第31話 はじめてのラーメン
「ねぇアトラちゃん、お腹すいた〜」
窓の外がすっかり茜色に変わるころ、ルーナはベッドの上で抱き枕を抱えたまま、ぐでんと転がっていた。
「そうね、夕食にしましょうか」
「やった~、早く食べる物決めよう。早く早く~」
「分かってるわ。今、決めるから」
私はソファに腰を下ろして、システム画面を呼び出した。
【デイリー生活PT残高】:7 / 20 PT
朝食で6 PT、昼食で7 PT。残りは7 PT。
(二人分の夕食を、この7 PTで収める。デイリーポイント以外には、手をつけたくないわ)
明日は、偵察システムを試す。予期せぬ事態で必要ポイントが増える可能性だってある。1 PTだって無駄にはできない。
私は画面を『食品』カテゴリへと切り替えた。ずらりと並ぶ料理を目で追っていく中で、ふと指が止まる。
【ラーメン(しょうゆ)】 7 PT
その文字に、吸い寄せられるように視線が釘付けになった。
(疲れた日は、温かい汁物が一番よね。しょうゆ味なら、無難だし)
「ラーメン……?」
画面をのぞき込んだルーナが、首をかしげた。
「アトラちゃん、これ、なに〜?」
「麺を、熱いスープに入れて食べる料理よ。すごく人気の食べ物よ。これ半分ずつにしましょ」
「へぇ〜。おいしいの〜?」
「ええ。きっと気に入るわ」
「じゃあ、それにする〜。……半分?」
「ええ。7 PTしか使えないから、一杯を二人で分けるの」
「半分かぁ……」
ルーナが、少しだけ唇を尖らせた。
「まるごと食べたいなぁ……」
「ダメよ。1杯で7 PT、ちょうど使い切りなの。これ以上は、ポイントに手をつけることになるわ」
「むぅ〜……」
画面をにらんでいたルーナの視線が、ふいに、横へ動いた。
「……あ。アトラちゃん、これ〜」
「なによ」
「ケーキ。ショートケーキ。……5 PT」
「…………」
「ねぇ〜、アトラちゃん〜」
「ダメ」
「まだ何も言ってないよ〜」
「どうせ、買ってって言うんでしょ」
「うん」
「ダメよ。予算は7 PTって決めたの」
「だって、今日、いっぱい頑張ったもん〜!」
ベッドの上で、手足をじたばたさせる。ふかふかの布団が、バンバンと音を立てた。
「ケーキ食べたいよぉ〜……。アトラちゃんと、一緒に食べたいよぉ〜……」
「……っ」
最後の一言が、ずるい。
それでも、予算は予算だ。ここで甘やかしたら、明日も、明後日も、同じことになる。
「ダメよ」
「お願い〜。一個だけ〜。ちゃんと、明日は頑張るから〜」
ルビー色の瞳が、うるうると潤んでいる。
(それでも……)
「…………」
三十秒ほど、見つめ合った。
先に折れたのは、私だった。
「……分かったわよ。ケーキは、一つだけ。5 PTだけ使うわ。今回だけよ」
「やったぁぁぁ! アトラちゃん大好き〜!」
「はいはい。抱きつかないの。揺れるでしょ」
そう言いつつ、ルーナの頭を軽く撫でた。
(……結局、甘やかしてるじゃない、私)
ため息をつきながら、購入画面を開く。
────────────────────
【購入確定】
・ラーメン(しょうゆ) × 1 7 PT
・ショートケーキ(1切れ) × 1 5 PT
小計:12 PT
デイリー生活PT 7 PT
ポイントから 5 PT
────────────────────
[購入確定]を押すと、光の粒子とともに、湯気を立てる丼が一つと、箸、フォーク、小皿、ケーキが一つ、ベッド横のテーブルに現れた。
「わぁ……なにこれ〜! 湯気がもくもくしてる〜!」
「ラーメンよ。熱いから、気をつけて」
ルーナは、ベッドの縁に腰かけて、丼をのぞき込んだ。
琥珀色のスープに浮かぶ、美しく整った細麺。その上には薄切りのチャーシューに、ほうれん草、大きな海苔とメンマが彩りを添えている。立ち上る香ばしい湯気に、ルーナの小さな鼻がぴくぴくと動いた。
「……いい匂い〜」
「でしょう? ほら、小皿に分けるわね」
私は、丼から麺とスープを、半分ずつ小皿によそった。
「……あ、箸は難しいわよね。フォークも付いてるから、そっちを使って」
「はーい〜」
