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【長編版】王子が生まれたので、もう我慢しなくてもよろしいのですよね?  作者: 塩野さち


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第7話 勇者、二人にサバイバル術を仕込む

【エリアナ視点】


 ある休日、朝食を終えたところで、師匠に呼ばれた。


 リュカも一緒だった。二人そろって潮風亭の外へ出ると、師匠は釣り竿を三本、肩に担いでいた。


「今日は、剣の稽古ですか」

「昼飯の稽古だ」

「……お昼ご飯?」

「食うものがねえとき、どうするか教えてやる」


 師匠のかばんには、小さな鍋と布袋がぶら下がっている。私たちは顔を見合わせ、それから、その背中を追いかけた。


 町を抜けると、道は低い岩場へ続いていた。波が引くたび、濡れた石が朝日に光る。潮の匂いに、日に温められた海藻の匂いが混じっていた。


「師匠は、どうしてそんなに魚がお好きなんですか」


 歩きながら尋ねると、師匠は竿を担ぎ直した。


「食うものがなくなると、釣ってたからな」

「旅の途中で?」

「ああ。村に着く前に食い物が尽きたり、店がなかったり。川か海がありゃ、竿を出した」


 魔王を倒した勇者が、お腹をすかせて川辺に座っている。


 想像すると少しおかしかったが、本人は大真面目だった。


「腹が減ってるときに、自分で釣った魚を焼くんだ。あれはうめえぞ」

「釣れなかった日は、どうなさったんですか」


 リュカの問いに、師匠はあっさり答えた。


「腹を減らしてた」

「……そこは、解決しないのですね」

「だから、一つ覚えて安心すんなって話だ」


 師匠は岩場の向こうを指した。


「魚が駄目なら、ほかも探す。今日はそっちもやるぞ」


◇◆◇


 竿を渡され、糸の結び方を教わった。


 リュカは、一度見ただけで器用に結んだ。革を縫うときの指と同じだ。私は自分の結び目を確かめてから、師匠の手元をのぞき込んだ。


「餌は、何を使うんですか」

「そこにいる」


 師匠の指す潮だまりには、小さな貝殻がいくつも転がっていた。


 一つが、歩いた。


「ヤドカリだ」


 師匠は岩の隙間から一匹を拾い上げた。


「いいか? 釣り餌がないときはな。こうやってヤドカリの殻を割って、エサにするんだ」


 小石で殻を割り、取り出した身を針につける。小さな針をなくさないようにと、道具のしまい方まで教えてくれた。


 そうして私たちは、波の届かない平たい岩に並んで腰を下ろした。


「引かれたら、慌てずに――」


 竿先が揺れた。


 私は腕を上げた。


 針が水面から飛び出した。


「……抜くな。剣じゃねえんだぞ」


 空っぽの針が、目の前で揺れている。


 リュカが下を向いた。肩だけが、小さく震えていた。


「笑ってる?」

「いえ。反応がお早いなと」

「笑ってるね」


 餌をつけ直して、もう一度。


 今度は、竿先が動いても我慢した。波が岩に触れ、離れていく。指先に、小さな重みが伝わった。


「まだだ」


 師匠の声が、横から来る。


 竿が、ぐっとしなった。


「今」


 合わせると、糸の向こうで何かが跳ねた。


「いる……!」

「そりゃいるだろ。引いてるんだからよ」

「師匠、動きます!」

「生きてる魚だからな!」


 笑いながら手を貸してくれた師匠と一緒に、銀色の魚を引き上げた。手のひらより少し大きい。水をはね、朝日を散らしている。


 こんな小さな魚なのに、私は大蟹を倒したときより、長く眺めてしまった。


 リュカも一匹釣った。


 針を外す手つきは慎重で、その口元は、ずっとゆるんでいた。


 気がつくと、師匠の足元には、もう二匹いた。


◇◆◇


 魚を確保したあとは、潮の引いた岩場を歩いた。


 師匠は、今朝、港の漁師に食べられる貝と採れる場所を確かめてきたのだという。


「知らねえ土地じゃ、知ってるやつに聞くのが早い。見た目だけで、何でも拾うなよ」


 そう言って、岩についていた貝を示した。


「簡単なのは貝をとることだ。煮れば食える。ただ、お腹いっぱいになるまで集めるのは手間だぞ」


 私たちも、教わった貝を探した。


 見つけるたびに籠へ入れる。ずいぶん集めたつもりで底を見ると、まだ籠の編み目が見えるくらいしかなかった。


「これ、一つずつ中身は小さいんですよね」

「ああ」

「師匠がたくさん食べたら、私たちの分が……」

「俺を何だと思ってる」


 リュカが黙って、少し遠くの岩まで探しに行った。


 その背中を見て、師匠も吹き出した。


 次に教わったのは、ウニだった。


 黒い棘に包まれたものを見せられ、私は手を止める。師匠は、その中に食べられる部分があると言った。


「ウニはトゲにだけは注意しろよ! 刺さると抜く時も痛いぜ」

「師匠も、刺されたことがあるんですか」

