第22話 庭園
ルーナをそっと抱きしめていた腕を緩めると、ルーナは細い腕で私の背中をぎゅっと抱きしめ返してきた。
「……アトラちゃん、ありがと〜」
耳元で聞こえた小さな声には、先ほどまでの怯えや戸惑いはなく、私に対する真っ直ぐで深い信頼だけが込められていた。
ルーナが戦わない本当の理由――それは「手加減ができず、相手を跡形もなく消し飛ばしてしまうから」。
殺しをしたくないと思うルーナに、絶対そんなことはさせない。
私の力で、この古城に完璧な防衛体制を築いてみせる。
そっと腕を解くと、ルーナはどこか照れくさそうに頬を染めつつも、心底安心したような柔らかい笑顔を浮かべた。そのルビー色の瞳には、もう迷いや陰りは一切なかった。
(絶対、ルーナを戦わせたりしない……!)
固く胸に誓いながら、私は気持ちを切り替えるように深呼吸をして、視界の端に管理画面を呼び出した。
昨日の大食堂での大掃除のおかげで、ポイントの生成速度は毎時200 PTへと跳ね上がっている。
┌───────────────
│ 【拠点:遺産・古城】
│ 保有ポイント:14,056 / 1,000,000 PT
│ 生成ポイント:200 PT / 毎時間
│
│ 【目標:城防衛基本セット(15,000 PT)】
│ 不足ポイント:944 PT
│ 到達予測 :約 5 時間後
└───────────────
「目標の15,000 PTまで、あと944 PT……時間にすると、あと5時間ね」
「ん〜……あと5時間もあるんだ〜。何して待つの〜?」
ルーナは私の服の裾を小さな手でキュッと掴みながら首をかしげた。
「ただボーッと待つのも勿体ないわね。……そうね、これとかどうかしら」
私は管理画面の端に表示された『施設評価詳細』の画面を開いた。
┌─────────────
│ 【現在の施設状態評価】:E
│ 清掃済み区画:部屋6つ、大食堂
│
│ 【評価更新条件】
│ 荒廃庭園の再生
└─────────────
「荒廃庭園の再生……? お外のお庭のこと……?」
「そうよ。ポイント生成速度を増やすために、庭園の掃除に行きましょう!」
「えぇ〜……また掃除するの〜……?」
あからさまに嫌そうな顔をしたルーナは、そのままベッドへダイブして潜り込もうとする。
「ちょっと! さっき格好よく決意表明してたのに逃げようとしないの!」
逃げ出そうとするルーナの首ねっこをサッと引っ捕まえると、ルーナは「あぐっ」と間抜けた声をあげてジタバタと足を暴れさせた。
「だってぇ〜……お外のお庭ってすっごく広いんだよ〜? 1日やそこらでどうにかなる広さじゃないよ〜……絶対むり〜……」
げんなりとした顔で本気で面倒くさがっているルーナを見て、私は苦笑いを浮かべた。
「最初から敷地全体を完璧にするつもりはないわよ。まずは外に出て、どこまで手を出せるか確かめてみましょ。どのみち、庭園の下見はしておきたいから」
「下見だけ……? 本当に掃除させない……?」
「ええ、多分しないわ。ほら、とりあえず行きましょ!」
「アトラちゃん、多分って何?」
私はだらんと力を抜くルーナの手を強引に引き、寝室を出た。
◇◇◇
ギギギ……と重々しい音を立てて大扉が開き、私は一歩、外へと足を踏み出した。
(そういえば……外に出るの、初めてね)
記憶を失って廊下で目を覚ましてから、ずっと城の中で過ごしていた。
肌を撫でる心地よい外の風と、全身を包むやわらかな日差し。見上げれば、昼の青空のすみに薄っすらと二つの満月の影が浮かんでいる。
だが、感動に浸れたのはほんの一瞬だった。
