第36話 小さな偵察兵
「さあ、ルーナ。まずはこの『パソコン』を起動するわよ」
「あ、パソコン〜! ほんとに、でんきで動くの〜?」
「えぇ、見てなさい」
バルコニーに運び込んだノートパソコンを、手すりの近くの小さなテーブルに置く。ポータブル電源につないだコードの先を確かめて、ルーナのほうを振り返った。
「じゃあ、パソコンの電源ボタンを押すわよ」
「ねぇ、アトラちゃん」
「何?」
「それ、もう動くものなの~? さっき、お日様から、でんきをもらい始めたばっかりでしょ~?」
「いい質問ね」
私は指を立てる。
「ポータブル電源は、買った時点で、少しだけ電気が入ってるのよ。ほら、ここ」
電源の側面の小さな表示を指さす。緑色のランプが、三つ中の一つだけ光っていた。
「このくらいなら、パソコンを少し動かすには、足りるわ。あとは、パネルがちょっとずつ足してくれる」
「へぇ~。じゃあ、最初から、ごはんが入ってるんだね~」
「……まあ、そんな感じね」
ルーナの例えは、やっぱり、食べ物に寄っている。
気を取り直して、パソコンの電源ボタンを、そっと押した。
ぶぅん、と小さな音がして、黒い画面に、ぼんやりと光が灯る。
「……あ」
ルーナが、息をのんだ。
画面の中央に白いロゴが浮かび上がり、やがて綺麗な花の写真が現れた。エンターキーを押すと、見慣れたデスクトップの青い画面が広がる。
(……ちゃんと、動いてる)
地球の機械が、この世界で動いている。それが、何だか不思議に感じられた。
「すごい……」
ルーナは、画面に顔を近づけて、じっと見つめていた。
「ひかってる……」
「触ってみる?」
「え、いいの~?」
「優しくね。指で、この四角いところをなぞると、画面の矢印が動くわ」
ルーナはおそるおそるタッチパッドに指を置き、そっと動かした。小さな矢印が画面の端まで滑っていく。
「うわぁ! 動いた! 私の指と、一緒に動いた~!」
「ええ。それがパソコンよ」
「でんき、すごい……」
ルーナの瞳が、画面の光を受けてきらきらと輝いている。昨日、ラーメンを初めて食べたときとまったく同じ顔だった。
(ルーナは新しいものが好きなのかもね)
数百年もの間、あの薄暗い古城でひとりで暮らしてきたのだ。今、ルーナの目の前にあるものすべてが、新鮮でまぶしく見えるのだろう。
「さて、本番はここからよ」
私は画面から目を離し、足元の荷物から小さな黒い機械を取り出した。
「これがカメラ。そして、この小さなカードが、映像を覚えておく板よ」
「ちっちゃ~い!」
指先でつまめるほどの、小石サイズの四角いカメラ。細いベルトが付いていて、何かに巻きつけられるようになっている。
「このカメラを、コウモリにつけるの。空を飛んでもらって、敵陣の上から見たものを映像に残すのよ」
「あ、だから、ホネホネさんじゃなくてコウモリさんなんだね~」
「そういうこと」
ちなみに骸骨兵士たちは、さっきからバルコニーの隅に整列していた。だがやはり、あの個体だけは腕を組んだまま、パソコンの画面を食い入るように見つめている。
「……見ててもいいけど、絶対に触らないでね」
こくこくと、あの個体だけが偉そうに深くうなずいた。
◇◇◇
カメラにSDカードを入れて電源を入れる。小さな赤いランプが、ぴこん、と点滅した。
「撮影が始まったみたいね。あとは、コウモリを呼ぶだけ」
バルコニーの手すりに寄りかかって、空を見上げた。
「コウモリ。来て」
声をかけると、寝室のカーテンレールの方からバサバサと羽音がした。小さな黒い影がひとつ、ふわりと窓から飛び出して、私の周りをぐるぐると回る。
「きゅい」