「……手元を見ろ。持つとこを教えてんだ」


 あるのだと思う。


 さらに岩陰で、師匠は細長いものを拾った。濡れた体が、手の上でゆっくり曲がる。


「ナマコだ」

「これも、食べるんですか」


 リュカの声が、少し高くなった。


「食う」

「……こちらも」

「その顔は、食ってからにしろ」


 師匠は桶に汲んだ海水へ、ナマコを入れた。


「ナマコは水につけておけよ。そのままだと、砂を吸ってるからな」


 あとで腹の中もきれいにすると言い、下ごしらえに使う小刀を見せてくれる。


 釣り糸の結び方。餌の見つけ方。貝のついている場所。魚やナマコの下ごしらえ。


 次々と出てくる話に、私は何度も相づちを打った。


「師匠って、本当にいろいろご存じですね」

「腹を減らした回数が多いんだよ」


 その言い方が、あまりにいつもどおりだったので、私は笑ってしまった。


◇◆◇


 昼食は、風をよけられる場所で作った。


 師匠の手元を見ながら魚を下ごしらえし、火のそばで焼いた。鍋では、採ってきた貝を煮る。ウニの扱いも、棘に気をつけながら、もう一度教わった。


 鍋が煮立つころには、煙と潮と、おいしそうな匂いで、何度もお腹が鳴った。


 焼いた魚の皮を箸で開くと、白い身から湯気が上がった。


 ひと口、食べる。


 私は目を丸くした。


「……おいしい」

「だろ」


 師匠は、私の釣った魚を、少し得意そうに見ていた。


 骨から外した身はやわらかく、端の皮は香ばしい。指についてしまった塩まで、おいしく感じた。


 焼いたウニは甘かった。下ごしらえを教わって薄く切ったナマコは、想像していたよりずっと歯ごたえがある。


 リュカはしばらく黙ってかんでいたが、やがて、小さくうなずいた。


「見た目では、分からないものですね」

「だから食ってから言えって言ったろ」


 貝は、やっぱり集めたときほどの量にならなかった。私は小さな身を一つ食べ、空いた殻を見て、次はもう少し集めようと思った。


 波が寄せては返す。


 濡れた袖は日差しで乾き、頬には塩が残っていた。師匠とリュカが、どちらの魚が大きかったかで話している。


 魚が釣れたら、こんなに嬉しい。


 食べられるものを自分で見つけると、その場所を覚えていたくなる。


 海を見る楽しみが、朝より少し増えていた。


◇◆◇


 町へ戻るころには、日が傾き始めていた。


 師匠は潮風亭へ向かう角を曲がらず、通りの先へ歩いていく。


「師匠、そちらでしたっけ」

「寄るところがある」


 扉を開けた先で、鉄と油の匂いがした。


 壁に、剣が並んでいた。


「二人とも、選べ」

「……何をですか」

「魚屋に見えるか?」


 リュカと顔を見合わせた。


 師匠は店の人に声をかけ、私たちの背丈と手を示した。ほどなく、飾りの少ない剣が何本か、台の上へ並べられる。


「旅に出た祝いだ。俺から一本ずつやる」


 私は腰の木剣へ触れた。


「私は、これをいただいています」

「知ってる。俺がやったんだからな」

「まだ、使えますよ」

「捨てろなんて言ってねえ。鋼の剣の扱いも、覚えておけ」


 リュカも、自分の鞘を押さえていた。


「あの、僕は先日、買ったばかりで」

「自分の金でか」

「はい」

「なら、そいつも大事にしろ。こっちは俺からだ」


 師匠は、台に置かれた一本をリュカへ渡した。


「使うのはお前だ。持ってみて、合わなけりゃそう言え」


 リュカが剣を受け取る。最初の一本より、次に渡されたもののほうが、手首が楽だと言った。


 師匠はうなずき、重さの違いを確かめさせている。


 私も、細身の剣を持った。


 木剣とは違う重さが、手の中にあった。腕を伸ばし、剣先を静かに止める。握り直すと、師匠が私の肘を指で押した。


「肩を上げるな」

「はい」

「どうだ」

「……これが、いいです」


 師匠は刃と柄のつなぎ目を確かめ、店の人へうなずいた。


 二本の剣に代金が払われる音を、私はリュカと並んで聞いていた。


「ありがとうございます、師匠」

「ありがとうございます。大切に使います」


 師匠は、照れたように首の後ろをかいた。


「礼は一回でいい。落とすなよ」


 店を出ると、新しい鞘に夕日が当たった。


 リュカは剣を何度も持ち直している。さっき魚を釣ったときと、よく似た顔だった。


 私もきっと、同じ顔をしていたのだと思う。


 古い木剣を腰に、新しい剣を腕に抱える。先を行く師匠のかばんでは、空になった鍋が軽い音を立てていた。


「師匠」

「礼なら、もう聞いたぞ」

「また、一緒に釣りへ行きたいです」


 師匠は振り向き、口の端を上げた。


「次は、餌を吹っ飛ばすなよ」


 リュカが笑った。


 私も笑って、新しい剣を抱え直した。


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