眼前に広がる庭園を見渡した瞬間、思わず言葉を失う。
目覚めた夜、部屋の窓から見下ろしたとき以上に、地上から見るその光景は悲惨だった。
かつて色とりどりの花が咲いていたであろう花壇は雑草で荒れ果てていた。
倒木や折れた木の枝がいたるところに散乱し、石畳を塞ぐように転がっている。
そして、敷地の入口の門から城の玄関へとまっすぐ伸びる通路のちょうど中央に、ひび割れ、完全に水が止まった大きな石造りの噴水が、寂しげにたたずんでいた。
まるで、時間がそのまま腐敗して止まってしまったかのような場所だ。
「ほらね〜……言ったでしょ〜? 広すぎるし、荒れすぎだよ〜……お布団に帰ろう〜……」
ルーナが私の袖を小さな手で引き、そそくさと城内へ引き返そうとする。
「……前言撤回するわ」
私は固まったまま、ぽつりと呟いた。
「え?」
「無理ね、これ。絶対に片付かないわ」
目の前の惨状に、私は即座に白旗を揚げた。
(これが、古城の周囲全体に広がっているなんて……)
これは「大掃除」というレベルを超えて開拓の領域だ。到底、2人でどうにかなる広さでも量でもなかった。
「でしょ〜〜!? だから言ったじゃ〜ん! 帰ろ帰ろ〜、お布団が呼んでるよ〜」
ルーナが嬉しそうに私の手を引っ張るが、私はその手をぎゅっと握り返して踏みとどまった。
「待ちなさい。庭園全体を綺麗にするのは無理でも……せめて玄関から敷地の入口までの正面通路なら、何とかなるでしょ」
「えぇ〜……ここだけでもやるの〜……?」
「ここすら泥まみれじゃ、出入りするたびに城の中に泥が持ち込まれちゃうじゃない。よし決まり! 部屋からバケツと雑巾を持ってくるわよ!」
「うぇぇぇ……地道すぎるよぉ……」
◇◇◇
諦め顔のルーナを連れて城内からバケツと雑巾、洗剤を取ってくると、私は玄関前の石畳にペタリとしゃがみ込んだ。
手元に『水魔法』で冷たい水を溜めてバケツを満たし、雑巾を浸して固く絞る。
「よしっ……それじゃあ、掃除開始よ!」
私は雑巾を両手で握り締め、分厚くこびりついた泥汚れに勢いよく滑らせた。
キュッ、キュッ、と石畳を擦る重い手ごたえ。長年の雨風で固まった泥は頑固だったが、泡をなじませて力いっぱい擦ると、下から本来の真っ白な石の肌がのぞいた。
「ふぅ……! ほら見てルーナ、磨けばこんなに綺麗になるわよ!」
「うわ〜……本当だ〜。アトラちゃん、なんか職人さんみたい〜」
ルーナは玄関の階段の縁にちょこんと腰掛け、抱き枕代わりに持ってきたクッションを抱えながら、ぼんやりと私の作業を眺めている。
「見てるだけじゃなくて、ルーナも少しは手伝いなさいよ」
「はーい、じゃあ木の枝拾っとくね」
意外にも、ルーナは私の要求をあっさりと聞き入れてくれた。
いつもなら「え〜……めんどうくさい〜……」とベッドへ逃げ出そうとするはずだ。
それなのに、文句ひとつ言わずにクッションをそっと脇へ置き、膝を折って落ちている枝を拾い始めたルーナの姿に、私は思わず手を止めて目をパチクリさせた。
(……あら? 素直じゃないの)
驚いて見つめていると、ルーナは拾い集めた小さな小枝を両手に抱え、ルビー色の瞳を私へ向けて首をかしげた。
「アトラちゃん、この枝、そこの角っこにまとめておけばいい〜?」
「え、ええ……助かるわ。ありがとう、ルーナ」
「えへへ、どういたしまして〜」
そう言って可愛らしく微笑むルーナを見て、私の口元は自然とほころんだ。
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