑らせていった。
すると、通信モニターの回線が開かれた。
「ライ……」
喋ろうとするチャーリィを制して、一方的に、
「誘導ビームを送る、それに乗れ」
と、簡潔に命じると切ってしまう。
パイロットがどうしましょう、と顔を見てきたので、
「指示された通りにやれ」
と、言ってやる。
艇は滑るようにライルの船に着艦した。パイロットを格納庫に艇とともに残し、彼は一人でライルに会いに行く。
この前と違って歓迎されていないと、感じている。
だが、引き返す気はなかった。
指令室の扉は固く閉ざされていた。
これほどまでに拒絶されていると知って、チャーリィはショックだった。
扉を拳で叩く。他に手段が見当たらないのだ。
「ライル! 開けてくれ! お前の顔を見せてくれ!」
「…………」
扉は沈黙している。だが、めげるわけにはいかない。
「頼む! ライル!」
「…………」
「ライル!!」
チャーリィは悲痛な声を上げた。
今、会わなかったら、永久に会えない。そんな気がした。
扉がわずかに開いた。室内の明かりが、通路に細く線を引く。
チャーリィはその隙間に手を入れ、腕を捻じ込ませて、もっと広げようとした。
扉がいやいや開く。
「それ以上は いけない」
ライルの声が止めて、次いで扉の隙間に彼の顔が現れた。
「どうして来たのだ? 僕は会えないと断ったはずだ」
無機質を帯びた感情のない声。
まるで、初めて知り合った頃に戻ってしまったかのようであった。
「お前にどうしても逢いたかったんだ。勇の宇宙艦隊も全滅した。俺は銀河種族の生き残りを率いて、さらに遠くへと行かねばならない。既に、船団は出発している。俺は、しかし、お前を置いていきたくないんだ。迎えに来たんだ。一緒に行こう」
「僕は行けない。ここに残る。ここが最後の防波堤だ。ここを僕が見捨ててしまったら、もう、誰も、何も、助からない。全てが滅ぶだけとなる」
「シャルルも死んだ。トゥール・ラン総帥も死んだ。勇も死んだ。俺は、お前まで失いたくないんだ。あれは強大だ。宇宙そのものなんだ。そんな奴に、例えお前だって、万が一にも勝てるわけがない。無駄に死ぬだけだ。それなら、いっそのこと、俺と一緒に逃げられるところまで逃げよう。俺と一緒に、死ぬまで。愛してるんだ。ライル」
チャーリィは必死に口説いた。
ライルを失うなんて、耐えられない。だが、彼は返事をしない。
「お前がここを離れない、最後まで残るって言うんなら、俺も一緒にここにいる。いいだろう? いや、駄目だって言ったって、俺は残るぞ。パイロットに言って、船を帰らせよう」
既に身体の向きを変えて、格納庫に行きかけるチャーリィに、ライルが声をかけた。
「それは駄目だ。チャーリィ。君には、果たさねばならない仕事がある。人々が、みんなが待っている。君は行かねばならない」
「彼らを率いていくのは、何も俺でなくたっていい。他の者がやっていくだろう。だが、お前の側に残れるのは、俺だけだ。お前を愛している俺だけだ。どうして、お前一人、こんな所に残して行ける? 言ってくれ。俺を愛してくれているんだろう?」
「チャーリィ。解らないことを言わないでくれ。君だって、とっくに承知のはずだ。彼らを導いていけるのは、君しかいないのだと。行きたまえ。チャーリィ。もう、時間がない」
何かが変だと、チャーリィは感じた。ライルの身に何が起こっている?
「ライル! ライル! もっと、ここを開けてくれ。君を良く見せてくれ!」
チャーリィは扉を叩き、わめき、こじ開けようと力を入れた。
「お前をちゃんと見るまでは、俺は絶対ここをどかないぞ! ここから離れない!」
しばしの沈黙のあと、ライルが観念したように言ってきた。
「わかった。扉から離れて」
そして、扉が開いた。
チャーリィは眼を大きく見開き、驚きに声を失った。
背後に室内の眩しい光を浴びて、ライルは立っていた。
一糸も纏わぬ全裸だった。美しい肌のあちこちが裂けている。
裂け目から、何本もの太いケーブルが生き物のように伸びていた。それらのケーブルは背後の機械群の中へと吸い込まれている。頭部にも二本、左右から醜悪なケーブルが入り込んでいた。
両手には指はなく、代わりに端子がこれもハーネスを引いて伸びている。
チャーリィが愛するライルは、巨大な機械の一部になってしまっていたのだ。
「ライル……!」
チャーリィはやっと悲痛な叫びをあげた。
「お前は……なんてことを……!」
「あれに対するには、僕の全てをぶつけねばならない。僕は一本一本の動力炉になり、ハーネスになり、回路になって、全てを統制する。その為には、僕自身が何千億にも分裂する必要があるのだ。この姿に戻ったのは、君の為だ。僕は、また、まもなく分解する」
「ライル!」
チャーリィはライルの決意を悟った。もう、これ以上、彼の言うべき言葉はなかった。
チャーリィはケーブルを絡ませ引いた愛しい身体を抱き寄せた。ライルにはもう抱きついていきたくとも、抱きつく指さえないのだった。
そのかぐわしい唇に唇を重ねる。涙があふれ出る。
離したくなかった。
ずっとこうして抱き締めていたい。
唇を頬に、首にと滑らす。かすかにどこからか、絶縁物質の焦げた匂いがした。
ライルの顔が動いて、チャーリィの唇を求めた。
再びキスを交わし合うと、背後の明かりの中でぱちぱちと火花が飛んだ。
イオンが充満し、ライルの髪が逆立つ。
ライルがふっと後ろに身を引いた。身体がぼうっと紫の輝きに包まれている。
「君のキスは、僕をスパークさせてしまうよ」
ライルがにっこり微笑んだ。
大輪の花が艶やかに咲きほころぶような美しさ。
チャーリィの為に……、彼だけのための微笑み。
「行きたまえ。もう、時間がない」
扉が、チャーリィの前で無情にも閉じ始めた。
「ライル!」
「君を迎えに行くから」
「何だって? 待ってくれ! どういう意味だ?」
ライルは答えず。
最後に 一言。
「チャーリィ。君を愛している」
そして、扉は閉じた。
「ライル! ライル!」
チャーリィは、扉を拳で叩いて叫んだ。
もう一度、その顔を見せてくれ!
もう一度、お前の唇を!
お前の身体を!
俺がしっかり覚えていられるように……!
未練であった。永遠に失われようとしている恋人への、激しい情念の未練であった。
だが。
もう、扉は二度と開かれなかった。
チャーリィは悄然として格納庫に戻っていく。涙がとめどもなく伝い流れていたが、それを拭おうともしなかった。
パイロットは、厳しい執政官の涙を見たが、賢明にも何も言わず艇を発進させた。
執政官は、これから眠る間もないほど忙しく、そして重い責任を、生涯ずっと担っていかなくてはならないのだ。




