第16話 波紋と静けさ
ケーキを食べ終え、至福の余韻に浸りながら、ふと自分の身体に視線を落とした。
大掃除とダストゴーレムとの激闘。
ルーナの魔法『クリーン』で表面の汚れこそ落ちたものの、汗とほこりにまみれた感触が忘れられなくて、なんとなく肌がべたついている気がした。
(……やっぱり、ちゃんとお風呂に入って、サッパリしたいわね)
記憶がないとはいえ、この身体は、おそらく人間のものだ。温かいお風呂が恋しくてたまらない。
「ルーナ、お風呂ってどこにあるの?」
「んー……お風呂ぅ……?」
ベッドの上でゴロゴロ転がっていたルーナが、気だるげに顔を上げた。
「あるにはあるけど……一階の奥にあって、もう何百年も使ってないから、ほこりだらけだし、絶対お湯も出ないと思うよ〜?」
「……はぁ、やっぱりね」
予想どおりの返事に、私は肩を落とした。またあの大食堂のときのように、大掃除から始める体力は、今の私には残っていない。
この城で「すぐ使えるものがある」と期待するだけ無駄だと、もう学習している。
「じゃあ、ショップを使うしかないわね……ポイント……もったいないけど、はぁ……、しかたないわね、『浴槽』……っと」
検索欄に打ち込むと、すぐに候補が表示された。
┌────────────────
│ 【簡易魔導浴槽】
│ 価格:50 PT
│ 効果:どこでも設置できる木製の簡易浴槽。
│ 水を張ると自動で適温のお湯になる。
│ ※水は自分で準備する必要があります。
└────────────────
(50 PT……生成ポイントの15分ぶんね)
防衛セットまでは、まだ遠い。ここで使えば、その分、遠のく。
(……でも、今日は一日、がんばったんだもの。水魔法もあるし、これなら大掃除なしで、すぐ入れるわ)
購入ボタンを押すと、寝室の広いスペースに光の粒子が集まり、木製の大きな丸い浴槽が、ぽんと現れた。
「よし……『水魔法』!」
手をかざして、水球をいくつも落としていく。浴槽に、みるみる水が溜まった。
すると、浴槽側面の回路が青く光り、ふわりと心地よい湯気が立ちのぼり始めた。
私は浴槽に指先を、恐る恐る入れてみる。
「よし、ちゃんとお湯になってるわ。湯加減もバッチリね」
立ちのぼる湯気の温もりを感じただけで、肩がふっと軽くなった気がした。
「あ、アトラちゃんずるーい! 私も一緒に入る〜!」
お湯の匂いと温もりに釣られたのか、ベッドから這い出してきたルーナが、目を輝かせて、服のまま浴槽へダイブしようとする。
「ちょっと、ルーナ、服のまま入らない! それに、まだ私が入ってないでしょ、順番よ順番!」
「えー、ケチ〜。一緒に入ったほうが楽しいのに〜」
ぶーぶー言うルーナを押し戻して、私はショップで、追加のバスアイテムを購入した。
『シャンプー&ボディーソープセット:5 PT』
『バスタオル(2枚):4 PT』
服を脱ぎ、念願の湯船へと足を踏み入れる。
「ふぁぁぁぁぁぁあ…………っ」
思わず、深々と脱力した声が漏れた。温かいお湯が、大掃除で疲れ切った全身の筋肉を、優しく解きほぐしていく。
「極楽……まさに極楽だわ……」
湯船の縁に頭を預けて、まぶたを閉じる。50 PTの投資は、間違いなく大正解だった。
――バシャァン!
「はぁー、極楽〜〜〜♪」
「きゃあっ!? ちょっとルーナ! お湯が飛ぶでしょ!」
待ちきれなくなったルーナが、ちゃっかり服を脱いで、勝手に湯船へ飛び込んできていた。
二人で入るには少し狭い浴槽の中で、ルーナは頬をゆるめている。
濡れた銀髪が、湯面にゆらゆらと広がっていた。
「勝手に入ってくるとか、本当に遠慮がないんだから……」
呆れつつも、気持ちよさそうに目を細めるルーナを見ていると、追い出す気も失せてしまう。
「あ、アトラちゃん。頭洗って〜」
「はいはい。お世話係ですからね」
狭い湯船の中で、お互いに背中を流し合い、シャンプーでルーナの銀髪を洗ってあげた。
水球で泡を流すと、ルーナは「んぁ〜、気持ちいい〜……」と、猫のように目を細めた。
「よし、きれいに流せたわ。……じゃあ次は、ルーナが私の髪を洗ってくれる?」
「えぇ〜……。私がお世話するの〜……?」
ぶつぶつ文句を言いながらも、ルーナは私の背後に回ってシャンプーを手に取った。
小さな手で、私の黒いショートヘアをもしゃもしゃと泡立てて洗ってくれる。雑ではあるものの、その手つきは驚くほど優しい。
「ふふ、アトラちゃんの髪、短くて洗いやすい〜」
「ちょっと、泡が目に入りそうだから気をつけてね」
◇◇◇
「……ふぁぁ。私、もうのぼせるからあがるね〜」
満足したルーナは、私の髪を洗うのもそこそこに湯船から跳び出していった。
浴槽から上がるやいなや、微調整した『風魔法』で全身の水気と濡れた髪を一瞬で乾かすと、そのままベッドへダイブしてふかふかの布団に顔をうずめている。
相変わらず、こういう時だけは行動が恐ろしく早い。
「あ、ちょっと、ちゃんと拭いてから……って、魔法で済ませたのね」
呆れつつも、私は一人残された木製の浴槽の中で、そっと深呼吸をした。
湯船の波紋が静まり、広大な寝室に穏やかな静かさが戻ってくる。
私は膝を抱え、天井の古めかしい石造りの模様を静かに見上げた。
(……私、何者なのかしら)
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