「じゃあ、せーので」
「「いただきます」」
声をそろえて言ったあと、ルーナは、さっそくフォークを手に取った。
しかし、フォークを握ったまま、ラーメンの前で首をかしげた。
「ねぇ、アトラちゃん。これ、どうやって食べるの〜?」
「口に入れて、すすればいいのよ。ほら、こうやって」
私は箸で麺をつまんで、ずずっ、と音を立ててすすってみせた。
「……! アトラちゃん、音出してる〜!」
「ラーメンはいいの。音を立てて食べるほうが、おいしいのよ」
「そうなんだ〜……」
ルーナは、ちょっと恥ずかしそうに、フォークですくった麺を、そっと口に運んだ。
ずず……と、小さく音を立てる。
その瞬間、ぴたりと動きが止まった。
「……っ」
「どう?」
ルーナは、しばらく無言のまま、もぐもぐと口を動かしていた。それから、ゆっくりと、顔を上げる。
「……おいしい」
ぽつりと、つぶやく。
「あったかくて、しょっぱくて、なんか、体の中がぽかぽかする〜……。スープも、のんでいい〜?」
「どうぞ。小皿を持って、直接飲んでもいいのよ」
ルーナは、両手で小皿を持ち上げて、こくこくとスープを飲んだ。
「ふはぁ〜……。アトラちゃん、毎日3食これ食べたい〜」
「毎日3食は無理よ。デイリーポイントが足りなくなるもの」
「えぇ〜……」
しょんぼりと肩を落としながらも、ルーナは、ずるずると麺をすすり続けた。最初はおそるおそるだったのに、気づけば、私と同じペースで、豪快に音を立てている。
食べ終わった小皿を、ルーナは、名残惜しそうに見つめた。
「……なくなっちゃった」
「最後まで、飲み干したのね」
「うん。だって、おいしかったんだもん〜」
それから、お待ちかねのケーキだ。
フォークで一口目を、大事そうに口へ運んだルーナは、頬を押さえて、足をばたばたと動かした。
「……んん〜。やっぱり、ケーキは最高〜」
「満足そうね」
「ほら、アトラちゃんも一口、あ~ん」
ルーナが、フォークに載せたケーキの一切れを、まっすぐ私に差し出してきた。
「……え?」
「だって、半分こでしょ〜? ほら、あ〜ん」
「ちょ、ちょっと待って。自分で食べられるわよ」
「いいから〜。はい、あ〜ん」
きらきらした瞳で、じっと見つめられる。
断れる空気ではなかった。
「……もう」
観念して、口を開ける。
ぱくっ。
ふわふわのスポンジと、とろけるクリームの甘さが、口いっぱいに広がった。
「……おいしい」
「でしょ〜?」
ルーナが、嬉しそうに笑った。
「アトラちゃんと一緒に食べると、もっとおいしいね〜」
◇◇◇
食べ終わった頃には、窓の外は、すっかり夜になっていた。
二つの月が、庭園を青白く照らしている。
「ふぅ……ごちそうさま〜」
「ごちそうさま。……片付けは、あとで骸骨兵士たちにやってもらいましょう」
「ホネホネさんたち、ずっと働いてるよね〜」
「疲れないんだから、いいでしょ」
「……私、ちょっと可哀想だと思う〜」
「ルーナ、さっきもそんなこと言ってたわね」
そんな他愛もない会話をしていた、そのとき。
バサッ、と大きな羽音が、窓の外で響いた。
「……!」
窓ガラスが、コン、と鳴った。見れば、一体の魔導コウモリが、必死に窓に体当たりしている。
「アトラちゃん、あれ、コウモリさんだよ〜」
「ええ。何かあったのかしら」
急いで窓を開けると、コウモリが、きゅいっ、きゅいっ、と甲高く鳴きながら、私の周りをぐるぐると飛び回った。
「落ち着いて。何を見つけたの?」
コウモリは、一度止まって、森の方角を、じっと指した――ように見えた。
きゅい、と短く、鋭く鳴く。
「……森の方ね」
窓の外へ、視線を向ける。
月明かりに照らされた庭園の向こう。黒々とした森の、その入り口あたりに、ちらちらと、小さな光が揺れていた。
それも、ひとつではない。五つ、六つ。
「……野営?」
喉が、ごくりと鳴った。
戦いは、明後日のはずだ。
それなのに、すでに、森の入り口には、誰かが陣を張っている。
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