第32話 森の灯り
「……嘘でしょ」
声が、かすれた。
窓枠を掴んだ指先が、冷たい。心臓が、どくん、どくんと鳴っている。
橙色の光は、相変わらず、森の入り口でちらちらと揺れていた。五つ、六つ――いや、数えているうちに、さらに増えている。
「開戦は、明後日でしょ……? なんで、もう……」
自分に言い聞かせるように呟いても、光は消えてくれない。
(落ち着いて。ルールでは、戦いは明後日の正午から。だから今は、攻めてこないはず)
そう思おうとするのに、心臓の鼓動はどんどん早くなっていく。
「アトラちゃん……?」
背後から、ルーナの声がした。
「どうしたの〜? 顔、真っ青だよ〜」
「……ルーナ。あれ、見える?」
「うん。光がいっぱいだね〜」
「数は、どれくらいだと思う?」
「うーん……」
ルーナは窓際へやってきて、目を細めた。
「たぶん、百人くらい〜?」
「ひゃく……!?」
息が、止まった。
こちらの戦力は、骸骨兵士が十五体、スライムが二体、コウモリが三体。それに、まだ設置もしていないトラップ。
(足りない。どう考えても、足りない……)
「待って。待って待って……」
頭の中が、ぐるぐると回る。考えなければいけないことが多すぎて、何から手をつければいいのか分からない。窓の外では、コウモリが、きゅい、きゅい、と鳴きながら飛び回っていて、その声が焦りを煽った。
「……っ、落ち着きなさい、私」
深く息を吸って、ゆっくり吐く。震える指を握りしめて、無理やり止めた。
(まずは、状況の確認。それから、できることを、一つずつ)
「……ルーナ」
「なぁに〜?」
「あの人たち、今夜のうちに攻めてくることは、あるの?」
「うーん……たぶん、ないと思う〜」
ルーナは、首を横に振った。
「ルールは、明後日のお昼からでしょ〜? 今攻めたら、反則になっちゃうと思うよ〜」
「反則……」
「それにね、攻める側は、早めに来て陣を作っておくものだって、昔、誰かが言ってた気がする〜。ご飯を作ったり、寝る場所を決めたり、準備がいっぱいあるんだって〜」
「……つまり、あれは、開戦前の準備ってこと?」
「たぶんね〜」
それなら、少なくとも今は、いきなり攻めてはこない。
ほっとして、肩の力が少しだけ抜けた。けれど、百人という数が消えたわけではない。
「……でも、明後日には、本当に来るのよね」
「うん。来るよ〜」
ルーナは、あっさりと言った。
「でもね、アトラちゃんなら、だいじょうぶだと思う〜」
「……根拠は?」
「ないよ〜。でも、そう思うの〜」
あまりにも軽い言い方に、思わず、小さく息がもれた。
「……ルーナは本当にのんきね」
「えへへ〜」
言い返す気力もなくて、私は黙って窓の外を見つめた。すると、ルーナが、何も言わずに、そっと私の震える手を優しく握ってくれた。
その温もりに、ほんの少しだけ、心が楽になる。
しばらく、二人とも黙ったまま、窓の外を見つめていた。ルーナの手は、ずっと私の手を包んだままだった。
「……ありがとう。もう、大丈夫よ」
「ほんと〜?」
ルーナが、首をかしげて、私の顔をのぞき込んだ。ルビー色の瞳が、まっすぐにこちらを見ている。
「……ほんと」
「わかった〜」
ふわりと笑って、ルーナは、握っていた手をゆっくりと離した。
私の手のひらから、ぬくもりが消えていく。それが、少しだけ、寂しかった。
ルーナも、名残惜しそうに私の指先を見つめてから、いそいそとベッドへ戻っていく。そして、毛布にくるまって、ベッドの上から私を見た。
「ねぇ、アトラちゃん。窓、閉めよ〜? 寒いよ〜」
「……そうね」
窓を開けて、外を飛び回っていた三体のコウモリを、部屋に入れた。コウモリたちは、カーテンレールにぶら下がって、きゅう、と鳴いたきり、静かになった。
それから、窓を閉めて、カーテンを引く。それでも、あの光が頭から離れなかった。
(明日は、カメラの実験。トラップの設置。やることは山ほどあるわ。……今夜のうちに、頭を休めておかないと)
「今日はもう『クリーン』して、寝ちゃお〜」
「寝る前に、お風呂よ」
「えぇ〜、めんどくさい〜」
「ダメ。お風呂は、入らないとダメよ」
言い切ると、ルーナは毛布の中で、ぷくっと頬を膨らませた。
◇◇◇
寝室の隅に置いたままの、木製の魔導浴槽の前に立つ。
昨日、ここで泣いたことを、ふと思い出した。
(……あの時は、本当にみっともなかったわね)
「水魔法」
手をかざして、水球をいくつも落としていく。浴槽に、みるみる水が溜まっていった。
すると、浴槽の側面の回路が青く光り、ふわりと湯気が立ちのぼり始める。
「わぁ〜、お風呂だ〜」
「ほら、ルーナ。先に入りなさい」
「えへへ〜。じゃあ、お先に〜」
ルーナは素早く服を脱いで、ぽちゃんと湯船に浸かった。
「ふはぁ〜……あったかい〜……」
「でしょう? ちゃんと肩まで浸かりなさい」
「はーい〜……」
とろんと目を細めるルーナの横で、私も服を脱いで、浴槽へ足を入れる。二人で入るには、やっぱり少し狭い。
お湯の温かさが、体にじんわりと染みていく。
「……ふぅ」
思わず、息がもれた。
昼間は、魔物たちの召喚、トラップの作戦会議、カメラでの偵察計画と、頭を使いっぱなしだった。その疲れが、湯の中に溶け出していくようだ。
「ねぇ、アトラちゃん」
「なに?」
「背中、洗いっこしよ〜」
「……いいけど、変なことしないでよ」
「しないよ〜。私、いい子だもん〜」
「どの口が言うのよ」
そう言いながらも、お互いの背中を、順番に洗い合った。ルーナの背中は、小さくて、驚くほど細い。
(この子に、誰も殺させない。絶対に)
そんなことを考えている間に、ルーナが振り返った。
「アトラちゃん、ぼーっとしてる〜」
「……ごめん。ちょっと、考え事してた」
「あの人たちのこと〜?」
「……まぁね」
ルーナは、湯気の向こうから、じっと私の顔を見つめた。
「だいじょうぶだよ〜」
「え?」
「アトラちゃんは、一人じゃないもん〜。私も、ホネホネさんたちも、コウモリさんも、スライムさんもいるよ〜」
何気ない言葉だった。けれど、胸の奥に、すとんと落ちた。
「……そうね」
「でしょ〜?」
「ありがとう、ルーナ」
「えへへ〜。どういたしまして〜」
ルーナは、満足そうに笑って、湯船に身を沈めた。
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