「こっちよ」
手を差し出すと、コウモリはちょこんと指に止まった。軽い。羽の先まで合わせても、手のひらにすっぽり収まるほどの小さな体。つぶらな赤い瞳が、じっと私を見上げている。
「……かわいい」
思わず、そんな言葉がこぼれていた。
もう片方の手で、そっと頬のあたりを撫でてみる。ふわふわとした毛並みが指先にくすぐったい。
「きゅう……」
コウモリは気持ちよさそうに目を細めて、私の指にぎゅっとしがみついてきた。
「あ、アトラちゃん、いいな~! 私もなでたい~!」
「優しくね。びっくりさせちゃダメよ」
ルーナがおずおずと手を伸ばす。コウモリは少し首をかしげたあと、ルーナの指にぴょんと飛び移った。
「わぁ~、あったかい~! ちっちゃくて、かわいい~」
ルーナは嬉しそうに、コウモリの頬をちょんちょんとつついている。
「この子、アトラちゃんにも、私にも、なついてるね~」
「そうね。……名前、つけてあげたほうがいいのかしら」
「うん。そうしよう~! 何にしようかな、う~ん……」
ルーナが腕を組んで本格的に考え始めたが、すぐには決まりそうにない。
「……名付けは、後でにしましょうか」
「は~い。じゃあ、あとでじっくり考えておくね~。コウモリちゃん」
名付けがおあずけになって、コウモリはどこか残念そうに「きゅう……」と小さく鳴いた。
その愛らしい仕草に苦笑しつつ、私はコウモリの胸のあたりに小さなカメラをそっとベルトで留めた。きつすぎず、緩すぎず。
コウモリは少しだけ体をよじったが、すぐにしっくりきたのか、おとなしく収まってくれた。
「いい子ね。じゃあ、お願いするわ。森を偵察してきて。危なくなったらすぐに帰ってくるのよ」
「きゅいっ!」
コウモリは、元気よく返事をすると、ばさり、と羽ばたいた。ルーナの指から離れ、青い空へ、すうっと舞い上がっていく。
その姿が、だんだん小さくなって、結界の膜の向こうに、見えなくなった。
「……行っちゃったね~」
「ええ。三十分くらいで、戻ってくるはずよ」
そう言いながら、私は、両手を合わせた。
(……お願い。うまく撮れて)
◇◇◇
待っている間、ルーナはパソコンの画面を飽きもせず眺めていた。矢印を動かしたり、画面の絵をつついたり。
「ねぇ、アトラちゃん。飽きちゃった~」
「飽きるの早すぎでしょ……」
さっきまであんなに目を輝かせていたのに、ルーナはぽんとタッチパッドから手を離すと、退屈そうに私の服の裾を引っ張った。
そのまま、ふとバルコニーの隅へと視線を向ける。
そこには、相変わらず大人しく整列している骸骨兵士たち……そしてその先頭で、いかにも知的な雰囲気を出しながら、偉そうに腕を組んでパソコン画面を凝視し続けている『あの個体』の姿があった。
他の骨たちが無感情に立ち尽くしている中で、あの個体だけがあからさまに異彩を放っている。
「ねぇアトラちゃん、あの子、ずっと見てるよ~?」
「……そうね。さっきからずっとね」
気になって立ち上がり、その骸骨兵士の前まで歩み寄ってみた。私が顔を覗き込んでも、骸骨兵士は「フム、なるほど」とでも言いたげに深々と首を傾げ、パソコンの画面から目を離そうとしない。
(……ちょっと待って。やっぱりこの個体、絶対におかしいわよね?)
こんな人間らしい反応があるのだろうか。他の個体と明らかに違う。
違和感を拭うため、私はそっと意識を集中させた。
「……『解析』」
ピコン、と軽い電子音が響き、目の前に半透明のステータスウィンドウが展開される。
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